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大舞踏会の夜

 

 目を覚ますと、知らない天井が見えた。天井? というより、なんていうんだっけ、これ? ベッドの天蓋か?

 体を起こすと、僕の部屋が質素に見えるぐらいの装飾や家具が見える。全部で一体どれほど値を張るのだろう、想像もつかない。それに広い。部屋に帰ると窮屈さを覚えてしまうだろう。


 隣にはディスアキア皇女が寝息を立てて眠っている。


「え」


 寝起きのカラスのような声が出てしまった。


 これは……!

 イタタタタ、動くと身体の節々が少し痛む。

 全身に包帯が巻かれていて、うん、きちんとズボンは履いてある。


 そうだった。

 隣で気持ち良さそうに眠っている天使のような寝顔の彼女に、かなりの時間を割いて、拷問を受けるが如く、木剣で薙ぎ倒され続けたのだ。真剣だったらミンチにされていたに違いない。

 悪魔の花嫁、か……


 思い出すだけでも痛みがぶり返してくる。

 でも騎士たちへの抑止力となると考えると、彼女は僕を殴った張本人で、殴られて感謝するというそんな趣味はないが、感謝だな。


 もぞもぞと僕が動くと、ディスアキア皇女は目を覚ました。


「んー、おはよ。目が覚めたんだね。身体の具合はどう?」


 ふわぁと伸びをしながら、僕を気遣ってくれる。


「はい、少し痛みますが、問題ありません」


 初めて会った森以降、皇女には敬意を持って臨んでいる。


「そっか、1晩で治ったんだね。一応骨はキレイに折っておいたし、神官の神の御加護と薬草のおかげもあるけど、かなり速い回復だね。内臓も問題ないって言ってたよ」


 骨ってキレイに折れるのか……

 ていうか、内臓……?


「うん、それに目が死んでない」


 討伐から帰った後、よくローランに「目が死んでるよぉ」って言われるんだが。


「それよりも、ここは一体――、」

「ボクの自室だよ」


 やっぱりだ。

 倒れた後の記憶はないが、かなり無礼なことには違いない。


「そんな、皇女殿下の部屋で寝てしまっていたなど……」

「気にしなくていいよ、ボクが運び入れたんだから。それにキミはもう、ボクのモノだ」

 と、僕の顔に触れてくる。


「うん、熱はないみたいだね」


 な、なんだ。熱があるかの確認か。

 と思うのも束の間、彼女は僕の胸の辺りにある紋様にも触れてきた。

「ひっ……」思わず声が出てしまう。


 そのまま彼女は少し怪訝な表情を浮かべる。


 だって、女性の部屋で、しかもベッドの上でこのシチュエーションはマズくないか?

 彼女の着ているネグリジェは決して露出度は高くない――、はずだ。

 とはいえ、意識し始めると、やはり目のやり場に困ってしまう。

 しかも、何だ、この、ふわっと広がる花のような良い香りは。

 僕の部屋なんて、し尿瓶のにおいしかしないぞ。


「困惑してるね。何で運び入れたのか知りたいかい?」


 ふふふ、と笑う。


「ボクのスキルはマナドレインだと思っている人がいるけど、それは副次的なものでしかないんだ。実はね、ボクは無意識にマナを与えてしまうスキルがあるんだよ。体質、に近いね。与え続けると死んじゃうから、マナドレインを習得しただけなんだ。つまり、キミはボクと寝ることで、ボクのマナを受け取ったってこと。まぁ、マナのお返しだ」


「そ、そうなんですね…… だから身体はちょっと痛いけど、だるくないのかな」


 ディスアキア皇女は、実はギバーだったのか。


「でしょ? ボクのマナは美味しかった?」

「えっ、いやっ――、味、ですか……? 僕、気を失ってたんで」

「知ってるよ」

「な、なんだ……」


 彼女はいたずらっ子のように、目元を赤らめて笑う。

 僕はほっとした。


「からかってみただけさ。大丈夫そうで何よりだよ。ところでキミ、今晩予定はあるかい?」


 きた。ちょっと急展開過ぎないか……

 背筋が自然と伸びる。


「今晩、舞踏会があるんだけど、ボクと一緒に踊ってくれない?」

「え、舞踏会ですか?」声が裏返った。

「もぉ、カタイよー。もっと気楽に話していいよ。キミは特別だ」


 キミは特別、か。へなちょこ勇者にかけられる言葉ではない気がする。

 でも、普段と違う皇女の姿を見て、1つ気づいたことがある。


 僕には女子耐性がない。

 そうだよ、僕だって男なんだ。触れられるとすぐにドキドキしてしまうのは仕方がない。

 見破られてないと良いけど……

 いや、皇女のことだ、気づいてやっているに決まっている。


「そっか、それでは失礼して」


 切替のため、コホンと咳払いをする。


「でも、僕は踊れないけど大丈夫かな?」とボソリと告げる。

「心配ないよ、ボクがリードしてあげる。キミはボクが進むままに、身体を委ねてくれれば踊れるから」


 そう言い、僕に手を差し伸べてくる。


 ダメダメダメ、つい無条件に目線が引き寄せられてしまう……

 なんとも抗い難い誘惑だ。それに打ち勝たなければ。


 よし。さっさと訓練して、沐浴でもするか。

 ローランと一緒に。



 この世界では1対の男女のカップルがホールドを組む、カップルダンスが今では主流となっていて、ウィンナ・ワルツと呼ばれるらしい。(注1 19世紀ウィーン )


 今回の大舞踏会は招待制であり、辺境の領邦国家から王族や貴族が集まり参加している。それゆえ、地位によって座る位置から踊る順序など、何から何までいちいち規則があって、正直めんどくさい。

 こういうのはあまり好きではないから、もう潔く諦めてディスアキアに任せることにした。


「他のカップルは、今は見なくて良いよ。ボクのを見て予習しておいてね」

 と、男装したディスアキアが僕に言う。

 背も高く、なんというか、さすがは王家。似合っていて僕よりカッコいい。

 まずは女性と踊るらしい。

 あの噂は本当なのかもしれないな。


「え、予習って、いきなり見てもさっぱりわからないって」

「大丈夫、だいじょーぶ! キミ、カンが良いし、なんとかなるって!」と力強い目を輝かせて本当に楽しそうだ。


 男装したディスアキアが他の女性に近づき、踊りに誘う。


 見ているだけの僕が緊張してきた。

 僕が女性とダンス、か。


 2人揃って皇帝と王妃に礼をすると、少し移動して、また礼をした後に踊り始めた。


 うーん、リードアンドフォローが重要だって言ってたな。

 しっかり見ておくか。

 そうして1人ぽつんと、部屋の端っこを陣取り、彼女を遠くから眺めていた。



「これはこれは、ファウスト君ではありませんか」

「メフィスト……!?」


 声の方を向くと、そこには僕の魂をこの世界へ送った張本人の、悪魔メフィストフェレスが立っていた。いつの間に……


「どうしてここにメフィストがいるんだ?」

「この世界ではマルグラーフ、つまり辺境伯としての地位にありますからこの場ではロードと。でもまぁ、ワタクシとアナタの間ですから、全然構いませんがね」


 などといつものように戯けた(おどけた)調子で笑っている。記憶はないが、体が覚えている。まぁメフィストはいつもこんな調子だ。


「いやぁ、小耳に挟みましたが、皇女殿下と遊ばれたそうですね。それに、これは第3者の介入……試練が絡み合っていますねぇ。やはりアナタの魂は引きが強い! いやいや、楽しませてもらってますよ。アナタにはこのまま頑張ってもらいたいところですねぇ」

「僕はもう2度とあんな痛い目を見るのはごめんだけど」

「ふむ、それは『昨日』のことでしょう? そのことではないですよ」


 不吉に、不気味にクックックと笑う。


「じゃあ何のことだよ?」

「人間の人生に劇的なものを求めるのは、ワタクシの(さが)ですからねぇ。ドラマチックに、ドラマを観たいのですよ」

「そんな期待をされても困るな」


 メフィストはかなりいやらしく笑う。そうだ、僕は魂で遊ばれているんだ。


「で、何の用だよ?」

「つれないですねぇ。ただアナタに忠告に来ただけですよ。これから面白いことが起こりますので、お気をつけて」


 と、いかにも楽しそうにしている。


 ドレスに着替えたディスアキアがこっちにやって来るのが見えた。


「それでは、このくらいで。契約の件、お忘れなきよう……」


 メフィストは去っていった。

 一体何なんだよ。急に来て、急にどこかへ行く。


「フェレス卿と何を話していたんだい?」

「いや、特に何も」

「アイツには気をつけた方がいい。何か危ない匂いがする」


 妙に真剣な表情だ。それに言っていることも間違ってない。

 戦士の勘だろうか?


「さ、あっちの方に行こう!」


 ディスアキアに腕を引っ張られる。

 全く、楽しそうだな。


 それにしても今日は朝からどうかしている、とつくづく思う。

 ディスアキアのドレス姿に目が惹きつけられる。彼女がその身に纏う赤いドレスは花びらのようだ。似合っている。他とは違うオーラが際立っていて、舞踏室で一番綺麗だ。


 僕、鼻の下が伸びていないよな?

 心配だな……


 この舞踏会では1組ずつ、それぞれ踊る。同じ人がパートナーを変えて連続で踊ることもある。


「ねぇ、あのカップルを見て。彼女、さっきまでと違うと思わない?」


 と、肩を寄せてくる。

 どきりとする。

 肩、結構柔らかいんだな……

 皇女、少しあざとくないか?


 うん。でも言われてみれば確かに、男性が変わった途端により華々しく踊っているような気がする。


 どうしてだろう。


「ボクも前、彼と踊ったことがあるんだけど、女性に対する理解が深いね。ダンスは男女の共同作業だ。2人が気持ちよく踊りたいなら、お互いのことを知ろうとしないといけない」


 ふむふむ、人間関係、パートナーシップが大事ってことかな?


「へぇ」

「今踊っている彼女、生理らしいよ」

「え、せいり!?」


 周りの人が一斉に僕を見た。

 声が大きかったかな……


「さっきボクと踊る時に、今日生理だってこっそり教えてくれたんだ。ボクは女だから言えるけど、普通相手にこんなことって言えないよね」

「え、言っちゃダメなの……?」


 ハッキリと言うが、僕は無知だ。何がダメなのかわからない。


「ダメだ。こんなこと言ったら」


 ディスアキアはそう言いながら笑う。


 ええ……


「はしたないと思われるし、不潔だと忌み嫌う男もいるからね。でも彼は違う。男としてリードする側だけど、しっかりフォローする側のことも考えて踊る人だ。そういう評判が舞踏会のサークルではあって、彼には信用があるから打ち明けられたんだね。とても少数派だけど」


 生理の時は個人差があるけど、鈍痛という辛い痛みとストレスのせいで怒りっぽくなるって、魔女の日記で見た覚えがある。そんな状態で彼女は踊っているのか。


「だから彼は女を虜にする。彼からは学ぶところが多いよ、ダンスも生き方も」

 と、手放しに褒める彼女を初めて見た。あまり人を褒める印象がなかったから、意外な一面を見た気がした。


 演奏が止まった。


「さぁ、次はボクたちだ! 準備はいいかい、フィアンセ?」

「フ、フィアンセ……?」

「そうさ。キミはこのボク『悪魔の花嫁』のフィアンセだ。まあ、フィアンセ候補、かな?」


 その字名(あざな)、知ってたんだ。

 悪魔の花嫁。いや、許嫁(いいなずけ)か。

 まあ、僕に悪魔は宿らなかったようだけど。

 嫌な冗談だ。


 僕にそう言いながら、手を差し伸べてくる。


「エスコートしてよ」

「あ、ああ。エスコートね……」


 かなりぎこちないと自覚している。

 手を握っただけで照れてしまう。

 人生初めてのダンス。しかも皇女と、いきなり本番だ。

 皇女と勇者の組み合わせということもあってか、みんなの目線が僕たちを集中している。

 ()めつけるような、値踏みされているような気がして、不快だ。


 目、貴族たちの目が気になる。中には騎士もいるだろう。

 ヒソヒソ言っていること全てが、口もとに浮かぶ笑みが、僕を揶揄しているんじゃないかと思ってしまう。

 自意識過剰かもしれないけど、普段からそうだから、ついそう思ってしまう。


「あの勇者、昨日アドルフたちと魔女をかけて決闘したんだって」

「ボコボコにされた挙句、その後皇女殿下に殺されかけたんでしょ? 聞いた聞いた」

「その翌日にはカップルを組んでるのかよ」

「あの人となんて、踊りたくないわね」


 そんなことを言っているに違いない。

 こんな時に限って発揮される自らの想像力を呪いたい。

 背中と脇にじっとりと汗が滲む。

 最近は人の視線に対して敏感になっているらしい。


「ねえってば」


 ディスアキアに揺さぶられて現実に戻る。


「はぁ。これはボクたちが楽しむための踊りだよ。キミは他のことを気にしているようだけど、気にしないの」とため息をついて僕の顔を掴む。


「今はボクを見て」


 吸い込まれるように、じっと彼女の瞳を見つめる。


「安心して。女性はフォロワーで、着いて行くのが普通だけど、今回はボクがリードもフォローもする。キミはボクが動いた方向に踏み出してくれたら大丈夫だ」

「ああ、わかった。やってみるよ」

 頬を掴まれているので、モゴモゴと答える。

「うん、楽しもう」

 そう言った顔は、純粋な子どものように楽しげだ。

 でもやっぱり緊張するな……


 笑いながら、見様見真似でホールドを組んでみる。


 え。


 僕の顔から笑みが消える。


 なんだ、この、身体を乗っ取られたような感覚は。

 剣を持って対峙した時と似て非なる威圧感に包まれる。

 ディスアキアの強さを知っているから尚更、怖い。



「良い感じになって来た」とディスアキア。

 いや、僕はなんか気持ち悪いんだけど! 支配欲の塊か!


「さぁ、ついておいで」


 ディスアキアが動いた。

 こ、こうか?

 僕も1歩、また1歩と後を追うように踏み出してみる。


「うん、いいね。上手だ」


 褒められて思わず笑みが溢れる。

 なんだ、意外と簡単だな。


「そう、最初はゆっくり」


 身体が意外にもスムーズに動く。

 のびやかに、緩やかに。

 独特のリズムだ。ゆったりとしていて同時に軽やかなステップが音楽と共に舞踏室の雰囲気をつくりあげていく。

 彼女のリードは力強く、どこに進みたいのかをしっかり示してくれる。踏み出すごとに翻るその深紅のドレスが何度も観衆に触れそうになる。でもそれほど近くまで行っても、ぶつかることはない。きちんと計算してるんだ……

 柔らかいその髪がステップに合わせてふんわりと舞う。ほのかに香る豊潤な花のような……

 ダメダメ、集中だ!




 気づけば僕たちは、色んなダンスの技的なものを繰り出して、観衆からの拍手をもらっていた。


 演奏が止み、喝采に包まれる。


「これって、形式的なやつ?」と少し息を切らしながら尋ねる。

「いや、これは本物の拍手だよ」


 ディスアキアに従ってお辞儀をし、喝采の嵐を受けた。


 なんだろう。

 復活の儀以来、初めて受けた、僕に向けられた悪意ない拍手だった。と思う。

 こんなに気分が高まったのは、久しぶりだ。

 いや、初めてかもしれない。


「ディスアキア、ありがとう」

「ボクたちなら、もっと遠くへ行けそうな気がするよ」

 そう言ってもらえて、僕は心から嬉しかった。


 休憩時間、他の参加者が僕たちを褒めてくれたが、どうやら僕は勘違いをしていた。

 素晴らしかったのはディスアキアで、僕はただ一緒に踊ったに過ぎなかった。

 その証拠に、貴族たちは僕たち2人と談笑していても、ちらりと僕を見るだけで、一切話しかけてこない。


 いつも通りだ。問題はない。

 僕が少し浮かれていただけだ。


「さ、バルコニーに出よう」


 とリードされてずんずん人混みを押し退けて進んでいく。


「もう第2部が始まる頃だけど、大丈夫なの?」

「キミと踊れたし、もういいよ。それよりキミ、やっぱり目がいいよね。ボクの剣技も勝手に見て盗んでいたし」



 バルコニーからは、南方面の城下街一帯が見渡せた。

 綺麗な夜景だ。いろんな色が(とも)っている。例の実験で大量生産できた魔法道具の灯りが、皮肉にも世界の闇を照らしているんだ。


「よっと」


 ディスアキアが手すりに飛び乗り、造作もなく歩いている。


「ちょ、危ないって」

「心配してくれるんだ? 優しいね、キミは」


 試すような笑みを僕に投げてくる。

 え、だってヒールだし、普通に危なくないか? ここ、結構高いぞ……


「ボクならもっと危険な橋の上に立っているよ。今にも崩れそうな、高い高い橋の上にね」

「え……?」

「ねぇ、綺麗?」


 夜景を背景に、ドレスを翼のように広げる彼女は、唐突にそう問いてくる。

 風ではためくドレスと髪が、夜景に映える。

 うん、確かに絵になるな……


 どう答えればいいのやら。

 この綺麗って、ディスアキアを指しているのか?

 それともこの夜景のことか?

 うーん、もしくはこの世界?


 まさかな。


「綺麗。だと、思う」そう答えておいた。


「ふーん、そっか」


 と降りてきて、手すりにもたれかかる。


「ボクがキミに剣を振る理由を聞いた時、キミはボクに何でかって、聞いたよね?」


 彼女は夜空を見上げながら聞く。

 その時僕は答えられなかったから、逆に聞いてみたのだった。


「この帝国を、この世界を潰すためさ」と、上を向いてそう言い放つ。


 世界を、潰す……?


「正確に言えば、女性解放」


 意地悪そうにニヤリと笑う。


「女性解放……?」


「そう、女性解放。この舞踏会は世界の縮図だ」


 目にいつもの力強い意志の光が宿っている。


「キミも見たよね、美しい踊りとそうでない踊りを」


「うん、確かに良い踊りもあれば、ぎこちない踊りもあったね」


「男性は、誘導はするけど、カップルが前へ進めるのは、それを信じて従ってついて行く女性のフォローがあってこそなんだよ。そうしてまた男性がリードする。そしてそれを交互に繰り返す。この協力関係が大事なんだ。ボクたちは、2人いて初めて、前へ進めるんだよ」


「さっきの僕たちは」


「そう、ボクがリード、キミがフォローだ。上手だったよ」


「内外の役割の転換ってわけだね」


「これは従属でも、隷属でもない、対等な関係だ。キミは相手、つまりボクのことをちゃんと考えて動いた。だから初めてで(つたな)くても、美しかった。でも、この世界は女性に対して厳しいからね。女の子をモノみたいに振り回す男だっている」


「ディスアキアだって僕をモノ呼ばわりしてるじゃないか」とは言えない。そんなことを言う勇気がない。それに、ここでの「モノ」の定義は違う気がする。


 でも考えてみれば、魔女と剣士の関係だって、そうかもしれない。

 従属でも隷属させるのでもなく、互いに協力すればいいのに。

 僕とディスアキアのように、役割を変えてみたっていいはずだ。


 彼女は舞踏会場の方を見ながら言う。


「みんな頑張るなぁ。ダンスなんて、特にバレッティなんて女の子が仕事としてやるモノじゃない。踊れなくなったら、もうそれでおしまいなのに。ダンスの教師も振り付けも、全部男がする。散る花が儚い(はかない)ように、いや、それ以上にダンサーは儚い(はかない)。満開になったが最後、捨てられるんだ。花と散ったら地に落ち闇に生きるしかなくなる。でも、ダンスを踊れることが淑女としての嗜み(たしなみ)だからね、この世界では」


「……ディスアキアもダンス、習ったんだよね?」


「まぁね。でも、最悪だったよ。身体なんて、練習中は許可なく勝手にベタベタ触られる。いちいち許可を求めていたら進まないからね。ダンサーの身体は記号だ、なんて正当化するやつもいるけれど、ボクはそうは思わない。だから局部を押し付けられた時は、そのまま蹴り飛ばしてやった」


 怖い……


「女性の姿勢で立つことなんて、ほとんどの男にはできない。でも、男は女にそう要求する。それが美しいのだと。美しい記号に成り切れと言う。そして美麗な記号の条件は――従順さ、美しい容姿、健康的な身体の3つだ。ある王国の王は太陽王役なんて面白い衣装を着ていたけど、それを見たときは大笑いしちゃったよ。太った腹に変な衣装。それが本当に男性の美しい記号なのか、ってね」


「そうなんだ……太陽王の格好ってどんな感じだったの?」

「図書館で調べてみなよ。絵があるはずだよ。吹くこと間違いない」


 ディスアキアは思い出し笑いをしている。


「でもディスアキアは男性と踊った経験が少ないんでしょ? 僕といきなり、しかも同時に2役なんてすごいね」


「ダンスのステップは剣のステップから派生したものだからね。ボクが出来て当然さ」


 彼女は街の夜景を見ながら少し何かを考えているようだ。


「ボクはね、皇女だけど、いや、皇女だからこそ皇帝にも女帝にもなれない」

「どうして?」

「この帝国の皇帝は毎回、一応は各国の王族から選ばれる。まあ、ほぼボクの家系が何世代も世襲しているようなものなんだけどね。で、ボクの父上はスパイン王国の王だ。その王位はボクの弟が継ぐことになっている。女性には帝選に参加する権利も王位を継ぐ権利もないんだ」


 遠くの夜景を見つめて僕に問う。


「皇后、さっき見たよね?」


 ディスアキアの母親にしては、若すぎる。というより僕たちと同世代だった。


「ああ、かなり皇帝と年齢差があったような気がするけど、よくあることなの?」

「よくあるって言ったら、よくあるかもね。母上は、実はボクの従姉妹にあたるんだ」

「い、従姉妹? 皇帝はじゃあ、身内で結婚したってこと? ディスアキアの母親はいったい」


 結構ややこしいな。


「ボクの母上は魔女だったんだ。11年前の粛清の時、公開処刑されたよ。ボクの目の前で」


 それは知らなかった……


「その後父上は、男子の嫡子が必要だから、別の国の王へと政略結婚で嫁がせた自分の妹の娘を、正妃として迎え入れたってわけ。妻なんてすぐに取り替えられるものとしか思っていないんだよ。しかもその再婚だって、教皇が認めないとできないけど、結果はご覧の通りだ。神聖教では、女性の地位はあまり高くないといっていい」


 なるほど、そういうわけか。

 そうなったら、前の妃の、しかも魔女の娘なんて、あまり重要じゃなくなる。遺産だって平等には配分されないはずだ。


 そうか……

 彼女は悪魔の花嫁として恐れられているんじゃない、蔑まれているのだ。


 しばしの沈黙。


「だけどボクは剣の才があった。運よく良い師にも巡りあえた」


 思わず身震いする。

 彼女の強さは昨日、いやというほど痛感した。

 この世界では男性でもLv.50が平均して最大値らしく、女性はLv.30程度だったが、ディスアキアはLv.60を超えている。ちなみに騎士団平均はLv.40前後だ。彼女の強さは突出している。


「この剣で、ボクは少しでも世界を変えたいと思った。そのためには、男性の付属物として従属するものとしてではなく、強い女性像が必要なんだ」

「……」

「だから、今日の舞踏会も、男性である勇者を従えた皇女殿下、っていう印象を持ってもらうために、キミを利用させてもらったんだ。ごめんね」

 と、申し訳なさそうに僕を見つめてくる。


 雰囲気に合わないが、なんだか、照れる。


「黙っていようかと思ったけど、キミが優しいから、悪いと思っちゃった」


 僕が優しい? 悪いと思った?

 なんだ、それは。

 今夜のディスアキアはいつもと違う。

 そんな言葉が彼女の口から出てくるとは……


 それになんというか、女の子っぽい。


 というか、さっき身体を触れ合わせてみて分かったのだが、ディスアキアは確かに筋肉質で力強い。けど同時に、その辺の貴婦人よりも女性らしい身体つきをしている。

 柔らかくしなる筋肉と、またその柔らかな感触の四肢に触れて、剛柔一体とはこのことかと、少し異なる意味で妙に納得した。


 やばい、なんて返せばいいんだろう。

 僕の女性耐性が低すぎて泣ける。

 なにせほとんど女性と話したことがないからな。


「キミにはボクが、女に見えるかい?」


「え」

 人の心が読めるのか!

「そ、その、なんだ。今日はいつもと違って、とても女性らしいと思っただけ、だよ……」

 動揺を隠そうも、隠し通せていないだろう。


「まあ、いつもはドレスなんて着ないからね」

 真紅のドレスをひらひらさせている。


 確かに、戦闘服以外の服は今朝のネグリジェ姿しか見たことない。

 うん、かなりレアだ。


「そんなことを言ってくれるのは、キミくらいだ。男はもっと、聖母のようにふっくらとしてて優しく、か弱い女が好きなんだ。それが『女性らしさ』さ。以前は逢瀬の誘いを貰うことはあったけど、まだ求婚はされたことがない」


「そ、そんなんだ。僕はすごく似合っていて綺麗だと思うけどな」


 噛んでしまった。


「これは、ドレスコードだ。舞踏会での役割なんだよ。いつもは騎士団副団長としての役割を果たしている。今夜は1人の女性として、キミのフィアンセとして」

 と、僕のほうに近づいて来て、目の前に立つ。

 とても艶っぽい。


 さっきから心臓がばくばく鳴っている。


「ね、目、閉じて」


「え?」


「目を閉じるんだ」

 有無を言わせぬ口調と眼差し。

 少し照れているような……

 照れているのは僕の方か。


 言われた通りに目を閉じる。



 キスだ。

 キスをされた。

 くちびるとくちびるを合わせる、あれだ。


 そっと目を開けると、彼女が言った。


「ふうん、男のくちびるって、こんな味がするんだ」

 と彼女は感想を漏らす。


 味!?

 味なんてしなかったけど、僕の経験不足なのか……

 ていうか、女性のくちびるは違うのか?


「でっ、でも、ディスアキアは女性が好きなんじゃ……?」

「へぇ、その噂、知ってたんだ。ボクは男性も嫌いじゃない。今まで良い人がいなかった、それだけの話さ」

「そ、そうなんだ……って、ええっ!? それはどういうこと――」

「ボクのリードはここまでだ。さぁ、最後に一踊りしよう」


 彼女は僕に手を差し伸べてきた。


 ブランル、という参加者全員で手を繋いで輪になって踊るダンスが舞踏会の締めで、もうすぐ始まる。

 しばし考える。


「いや、僕はいいよ」僕は辞退した。


「そっか、残念だよ」

 あっさりと、しかし本当に残念そうに肩を落とし、僕を残して非日常の中へ戻って行った。



 この舞踏会はお見合いと近況報告会議も兼ねているらしい。

 舞踏会で女性は美しく華やかに着飾り、洗練された礼儀作法と柔らかな物腰でダンスの誘いに応じ、客人をもてなす。そうした役を演じながらも、彼女たちは自分をアピールし、生きるため、愛人としてでも良いから相手を見つける。

 皆が真剣なのだ。

 いかに僕が淑女たちからの顰蹙(ひんしゅく)を買っていようが、彼女たちの邪魔をしてはならない。舞踏会は唯一、女性は花として、男性よりも率先して自分を、合法的に他の女性よりも目立たせられる場なのだ。



 僕とカップルを組んで踊ってみろ、手を繋いで踊ってみろ。


「エリザベートったら、あの貧弱勇者からカップルに誘われたんですって」

「まあ! お可哀想に……何もされてなければ良いのだけれど」

「わたくし、昨晩は参加しなくてよかったですわ」

「「「オホホホホホ」」」


 とまぁ、こんな感じで貴族のゴシップネタにされるのがオチだと思う。


 ディスアキアもまた、僕と同じなのかもしれないな。

 さっき彼女は言っていた。

 ――そうは言っても、ボクはボクの踊りたいように踊るだけだけどね。だってボクまでが枷をかけられて、男のものになっていたら、他の女性はどうしろっていうのさ。


 ああ、まったくだよ。


 一番自由奔放で勝手に行動しているように見えて、でも一番考えて悩んでいるのは、ディスアキアなのかもしれないな。


「女性らしさ、か……」


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