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怪物たちの再三たる事件簿  作者: 白川ちさと
誰が為の珈琲編

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14/72

14. 事件発生


 目の前に置かれたコーヒーカップは、レモンが描かれている。備吾のものには藤が垂れ下がるように描かれている。もちろんソーサーとセットだ。


 この店は食器にこだわりがあり、美しいものが多い。同じものは一つとしてなかった。

しかし、備吾はカップに一瞥もくれることなく、砂糖とミルクを大量に投入する。それでは、コーヒーの味わいを完全に消し去ったことだろう。


 ふと、マスターがどう見ているだろうと気になってカウンターの方に目線を向ける。マスターは布のフィルターにお湯を注ぐことに集中していた。気を悪くしている様子はなさそうだ。


「どうした」


 目の前の備吾の方が根津の様子が気になったようだ。


「あ、いえ。この喫茶店はカップに凝っているので、カウンターの棚に並んでいるカップについ魅入っていただけです」


 備吾もカウンターの方に目を向ける。


「ああ。確かにたくさん並んでいるな。……コーヒーじゃないが、ティーカップといっても、最初は中国からイギリスに伝わったものらしいな」


「そうなんですか。知りませんでした」


「最初は取っ手のないティーボウルという陶磁器だった。あとから熱さを解消するために取っ手を付けたんだ。千七百四十年ごろだったか。コーヒーも一緒だが取っ手ではなくカップを直接持つと、てめぇの茶はぬるいっつう嫌味にもなるから気を付けるんだな」


 そういう備吾は長い指で取っ手をつまんで飲んでいる。背は丸まっているが、手の所作だけなら貴族のようだ。根津もそれがマナーと知ってから取っ手に指は通していないが、以前はどうだったかは覚えていない。


「なるほど。作中のどこかで使いましょうか」


「よせ。こんな何でもない話」


 口は悪いが、たまにこんな豆知識を言うことがあった。


「それではヒューの話に戻りましょうか」


 ヒューがどういう人生を辿るか、続けて備吾が語っていく。


「そうだな。ヒューはチーズを乗せたパンが好きだった。三食チーズでもいいと語っていたくらいのチーズ好きだ」


 備吾が好きなものから、嫌いなもの、人生の節目にあったこと、よくやるクセ。それらを続けざまに話していく。根津は邪魔しないようたまに質問を重ねてメモをした。


 すると話し疲れたのか、備吾は息をつく。


「ちょっと休憩。トイレ行ってくる」


 立ち上がって奥のトイレへと向かった。その間に、空いたコーヒーのお代わりを頼もうと沖田に手を上げて声を掛けようとする。


 ところが、いきなりガシャンと派手な音が店内に響いた。適度に客の声でざわめいていた店内が静まり返る。


「お客さま?」


 沖田が声を掛ける。カウンター席の客のようだ。


 視線を向けると、ひとりの男性が突っ伏して倒れていた。目の前にあったコーヒーカップが倒れ、こぼれたコーヒーに顔を付けている。くせ毛の彼はピクリとも動かない。


「し、心臓マッサージを!」


 隣のボックス席にいた中年男性が立ち上がった。夫婦なのだろう中年女性は口元を手で押さえて怯えている。


 マスターがカウンターから血相を変えて出て来た。倒れている男性に近づいたが、すぐに首を横に振る。


「お亡くなりになっています」


「そ、それでもすぐに救急車を呼びます」


 根津はスマートフォンを取り出す。


「いえ、警察を呼んでください」


「え?」


「口から不自然にアーモンド臭がします。おそらく、毒殺です」


「そんな」


 アーモンド臭がする毒物といえば、有名な青酸カリだ。一般の人でも割と知っている知識だろう。だから、マスターも毒だと思ったのだ。


 しかし、根津も物語を扱っているが、小説のような場面に出会うのはこれが初めてだ。電話をしようとするが、手が震えて上手くできない。代わりに沖田が電話をしてくれる。


「なんだ? どうした」


 そこへトイレに行っていた備吾が戻って来た。ドアから出て来たそこはちょうどマスターと倒れている男性のすぐ側だ。


「なんだ。仁良じゃねぇか。こんなところで、……は?」


 どうやら男性と備吾は知り合いだったようだ。肩をつかんだのに反応のないことに、ポカンとしている。


「わ、私たちは全く関係ない! たまたま、この喫茶店にいただけだ! 失礼させてもらう!」


「え、ちょ、ちょっと待ってください!」


 根津は毒殺と聞いてパニックになった中年夫婦を追いかける。荷物を持って、この場から去るつもりだ。


 しかし、そういうわけにはいかない。現場はそのままが殺人事件の鉄則だ。


「び、備吾さん、お二人を追いかけましょう」


「お、おう!」


 根津と備吾は二人でドアから出て言った中年の男女を追いかけた。



  ◇◇◇◇



 ドアから一歩外へ出ると、なぜか中に戻っていた。


 備吾は一瞬、自分の身に何が起こったのか分からなかった。


 喫茶店の中から外へ出たはずだ。しかし、何か騒動が起こる前のように喫茶店内は静かにコーヒーを淹れる音や、食器の音が聞こえるだけだ。


 事件の騒々しさは完全に煙もなく消えていた。


「備吾さん、こちらです」


 軽く手を上げるのはボックス席の椅子に座る根津だ。


「走って来たようですが、どうかしましたか。約束の時間からはそれほど過ぎていませんが」


 根津の向いに座る。カウンター席に座ると、仁良がこちらを振り返って手を上げた。最初に入ったときに備吾は気付かなかったが、仁良は気づいていたようだ。


「いや、……俺の時計が狂っているようだ」



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