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演劇の見られる喫茶店  作者: しみずけんじ
22/27

第二十一幕



 クリスマスに彩られた市街地の道路を、いかにも『高級車』といったような黒い車が走っています。その後部座席には可憐の姉・今里麗花いまざとれいかの姿が見えます。麗花は、何やら物憂げな表情でスマートフォンに映るスケジュールを見つめています。スケジュールの12月23日の欄には『留学』の文字……。

「……本当に今日は可憐お嬢様のお店には行かなくよろしいのですか?」

 バックミラーにチラッと目をやりながら、初老の運転手が尋ねました。

「……もうええんよ。2週間後の海外留学の前に、最後に可憐が今やってることをこの目で見てみたかったんやけど……可憐にばれちゃったし。私が不用心やった。仕方がないわ。……あの劇団のこと、見つけてくれてホンマにありがとう」

「いえ……」

 スマホをしまい、窓の向こうに流れるクリスマスの街並みを切なげに見つめる麗花に、運転手はため息を零しました。


 月日は流れ、12月21日……喫茶石切堂では、公演一週間前合宿の真っただ中にあった劇団おとぎの花園が、いよいよクリスマス公演となる12月公演の前日を迎えていました。とはいえ、現在は石切堂の営業時間ということで、高校の終業式を終えた姫子は、冷たくなった手に息を吹きかけながら、店の前の掃き掃除を行っていました。ふと、店前でピカピカと光るクリスマスツリーに目が行きます。

――……わたし、クリスマスなんて大っ嫌い……街中みんな幸せそうやのに、わたしにはずっと一人ぼっちの思い出しかないから……――

「クリスマスなんて大嫌いか……無理もないなぁ。ずっと一人ぼっちやったなんて……わたしやって嫌いになるかも知らへん。それやのにわたし、一人ではしゃいで……」

 姫子は、麗花が店に最後に訪れたあの日に、可憐が言った言葉を思い出すたび、自分自身への罪悪感を抱いていました。

「結局あれ以来、麗花さんは来んくなってしもうたし……けど、ホンマに麗花さんって悪い人なんかなぁ? なんか事情があるんじゃ――」

「あの、すいません」

「へっ!? は、はいっ!」

 一人でぼそぼそ言っている時に声をかけられ、姫子は驚いて振り返りました。そこには、ビシッとしたスーツ姿の初老の男性が立っていました。

「驚かせてしまい申し訳ありません。わたくし、今里麗花の運転手をしているものなのですが……少し、お話しよろしいでしょうか?」

「麗花さんの……運転手さん? ……あっ! ど、どうぞ」

 少し首を傾げたあと、運転手の男の丁寧な姿に慌てた姫子は、急いで店の扉を開けました。

 客足の途絶えていた店の中ではすでに、可憐以外の劇団員が全員そろっていました。人見知りの奏は自室にいましたが、マスターはカウンターで新聞を開き、結衣は相変わらず『家計簿』を見ながら首をひねり、作菜はテーブル拭きを行い、七海は絵を描いていました。姫子が運転手を迎え入れて事情を説明すると、皆は手を止め、話を聞く体勢になりました。運転手のための水を用意していた姫子に、ぬいぐるみのウミブタを抱えた七海がこそっと尋ねました。

「可憐のお姉さんの運転手ってことは、可憐の運転手でもあるってこと?」

「さあ?」と、首を傾げた姫子の代わりにその疑問に答えたのは、すでにテーブル席にスッと腰かけていた運転手本人でした。

「いえ、可憐お嬢様には別に専属の者が付いております。……と言っても、可憐お嬢様は最近あまり利用していないようですが」

「はぁ……耳ええなあ」

「あの……それで、お話しって……」

 ぼそっと驚く七海をよそに、姫子は運転手の前に水を置いて、前の席に座りました。

「……実は、麗花お嬢様のことで少しお話ししたいことが――」

 運転手が話し始めようとしたその瞬間、カラン カランと、店の扉が開きました。

「可憐ちゃん……」

「……やっぱり。すぐそこに見覚えのある車が停まってると思ったら……今度はお姉ちゃんの運転手? ここになんの用やねん!」

 入ってくるなり、可憐は姫子の言葉も聞かずに、怒鳴り声を上げました。

「可憐お嬢様……ちょうど良かったです。可憐お嬢様にも、麗花お嬢様のことで聞いて頂きたい事がございます」

「聞きたくないわ、お姉ちゃんのことなんかっ! はよ出て行って!」

「可憐ちゃん!」

 ドカドカと立ち去ろうとした可憐の腕を姫子が掴みました。

「話だけでも聞いてみよう? な?」

「姫子……」

 可憐が振り返り、姫子はニコッとしました。しかし……

「……ゴメン」

「へ?」

 可憐は姫子の手を振り払い、走り去っていきました。

「可憐ちゃん……」

「……どうやら、そうとう嫌われてしまったみたいですね、わたくしたちは。まあ、無理もありませんが。わたくしたちは、可憐お嬢様からすべてを奪ったのですから」

「……その話、ちゃんと聞かせてもらってもええですか?」

 少し放心状態だった姫子に代わって、作菜が口を開きました。

「わたしにはどうしても分からへん。妹から何もかも奪おうとする姉の気持ちが」

「……分かりました。わたくしも、今日はそれを話しに来たのです」

 そして、運転手は話し始めました。麗花の物語を……。


 今里麗花が生まれたのは、可憐が生まれる4年前でした。待望の第一子である麗花の誕生は、今里家に幸福をもたらしました。そして、女の子である麗花には自由に、伸び伸びと生きてもらおうと両親は思っていました。……しかし、次に生まれた可憐も女の子だったことで、事態は急変しました。後継者問題です。代々続く政治家一家だった今里家では、男子が生まれれば後継者にしようという考えがありました。しかし、麗花も可憐も女の子であり、3人目の子どもを待つ時間もゆとりも無かった今里の主人は、やむなく、麗花か可憐、どちらかを後継者にすることにしたのです。その話を偶然に知ってしまった麗花は、可憐を後継者にさせないために、勉強も習い事もすべてを完璧にこなし、両親の目を自分だけに注ごうとしました。そう、すべては可憐を政治家の後継者にさせないために。可憐の自由を守るために……。


「可憐ちゃんの自由を守るために……」

 放心状態の解けた姫子は小さくつぶやきました。

「政治家になるということはいばらの道です。ご両親の大変そうなお姿を目の当たりにしていた麗花お嬢様は、そんな道を、愛する妹に歩かせたくはなかったのでしょう。ですから、より優秀な方が後継者に選ばれると思い、ご両親にとっての理想の娘を演じていたのです」

「なるほどな。すべては妹を……可憐を守るためやったってわけか……」

 運転手の言葉に、作菜も納得しました。

「まあ……それが『姉』ってやつなんやろな……」

「わたくしも最初は驚きました。なにせ、まだ小学生だった麗花お嬢様が、『可憐を守りたい』なんて言い出したのですから。……ですが、その決意の固さに、わたくしも手伝うことにしたのです」

「そうやったんですね……それを、可憐ちゃんは誤解して……」

「でも、それって麗花さんにも責任があるんちゃうん?」

 姫子がうつむく後ろで、結衣が口を開きました。

「はっきり言えばええやん、可憐本人に。あんたを守るためなんやって」

「……それを言って、可憐お嬢様に気を遣わせたくなかったのでしょう。可憐お嬢様も、あれで結構デリケートな方ですから」

「それならいっそ、自分からすべてを奪った悪役になろう、と?」

 マスターが尋ねました。

「はい……実は今お話ししたことも、麗花お嬢様には固く口止めされていたことでして……」

「けど……そんなん悲しすぎます」

 姫子が唇を噛みしめながら言いました。

「たった2人きりの姉妹が、そんな誤解をして、そんなすれ違いをしてるなんて……いくら自由でも、可憐ちゃんが可哀想です。麗花さんやって……」

 ポタポタと、可憐のために涙を流す姫子に、運転手はそっとハンカチを差し出しました。

「どうやら、可憐お嬢様は良いお友だちを持ったみたいですね。やはり話に来て正解でした。そして、相談に来て……」

「相談……ですか?」

 姫子は申し訳なさそうにハンカチで涙を拭きながら尋ねました。

「……実は、麗花お嬢様は、明後日には海外留学へ行かれることになっているのです。政治の勉強のために大学の方も休学なされて……そして出発されれば、おそらく何年も戻って来られないでしょう」

「そんな……じゃあもしかして、それでこのお店に?」

「はい……こちらの劇団の動画で可憐お嬢様を見つけた時は、本当に麗花お嬢様はうれしそうで……ぜひ、留学の前に、可憐お嬢様のお世話になっている店に行ってみたいとおっしゃりまして」

「そうやったんですね。麗花さん……ホンマに可憐ちゃんを愛してるんですね」

 姫子は微笑みましたが、運転手の顔は曇りました。

「……ですが、先日、可憐お嬢様に見つかってしまったことで、麗花お嬢様は、もう店には行かないとおっしゃりました。可憐お嬢様を、もう怒らせたくはなかったのでしょう。わたくしは、変装でも何でもして観に行かれてはどうか、と提案しましたが、麗花お嬢様は頑なに拒否されました。……どうやら、わたくしのような身内では、麗花お嬢様の意志を曲げることは出来ないようです。それに、可憐お嬢様のことも……それで、誠に勝手なご相談なんですが――」

 運転手が言い終わる前に、姫子はレジの前に置いていた12月公演のチラシを一枚、運転手に差し出しました。

「明日までに、可憐ちゃんのことどうにかしてみます。せやから、絶対に明日、麗花さんをここに連れてきてください!」

 姫子の真っ直ぐなまなざしに少し目を潤ませた運転手は、チラシを受け取ると、姫子たちに丁寧に頭を下げて、店を後にしました。


 そして、その夜……明日の公演のための仕込みやゲネプロを無事に終えたものの、寝るに寝られなかった姫子は、石切堂から道路一本を挟んだ公園のベンチで、台本片手に、夜風を受けながら座っていました。

「……運転手さんにああは言ったものの、結局、可憐ちゃんになんも言えへんかったなぁ」

 ダウンジャケットにマフラー、ニット帽、手袋と、しっかりと着込んだ姫子は、オレンジ色の街灯の下、大きくため息をつきました。

 そう。あのあと姫子は、可憐に何度か麗花のことを話そうとしたのですが、仕込みの忙しさもあって、結局、何も言えずじまいでした。それは、他の面々も同様でした。

「どうしたもんかなぁ……」

 一応、手には久々に役者になった12月公演の台本が持たれていましたが、可憐のことが頭の中でぐるぐる回っていた姫子は、それどころじゃありませんでした。

「姫子、ここにおったん?」

 イルミネーションも消えた暗闇から声が聞こえ、姫子が振り返ると、パジャマ姿の、なんとも12月の夜中とは思えない格好の可憐が歩いてきました。お風呂上りなのか、ほんのりと髪の毛が濡れています。

「可憐ちゃん……って、そんな格好やったら風邪引くやん!?」

 姫子は慌てて可憐の首に自分のマフラーを巻いてあげました。

「だって、お風呂上がったら姫子どこにもおらへんし……」

「せやからって……とりあえず、一旦お店に戻ろう?」

 可憐はうつむいて、首を横に振りました。

「可憐ちゃん?」

「……わたし、姫子に話したいことがあんねん」

「へ……?」

 少し考えた姫子は、自分にも可憐に話したいことがあったので、とりあえずベンチに腰掛け、2人でダウンジャケットを羽織るようにして、自分の帽子も可憐に被せてあげ、手袋も片方ずつ半分こにしました。

「……ホンマに店に戻らんでもええ? 寒くない?」

「うん。えへへ……姫子にくっついてたらあったかいわぁ。あ、そうや。このマフラーも半分こしよ。……これやったら、姫子もあったかいやろ?」

 可憐は自分の首に巻かれたマフラーを、姫子の首も巻き込むようにして巻き直しました。

「もぅ~……ありがとう。可憐ちゃんはお風呂入ってたし、なんも言わずにここに来たんは謝るけど……せやからって、こんな季節にこんな格好で外出たら風邪引くやろ?」

「……やっぱり、怒ってる?」

「そりゃあ……だって……」

「……ゴメン……ゴメンな」

 可憐は突然、ポタポタと涙を零しだしました。姫子は慌てふためきました。

「へっ……あっ、いや……ホ、ホンマはそんなに怒ってへんよ。ほらっ」

 姫子は思い切りニコッとしましたが、可憐の涙は止まりませんでした。そして、可憐は姫子の手をさすりました。

「ゴメンな……さっきは手ぇ弾いて……」

「へ……?」

 よく見ると、それは昼間、可憐が振り払った方の姫子の手でした。

「可憐ちゃん……もうええよ。ホンマに怒ってへんから」

 姫子は、自分の手をさする可憐の手の上にもう一方の手を乗せて、やさしく言いました。すると可憐は小さくうなずき、次第にその涙は止まりました。それを見て、姫子も安心しました。

 そして、2人は何を話すでもなく、少し曇った夜空の下、肩を寄り添い合っていました。

「……稽古、してたん?」

 可憐が先に、小さく口を開きました。

「うん……って言っても、全然出来てへんけど」

「そうなんや……久しぶりや、姫子と舞台立つの」

「うん、そうやね」

「楽しみ」

「わたしも」

 そしてまた沈黙が続き、次は姫子が意を決し、口を開きました。

「あ、あのさ……麗花さんのことやねんけど……」

「……全部聞いてた」

「へ……? そう、やったんや」

 可憐は小さくうなずきました。

「姫子の手、払っちゃって……そのまま2階に行こうと思っててんけど……やっぱり、気になって……。仕込みの時とか、みんながお姉ちゃんのこと話そうとしてたんも分かってたし、わたしもなんか言わななぁって思っててんけど……なんか、頭の中ゴチャゴチャで……」

「……そっか」

 姫子はやさしくうなずきました。可憐は、少し笑いながら言いました。

「笑っちゃうよな? お姉ちゃんがわたしから何もかも奪ったんは、全部、わたしのためやったなんて……だいたい、頼んでへんし! せやのに……わたしのためとか、勝手すぎるやろ?」

 次第に、可憐の目からは、また大粒の涙が零れだしました。

「……なあ、姫子」

「ん?」

「わたし、どうしたええ? お風呂の中でもいっぱい考えてたのに、全然、分からへんくて……。お姉ちゃんが留学して居らんくなったら、せいせいするはずやのに……それやのに……」

「可憐ちゃん……」

 姫子はしばらくの間、涙を流す可憐に何も答えられませんでした。姫子にも答えが分からなかったからです。だから素直に、こう言いました。

「……ゴメン、やっぱりわたしにも分からへん。たぶん……それを知ってるんは、可憐ちゃんだけやと思うから」

「わたしだけ……?」

「……せやから、とことん考えたらええんちゃうかな? わたしも、朝まででも、ずっと付き合うからさ」

「姫子……」

「それでもし、どうしても麗花さんに明日、来てほしくないって言うんやったら、わたしが麗花さんと運転手さんに謝るわ。な?」

 姫子は可憐にニコッとしました。

 可憐はその笑顔を見て、うれしそうにうなずきました。

 そうして……12月公演の前夜は、ゆっくりと明けていきました。


 翌日の午後2時過ぎ……。いつもの車の後部座席に座っていた麗花は、車が停まった場所を見て、驚きました。

「ここ……可憐のいるお店の前やん! ちょっと、わたしは今日は、ここへは来うへんって――」

「観て来てください。麗花お嬢様」

 運転手は麗花の言葉を遮り、昨日、姫子からもらったチラシを麗花に差し出しました。

「公演は1時間後です」

「これ……このお店に来たん? 勝手に」

 運転手が申し訳なさそうにうなずくと、コンコンっと車の窓をノックする音がしました。麗花は、窓の外の姫子に気づき、窓を開けました。

「姫子ちゃん……」

「あと30分したらお店を開けます。可憐ちゃんのこと、最後に観てあげてください」

「せやけど……わたしは――」

「可憐ちゃんが、麗花さんにも来てほしいって言ったんです」

「可憐が……わたしに……?」

「いっぱい考えて、一緒に考えて、出した答えです。せやから……絶対に観に来てあげてください! お願いします!」

 姫子はそう言って頭を下げると、運転手に昨日借りたハンカチを返して、石切堂へと走っていきました。

「本当に、可憐お嬢様は良いお友だちを持ったようです」

 洗濯され、キレイにアイロンがけまでされたハンカチを見つめ、運転手が小さく言いました。

「そうやね……ところで、もしかして全部あの子たちに話したん? 秘密にしてたこと。わたしたちの事情も分かってたみたいやし」

 麗花はギロッと運転手を見ました。

「はぃ……も、申し訳ありませんっ! クビになる覚悟は出来てます! ですが、どうしてもお2人に……」

 運転手は口ごもりました。麗花は、先ほど手渡された劇団おとぎの花園12月公演のチラシに目を落とし、そして、微笑みました。

「クビになんかせえへんよ。親よりも長い時間、一緒に過ごして来たんやから。……いっつも、いろいろ気を遣ってもらって、ホンマにありがとう」

 麗花の笑みをバックミラー越しに受け、またも運転手は少し目を潤ませました。


 そして30分後……喫茶石切堂の扉が開くと、麗花はゆっくりと車から出て行きました。


 いよいよ、劇団おとぎの花園12月公演『ピノッキオ』の幕が……可憐が麗花の前でする、初めての公演の幕が、上がりました。

 可憐は舞台に出るとすぐに麗花の姿を見つけましたが、決して表情には出さず、けれど、不思議といつもより熱気を帯びた演技を見せました。麗花は、初めて生で観るそんな妹の姿を、まるで瞬きも忘れるほどに、じっくりと目に焼き付けていました。もう二度と観ることが出来ないかもしれない、というまなざしで。そんな2人の姿を、うれしそうに、どこか切なそうに見つめる姫子は、結衣や奏にも手伝ってもらった衣装を身に纏い、久々の舞台の上、初めは緊張を見せていましたが、舞台が進んでいくにつれ、「やっぱり役者って楽しいなぁ」と、改めて感じることが出来るようにまでなっていました。

 1時間弱の公演が終演すると、役者たちがクリスマスプレゼントをお客さん一人一人に手渡していきました。可憐は、姫子に手を引かれ、麗花にプレゼントを渡しました。お互い、気恥ずかしいのか目は合わせませんでしたが、姫子たちはそんな光景を、うれしそうに見ていました。

 そして、お客さんたちが帰っていくと、麗花も店を出て行きました……。


 カラン カランという扉の音と共に、去り行く麗花の背中を見ていた可憐の肩を、姫子がやさしく押しました。可憐が振り返ると、姫子は微笑んでうなずきました。可憐はうなずいて答えると、店の外へと走っていきました。姫子も、その後を付いていきました。

 店を出ると、道路の向こうの、運転手が立つ車に向かって歩いていく麗花の姿が見えました。

「お、お姉ちゃん!」

 可憐が声を振り絞ると、麗花はゆっくりと振り返りました。

「可憐……」

 2人は向かい合いましたが、お互いに喉に言葉が詰まってしまったかのように何も言えませんでした。道路を挟んで、可憐と麗花、2人の沈黙が流れました。

「……劇、良かったで。面白かった。ありがとうな、プレゼントも」

 先に口を開いたのは麗花の方でした。

「可憐があんなに楽しそうなん、久しぶりに見た。ホンマにええ友だち持ったね」

「……」

「可憐、昔から演技とか上手やったもんね。おままごとの時とかも、すっかり成りきってさ。……やっぱり、可憐に自由にさせて正解やった。可憐には、わたしには無い才能があったもん。可憐、これからも頑張り――」

「わたしはっ!」

 麗花の声を遮るように、ようやく可憐が口を開けました。その声は、震えていました。

「わたしは……ずっと寂しかった。両親もずっと家に居らんくて、お姉ちゃんまで居らんくなって……誰にも相手にしてもらえんで……ずっと寂しかった!」

「可憐……」

「こんな寂しい想いするくらいやったら……わたし、自由なんていらんかった」

「……可憐、ゴメンな。寂しい思いさせて……せやけどわたしやって――」

「でも!」

 麗花の言葉を遮った可憐は、目一杯に涙をためながらも、一生懸命に微笑みました。

「……お姉ちゃんのおかげで、大好きな友だちに出会えた。大事な場所に出会えた」

「可憐……」

「ホンマに……ありがとう! 今までずっと……わたしを守ってくれて、ありがとう!」

「可憐……」

 麗花の目から涙が零れました。そばに控えていた運転手も、もらい泣きをしていました。笑顔を作りながら涙を零す可憐は、これまでよりも大きな声で言いました。

「せやから、これからは自分の幸せのために頑張ってな! わたし、ずっと応援しているから。わたしは、ずっとお姉ちゃんの味方やから」

「ありがとう……ありがとう……可憐」

 麗花は止めどなく溢れる涙を流しながら、何度も何度も「ありがとう」を言い続けました。まるで、これまでのすべてが報われたような幸せを感じながら……。

 そして、麗花たちは帰って行きました。

 ずっと心配して後ろで可憐を見守っていた姫子は、可憐に寄り添い、手を握りました。

「良かったね、ちゃんと言えて」

「うん」

 涙を拭いた可憐は、清々しい笑顔でうなずきました。

「けど、ホンマに一緒に帰らんで良かったん? 今日やったら、麗花さんと一緒に居れたのに」

「ええねん。お姉ちゃんやって荷造りとか忙しいやろうし、一緒に居ったら、明日別れんのが辛くなるもん。それに……これが最後ってわけちゃうしな」

 可憐がニコッと微笑みかけると、姫子もうなずきました。

「そうやね。また、いつでも会えるもんね」

「はぁ~あ~……でも、また今年もクリスマス一人ぼっちやねんなぁ~」

 突然ため息を零すと、可憐は恨めしそうに店前のクリスマスツリーを見ました。

「クリスマスなんて独り身にはイジメや。いっそ無くなればええのに」

「あはは……あ、そうや、お店に泊めてもらったらええやん」

「それでもええねんけど……あたしだけ他人やし、結衣さんが最近うるさいからなぁ。あ、そういえば、いつからおっちゃんのケーキとかコーヒーとか、有料になったん?」

「あ……それが決まった時、可憐ちゃん居らんかったんやっけ?」

「姫子と七海も居らへんしなぁ……姫子も七海も、家で家族でクリスマスパーティーするんやろ?」

「まあ……今年はイブが祝日やし、いつもそうしてるからな。七海ちゃんも、せっかくご両親が仲直りしたみたいやし」

「はぁ~あ~……やっぱり、クリスマスなんか大っ嫌いや~」

 一段と大きなため息を漏らした可憐は、麗花と仲直りできたからか、以前よりは明るい調子でしたが、やはりまだ、クリスマスが嫌いなようでした。なので、姫子は言いました。

「じゃあ……うちに来る?」

「え?」

「まあ、可憐ちゃんさえ良かったら、やけど……」

「行く行く! 絶対行く! 姫子大好き!」

 可憐が満面の笑みで抱きついてきたので、姫子は言ってよかったな、と思いました。そのあと、「片付け中にいつまで外で油売ってんねん!」と、2人が作菜に怒鳴られたことは、言うまでもありません。


 そして……クリスマス・イブの夜がやって来ました。


 いつもよりも少しだけおめかしをした可憐は、姫子のお母さんと、弟の優也に快く出迎えられ、チキンやケーキと、いつもの額田家からは考えられないようなご馳走をみんなで囲み、本当に幸せな時間を過ごしました。姫子も、そんな可憐の笑顔を見て、「ホンマに良かったな」と、心から感じていました。そんな額田家の食卓を、天国にいる姫子のお父さんは、いつものように写真の向こう側から、やさしく見守っていました。

 その夜は、姫子や可憐だけでなく、七海の家でも、喫茶石切堂でも、幸せな夜となりました。


「あぁ~……ホンマに楽しかったなぁ。こんなに楽しかったクリスマスは初めてや。姫子のお母さんはやさしいし、優也は可愛いし。ホンマに、ええ家族やな。姫子の家族は」

 夜も更けて、姫子の家に泊まることになった可憐は、姫子のお母さんの寝室を借り、姫子と2人、布団の敷かれた部屋で、電気も消して、月夜の空を見上げていました。

「ありがとう。ホンマに楽しんでもらえて良かったわ」

 隣で一緒に夜空を見上げていた姫子も満足そうに微笑みました。

「姫子がクリスマス好きな理由が分かったわ。こんなに楽しいイベント、嫌いになる理由が分からへん」

「……でもな、実はわたしがクリスマス好きな理由、もう一つあんねん」

「え?」

 可憐が振り返ると、姫子も可憐の方を見ました。

「クリスマスはさ、わたしたち家族が4人で過ごした最後のイベントやねん。年末にお父さんが入院してさ、1月の初めには……」

「……そうやったんや。……なんか、ゴメンな。クリスマスのこと、嫌いって何回も言うて」

 姫子は首を横に振りました。

「わたしの方こそ……可憐ちゃんの事情も知らんとはしゃいじゃってゴメン……」

「……でも、今日でクリスマスのこと、ちょびっとだけ、好きになれたわ。姫子と過ごせたし、それに……」

 可憐はまた夜空を見上げました。

「お姉ちゃんとも仲直りできたからな」

「良かった」

 そう言って、姫子も夜空を見上げました。すると、可憐が声を上げました。

「あっ! 流れ星!」

「へっ?」

 可憐の声に、姫子はキョロキョロと空を見渡しました。すると月夜の空に、1つ2つと、流れ星が走りました。

「ホンマや……わたし、流れ星って初めて見た」

「この前の、なんとか流星群の時に流れ忘れた星かな?」

「ああ~……そういえば、この間は曇っててよう見えへんかったもんね」

 2人がしゃべっている間も、流れ星はいくつも空を駆けていきました。そんな夜空に見惚れていた姫子の隣で、可憐が小さく言いました。

「……なあ、姫子。お姉ちゃん、きっと幸せになれるやんな?」

「……うん、きっとなれるよ。そうや、祈ってみたら? 流れ星に」

「ピノッキオみたいに?」

「正確には、星に祈ったんはゼペット爺さんや」

「……そうやな。もしかしたら、姫子みたいな可愛い天使が、願いを叶えてくれるかもしらへんし……祈ってみよっかなぁ」

 そう言って、可憐は両手を合わせて目を閉じました。

「じゃあ、わたしも」

 姫子も同じように、両手を合わせて目を閉じて、夜空の星に願いを届けました。

 だから2人は気づきませんでした。月夜を飛び交う流れ星の中に、トナカイの引くそりに乗った、あの人がいたことには……。「わし、忘れられてる……?」



 さてさて、2人は夜空の星に何をお願いしているのでしょうね。クリスマスの主人公、サンタさんのことも忘れて……。

 何はともあれ、可憐と麗花も無事に仲直りができ、皆、幸せなクリスマスを迎えられたようですね。

 みなさんは、どんなクリスマスを迎えられますか?

 それではまた、次の年にお会いするといたしましょう。

 Merry Xmas and Happy New Year!




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