国家の手
交差点を渡りきったところで、黒塗りの車が静かに横付けされた。
艶のあるボディに、余計な装飾はない。だが一目で分かる。
「一般車」ではない。
後部座席の窓が、音もなく下がる。
「天宮朔也さんですね」
落ち着いた声だった。
視線を向けると、スーツ姿の女性がこちらを見ている。二十代後半ほど。
髪は後ろで一つにまとめられ、目は涼しげに細い。整った顔立ちだが、どこか鋭い。
――この世界基準なら、あまり評価されない顔かもしれない。
だが前の世界なら、間違いなく「美人」と呼ばれていた部類だ。
彼女は車から降り、俺の前に立った。
「男性保護庁、特別管理課の神代紗良です」
差し出された名刺は、厚みのある上質な紙だった。
金色のエンブレム。国家紋章。
周囲の通行人が、さらにざわめく。
「男性保護庁」
口に出すと、現実味が増す。
「本来であれば事前連絡のうえでお迎えにあがる予定でしたが、今回の測定結果は例外です」
神代は淡々と告げる。
「SSS+。過去十年で最高値。あなたは本日より、国家指定希少男性として登録されます」
登録。
まるで資産だ。
「俺の意思は?」
問いかけると、神代はわずかに目を細めた。
「もちろん尊重されます。ただし、安全確保は義務です」
義務。
その言葉に、妙な重さがあった。
彼女は周囲を一瞥する。
通行人の女性たちは、遠巻きにこちらを見つめている。
スマホを構える者。頬を染めている者。あからさまに距離を縮めようとする者。
さっきまで感じていた優越感が、少しだけ形を変える。
これは、ただの人気ではない。
“希少資源”としての扱い。
「現在、日本の出生率維持政策の一環として、男性の社会的価値は極めて高く設定されています」
神代は事務的に説明する。
「無許可の接触、無断撮影、過度な接近は法律違反です」
だが、と彼女は小さく息を吐いた。
「現実には、完全に取り締まれているわけではありません」
視線が、一瞬だけ柔らかくなる。
その意味が分かる。
欲望は、法律では止まらない。
俺は自分の手を見る。
この手は、昨日まで笑い者だった。
今は、守られる対象。
滑稽だ。
「車に乗ってください」
神代が後部ドアを開く。
「まずは庁舎へ。生活環境の確認、住居の安全対策、今後の進学先の調整を行います」
「進学先?」
「男神特区大学」
聞き慣れない名前だ。
「男性専用管理区域を備えた、国内最大の希少男性保護学園です」
車内に乗り込むと、ドアが閉まり、外のざわめきが一気に遠のいた。
静寂。
エンジン音だけが低く響く。
窓の外で、女性たちがこちらを見送っている。
羨望と、焦燥と、抑えきれない衝動。
その視線を、ガラス越しに受け止める。
怖くはない。
むしろ、心地いい。
「慣れていますね」
神代がぽつりと呟いた。
「何が」
「視線です。大抵の男性は、怯えます」
俺は窓の外から目を離さない。
「怯える理由がない」
本音だった。
前の世界で浴びた視線に比べれば、これは祝福だ。
神代は少しだけ黙り込む。
胸の奥が、わずかに軋む。
公開処刑。
炎上。
笑い声。
あの教室の湿った空気。
「今の状況は、反動が大きい。精神的なケアも必要です」
優しさではない。分析だ。
俺は初めて彼女をまっすぐ見る。
整いすぎた目元。冷静な瞳。
「心配してるのか?」
「管理対象としてですが」
即答。
その正直さに、少しだけ笑いそうになる。
車は高架を走る。
遠くに見えるビル群の上に、大型モニターが設置されている。
そこに映し出されていたのは。
【速報:歴代最高美形判定男性、詳細発表へ】
シルエットが大写しになる。
俺だ。
顔はまだぼかされている。だが時間の問題だろう。
心臓が高鳴る。
恐怖ではない。
昂揚。
世界が、俺を知ろうとしている。
前の世界では、名前が拡散されたのは嘲笑と一緒だった。
今は、期待と一緒だ。
車が庁舎に滑り込む。
重厚な門。厳重な警備。
敷地内は静かで、外界と切り離された空気が漂っている。
ドアが開く。
足を踏み出すと、空気が変わった。
数人の女性職員が整列している。
視線が一斉に集まる。
誰も声を上げない。
だが、息を呑む音が揃う。
その反応が、胸を満たす。
俺は、知っている。
これは偶然ではない。
選ばれたわけでもない。
ただ、ルールが変わっただけだ。
顔が、価値になる世界。
だったら。
俺は、このルールの頂点に立つ。
守られるだけじゃない。
利用する。
与えるふりをして、奪う。
救うふりをして、支配する。
神代が先導する。
「こちらへ」
廊下の奥、ガラス張りの会議室。
ドアの前で足を止める。
「ここから先は、あなたの人生が変わります」
静かな声。
俺は、ゆっくりと笑う。
「もう変わってる」
ドアが開く。
白い光が差し込む。
その先にあるのは、保護か、支配か、それとも――
復讐の舞台か。
俺は一歩、踏み出した。




