十字路に棲む女霊 8
この人を怒らせたら窓に書いた文字は血文字になるのだろうか。
その血の持ち主はたぶん、俺か狭間さんのどちらかだろう……。
結露のメッセージはすでに、ダラダラとスプラッタに滴り始めて消えようとしている。
体勢を真正面にいる狭間さんの方へと戻すと、狭間さんのその表情は、ややしかめっ面といった表情。
燃えるんじゃないか? と思うほど、智巳さんからの手紙を凝視している。
「涼なら分かるって書いてあるが、これはその藤巻って奴の事なんだよな……」
黒いカバーのソファーがミシミシと唸る。
考え事をしている時の癖なのか、狭間さんは体を前後に少し揺らしている。
そんな狭間さんの横に、ぼぉ……と那森さんが立っている。
はっきり、めっちゃ怖い。
狭間さんは気づいているのだろうか?
それともわざと気づかないフリを……。
「なぁ、涼。お前、一人暮らしだよな?」
「え!? うん。そうだけど?」
「今日、明日中に、この智巳さんが書いた手紙の謎を解かなきゃならねぇが……。まだ解明できねぇ」
「うん……」
手紙から視線を逸らして、狭間さんは顔をあげる。
また窓ガラスのメッセージを見ているらしい。
俺も再び振り返る。すると。
”殺すからね”
と、書かれている文字だけが残っていた。
他の文字は消えて……何故、この言葉だけが……。
「今、一人になるのは危険だ。そろそろ日も暮れ始める頃だしな」
「え?」
日が暮れる……もうそんな時間たったのか?
そう言われて時間を見る。
えぇと、午後一時。
まだ太陽は南中を過ぎたぐらい。
狭間さんが座るソファーの背にある窓から、さんさんと照る、まばゆい陽の光が差し込んでいる。
うん……やっぱりまだ太陽は元気いっぱいだ。
やっぱり、隣にいる那森さんに気づいてるけど、ワザと知らないフリをして耐えてるんだ。
「とにかく一人でいると危険だ。そうだろう?」
「……そうだと思う。きっとそう」
「だからだ、今日は泊まるといい」
「え? 泊まるってここに?」
「あぁ、そうだよ。他にあるか? 確かにちょっとボロいかもしれねぇけど、慣れりゃ普通だ。ただ、トイレは共同で夜中とか一人で行くのが少し気が引けーーー」
「ーーー要するに狭間さんも怖いんだね」
何が言いたいのかピンと来なかった。
巻き込んでしまったのは俺だ。
だったら……。
「違う。そんなんじゃねぇ……。俺はただ……」
「じゃあ狭間さん。提案があるんだけど……」
「何だ?」
「俺の家に来ない? そろそろ着替えたりしたいし」
「お前の家か……」
「うん、よかったらだけど」
「はっきり言う。二つ返事で頼む」
「……すごい豪速球」
弱腰な姿勢を真っ直ぐな瞳で、狭間さんはきっぱりと言い、稲穂のごとく頭を下げる。
恐怖の前では自尊心って軽く吹き飛ぶんだな……。
「仕方ない……。百円を守るのに一万円は出せねぇ」
「……う、うん」
なんか微妙な例えだ。
「やっぱりこういう時、ボロいアパートは怖ぇ……。クソ、今のところ社会では底辺だが、必ず登ってみせるぞ」
狭間さんはそう、どこの誰かに言ってるのか決意表明を……。
ただ……。
「………………………」
底辺か……。
そのセリフ、今朝言われたな……。
「涼、どうかしたか? 急に暗くなったが……」
「え……? いや、別に………」
表情を曇らせてしまったようだ。
「なんか気になる事でも思い出したか?」
「うん、ちょっとね……」
「なんだ? 事件に関係ない話でも聞くぞ」
「いや、まぁ……実は……」
愚痴っぽくなるから言いたくなかったけども、言葉に甘えて吐き出した。
今朝、藤巻が急に怒り出した教室での内朝の風景や、地球に優しいらしい担任の眞元から言われた言葉。
”底辺のクズ”
その内容を怒りを滲ませながら、詳細に話していくと、狭間さんは「……あり得ねぇ、ふざけた教師だ。マジで今朝の話か?」と、そう目尻を吊り上げながら、露骨に怒りを露わにして見せる。
「そう……だよ」
「……ちょっと待て」
言って俺を制した狭間さんはまた、手にしている勝丸さんからの手紙に視線を落とす。
そして。
「こいつは……」
そう、目力をギンと強くして「おぉ、そうか。そういう事か……」などと唸った。
「どうしたの? 何か分かった?」
「あぁ……なぁ、涼。その眞元って教師が環境問題についてよ、うるさく言い始めたって最近じゃねぇか?」
と、狭間さんが変な事を訊く。
「え〜と……。そう……言われてみればそうかな……? それがどうかしたの?」
「じゃあ間違いない。那森さんを車で轢いたのはその眞元だ」
「え!?」
なんで?
眞元が?
どうしてそうなるの。
「分からねぇか」
「うん、さっぱり分からない。なんで眞元って思ったの?」
「あぁ。いいか? 手紙の二枚目だ。智巳さんはこう書いてあった、”最近、生きる姿勢が変わった、喧嘩騒動を起こした生徒”ってよ」
「うん。それって藤巻の事でしょ? 同級生が死んで噂話みたいにしてたから、正義感っていうのかな? アイツ怒って……」
「そうだよな。藤巻と同じクラスのお前なら特にそう受け取っちまうよな……。智巳さんも意地が悪いぜ……。ここに書かれている、”生きる姿勢が変わった”ってのと、”喧嘩騒動を起こした生徒”ってのは別々の人間の事を示してるんだよ」
「そ、そういう事なの? あ……!」
俺はぽかんと、口を開けてしまった。
「そうだ。分かったか?」
「……環境問題に取り組んでいる眞元が、その生きる姿勢が変わった人……って事?」
「そういう事だ」
「でも……それでなんで眞元が犯人に繋がるの? まだ分からないんだけど……」
「それなんだけどな……」
これでようやく謎が分かるって時だった。
狭間さんの携帯に、着信の知らせのメロディが鳴った。
こんな時に……。
「悪い、ちょっと待ってくれ」
何となく電話をかけてきたその相手が誰なのか、俺は察しがついた。
「はい。え? あぁ、隣にいるよ。智巳さん、今やっと手紙の内容を理解でき……。あ? 何……!? マジか? ちょっと待ってくれ……。あぁ、そうだな……。じゃあ頼めるか? 藤巻の方はなんとかする。あぁ、じゃあ急いでやってみる。無理そうならまた連絡する」
そう会話して通話を切った。
なぁんか、イヤな予感が……。
「涼……。マズい事になった」
「智巳さん、何?」
「眞元に対して警察の動きがあったらしい。このままだと逮捕されるって智巳さんからの連絡だ」
「え……。じゃあ、解決できない……? 那森さんと十字路で引き合わせるって……」
「それだよ……。智巳さんが今からやる予定だった仕事をキャンセルして、他の探偵事務所の人に代わってもらってだ。何がなんでも眞元を連れて行くって言ってくれてな」
「本当に? 出来るの? そんな事……」
「……やるって言ったらやる人だ。で、俺達は……」
「うん……」
「どうにかして、藤巻を十字路へ連れて行く。涼、今日中に解決するぞ。出来なきゃ俺達はゲームオーバーだ」
狭間さんの額に浮かんだ汗が、風雲急を告げた。
マジか……。
かなり切羽詰まった事になった。
次回より、解決シーンです。
よろしくお願いします!