13.耳環と苗木
戦場を翔ける龍を見た、と、報告を兼ねたノーザラストの手紙はそう始められていた。
その場にいた全員が何が起こったのか理解できずに呆然としていた間に、最初の十人が絶命していた。やがてそれが理解に至り、巻き起こる恐怖と恐慌。それが収まるまでに半数以上が片付けられていた。全滅する前に相手の司令官がようやく決断を下し、生き残った十数人を連れて生命からがら逃げ帰った、とある。
『姉上は何になりたいのだ』
咎めるような語気が伝わってくる強い筆跡に、彼女は唇を歪めるようにして笑った。
『竜子ともども化け物となる気か。皆が無事で済む為に、姉上は他国に誹られるのか。龍を戦争に担ぎ出した愚かと、そう呼ばれることさえ甘んじるのか』
それをさせることしかできない自分を嘆くように、もう幾らか問い詰めるような言葉が並んでいる。
「相変わらず分かり易いことだな」
小さく笑って呟くと、何か言ったかと執務机の前にある長椅子からフェイルオンが声をかけてくる。
「ノーズがお前の活躍を知らせてくれたのだがな。二人して何になる気だ、と書いてある」
「……サウスリザは何にもならない。そうならない為に私が戦うのだから」
そうだろうとばかりに聞き返され、サウスリザは小さく笑った。彼がそう信じたいのならばそうすればいい。分かっていても認めたくないだけならば、敢えて肯定も否定もする気はなかった。
とりあえずノーザラストの手紙を最後まで読んで、すまない、と震えた字で締めてあることに苦笑を重ねる。丁寧に畳みながら、じっと見てくるフェイルオンに視線を戻した。
「今日の夜には戻ってもらわなくてはならない。血を落としたばかりというのに申し訳ないな」
「構わない、私にはそれしかできないのだから。ただ、服がないのが困るが」
今彼が纏っているのは、彼女の父親が着ていた服を手直しした物だった。大量の血を浴びていたフェイルオンの服は、昨夜の内に女官に渡してあった。始末してしまえと言いたいのをぐっと堪え、元に戻るまで返すなと言いつけた。女官がそれをどう理解したのかは追求していないが、少なくとも今回は彼の手に返ることはなさそうだった。
勿論あれは彼にとっては故郷の服なのだし、戦場に向かう時に化粧を施すのは習慣なのかもしれない。それでもあの両腕に鮮やかに記された神聖文字はひどく胸に痛かったし、死に急ぐ彼をそのまま現わしているようで決して好きではなかった。
「何だ、フォンセイの服では不服か。それは親父殿の服をお前用に仕立て直したものだと言うのに」
「だからこそ戦いの場には向かない」
「あんなに裾の長い上衣で十分戦えているのなら、袖があろうと邪魔にはならんだろう。あの化粧を施さんと戦えんわけでもあるまい? 最初に見つけた時はしてなかったはずだ」
「それはそうだが」
溜め息交じりに答えるフェイルオンに視線をやると、彼はその紅を苦笑するように細めた。
「お前はあれが嫌いなのだな」
「……正直言えばな。だが、普段やり慣れてないことをして集中できないのならば、服も戻すよう急がせる。とはいえ、同じ型で作り直させたほうが早いだろう」
そうしようと行動に移す前に、穏やかに藍が横に揺れた。
「構わない。あれは私の戦装束のようなものだが、お前が嫌だということはしない。この服でも剣さえあれば戦える。支障はない」
気にするなと笑うフェイルオンに、ひどく申し訳ない気がして目を伏せた。
「私はお前に無茶ばかりを言う……」
「構わない。剣は主のそれを叶える為にあるのだから」
どうということはなさそうに笑いさえして言われ、サウスリザは眉を顰めたことに気づかれないよう肘を突いた。体勢を変えた拍子に、しゃりと何かが泣いた気がして服を探り、手に触れた感触に慌てて立ち上がる。
「すまない! お前の服から零れ落ちたのを拾ったのだった、すっかり失念していた……本当にすまない!」
謝罪しながら丁重に取り出して差し出すと、身を乗り出させた彼は掌のそれを見つけてしばらく黙り込んだ。もしかして触れてはいけない物だっただろうかと静かに恐慌していると、ゆっくりと長椅子から立って近寄ってきたフェイルオンは、鎖を有した耳環の片方を取り上げた。
「悪い。私が触れてはならなかったか」
「お前が触れてはならない物など存在しない。……まさかお前の手に渡っているとは思わなかっただけだ、驚いた」
あんまり驚いた風もなく呟いたフェイルオンは優しく微笑って、取り上げた耳環を片方しかない右耳につけようとする。なかなか上手くいかずに格闘してるのを見かねて、サウスリザは机を回って側に寄ると、手に残っていたもう一つを彼の手に押しつけた。
「貸せ。嫌でないのならばつけてやる」
「す、すまない」
恐縮しながら身を屈めるフェイルオンに少し笑いながらつけてやると、耳を覆う柔らかな金色はそこに刻まれた細工と同じく繊細な鎖を緩やかに流し、しゃりと泣いた。
「いい細工だな」
「母が作った物だ……、誉められるとやはり嬉しいものだな」
「お前の母上は細工もなされたのか」
「母に限らず、竜子は耳環だけは自分で作る。生涯を共にする者に片方を捧げる為だ」
どこか誇らしく語るフェイルオンに、そうかと彼女も優しく笑った。
「フォンセイでは夫婦になる時に苗木を聖地に収め、子供が生まれた時にその木の枝を庭に挿し木する。尤もあそこに緑が根づくまでは、ささやかな鉢の小さな木でそうしていたようだが。今はもう何十となく新たな二人を祝す木が植えられている」
そうして幾十となく、庭に挿し木をされている。勿論この館にも、彼女たち姉弟の小さな木が根づいていた。そうして繋がれていく生命と想いを同じく誇らしく思い出していると、フェイルオンはどこか悄然と項垂れた。
「──すまない。私はそこを穢したのだな」
「穢れを撒いたのはシュグナで、お前ではない。もうとうに祓いも済ませたのだから気にするな」
ひらと手を振ってその謝罪を受け流したサウスリザは、フェイルオンの手に残ったままの耳環を見て、それはどうすると尋ねた。
「必要ならばどこかで保管しておくが。まさか戦場に持っていくわけにはいかんだろう?」
今回落とさなかったのは僥倖だぞと言いつけ、耳環に見合う細工の箱をと探しに行きかけると服の袖を引いて止められた。手を取ればいいのに変な奴だと思いながら彼を窺うと、何度か躊躇って口を開かれる。
「お前が。──つけていてくれると、──嬉しいのだが……」
赤くなるのを隠したげに顰めた顔で途切れがちに言われ、サウスリザは思わずきょとんとして耳環を見下ろした。そのまま何度か瞬きして、フェイルオンが諦める直前に彼の手にある耳環を手に取った。
「お前が嫌でないのなら、つけさせてもらおう。私でいいのか?」
当然だと何度も頷くしかできないフェイルオンに笑い、取り上げたそれを彼の手に戻して執務机に腰掛けた。そのまま揺れる射干玉を後ろに払い、左耳を向ける。
「つけてくれるか」
他人にならばつけられるだろう? と揶揄するように尋ねると、僅かに赤い顔をしたまま苦笑してひどく慎重な手つきでつけられる。案外骨太の無骨な手が恐る恐る顔の側で作業する感じは、悪くなかった。
くすぐったい想いを堪えていると、しゃりと金鎖が耳元で泣いて、白い手が離れる。左手で撫でるとしゃりしゃりと優しい音色を立てるそれに、思わず口許が緩んだ。
「優しい音色だ。──お前が私の元へと帰るよう、導となってくれればいいのだがな」
「お前が望んでくれるのならばそうなる。一つ処に留まらない竜子が、それでも最後を共にできるよう二つで一つを成すのだから」
必ず半分の元に戻ると真摯な誓約にサウスリザは目を細め、祈るままに伏せた。




