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14.盟約の精霊

 サウスリザの父親──つまりフォンセイの前の長は、彼女に精霊を視る力を譲った本人だった。今フォンセイが緑に満ちているのは代々の研究の成果も少なからず貢献してはいたが、何より彼の尽力するところが大きかったと言えるだろう。だからこそ彼の血を継ぎ、その緑を託されたサウスリザは皆から絶対に近い信頼を得ている。


(私は親父殿の遺した物を、ただ継いだに過ぎないのに……)


 大陸が海に還るまでも精霊は人に興味を持たなかったが、自分たちを見る者には寛大だったという。神々と契約を交わした相手には惜しみなく力を貸し、女神らの親愛も世界に降り注いでいた。多少の差はあれど、ここまでひどく荒んだ土地はどこにもなかったと言われている。

 けれど、人は犯すべからざる罪を犯した。神と精霊と龍と、偉大なるもの全ての怒りを買い、大陸は一夜にして沈没した。以来、精霊は人に対してより冷淡になった。姿を見る者も稀となり、人と精霊の間にはどこまでも深く冷たく埋め難い溝ができてしまった──。


 それでも彼女の父親は精霊たちと積極的な関係修復に努め、彼が守りたいと願うフォンセイに加護を乞うた。その緑の神聖を崇め、精霊に対する友愛を忘れず、女神らへの感謝に務め。代価にその生命の大半を精霊たちに与えることになっても次代に繋ぐ豊かを求め、精霊たちはその熱心に突き動かされてフォンセイへの緑を約束してくれた。


(それは今尚途切れていない。我らが友愛と感謝を忘れない限り、永続的に加護をとは精霊の誓いだ)


 今の世界で、ここまで精霊に親愛を誓われた土地はそうはない。神聖に根づいた緑を譲ってくれたクシンか、大陸の南に位置する月の在る島くらいだろう。

 けれど、フォンセイに降ろされた加護はもう終わる。彼女にはもう精霊の親愛が聞こえない。気儘に大陸を行く精霊たちに、もう彼女の声は届かない。罪なき龍を巻き込んで、神聖なる緑を穢し続けているのだから──。


 組んだ手を額に押しつけて思い馳せていたサスウリザは、いつまでもかつての加護に焦がれるような考えを追い払うように夜を揺らした。それから思い切ったように顔を上げると、執務机の一番下の引き出しを開けた。狭い引き出しの中でうろうろしていた風の精霊は、全てを見透かすような聡明な緑柱石で真っ直ぐに紫水晶を射竦めてきた。


「──力を、貸してほしい。シェイルードの娘として、長を継ぐ者として」


 それは盟約。続く長が守るべき緑に懸けて盟約する為だけに、そこに囚われることを是としてくれた優しい精霊。けれど神と契約しない人と交わされる盟約には、代価が必要となる。彼の父が繋ぐ緑を願い果てたように、願いの大きさによってはその生命をも支払わなくてはいけない。


 引き出しの中の風霊は、黙ったまま二度ほど瞬きをした。それからゆっくりと引き出しの中から出てきて、差し出した彼女の掌に乗る。


<フォンセイの娘、苛烈なる道を選ばれし長よ。父と同じ轍を踏まれるか>


「親父殿の二の舞にはならない。戦争を収めてくれと、そこまで大それた願いをかける気はない」


<ならば何を望まれる。我にでき得ることは少ない>


 穏やかに語られるそれはまるでフェイルオンの言葉にも似て、彼女はそうと微笑った。


「遣いを頼まれてほしい、クシン王に。貴国に頂いた緑を守るが言葉にて戦禍を撒く愚かにも、今一度の機会を頂戴したく恥を忍んでお願い申し上げる。フォンセイに遺されし緑はフォンセイの民が継いで然るべきもの、略奪されるを是とはし難し。さりとて相手の殲滅を願うほど愚昧なるも望まなければ交渉の場を設けたく、その為にお力添え頂きたい。戦端を開いたが愚かに対する処遇は如何様にも。今だけはこの事態を収めるべく尽力するを許されたし、と」


 頼めるかと確認すると、風霊はまだしばらくじっと顔を見てきていかにも人間臭く眉を顰めた。


<クシン王は柔らかき人柄をしていない。御身の安全は保障されずとも望まれるか>


「無論。精霊にも皆にも、今負担を強いているのは他ならぬ私だ。その責を取る覚悟くらいは決めている。それよりも今は早くこの事態を収めたい……、それさえできないのならば、何が長か」


 早くしなければ、フェイルオンは彼女の願いの為に無茶を重ねるだろう。いつまでも彼一人に頼れず、かといって戦い慣れない人たちでは彼が引いた後の戦場を任せられるはずもなく。長引けば長引くほど大陸の他の部族が願っているように、北と共倒れになる。しかも返事を寄越した東南と違い、西はいつこの機に乗じてくるか分かったものではない。

 フェイルオンがその身を龍として防いでくれている間に、何としてもシュグナとの会談の段取りくらいはつけなければならなかった。


<精霊を視る長よ、フォーレイノの祝福受けし真の闇よ。その決意がいかに気高かろうと、我が足がどれほどに速かろうと、数日ここに一人取り残される事実に変わりはない。その間に、またしても浚いに来る馬鹿があらばどうされる? 長を守るべきは、力ない民しかない>


 やめておかれたほうがいい、と彼女の身だけを案じたように勧めてくれる風霊に、心遣いは感謝するとその小さな手を取って微笑んだ。


「けれどクシンへと遣いを頼まれてくれるのならば、浚われるのもまた一つの手だ。シュグナは私を邪険にはできまい。無茶な交渉を望んではくるだろうが、生命を取られることはない。ならばクシン王がお運びになるまでを、何とか堪えればいい」


<シュグナの馬鹿どもが礼儀を弁えている保証もないのに、何を仰せか。せめて弟御を呼び戻され、守りを固められよ。でなくば我はクシンへは行くまい>


「優しき風の精霊、親父殿と盟約されし緑を渡る貴婦人。聞き分けのないことを言ってくれるな、もう時間がないから頼んでいるのだ。どれほど精霊の足は速くとも、シクン王には決断するまでに考える時間がいる。もし受けて頂けたとしても、クシンより大陸に渡る時間がいる。戦火を撒いた愚かでも、私は人が死ぬのを見たいわけではないのだ。助かるべき生命があるのならば、助けたい」


 察してくれと小さすぎる手を取ったままかき口説くと、風霊の緑柱石は悲しげに曇った。けれど承諾の証のように一度深く頷かれ、彼女の掌からふわと身体を持ち上げた。


<長が望みを叶えるべくしている我だ、どうしてもの仰せならば従おう。今も血に塗れる龍の子の名に懸けて>


 急ぎ伝えると静かに言い残し、小さな風の精霊はそのまま溶けるようにしていなくなった。

 溶けた精霊を見送り、空になった引出しに視線を落としてサウスリザはそうと小さく息をついた。


「すまない、親父殿。私はあなたの言いつけを幾つも破っている……」


 穏やかなフォンセイを、と望まれた。確かに繋ぐ神聖の緑を、と頼まれた。どんな事態になっても最後まで盟約の精霊は頼るな、と言明された。


 そのどれもを悉く破る彼女に、今彼はどこで呆れているのだろう?


「それでもあなたはいい、……母上と同じところにおいでだろう」


 私にはそれが一番無理そうだと嘆くみたいに笑った彼女の耳で、しゃりと金鎖が小さく泣いた。

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