急げ野球少年
美樹
朝日がまぶしい。昨日はあまり寝ることができなかった。当たり前である。あんなに優しい人に近付くなと母に言われたのだ。昔の事と今を繋げないで欲しかった。生まれて初めて親の言うことに反抗したくなった。こんな気持ちは初めて。友達がひとり減るだけなのにこんなにも心が乱れる。辛い。彼は私のことをせめて友達と思ってくれているのだろうか。急に不安になってきた。もし、この話を彼が知っていたとしたら…。
そんなこと考えただけで身の毛がよだつ。怖い。学校に行きたくない。休みたい。私は体調が悪いといい今日は休ませてもらった。皆勤賞を狙っていた自分には少し痛いが今の胸の痛みはそんなものとは比べ物になるはずもない。今日はゆっくり自分を落ち着けるのに専念しよう。日頃熱を出しても楽天思考で。いつか治るなんて言って無理にでも学校に行く私が休むなんて言い出したからに母はとても心配していた。まぁ今日は散歩でもして心を落ち着けよう。母は今日、仕事で夕方まで帰ってこないようだから外にも出ることができる。朝は小説を書く事に集中していた。
午後になりコンビニ弁当を食べ、散歩に出かけた。どこに行こうか。まだ3時。野球が始まるのは4時だ。でも、晶さんにとって私が見に来たら迷惑なのではないだろうか。会っているなんてことがバレたら両親共に怒るに決まっている。私の母なんて昨日話をしただけでも機嫌を悪くしたのだ。何故両親の事情と子供の事情を合わせなくてはならないのだろう。あぁ。神様。これは何かの仕打ちですか?私が何をしたのでしょう。今のたった一人の友達を失うことが怖い。この感情は今自分が悲劇のヒロインを演じているからでしょうか?自分が気づかぬうちにまた違う人格を演じているのでしょうか。自分の本当の人格が最近分からなくなってきました。私は何故か川辺へと歩いていました。
会ってはいけないのに。こんなにも会いたい。会いたい。もう、母がなんと言おうと構いません。私は会うのです。晶さんに嫌われたとしても最後にもう一度でも会いたい。何やっているのだろう自分。今まで物事に執着できたのは小説を書く事くらいだったのに。
ただ彼に会うためだけに必死に。会えるはずもないのに。走って。走って。いつかの川辺へと急ぐのである。初めて私の演技を褒めてもらえたあの川辺に。
晶
学校に来ても面白くない。女の子達に囲まれていても、ラブレターが靴箱に何通入っていても今日は浮かれる気分ではなかった。いつもならこんなにラブレターがとかモテ期到来などと騒いでいるが、そんなことをする気にもなれない。そんな静かな俺に先生までもが心配したほどだ。
自分は昼休みに美樹の教室を見に行った。会ってはダメだと昨日散々母に言われたというのに、自分はそんな言いつけを守る気は毛頭ない。この自分の気持ちに嘘をつくことはできない。彼女にまた会えたのだ。十年ほど前俺が幼稚園の年長の頃である。卒園式の時引越ししてしまい同じ小学校に行けなかったことに悔やんだ。小学校と、中学校2年生まで自分は彼女を何人も作った。でも、美樹を忘れたことなど一度もなかったことに気づいた。
こんなにも長い片思いなんてあり得るだろうか。約10年である。お願いです。もし、一つだけ願いが叶うのであれば美樹と両想いにならせて下さい。親に反対されようと俺には関係ない。奪い去ってしまいたい。俺は美樹が今日休んでいることを知り、急いで彼女の家へと急いだ。親に怒鳴られても追い返されたとしても人目だけでいいから見させてくれ。嫌われたっていいから。最後に一度でいいから。最後にこの想いを届けさせてくれ。
そんな思いで走り続けた。あと少し。あともう少し。もう目の前。息が持たない。この息が止まってもいい。お願いだ。会わせてくれ。腕時計の針は午後3時をちょうど過ぎたところだった。あと数十メートル。あと五メートル。頭の中のカウントダウンが始まる。5、4、3、2、1…。ごぉる。震える指でチャイムを鳴らす。
息が苦しい。そんなことより会いたい。会いたくてたまらないのに応答がない。数回鳴らすが返事が一つも返ってこない。まさか。留守?!神は俺をどこまで馬鹿にすれば気が済むのだ。そんなにも会わせたくないか。神の考えは絶対?そんな論理は俺が消し去ってやる。見つけ出す。地の底までも探しに探し見つけてやる。俺は思い当たるところを探した。
野球をする公園。家の近くの病院。近くのコンビニ、スーパー、電気屋、ケーキ屋。病気とは関係ない場所まで探し尽くした。どこを探してもいない。どこだ。…まさか。自分は最後のカンに全てを託した。もう走ることができない。足が痛い。公園10周20周とは桁違いである。どれだけ走ったか分からない。でも彼女に会えるのなら。美樹に会えるのであれば。どんな苦労も乗り越えられる。そう思った。
最後の賭けである一点の場所へ急いでいるのだが。もしそこに美樹がいたら。彼女が俺のことを想っていると勘違いしてしまうだろう。今となれば勘違いでも良かった。彼女に会いたい。美樹…美樹!
美樹
彼がいるはずもないことは承知のはずでした。川辺につき、あの日のことを思い出しました。自分の迷惑でしかない演技力を褒められたのです。あの時は心臓が世界中に響くのではないかと思うくらい音が大きかったと思います。
そんなことを考えていると頬に一筋の涙が伝いました。なぜ?分からない。友達がいないのなんて慣れているはず。なのに、失ってしまうと考えただけで次から次へと涙がこぼれ落ちます。きっと友達がいなくなるのが怖いのでしょう。それにしてもこの胸の締め付けられる感じはなんでしょう。なんだか鼓動の速さがだんだん早くなってきているような。彼のことを思い出すたびに早くなります。たった一人の、私にとっての無二の友人。それを無くすのですから涙が出て当然か。それにしても一人には慣れているのに。何故こんなにも涙があふれるのでしょう。悲劇のヒロインはまだ終わっていないのでしょうか。自分は何も分からないまま、ただ川を眺め、涙を流しておりました。