70.パンケーキショップにて
目の前に生クリームとフルーツたっぷりのパンケーキが置かれ、月香ははっと我に返った。
「月香、どうしたの?」
正面の席に座る友人は、訝しげな顔をしている。月香は申し訳ない思いで首を振り、とにかく食べようと彼女を促した。
アンジュの探索を始めてから一週間、あちこち移動して回っているが手がかりはない。しかし、それでも週休二日という彼女の労働条件により、休日はしっかりやってくるのである。休みである本日の予定は、高校時代の友人とパンケーキを食べつつショッピングだ。
オンとオフを切り替えるのが、結果的に仕事の能率アップにつながることを月香はよく知っている。世界一有名な某イギリスの名探偵も、仕事とそうでないときの切り替えっぷりは半端なかったと、友人の伝記作家が書いている。だから月香もなるべく休むときは徹底的に休むのをモットーとしているのだが、さすがに今まで経験したことのないパターンなだけに、限度はあった。
「仕事つらいの?」
友人は、疲れのせいでぼうっとしているのだと思ったらしい。
「うーん……楽っちゃ楽だけど。定時で終わるしね」
ただし、現地時間に照らせば相当残業している気がしないでもない。
「人間関係が悪いとかは?」
「どうかなぁ。まあ、上司は気を遣ってくれるよ」
しかし超絶美形の世話焼きは、時々心臓に悪い。
「いい職場なの?」
「まあ、おおむねね。給料もいいし、休みも潰されないし」
月香は何となく、傍らに置いたブランド物のハンドバッグを横目で見た。
「やっぱり事務なんだっけ? 大きい会社?」
友人は、やたらと突っ込んで訊いてくる。彼女も派遣社員だったはずだから、気になるのだろうか。
もしかして、と思い月香は逆に質問を返してみる。
「転職考えてるの?」
「うん、ちょっとね」
果たして半ば予想していた答えがよこされたが、友人が続けた言葉は月香が考えたものとは正反対だった。
「実は結婚するかもしれなくてさ」
「ほんと?」
目を丸くした月香の前で、友人ははにかむ。幸せそうな笑みだった。
「大学からつきあってる人なんだけど、やっと正社員の仕事見つけて安定してきたから。しばらくは共働きだろうけど、やっぱり何かあったとき融通がきく会社のほうが安心だし」
女性には、結婚すると今までの人生が一変するような出来事が訪れるものだ。残念ながら日本はそういうことに対してまだまだ理解してくれない会社が多いから、働く人間の方で何とかするしかない。
「月香の会社、もう求人してないの?」
「どうかなぁ」
月香としては、彼女の力になりたいのはやまやまだったのだが、何しろ会社が会社なのでどう答えていいか困った。
「規模が小さいのは確かだけどね。私のほかには、バイトの高校生しか雇ってないし」
「そっか……。すごくいろいろ配慮してくれる会社みたいだから、いいなって思ったんだけど」
その点は間違いない。疲れていたら気を遣ってくれるし、女性特有の月一体調不良時には休んでもいいとまでいってくれる。この間毒を飲んだときの労災も、予想以上にたくさん出た。しかも速やかに。まだ申請したことはないが、たぶん有給取得も気兼ねせずできそうだ。
「まあ、結婚してみないとわからないこととかあるし、急がない方がいいかもよ」
「そうだね。結婚式の準備も大変だし……」
ため息をつきながらも、友人は笑顔だった。ほんのり温かい気持ちが、月香を満たす。
そして、気づく。以前ほど恋愛や結婚ということに対して、嫌悪感を覚えないことに。驚きではあったが、不愉快ではないことにも。
特に、何か考え方が変わるような出来事があったとは思えないのだが、変わっていたならそれはそれでいいじゃないか、という気もした。友人がとても幸せそうなので、それは純粋に嬉しいのだし。
そのときだった。
女性客が大半を占めている店内が、ざわめきに包まれた。いや、それはほとんど、怒号だった。
「ちょ、月香、あれ見て……」
友人に促されるまでもなく、月香も反射的に店の入り口を振り返っていた。それだけでなく、がっくんと大きく口を開けて硬直していた。
すらりと背の高い金髪の美青年が、無駄に美形オーラをまき散らしつつゆっくりと月香達の方へ近づいてきていた。緑の目は揺るぎなく、恐らく目的の場所だけを見ている。
怒号がいつの間にか、音なき黄色い悲鳴に変わっていた。
「月香」
空気を読まない美形は、月香の脇に立ち止まり親しげに微笑んだ。
「こんなところで会うなんて、奇遇だな」
「嘘つけ」
上司だとか曲がりなりにも王子だとかいうことをすっぱり忘れ、月香は即座に突っ込みを入れていた。




