71.ファミレスと王子様と
月香の『の~ぱそ』を初めとするアーティファクトは、無造作に巫女姫達に与えられていたらしい。がやがやと騒がしいファミレスのボックス席になぜか違和感なく収まっているエリューシアは、麻のジャケットの袖を少し下ろして、どう見ても華奢な腕時計にしか見えないそれを指し示した。
「これがあれば、自分の思考を言語に変換して相手に伝えることができるらしい。こうして話していて、お前の言語で聞こえているだろう?」
「まあそうですけど……」
つまり、異世界越えをやらかした場合の翻訳装置ということか。しかし月香が知りたいのは、エリューシアが違和感なく日本語を話している理由ではない。
なぜ突然、こちらの世界の服装でごく自然に現れて、当然のように月香の夜の予定を決めた上、こうして全国チェーンのファミレスで晩ご飯なんて事になっているか、ということだ。この店に決めたのは、たまたま近くにあったからなのだが、エリューシアは案の定周囲のがちゃがちゃした雰囲気から浮き上がりまくっていた。なんだか少し申し訳ない。
「殿下、何しにこっちにいらしたんですか」
「何って、散歩がてらの暇つぶしだが」
月香は、バッグにハリセンを仕込んでこなかったのを思い切り後悔した。
「昔からよく来ていたぞ。子供の頃は、祖母殿に連れられて」
「ああ……」
言われて思いだしたが、華乃子はもともとこちらの人間。エリューシアは、世界をまたいだクォーターなのだ。華乃子もちょくちょく銀ブラするらしいから、その際孫を伴っていても不思議はない。
ないが。
「私、今日こっち方面へ来るって誰にも言ってないんですけど」
「だから、偶然だと言っただろう。もっとも、鍵は引き合うらしいからそのせいではないとも言い切れない」
「え?」
月香が目を瞠ると、エリューシアはジャケットのポケットからおもむろにそれを取り出した。
紫の石が嵌まった、古めかしい鍵。
「共鳴がわずかにあるようだ、とあの『まねぇじゃぁ』という者は言っていた。互いに引き合うから、近くに扉を開いてしまうこともあるのではないかと」
「マネージャーに会ったんですか?」
「換金してもらったからな」
一瞬何のことかわからなかったが、エリューシアの持っているお金を両替してもらったということらしい。考えてみれば、ヴィヅのお金が日本で使えるわけはないのだから、彼がこっちで過ごそうと思ったら必要な手続きに違いない。
株と為替の値動きとかあるんだろうか。レートは変動するんだろうか。そういえば月香は、ヴィヅのお金を見たことがない。王宮にいる間は、お金を使うことは今までなかった。
「というわけだから、ここの支払いは私が持つ」
「へ?」
「友人との時間を邪魔したからな」
さっきのことを言われているのだ。エリューシアが無駄に美形オーラをまき散らしつつ店を出て行ったあと、友人はものすごいテンション高く彼のことを問いただしてきたが、夕方解散するまでずっとそんな感じだった。だが、それはまあ予想の範囲内だったので月香は気にしてはいない。
そう伝えたが、エリューシアは首を振った。
「考え無しで割り込んだのは事実だ」
そして短く、すまない、と呟く。
月香は、どう返していいかわからなくなった。
エリューシアは、決して他者に配慮できない人ではない。むしろ、気配り上手の部類に入るだろう。けれどそれ以上に、恐らくいい意味で育ちがよくて無邪気なのだ。
だから、見知らぬ場所で知った顔を見つけて声をかけてきたのだろうし、それを今素直に謝っているのだ。
「邪魔とは、思ってないですよ。ほんとに」
月香は繰り返してから、とっくに運ばれてきていた料理をエリューシアに勧める。しばらく二人で、言葉少なに食べた。
ファミレスは、客の入れ替わりが激しい。そしていろいろな人がやってくる。老若男女問わず、だいたいみんな賑やかだ。手軽に、楽しく、大勢で食事をするのが目的なのだろうから。
子供の騒ぐ声。それを叱る親らしい大人の声。高校生達のおしゃべり。年齢のよくわからない人達の談笑。
普段そういうものを耳にしないせいなのか、エリューシアは大きな声が上がる度食事の手を止めていた。やはり、店はもう少し選ぶべきだったと月香は反省する。
それでも、手ごろな価格でいておいしい料理は、やがて気まずい沈黙も緩和してくれる。
「月香」
食事を終えて、一息ついているとエリューシアが口を開いた。
「さっき食べていたあれは、何と言うんだ?」
「さっき?」
「私が最初に見た時だ」
「ああ、パンケーキですか」
有名な店で、開店のかなり前から並んで運良く入れた。評判通り味もよくて、また行ってみたいと思わせるところだった。
「今度は、一緒に行ってもいいだろうか?」
「え?」
問いの意味が、一瞬わからなかった。折良くというかなんというか、その時店員がやってきて水をつぎ足してくれる。
言葉の途切れた刹那、エリューシアの緑の瞳は柔らかく蕩けていた。ぎらぎらした店内照明のせいではないと、頭のどこかが告げていた。
戸惑い、だろうか。なぜなのかわからないが、このまま彼に話させてはいけない気がする。
何か、決定的なものが変わってしまう。
しかし結局月香には、それを止める言葉は思いつけない。
「本当は、会えればいいと思っていた。鍵は引き合うから、もしかしてと」
がやがやとうるさいはずの喧噪が、聞こえない。まだ、周りには人がたくさんいるはずなのに。
口の中が、からからだ。
どうして。
「会えてよかった」
綺麗な笑顔で、彼は真っ直ぐに言う。そんなふうに。
「お前さえよければ、またこうして過ごしてほしい。とても、楽しいから」
周囲の音は、まだ戻ってこない。だから、聞き違いなんてごまかしが利かない。
月香は泣き出したくなって、熱くなる頬を俯けた。




