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演劇の見られる喫茶店  作者: しみずけんじ
14/27

第十三幕



 8月の暑い日差しが地面に照りつけ、セミたちがたった1週間の命を生き尽すように声をからしている頃、喫茶石切堂の2階では、机に向かって頭を抱える女子高生たちの姿がありました。

 8月公演を3日後に控えた合宿中においても、『学生は学業が本分』ということで、朝はこうして学校から出された莫大な量の宿題と、彼女たちは向き合わなければいけませんでした。

 3人の中でもとりわけ、お嬢様学校でもあり、進学校でもある『聖愛女子高等学校』、通称『聖女』に通う可憐の宿題は、姫子や七海のそれのゆうに2倍近くもありました。

「(さ、さすがは大阪随一のお嬢様学校。宿題の量もスゴイ……大変そうやなぁ……)」

 夏休み期間中は、宿題が終わるまでは店のバイトを特別に昼からにしてもらっていた姫子も、可憐の宿題の量を横目で見ながら息を呑んでいました。

 その可憐は、初めは頑張って宿題に向き合っていましたが、やがて、頭から湯気を出すようにして後ろへと倒れてしまいました。

「もぅゲンカイ~」

「あ~あ、今日もパンクした」

 ぼそっと七海がつぶやいた通り、机に向かって1時間もすれば、可憐がパンクをしてしまうのはいつもの光景でした。

 そして、それを見計らったかのように、いつもこのタイミングで、あの声が聞こえてくるのです。

「みんなぁ~、差し入れやで~。一息つき~」

 その明の声は、女子高生たちにとって、特に可憐にとっては、まさに地獄に仏でした。

 2階へと上がって来た明は、いつものように、盆の上に乗ったマスター特製『夏限定! コーヒーかき氷』を、姫子たちの前に配って行きます。

 差し入れがやって来るとすっかり元気を取り戻した可憐は、さっそくかき氷をパクリ。

「ん~、生き返る~。いつ食べても美味しいなぁ、このコーヒーかき氷」

 そんな可憐を微笑ましく見ながら隣で食べる姫子も、7月の半ばに初めてこの味に出会って以来、すっかり好物になっていました。

「ホンマに美味しいなぁ。苦いコーヒーと甘いミルクが、ふわふわの冷たい氷の上で絶妙にマッチしてて、何回食べても飽きへんわぁ。はぁ~あ、優也とお母さんにも食べさせてあげたいなぁ。あっ、そうや、今度の公演の時におごってあげよう~」

 美味しい食べ物に出会うと、姫子は決まって、家族の顔を思い浮かべます。

「そんなに美味しそうに食べてくれたら、マスターも喜ぶわ。あっ、ところでお姫ちゃん、昨日もまた、奏ちゃんを待ち伏せしてたん?」

 姫子たちが幸せそうにかき氷を食べている姿を見ていた明は、3人の間に入って、世間話をするおばちゃんのように、会話に加わりました。

 ちなみに、姫子は七夕公演のあと、奏をトイレの前で待ち伏せして以来、今回の合宿中も、毎晩のように、奏をトイレ前で待ち伏せしていました。やっていることはまるで、ヤンキーのようですね……。

 そんな姫子は、明にその話をフラれると、かき氷を食べる手を止め、少し申し訳なさそうに答えました。

「はぃ。でも、全然進展なしで……。前よりはちゃんと話せるようになったとは思うんですけど、作菜さんや劇団の話になると、奏ちゃん、すぐに機嫌が悪くなっちゃって……」

「たしか、奏は作菜さんが『わたしのためって言うんが重たい』って……」

 姫子の言葉を思い出しながら、七海が小さく言いました。

「うん。それを言ってたのがだいたい1ヵ月前で……作菜さんは奏ちゃんのために劇団を作ったり、そばに居てあげたりしてるのに、それが重たいって言われたら……わたし、なんて言えばいいんか分からへんくて……わたしも実際、おんなじ状況やったら、優也のためにおんなじことをしてあげたいって思うし……」

 姫子は、手に持ったかき氷が崩れるのを見ながら、思いつめたように言いました。

「本人が『重たい』って言うんやったら、なんもせんかったらええやん? ……自分のためにって思ってもらえる幸せが分からんへん子には、なにやっても無駄や」

 可憐はかき氷を食べる手を止め、少しとげとげしく言いました。

「それは、そうかもしれへんけど……でも……やっぱり放っとかれへんよ、作菜さんにとってはたった一人の妹さんやねんから。それに……ずっと1人ぼっちは、可愛そうや……」

「……はぁ~あ、奏は幸せもんやなぁ。作菜さんや姫子にこんなにも思ってもらえて」

「可憐、もしかして妬いてるん?」

「そんなんちゃうわ」

 七海の言葉に、可憐はふんっと、かき氷を食べる手を再開しました。どうやら図星のようです。

「……まあ、『姉の心、妹知らず』ってやつ? 逆もありけりやけど。……作菜もな、奏ちゃんの話になると、避けるように逃げてしもうて、わたしもなかなか話出来へんのよねぇ」

 少し重たくなった場の空気を換えるように口を開いた明も、肩をすくめて、困ったように笑いました。

「どうしたらええんやろう……?」

すっかりと途方に暮れてしまった姫子を見かねたように、かき氷を口にかき込んだ可憐が言いました。

「……じゃあさ、いっそのこと、2人に無理やり話をさせたらええんとちゃう?」

「へ?」

 姫子は目を丸くして可憐を見つめました。

 可憐は姫子に向き直り、珍しく真剣な目で話し出しました。

「だってさ、2人を向き合わせようって思って、わたしたちが『ああだ』『こうだ』悩んだって仕方ないやん? 2年近くずっとこんな状態が続いてんねんから、そりゃ簡単には向き合うなんて無理やろ? せやったらいっそのこと、2人が逃げられへんような状況をわたしたちで作って、無理やりでもなんでも、ちゃんと話をさせたらええねん。そしたら、案外、上手くいくかも知らへん」

 可憐は、少し嫌なことを思い出すような素振りで、小さく続けました。

「ほらさ、わたしと姫子がケンカした時やって、作菜さんが無理やりわたしたち2人のシーンを公演の本番で作ったやん? ……初めは、どうしたらええか分からへんかったけど、ちゃんと向き合ったら、こうやって仲直りすることが出来たわけやし……」

 姫子も、明や七海も、ポカーンとしていました。

 可憐は、皆の意外な反応に、少し自分の言葉に自信を無くしました。

「……わたし、なんか変なこと言った?」

「いや、可憐ちゃんもええこと言うねんなぁって思って」

「……明日は雪が降るかも」

 明と七海の言葉に、可憐はガクッとしました。

「わたしやってええことぐらい言うわ! わたしをなんやと思ってんねん?」

「自由人」

「ノーテンキ」

 明と七海の返しに、可憐は再びガクッとしました。

「明さん! 七海~!」

 可憐は2人に突っかかりました。

 そんな3人のやり取りをクスクスと笑いながら見ていた姫子は、静かに口を開きました。

「……でも、可憐ちゃんの言う通りやと思う。結局、2人の問題やのに、わたしたちで話してたって仕方ないわ。無理にでも、やっぱりちゃんと、2人に話し合ってもらわな。気づかせてくれてありがとう、可憐ちゃん」

 姫子が優しく微笑むと、可憐が満面の笑みで、姫子に抱きつきました。

「わっ! か、可憐ちゃん、かき氷零れちゃうよっ」

「これで今晩から姫子と一緒に寝られる~」

 かき氷を手にしたままの姫子に抱きつく可憐の頭上では、すでに溶けかかっていた氷の小山が、左右に揺れていました。

「狙いはそれか……」

 呆れ顔で可憐と姫子のじゃれ合いを見ていた七海は、小さくつぶやきました。

「ところでさ、2人を無理やり話させるって言っても、どうやって話させる? まあ、毎日少しぐらいは作菜と奏ちゃん、顔合わせてるけど、すぐに奏ちゃんは部屋へ戻っちゃうし……」

 首をかしげる明に、ようやく可憐に離れてもらった姫子が提案しました。

「……それについては、さっき可憐ちゃんの話を聞いてて、思いついたことがあります」

 姫子の言葉に、可憐たち3人は耳を寄せ合いました。


 一方、同時刻。石切堂1階では。

 宿題そっちのけで姫子たちが作戦会議をしているなどとはつゆ知らず、モーニングが終わり、客足が少なくなった時間を利用して、作菜がカウンター席で、8月公演の台本を見ながら、演出の確認などを行っていました。

 そんな作菜の前に、トンッと、アイスコーヒーが置かれました。

「あっ、ありがとう、おっちゃん」

 礼を言って作菜が見上げると、カウンター越しに立っていたマスターが、作菜の台本を覗き込んでいました。

「今月の公演はたしか『ヘンゼルとグレーテル』やったなぁ」

 作菜は作業の手を止め、アイスコーヒーにミルクを入れながら答えました。

「うん。8月は夏休み中やから、子供が主人公の話の方がええかなって思って」

「そういえば、昔、奏が好きやったなぁ。この物語はなし

 昔話をするようにマスターが言うと、作菜はコーヒーをかき混ぜながらうなずきました。

「……うん」

「たしか、妹のグレーテルが、魔女に掴まったお兄ちゃんのヘンゼルを必死に助けようとする姿を見て、『自分もお姉ちゃんを助けられるような妹になりたい』って、よう言うてたなぁ」

「……そんなこと、言ってたなぁ」

 作菜は、マスターの言葉に、昔を思い出したように笑いました。

「昔は、やさしくてええ子やってんけど、あんなことがあったせいでなぁ……」

 思いつめたように言うマスターに、作菜は微笑みました。

「……あの子は今でも十分やさしい子や」

 そう言って、小さく「いただきます」と、コーヒーを口に含みました。

「……そう言えば、昨日も姫子ちゃん、奏と話すためにトイレの前で待ち伏せしてみたいやな」

「……うん、そうらしいな」

「……知ってて、止めへんのか?」

「……あの子は頑固やから。言っても辞めへんよ」

「……ホンマは期待してるんやろ? 姫子ちゃんや明ちゃんたちなら、奏を外の世界へ出してくれるかも知れへんって。だから、口では『放っといてくれ』って言っても、無理には止めへんねんやろ?」

「……まさか」

 作菜は少し呆れ笑いをすると、ゴクッとアイスコーヒーを飲み干し、ほうきと塵取りを持って「店の前、掃除して来ます」と、玄関トビラへと足を進めました。

 そんな作菜を引き留めるように、マスターは問いかけました。

「作菜、劇団を作ったこと、後悔してるか?」

 作菜はピタッと、足を止めましたが、何も言いませんでした。

 マスターは、その背中に向かって、続けました。

「……僕は良かったと思ってる。この劇団が、おとぎの花園が出来て、作菜に、明ちゃんたちみたいな良い仲間が出来て、少しでも、前みたいな笑顔が戻ってくれたから。……まあ、奏のことは、解決出来てへんけど、それでも、店を改装して、劇団を立ち上げて、ホンマに良かったと思ってる」

「……後悔なんかしてへんよ。おっちゃんにはホンマに感謝してるし、それに、劇団のみんなは、わたしなんかについて来てくれる、ホンマに良い子たちばっかりやからな」

 作菜は、振り返らずに言いました。

「それやったら、信じて見なさい。自分がこの2年間、積み上げてきたものを。奏への想いを。大切な仲間たちを。そうすればきっと、作菜が一番望むかたちに、つながっていくはずや。作菜が、逃げずに向き合えばな」

 マスターの言葉に、作菜は首だけ少し振り向き、微笑んだあと、店の外へと出て行きました。

 作菜が去った店内では、トビラが開閉した拍子に起きた風で、相変わらず飾られたままになっていた季節外れの七夕の笹が揺れていました。

 トビラの先の作菜に、少しため息を漏らしたマスターの背後から、声がしました。

「マスター、ちょっと」

 マスターが振り返ると、奥の廊下から、明が手招きをしています。どうやら、2階での作戦会議が終わったようです。

 明が、姫子たちと話し合った内容をマスターに伝えると、マスターは眼鏡の奥の瞳を丸くしたあと、ニコッと笑いました。


 そして2日後。この日は、8月公演を翌日に控えた『仕込み日』です。

 すっかりと日は沈み、1日中泣き続けていたセミたちも一休みしている頃、石切堂店内では、公演のための仕込み作業がせわしく行われていました。

 そんな雑踏とは無縁の車イスの少女は、両耳にイヤホンをつけ、女の子の部屋にしては殺風景な自室の机に置かれた小さなパソコンの画面をぼぉーっと眺めていました。何やら、動画が流れているようです。

 少女は、その動画に飽きたのか、マウスのボタンをクリックしてそれを止めると、癖のようにため息を漏らし、ふと、そばに置かれていた家族写真に目を移しました。

 そこには、今よりもずっと幼い奏と、何かの演劇の衣装に身を包んだ作菜と、2人の両親がにこやかに映っていました。

「……舞台女優になるんが夢やって言ってたのに……お姉ちゃんの嘘つき」

 小さくつぶやきながらうつむいた奏は、目に入った自分の動かなくなった足を見て、イラついたように叩きました。何度も何度も……。

「こんな足……こんな足……!」

 そこに、トビラをトントンとノックする音が聞こえ、何も音の出ていなかったイヤホンを耳から外し、奏は店内側のトビラを開きました。

 トビラの前には、マスターが立っていました。

 少しイラついていた奏は、とげとげしく言いました。

「何?」

「今日、劇団の仕込み日やろ? 遅くまで作業かかるみたいやから、奏に先に夕飯食べといてもらおうと思ってな」

「……じゃあ、持ってきて」

「そうしたいんは山々やねんけどなぁ……。実は今、台所が散らかってて、店の方のキッチンで夕飯作ってしもうてなぁ。けど、見てのとおりコードやら小道具やらが散らかってて、もしこぼしたりしたら大変やろ? せやから、奏に店のテーブルで食べてもらいたいねんや」

 奏が部屋の外を見ると、マスターの言う通り、照明のコードやら、小道具やらが散乱していました。

「……じゃあ、別に後でいいわ」

 奏はそう言って、部屋のトビラを閉めようと手をかけました。

 しかし、マスターはそれを制止しました。

「まあまあ、そう言わんと。今は着替えやらメイクやらで店の方には誰も居らんしさ」

 かまわず奏はトビラを閉めようとしましたが、絶妙のタイミングで、グゥ~と奏のお腹が鳴りました。

「ほら、お腹空いてるやろ? 今日は奏の好きなハンバーグやからさ、なっ」

 マスターがやさしく微笑むと、少し顔を赤らめた奏は仕方なく、部屋からイヤホンと音楽プレーヤーを持ってきて、小道具たちに気を付けながら、段ボールで作られたコードカバーの上を伝い、すでに下げられていた緞帳の向こうの店内へと車イスを走らせました。

 奏は、季節外れの七夕の笹に一瞬、目を止めましたが、かまわずに夕飯の乗ったテーブルの前へと車イスを付けました。

 マスターは、後ろから奏の首に丁寧にナプキンを巻きながら言いました。

「ほら、誰も居らへんやろ?」

 たしかに店内には、奏とマスター以外、誰も居ませんでした。

 ……いえ、居ないように見えていました。

 しかし実は、カウンターの下には、すでに着替えとメイクを終えた姫子と可憐が隠れていました。

「よしっ、奏おびき寄せ作戦、成功~!」

 奏が静かに夕飯を食べているすぐそばで、可憐はニコニコと姫子に小さくハイタッチをしました。その時……!

 グゥゥゥ~

 と、大きな音が鳴りました。

 それは、可憐のお腹の音でした。ハンバーグの匂いにやられ、可憐もお腹が空いたようです。

「あ、マズっ……!」

 可憐は咄嗟に、そっとカウンターから顔を覗かせ、奏の様子を見ました。

 イヤホンで音楽を聴いていたのが功を奏し、奏には可憐のお腹の音は聞こえていなかったようです。

 そばに居たマスターの方が、冷や汗をかいているようでした。

 その姿を見て、可憐は姫子に「セーフ」と、両手を広げて見せました。

 姫子は苦笑いを浮かべながら、一安心したように胸をなでおろしていました。

「よし、あとは作菜さんが上から降りて来るだけや」


 一方その頃2階では。マスターが奏を店内へと誘導するまでの時間稼ぎを命じられていた七海が、絶対に作菜を下に降ろすまいと、作菜の顔に、入念にメイクを行っていました。

「……なんか今日は、ずいぶんと入念やなぁ。ゲネやねんから、ほどほどでええで」

「は、はぃ……」

 と返事しながら、まだメイクを続ける七海を、作菜は呆れ気味に笑いながら見ていました。

 部屋の片隅で探し物をする『フリ』をしながら、姫子たちからの連絡待ちをしていた明は、演技は多彩なのに、意外とウソは苦手そうな七海を見かねたように、作菜に話しかけました。

「なあ、このあたりに置いといたわたしのスマホ知らへん?」

「え? 知らへんよ。無くなったんか?」

「うん、さっきから探してんねんけど」

「一回、鳴らしたろか?」

「あ、お願い」

 と、明はポケットの中のスマホをとっさにそばの布切れたちの中へと隠しました。

 作菜が自分のスマホで明のそれの呼び鈴を鳴らすと、案の定、その布切れの中から音が鳴り響きました。

「あっ、見っけ~。こんなところに隠れてたんかぁ。ありがとう、作菜」

「あいよ。……七海? そろそろゲネ始める時間やねんけど……?」

「えっ……と……」

 七海は手を動かしながら、救いを求めるように、明を横目で見ました。

 ちょうどその時、明のスマホに連絡が入りました。

 明は小さく指で丸を作り、七海は安心したようにメイクを終えました。

 作菜はポンッと、七海の肩を叩き、「ありがとう。じゃあ、ゲネプロ始めるか」と、1階へと足早に降りて行きました。

「今回は、公演間近やからか、バレへんかったなぁ」

 作菜を見送り、一安心した明がぼそっと言いました。

 その明に、七海は申し訳なさそうに、近づいてきました。

「あの……すいません、わたし……」

「何言うてんの? 七海ちゃんのおかげで、時間稼ぎは成功や。……あとは、2人に無理やり話させるんが、吉と出るか、凶と出るか、やなぁ」

 小さくつぶやくと、明は七海をうながしながら、一緒に1階へと降りて行きました。


 さて、ここまでは姫子たちの作戦通りのようですね。

 ちなみにこの2日前、石切堂2階でどのような作戦が立てられたかというと、


 1.ゲネプロが始まる前に、奏を店内(客席)におびき寄せる。

 2.奏が店内に来るまでの間、作菜を2階に足止めする。

 3.奏にゲネプロを見せる。

 4.その後、作菜と奏に話をさせる。


 というものでした。

 2つ目まではクリアしましたので、いよいよ次は3つ目の『奏にゲネプロを見せる』ですね。さて、どうなりますことやら……。

 おや? そうこう言っている間に、作菜が2階から降りてきたみたいですよ。

 相変わらず、イヤホンを付けながら、夕飯を食べている奏は、緞帳の向こうに姉がいることに、まだ気づいていないみたいです。

 作菜も、まさか今、店のテーブルで妹が夕飯を食べているなんて思ってもいないようで、せわしく、ゲネプロを始める準備を整えています。

 そして準備を終えた作菜は、いよいよ、ゲネプロ開幕の合図を出しました!


 店内が、ゆっくりと暗闇に包まれていきます。

 幕の向こうで、息を呑みながら開幕を待つ姫子たち。

 店内で、奏を後ろから見守るマスター。

 ハンバーグの最後の1切れを口に頬張ったあと、ようやく異変に気づいた奏。

 しかし時すでに遅く、店内は完全な闇に包まれました……。

 その暗闇の中、スーという幕が上がる音が、静かに聞こえます。

 そしてまもなくして……パッと、舞台に明かりが灯りました。

 まばゆい光に目をくらませながら、奏は舞台上を見ました。

 そこには、かつて大好きだった『ヘンゼルとグレーテル』の世界が広がっていました。

 初め、あっけにとられていた奏でしたが、我に返ると、すぐさま車イスを部屋へと走らせようとしました。

 しかし、後ろにいたマスターが、その車イスの取っ手部分を掴み、制止しました。

「放してっ!」

 奏は必死にマスターをにらみましたが、マスターは首を横に振るだけで、決して手を放しませんでした。

 やがて、舞台の上では、冒頭の明のナレーションとBGMが終わり、ヘンゼルとグレーテルのお母さん(姫子)と、お父さん(七海)が現れました。

 小学生の力では大人の男性にはとうてい敵わないと悟った奏は、部屋へ戻ることを諦め、舞台から顔を逸らすようにして、音楽プレーヤーの音量をいっぱいまで上げました。

 そんな奏の姿を横目で見ながら、舞台上で演技をする姫子と七海は、自分たちの場面を終え、いよいよ次の、可憐と作菜にバトンタッチしました。

 舞台上に上がった作菜は、まるでヘンゼルが乗り移ったかのように役になりきり、すぐそばの奏の姿にも気づいていませんでした。

 そんな作菜の声が、大音量の音楽が流れるイヤホン越しにも微かに聞こえた奏は、チラッと舞台の上の姉に目を向けました。

 その瞬間、奏は、舞台から目が離せなくなってしまいました。

 その目に映ったのが、まぎれもなく、かつて自分が憧れていた、演劇を愛する姉の姿、そのものだったからです。

 そして、目から首、首から体と、徐々に舞台に向き直って行き、いつしかイヤホンも外した奏は、舞台に夢中になっていました。

 その目はただ純粋に、演劇に、演劇を愛する姉に、憧れる少女の目でした。

『奏はきっと今でも、演劇や作菜のことが好きだから、舞台に立つ作菜の姿を見てもらいたい』

 それが、姫子がゲネプロの日を作戦日に決めた理由でした。

 結果的には、姫子の狙いは大成功のようですね。

 やがて、舞台上で妹のグレーテル(可憐)が、囚われた兄のヘンゼル(作菜)を助けるために、魔女(七海)をかまどへと突き落とすクライマックスの場面がやって来ると、奏の目には、一筋の光るものが零れたように見えました。

 そんな奏の姿を、マスターや、袖から覗いていた姫子は、微笑ましく見ていました。


 そして、ゲネプロが終わり、いよいよ4つ目の項目、『作菜と奏に話をさせる』がやって来ました。


 ゲネプロを終え、素に戻った作菜は、ありえない光景に目を疑いました。

「奏……? なんで……?」

「実はずっと見てたんや。な、奏?」

「……別に見たくて見てたわけちゃうわ」

 代わりに答えたマスターに、奏は顔を逸らして言いました。

「……姫、あんたの仕業か?」

 静かな作菜の問いかけに、姫子はうなずきました。

「はい……勝手なことをしてしまって、すいませんでした……でも……」

「お姫ちゃんを責めんといて。わたしたちみんなで考えたことやねん」

 裏方ブースからやって来た明は、姫子をかばうようにして、前に立ちました。

 ため息をついて作菜が団員たちを見まわすと、可憐も七海も、マスターもうなずきました。

 作菜は怒らずに、頭を抱えました。

「あんたらはホンマに……」

「どういうこと? わたしの部屋に夕飯持って来られへんから、ここで食べろって……」

 状況がまだ読めていない奏は、マスターを見上げました。

「あ……まあ、なんて言うかなぁ……ウソやってん」

「……はぁ!? じゃあ、何? 初めからわたしにお姉ちゃんの舞台を見せるために、わたしにここでご飯食べさせたん!?」

「ごめんね、奏ちゃん。でも……どうしても、奏ちゃんに、作菜さんが演劇をしている姿を見てほしくて……」

 今度は、姫子がマスターをかばうようにして、奏に駆け寄りました。

「……また、あんたか? なんやねん? なんであんたは、わたしに拘ってくんねん? もう放っといてぇや!」

「甘ったれるなっ!!」

 怒鳴り声を上げたのは可憐でした。

 可憐はドスドスと奏に近づいて行きます。

「あんた、どんだけ自分が幸せもんか分かってんのか? こんなにみんなに……姫子や作菜さんに心配してもらって、自分がどんだけ幸せか分かってんのか!?」

「何が幸せやねん? 両親が死んで、足も動かんようになって……お姉ちゃんの夢の足手まといにまでなって……何が幸せやねん!? あんたに何が分かんねんな!?」

「わたしの夢の足手まとい……?」

 作菜がつぶやいたのにも気づかず、可憐はなおも怒りをあらわにしました。

「分からへんわっ! けどな……あんたにも分からへんやろ? たとえ家族がいても、かまってさえしてもらわれへん人間の気持ちなんて!」

「可憐ちゃん……もういいから、ちょっと落ち着いて。奏ちゃんも」

 姫子は、可憐と奏の間に入り、2人を制止しました。

 そして、奏に頭を下げました。

「奏ちゃん、ホンマにごめんなさい。わたし、奏ちゃんの言う通りアホやからさ、どうしたら奏ちゃんと作菜さんが仲直り出来るんか分からへんくて……どうしたら奏ちゃんが部屋から出て来てくれるんかが分からへんくて……それで、迷惑をたくさんかけちゃったかも知れへんけど……でも、どうしても、奏ちゃんと作菜さんに、仲直りしてほしいねん」

「……わたしがお姉ちゃんの舞台を見れば、仲直り出来るとでも思ったん? ホンマにアホやな? わたしはこの劇団が大嫌いやって、何度も言ってるやろ?」

 奏がそう言って姫子から顔を背けると、作菜は悲しげな目でうつむきました。

「……じゃあ、なんで泣いてたん?」

 姫子が小さくそう言うと、作菜は姫子に目をやりました。

「じゃあなんで、あんなに楽しそうに作菜さんの演技を見てたん? ……嫌いやったら、あんな目は出来へんよ」

「嫌いって言ったら嫌いやねんっ!」

「奏ちゃん! ……正直にならなあかんよ」

 姫子は、作菜に向き直り、続けました。

「作菜さんも、逃げないでください。じゃないと、ずっとこのままですよ……。作菜さんが教えてくれたじゃないですか? わたしと可憐ちゃんに、向き合うことの大切さを。今度は作菜さんの番です。……止まっていた時間を、今こそ、動かしてください」

 姫子は、作菜を真っ直ぐに見つめました。

 そんな姫子の視線を避けるように目を逸らす作菜の肩に、明がやさしく手を乗せました。

「作菜、もう逃げられへんよ?」

「別に逃げてなんか……苦手やねん、こういうの。それに……」

「怖くないよ。家族やねんから。ちゃんと話せば、分かりあえるよ」

 作菜が振り向くと、明は微笑みながらうなずきました。

 そしてマスターを見ると、マスターもやさしくうなずきました。

「信じてみろ、か……この2年間を、奏への想いを、仲間を、逃げずに……」

 作菜は小さくつぶやき、意を決したように、奏に歩み寄りました。

「奏……ゴメンな、この子らのために、今日は嫌な思いさせて。この子らな、めっちゃお節介やろ? わたしがいくら放っといてくれって言っても、全然聞いてくれへんでさ。ホンマ……どうしようもない劇団員や。……けど、最高の仲間やわ。こんな子らに、もうきっと、一生会われへんと思うわ。わたしの、宝物や。……奏と同じくらい、大切な、大切な、宝物や。……奏にも、好きになってもらえたらええねんけどな」

 奏は、顔を背けたまま、何も答えませんでした。

 作菜は、奏に視線の高さを合わせるように、膝立ちになって話し続けました。

「奏……なんで、わたしの夢の足手まといやって思うんや? もしかして、わたしが今でも舞台女優を夢見てるとでも思った? わたしには無理や。それより今は、奏が幸せになってくれることの方が、よっぽど夢や。……こんなことばっかり言ってるから、重たいって思われるんかなぁ? ゴメンな。わたしは、こういう生き方しか出来へんから」

 作菜が自嘲気味に笑うと、奏は口を開きました。目に、涙を浮かべて。

「ホンマに……重たくて沈んてまうわ。お姉ちゃんが大学を辞めたことも、舞台女優の夢を捨てたことも、この劇団を作ったことも……わたしにとっては、重たくて仕方なかったんや! わたしのために、わたしのためにって、お姉ちゃんが自分の人生を犠牲するのが、辛くて、苦しくて……」

 奏は言いながら、ついに涙が溢れ出し、子供のように泣きじゃくりました。

「奏……そんなに、追いつめてしまってたんか……ゴメンな、奏」

 作菜は、まるで幼い頃のように、自分の前で泣き続ける奏を、やさしく包み込むように抱きしめました。

「一生許さへんから。わたしなんかのために夢を捨てたこと。お姉ちゃんなんて、大嫌いや……」

 奏は作菜の腕の中で泣きながら、「大嫌いや。大嫌いや」と言い続けました。

 作菜は、そんな奏を抱きしめながら、「ゴメンな。ゴメンな」と言っていました。

 「大嫌い」と「ゴメン」を繰り返す2人でしたが、その2人の間には、それまでのような隔たりは、もう見えませんでした。

 泣きながら抱き合う作菜と奏を、姫子たちは、やさしく見守っていました。


 後顧の憂いが無くなった劇団おとぎの花園は、8月公演を滞りなく終え、その夜、劇団の夏休みに入る前の最後の夜ということで、一足早く、石切堂前の公演で、お盆のお迎え火を行いました。

 その場には、奏もいました。作菜に、車イスを押してもらって。

「……お母さんとお父さん、見えてるかな?」

 おがらが燃えて、立ち上った煙を見つめ、奏が小さく言いました。

「きっと見えてるわ。この空は、どこまでも繋がってるからな」

「……わたし、お母さんとお父さんが事故で死んだ時、わたしも死ねばよかったって思った。……こんな足で、お姉ちゃんの足手まといになるくらいなら、もう、一緒に舞台に立つ夢を叶えられへんくらいなら……わたし、生きてて良かったんかな?」

 作菜は、奏を後ろから、やさしく抱きしめました。

「当たり前や。生きててくれて、ありがとう。奏が生きててくれたことが、お母さんたちが奏をわたしに残してくれたことが、わたしの最高の幸運や。……奏、劇団おとぎの花園、一緒にやらへんか?」

 奏は何も答えませんでした。

「やっぱり、嫌いか? 劇団のこと」

「……嫌いなわけないやん。お姉ちゃんの劇団やねんから。けど……わたしが入ったって、なんも出来へんよ」

「出来ることからやればええねん。わたしは、奏と一緒にやりたい。そして、いつかきっと……」

 「一緒に舞台に立ちたい」というところまでは言いませんでしたが、奏にも、作菜の言葉の最後が分かっていました。

 奏は、少し考えたあとで、小さくうなずきました。

 作菜は嬉しそうに、奏の頭をくしゃくしゃっと撫でました。

 奏は、気恥ずかしそうに笑っていました。

 お迎え火の炎に照らされて……。

 そんな2人を、少し離れたところで、明が微笑ましく見つめていました。

「結局、やさしいけど不器用な姉と、そんな姉を気づかう妹の、仲が良いが故のケンカやったわけか。……やっぱり、向き合って話すのって、大事やねぇ。難しいけど」

 隣に居た姫子はうなずきながら答えました。

「……そうですね。明さんも、いつかご両親と向き合えればいいですね。わたし、明さんのことも応援しますよ」

 姫子がニコッとすると、明はやさしくうなずき、愛おしそうに姫子を抱きしめました。

「ありがとう~」

「お~い、花火しよ~」

 すっかり昨日の怒りが収まった可憐は、相変わらずの賑やかな笑顔を振りまきながら、お迎え火のあとにする予定だった線香花火を七海と一緒に持って、走って来ました。

 姫子は、あのあと、可憐には何も聞きませんでした。いつか、可憐が自分の口から、家族のことを教えてくれると信じていたからです。

 線香花火がバチバチっと燃える様子を楽しそうに見つめる可憐を、姫子はやさしく見つめていました。

 もう辺りには、秋を告げる鈴虫の鳴き声が響き渡る、涼しい夜のことでした。



 さてさて、ようやく作菜と奏が仲直りすることができ、おとぎの花園も6人になりましたね。

 そういえば姫子は、あの短冊を奏に渡すことは出来たのでしょうか?

 それも、次回、分かるかもしれませんね。

 次からはいよいよ後半戦です。どんなことが待っているのでしょうか?

 それではまた、次の幕でお会いしましょう。では。



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