エピローグ 2030年の台所
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エピローグ 2030年の台所
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東京、代官山、キッチン・ソノラ。
午後の仕込みを終えた陽介は、タブレットを手に取った。今日は月に一度の「レシピシェアの日」。オープンソースのレシピプラットフォーム「フリーキッチン」に、今月試作した新しい料理を投稿する日だ。
昔なら、公開前にためらっていた細かな分量も、いまは最初から書き込む。迷いがゼロになったわけではない。ただ、迷いを抱えたまま渡すことを覚えた。
プラットフォームには現在、四十七万件以上の RML 形式レシピが蓄積されていた。そのうち九割以上が CC0 または CC-BY ライセンス。誰でも自由に使え、自由に改変できる、人類の料理知識の集積だった。
「フリーキッチン」の最上部には、プラットフォームの理念が書かれていたロゴに添えて、こんな言葉があった。
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"In the beginning, there was no recipe.
There was only cooking.
And cooking was free."
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(最初、レシピなどなかった。料理があるだけだった。そして料理は自由だった。)
陽介は少し笑い、投稿ボタンを押した。
厨房の外では、田村さくらが今日の仕入れのスパイスを整理していた。彼女のスマート調理台には、フリーキッチンから取得した五千件以上のレシピが蓄積されていた。そのどれもが、誰かの試行錯誤の痕跡だった。
「葛西さん、今日のスペシャルどうしますか」
「ちょっと待って」陽介はタブレットをスクロールした。「インドのバンガロールで誰かが面白いスパイスの組み合わせを上げてる。これ試してみよう」
料理は、いつの時代も国境を越えてきた。シルクロードはスパイスを運んだ。植民地時代は料理を混ぜ合わせた。インターネットはレシピを配った。
今は RML が、その流れの中にいた。
GPL 騒動は、法律の問題としては決着した。けれども哲学的な問いは、誰かがキッチンで鍋を火にかけるたびに、静かに残り続けた。
あなたのレシピは誰のものか。
その問いに対する陽介の答えは、タブレットの投稿履歴の中に、四十七万件の仲間たちの隣に、静かに収まっていた。
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(了)
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【あとがきに代えて】
本作は「レシピに著作権はない」という法的事実と、「GNU GPLはコードの自由を守る」という哲学が、架空の世界で衝突したらどうなるか、を想像した物語です。
現実において、機械可読なレシピ記述言語 CookLangX 仕様は MIT ライセンスで公開しています。
つまり、本作の前提はフィクションです。しかしながら「誰が何を所有し、何を共有すべきか」という問いは、料理の世界だけでなく、人類の知識全体に通底するテーマでもあります。
最後に実際にこの問題を考え続けているすべての人々——料理人、エンジニア、法学者、哲学者、そして単においしいものが食べたいと思っているすべての人——に、この物語を捧げます。
Eat freely.




