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66.異世界トリップの弊害

「さて、もう一度改めて説明してもらおうか」

 アンジュレイン、及びシディアの逃亡。

 取り乱して泣くミュージアの口からそれを聞かされるやいなや、華乃子は琴音に何かを命じ、一度もとの世界へ帰らせた。そしてエリューシアとレナード、起きられるようになったばかりの月香は皇太后の離宮へ呼び集められ、琴音が戻ってくるのを待っている。

「も、申し訳ございません、皇太后様。私、私……」

「大丈夫、落ち着いて。お前に何の咎も罪もないのはわかっている。あの馬鹿二人が暴走しただけだろう?」

 泣きはらして真っ青な顔をしたミュージアは、ただ謝罪の言葉を繰り返すかとりとめのないことを口走るだけだ。一向に埒があかないが、皇太后は辛抱強く彼女を宥めている。

「それにしても、まさか彼が持っていたとはねぇ」

 緊急に呼び出されて駆けつけた清子は、テーブルの上の鍵をつくづくと眺めた。真鍮のような質感で、紫の石が嵌まった古めかしい意匠の鍵。ミュージアがこれを見せたとき、華乃子と琴音、月香は一様に驚きの表情を浮かべた。

「清子様、この鍵に見覚えが?」

 レナードは、清子に尋ねた。清子は頷き、首の辺りに両手を持っていった。服に隠れて見えなかったが、紐につけた何かを下げていたようだ。

「似てるでしょう?」

 ごくありふれた革紐からぶら下がるそれに、レナードは目を瞠った。

 横向きの楕円の鍵が、大小一つずつ揺れていた。大きい方には緑色の石が一つ嵌まっていて、小さい方にはオレンジ色の石がついている。

「これはね、巫女姫が世界を行き来するために必要な鍵なの。世界の壁だけでなく、任意の場所へ扉を介して空間を繋ぐことができる。あんた達のようにこの世界で生まれた者でも、使うことは可能よ。だからアンジュレイン皇子は鍵を使って逃げたんだけど」

 同じく鍵を見ていた月香の肩が、一瞬震えたようだった。アンジュの名前に、反応したのか。

 彼女をごく自然にエリューシアが抱き寄せたのを目の当たりにして、レナードは目を剥いた。

「私達の次の代の巫女姫は、確か令美とさくらって名前だったかな。二人とも同い年の高校生だったはず。ルーベウス王国に降臨して、まだ驚異だった魔物の残党を倒し、大陸全体を平和に導いていた――んだけどねぇ」

「その二人なんですか?」

 エリューシアに身を委ねたままで、月香が口を開いた。

「第一王子と第二王子を、異世界に連れて行ったっていう」

「そう。あなたは詳しい事情を聞いてるんだっけ?」

「ええ、概要だけなら」

「そっか。まあでも、もう少し詳しく知っておいた方がいいでしょうね。やっとこ社長が来たようだし」

 清子は、顎をしゃくってみせる。そちらを振り返ると、扉のそばに琴音が立っていた。その隣に、銀髪の少年がいる。初めて見る顔だ。

「久しぶりね、サナ」

「本当にな。元気そうで何より」

 サナと呼ばれた少年は、呆れるほどの美貌に人なつこい微笑を浮かべ、レナード達の方へ歩いてきた。何か抱えていると思ったら、レマだ。何となく見比べてみて、レナードは少年と赤子の相似に気づく。

「いつも、弟が世話になっていて悪いな。面倒見てくれてありがとう」

 清子の示した椅子に座りながら、サナは誰にともなく言う。レマも「あいがちょー」と舌足らずに兄の真似をして、その愛らしさで張り詰めていた場の空気は何となく和んだ。

「ところで、サナ。この鍵」

「うん。紫の石がついているから、令美のだな。そう……あのとき令美は、ラッサとフェイルスを連れ去ったんだ」

 ルーベウスの王子達の名前だろうか。サナは、遠くを見る目つきをする。レナードよりずっと年若いはずなのに、その眼差しは老成した翁のようだ。

「ラッサは令美の、フェイルスはさくらの恋人だったんだ。まあそれは別に問題ではなかった。華乃子のように、こっちの世界で腰を据えてくれればなおよかったんだよ」

「それくらいの覚悟がなくて、王族の嫁なんぞ務まらないでしょ」

 いつの間にかミュージアを連れてきていた華乃子が、軽く眉を上げてのたまった。サナは皇太后を振り仰いで微笑んだが、すぐに真顔に戻る。

「魔物の残党は片付いたし、大陸は平和になった。でもな……。令美もさくらも、子供だったんだろうな。巫女姫の役目が終わればもうこっちに来ることはなくなるだろうし、だからといってこっちで暮らすにはそれまでの自分の生き方を全部捨てなきゃならなくなる。そう考えて、何も失わずにすむ方法を選んでしまった」

「それが、王子達を自分の世界へ連れて行くこと」

 月香の言葉に、サナは暗い面持ちで頷いた。

「お互いに好きで離れたくない、世界の壁なんて障害は問題なく、自分達は惹かれ合った。だったら、貫けばいい。悩んだ末にそう決めたって――月香には前に話したけど、建前上の辞表を受け取ったあと二人を見つけ出したら、二人ともそう言っていた」

 レナードは、膝の上で拳を握りしめていた。

「馬鹿な娘達だね」

 吐き捨てるように言ったのは、華乃子。

「高校生ならバイト待遇だったんだろうけど、仕事でこっちに来ていて、相応の働きを求められていたのは事実。そして、自分達の行動は何かしら周囲に影響を与えるって事も、あちこちから崇め奉られる巫女姫なんて役割をやってればわかったはずだ。確かに魔物は片付けたろう。だけど、身勝手の理由をさも崇高な何かのように正当化して、国一つ滅ぼしたことに何の罪悪感も抱いてなかったっていうのかい?」

「ルーベウスの滅亡も話したさ。けど、全員狼狽えはしても、こっちに戻るなんて誰も口にしなかった」

「全員?」

 エリューシアが身を乗り出す。

「ルーベウスの元王子達にも?」

「ああ、結婚してそれぞれ所帯持ってたから。どうやって仕事見つけたんだろうな。戸籍も何にもないのに」

 まああの二人優秀だったから、と溜息をつき、サナは額を押さえた。

「自分らの妹がどんな運命を辿ったか聞いても、同じ反応をするんだろうかね」

 皇太后の声音からは、感情の抑揚が消えていた。隠しているのではない。興味を失ったのだ。これ以上気にかける価値もない、ということだろう。

 レナードも、皇太后と同意見だった。それよりも今は、手を打たなければならないことがある。

「逃亡先は、かつてルーベウスだった辺境の地、と言っていたのですね?」

「は、はい」

 質問が唐突だったためか、ミュージアは上ずった声で答えた。

「かつて村があったけれど、今は誰もいなくて、教会だけが残っているんだそうです。森の中のようでした」

「それだけで特定できるかい?」

「……正直、難しいでしょう」

 祖母に問われ、エリューシアは苦い表情で首を振った。

「辺境といっても、範囲は相当なものです。戦乱も飢饉も何度も起きているから、うち捨てられた村などいくつもあるでしょう。どうしても時間がかかります」

「だろうね。しかたがない。地道にローラー作戦で行くしかないだろう」

 言い終わらないうちに、華乃子はさっさと部屋を出ていこうとする。必要な手配をしに行くのだろう。常に皇太后の行動は迅速だ。

「あの……」

 ややしばらく経ってから、おずおずと口を開いたのは、琴音だった。

「私達は、どうすれば……」

「今日はもうバイト終わりだろう? 琴音は家に帰った方がいい」

 答えたのはサナで、レマを抱いたまま立ち上がる。

「月香はまだ勤務時間あるだろうけど、どうする? 少し休んでから戻ってくるか?」

「ええ……。そうします」

「大変だったな。でも、よくがんばった」

 サナは月香の傍らに移動して手を伸ばし、子供にするように月香の髪を撫でた。嫌がるかと思いきや、月香は抵抗せずにサナを見返している。

「労災は出ますか?」

「出す出す。特別ボーナスも出す」

「ありがとうございます。なら大丈夫、問題ありません」

 レナードには何のことかわからなかったが、月香はにっこりと笑みを見せた。いい返事をもらえたということだろう。

「それじゃ、俺はこれで。また何か問題があったら呼んでくれ」

 琴音を伴って、少年は扉を出て行った。彼らの向こう側にちらりと見えたのは、きっと異世界の光景だ。もふもふ動く柔らかそうな塊があったが、あれはなんだろうか。

「月香、戻ろう。もう少し寝ていた方がいい」

 閉まった扉を眺めていたレナードの耳に、エリューシアの声が聞こえた。思わず勢いよく振り返ってしまったのは、一度も聞いたことがないほどそれが優しい響きを帯びていたから。

 エリューシアは、月香の背中を片方の腕で支え、静かに立ち上がらせていた。翠の眼差しが、とても優しげだ。

「ありがとうございます。でも、大丈夫です」

「無理はするな。こちらへ泊まっても差し支えないなら、そうすればいい」

 レナードは、茫然とそんな二人のやりとりを見守ることしかできなかった。

 信じられない。あのエリューシアが。

 女性にまったくと言っていいほど興味を示さなかった、従兄弟が。

「いえ、本当に平気なんです。さっき社長にああ言ったのは、やりたいことがあったからで」

「やりたいこと?」

「はい。ルーベウス王国が滅んだっていうころの歴史を調べたくて」

「それなら、なおさら今日は泊まっていって、明日の朝からやればいい。すぐに終わる量じゃない」

 ほとんど抱き寄せる体勢で、エリューシアは月香を支えて歩いていく。清子には礼、レナードには軽い目配せだけして。

 月香の挨拶を置き去りに、二人が出て行った扉は閉まる。残されたのは、レナードと清子。

「……お赤飯でも作ろうか?」

「オセキハン?」

 お祝い事があったときの料理だと、清子から教えられたレナードは絶句した。

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