「玲奈のまっすぐさ」
その夜、桐生朔也は玲奈のメッセージへすぐには返せなかった。
**今日、会える?**
たったそれだけだ。
玲奈らしい、まっすぐで、余計な飾りのない文面。
少し前までなら、その一行を見ただけで体のほうが先に動いていた。会いたい、抱きたい、触れたい。そういう熱が、ほとんど反射みたいに立ち上がっていた。
今も、ゼロではない。
玲奈を思い出せば、首筋も、胸元も、声も、全部すぐ蘇る。
あのわかりやすい熱は、やっぱりまだ強い。
でも、指が止まる。
冬月書房の静けさを思い出したせいかもしれない。
あるいは、玲奈の「ちゃんと決めて」という言葉がまだ胸のどこかへ残っているせいかもしれない。
どちらにしろ、このまま曖昧に会うのはよくない。
そう思う自分がいる。
なのに。
**会いたいなら、行く**
と打ってしまう自分もいる。
送信。
数秒後、既読。
さらにそのすぐあと。
**うれしい**
その二文字だけで、腹の底が少し熱くなる。
最悪だな、と朔也は思う。
自分でよくないと思っているくせに、結局、玲奈の熱を前にすると切りきれない。
◇
待ち合わせは、前より少しカジュアルな場所だった。
ホテルではない。
けれど、長くいれば結局どこかで二人きりになれるだろうと、そういう前提が透けて見える店。
玲奈はその曖昧さごと、ちゃんと使ってくる。
先に着いていた玲奈は、朔也を見るなり少しだけ表情を緩めた。
その顔を見た瞬間、胸の奥がちくりとする。
嬉しそうだ。
それがわかるから痛い。
「来てくれた」
玲奈が言う。
「行くって送っただろ」
「そうだけど、でも、来るまでは半信半疑だった」
「何で」
「最近の朔也くん、ちょっと遠いから」
その言い方は責めるほど強くない。
でも、軽くもない。
朔也はすぐには返事ができなかった。
席につく。
注文をする。
雑談をする。
でも会話の表面は軽くても、底には別のものが沈んでいるのがわかる。
玲奈は今日、確認しに来ている。
まだ自分が欲しいのか。
まだ自分を見ているのか。
そこを確かめに来ている。
「ねえ」
飲み物が運ばれて少ししたあと、玲奈がストローを回しながら言った。
「今日の私は、ちゃんと見えてる?」
「…何だよそれ」
「そのままの意味」
玲奈がまっすぐこちらを見る。
「最近、たまに“誰でもいい”って顔してる時あるから」
その一言は、思ったより深かった。
朔也は言葉に詰まる。
図星だからだ。
誰でもいい、はたぶん言いすぎだ。
玲奈は玲奈で欲しいし、麗華は麗華で違う。紗良もそうだ。
でも、“誰をちゃんと見ているか”と問われると、自信がない。
相手の体や反応を先に拾って、感情のほうがあとから来る。
その順番の狂いが、もう玲奈には見えている。
「…そういう顔してた?」
「してた」
即答だった。
玲奈は、そういうところで変に優しく嘘をつかない。
「傷つく?」
朔也が聞くと、玲奈は少しだけ考えるように視線を落とした。
「傷つくよ」
「…」
「でも、それでも会いたいと思うくらいには、好き」
その言い方が、あまりにもまっすぐで苦しい。
玲奈はいつも熱い。
欲しがることも、触れたいことも、会いたいことも隠さない。
けれどその熱の芯にあるのは、ただの快楽だけではなかったのだと、最近の朔也はもうわかっている。
玲奈は、本気だ。
それがわかるたび、今まで自分がどれだけ雑にこの女の熱へ甘えてきたかを思い知る。
「…帰る?」
玲奈がふいに言う。
「え」
「今の顔見てたら、そんな気もしてきた」
冗談じゃなく、本気で言っている顔だった。
「朔也くんがそうしたいなら、今日は帰る」
「…」
「でも」
玲奈は、そこで少しだけ笑った。
「それでも、少しは私のこと欲しいなら、残る」
選ばせるなよ、と思う。
でも玲奈はずっとこうだ。
欲しいものを欲しいと言う。
自分が傷つく可能性があっても、そこを曖昧にしない。
だから、朔也のような曖昧な男は余計に追い詰められる。
「…欲しいよ」
気づけば、そう言っていた。
玲奈の睫毛が揺れる。
「それ、今言われるとずるい」
「本当だから」
「じゃあ、なおさら」
玲奈は小さく息を吐いて、それから立ち上がった。
「行こ」
その一言で、もう今日はそういう夜になるのだとわかる。
◇
部屋に入った瞬間、玲奈が振り返る。
前みたいな勢い任せではない。
今日は少しだけ、確かめるみたいに近づいてくる。
「ほんとに?」
「何が」
「今日の私でいいの」
その問いの意味を、朔也はすぐに理解してしまう。
今日の私。
他の誰でもなく、熱を埋めるための一人でもなく、玲奈でいいのか。
そこを問われている。
「…よくないなら来てない」
朔也がそう返すと、玲奈は少しだけ寂しそうに笑った。
「その言い方だと、まだちょっと足りない」
「面倒くさいな」
「そうだよ」
玲奈は認めた。
「好きな相手には、面倒くさくなるの」
その一言が、妙に重い。
でも、そこで逃げる気にもなれなかった。
逃げたら、たぶんもっと最低になる。
朔也は自分から玲奈の腰へ手を回した。
細い。
何度も抱いているのに、まだそのたびに少し熱くなる。
「っ…」
玲奈の呼吸が揺れる。
「そういうの、やっぱ反則」
「何で」
「触り方が、ちゃんと欲しい時のやつだから」
玲奈はそのまま額を軽く朔也の胸へ預けた。
「私、わかるんだよ」
「何が」
「今、ただ埋めたいだけなのか、ちゃんと私を見てるのか」
その言葉のあと、玲奈が顔を上げる。
「今は、どっち?」
逃げられない問いだった。
たぶん、両方ある。
玲奈の体は欲しい。
首筋も、胸元も、声も、抱けば崩れる顔も欲しい。
同時に、こうして聞かれるとちゃんと玲奈を見ている自分もいる。
でも、“ちゃんと見ている”だけでは足りない。
それが玲奈の求めているものだ。
「…今は、玲奈」
絞り出すみたいに言う。
その答えに、玲奈は少しだけ目を閉じた。
「今は、か」
「…」
「でも、今は私なんだ」
自分で言葉を受け止めるみたいに小さく繰り返して、それから玲奈は自分からキスしてきた。
いつもの玲奈より少し静かなキスだった。
熱いのに、どこか確かめるみたいで、余計に苦しい。
朔也はそのまま玲奈の頬を包み、深くする。
玲奈の指がシャツを掴む。
いつものように呼吸が乱れる。
首筋へ唇を落とすと、肩が揺れる。
「っ…」
わかっている反応。
知っている場所。
そのことに、少しだけ安心してしまう自分がいる。
朔也の手が胸元へ落ちる。
服の上から形を確かめるように触れると、玲奈が小さく声を漏らした。
「…ほんと、胸が好きだよね」
「悪い?」
「悪くない」
玲奈が少し笑う。
「私も、そうやって見られるの好き」
そう言っておきながら、ちゃんと赤くなる。
その反応を見ると、やっぱりもっと欲しくなる。
ワンピースの肩をずらす。
首筋へ、鎖骨へ、熱を置く。
玲奈の体温が上がっていくのが、触れているだけでわかる。
「ねえ…」
「何」
「今だけでも、私だけ見て」
首筋へ顔を埋めたまま言われる。
朔也は答えなかった。
答えないまま、もう一度、強く抱き寄せた。
それが返事になると、たぶん玲奈は思ったのだろう。
そのまま、二人の距離はまた熱のほうへ沈んでいく。
◇
終わったあと、玲奈はしばらく何も言わなかった。
シーツへ半分埋もれるみたいに横になって、呼吸だけを整えている。
その横顔を見ながら、朔也は胸の奥がじわじわ重くなるのを感じていた。
満たされた。
たしかに満たされた。
玲奈を欲しいと思ったし、実際に抱いた。
それは嘘じゃない。
でも、その熱が引き始めると同時に、また別のものが浮いてくる。
静かな本屋。
何も起きない時間。
冬月澪の、熱のない声。
それが混じるたび、玲奈の隣にいる自分が少しだけ嫌になる。
「…朔也くん」
玲奈が、天井を見たまま言う。
「うん」
「今日、ちゃんと私だったよ」
その言葉に、朔也は返事ができなかった。
「だから、余計にわかる」
玲奈がゆっくりこちらを向く。
「今のこれはずっとは続かない」
目が合う。
玲奈は泣いていない。
でも、泣かないぶんだけ、はっきりしている。
「…玲奈」
「いいよ、今は」
玲奈は小さく笑った。
「だって、今の私はちゃんと欲しかったんでしょ」
「…」
「それなら、それは嘘じゃないから」
そう言える玲奈は強い。
そして、その強さが今の朔也には少し痛い。
「でも次は」
玲奈が言う。
「もっとはっきりしてるかもしれない」
その“はっきり”が何を指しているのか、聞かなくてもわかる。
自分が誰を見ているか。
誰を選ぶのか。
そこがもう、曖昧では済まなくなる。
「…ごめん」
また謝ってしまう。
玲奈は少しだけ眉を寄せる。
「それ、ほんとやめて」
「…」
「謝られると、終わりみたいでむかつく」
その言葉に、朔也の喉が詰まる。
玲奈はむかつくと言いながら、怒鳴らない。
泣きつきもしない。
ただ、まっすぐ傷ついている。
そのまっすぐさが、今まで抱いてきたどの熱よりも重く感じた。
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