69.分かれ道
「かつて、華乃子皇太后が魔王を倒した事は知っていますよね?」
全身に黒を纏い跪いたままの姿勢で、アンジュは言った。
「話だけなら。俺達など生まれていない時代の話だな」
先ほど掘ったばかりの墓穴を埋めながら、シディアは彼を見ずに答えた。
「その魔王が君臨していたのは、どこだと思いますか?」
寄越された問いの解答を、彼はとうの昔に知っていた。
「ザークレイデス皇国。ミグシャ族が禁域とする西の果ての――グディル山脈」
一族の中で伝えられ、定められた時意外は決して近づいてはならないと戒められる場所。当事者である皇太后が存命なくらいだから、当然そのときを記憶している古老が何人もいる。彼らから聞かされる物語に幼い子供達はしばらく悪夢にうなされ、悪いことをすれば魔王に連れ去られるのだという教訓にもされる。
「皇国の土地がどれほど努力しても豊かにならないのは、魔王の放つ瘴気のせいでした。滅んだはずなのに未だに人間を蝕むのだから、よほど強い力を持っていたのでしょう」
穴はどんどん埋まっていく。それは、穴の中のものからどんどん遠ざかっていくことに違いないのに、美貌の皇子の表情は氷のように冷たい。
「巫女姫は、世界を平和で豊かにするために降臨するのだという。母によれば、ですが」
じっとシディアの動きを見守り、彼はどこまでも淡々と語る。
「どうして、エンディミオンに降りたのでしょうね」
祈りの形を取った両手は、ぶるぶると震えているのに。
「あの豊かで、平和に慣れすぎて蔑ろにしているような国に。何一つ、取り除かなければならない困難などない場所に」
シディアは、円匙を放った。アンジュのそばに膝をつき、硬く握り合わされた両手に自分の掌を重ねる。
土で汚れていたけれど、アンジュはそれを払いのけようとはしなかった。
「国王と宰相の暗殺未遂犯ですから、遠からず誰かが追ってくるでしょう。ここを突き止めるまでには相当時間はかかるでしょうが、あの皇太后や王子のことですからザークレイデス皇国には確実に目をつけるはず」
「そうだな」
アンジュの震えは、次第に治まっていく。完全に止まったのを確かめてから、シディアはそっと両手を外した。
「埋葬を終えたら、どこへ行きましょうか」
喪服の膝を叩きながら、アンジュは立ち上がる。シディアは再び円匙を取り上げた。もう少しで、墓ができる。
「今更訊くのか?」
背を向けていたから、アンジュの顔は見えない。返事も聞こえない。
けれどなぜか、彼が笑ったような気がした。
立派な大理石など望めなかったが、シディアとアンジュの手で作られた木の墓標は、故人の名を刻みつけ追悼の証とするには十分なものだった。
マグノリア・カァン・ピア・ルーベウス。アンジュは、母の名前をそう彫った。恐らくそれは彼女の意に沿うことだったろうと、シディアも思った。
埋葬の翌日、教会から最低限のものを持ち出して彼らは出発した。アンジュは、喪服のままだった。エンディミオンの神官服は、教会に置いてきたらしい。
決別のつもりだったのか、それとも。
「シディア」
少しだけ距離を置いて前を行くアンジュの声が、森の草を踏む音に混じって聞こえた。
「この先に分かれ道があります。左へ行けば村があります。その先は、サレの王都へ続いているでしょう」
「そうか」
会話は、そこで途絶えた。どちらも無言のまま、やがて森は終わり道が現れる。
乾いた土を踏みしめて進み、開けた場所へ出た。道が二つに分かれている。二人は、暫しそこで足を止めていた。
先に歩き出したのは、アンジュ。
右へ、折れる。
シディアも、彼のあとへ続いた。
円匙=スコップです。




