心が壊れる音
透子が講義を休んだのは、その三日後だった。
最初は偶然かと思った。
だが二日目も姿がない。
三日目、学内SNSに小さな投稿が上がる。
【白鳥透子、体調不良で欠席】
それだけの情報。
だが、その裏側を知っている者は多い。
俺のスマホにも通知が届く。
ひよりの配信は、完全に炎上していた。
《王様ひどすぎ》
《透子メンタル崩壊?》
《既読スルーは精神的な暴力でしょ》
言葉が鋭くなる。
正義感をまとった批判は、容赦がない。
俺はベッドに座り、画面をスクロールする。
感情は湧かない。
ただ、情報として処理する。
炎上は想定内。
派閥の摩擦は必然。
それでも。
透子がいない教室は、妙に空間が広く感じた。
彼女がいつも座っていた席が、空いている。
そこだけ、空気が薄い。
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夕方。
透子から、ようやくメッセージが届く。
《少し疲れちゃいました》
短い。
装飾も、絵文字もない。
俺は画面を見つめる。
返信を打ちかけて、止まる。
なんて書く。
“大丈夫?”
だと軽い。
“会いに行く?”
それだと重い。
俺は、なぜ迷っている。
今までなら、計算で選べた。
揺らすか、安心させるか。
だが今は。
胸の奥に、わずかな圧迫感がある。
透子の泣き顔が、はっきりと浮かぶ。
図書館で、俺の一言で崩れたあの日。
あの涙は、俺が与えたものだった。
なら、今の崩れも。
俺が与えたものか。
スマホを伏せる。
考えるな。
これは構造だ。
依存は、波がある。
揺れて、深まる。
そう理解しているはずだ。
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翌日。
生徒会室の空気は重い。
麗華は机の前に立ち、俺を真っ直ぐ見ている。
「透子が倒れました」
短い報告。
胸の奥が、ほんの一瞬だけ強く打つ。
「倒れた?」
「軽い過呼吸です。命に別状はありません」
別状はない。
その一言に、わずかに安堵する自分がいる。
「あなたの返信を待っていたそうです」
麗華の声は静かだ。
責める調子ではない。
だが、重い。
「……」
言葉が出ない。
麗華は続ける。
「あなたはこの世界の中心です」
「分かってる」
「分かっていない」
即答。
その強さに、思わず視線を上げる。
「あなたは傷つける側でいられる。でも、傷つけられる側は、自分を失う」
静かな声。
だが、確実に刺さる。
「透子は、あなたの一言で世界を決めている」
世界を決めている。
その表現が、胸に残る。
俺は椅子に深く座る。
「俺は、何も強制してない」
事実だ。
縛っていない。
契約も、順番も、合意の上だ。
「それでも」
麗華は言う。
「あなたの沈黙は、拒絶より重い」
部屋の空気が止まる。
沈黙。
拒絶より重い。
既読のまま、返さなかった夜。
透子は、何度画面を見ただろう。
俺はその時間を、快感として受け取った。
その記憶が、はっきりと蘇る。
胸の奥に、初めて“痛み”に似た感覚が走る。
少しだけだ。
だが、確実に。
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夜。
ひよりが謝罪配信をする。
「軽い気持ちで言っただけだった」
涙を浮かべながら、頭を下げる。
コメント欄は分裂する。
擁護と批判。
火は消えない。
炎上は、もう制御不能に近い。
俺の名前も、何度も呼ばれる。
王。
冷酷。
操作。
その単語が並ぶ。
俺は画面を閉じる。
静かな部屋。
透子のことを考える。
考えたくないのに、浮かぶ。
ベッドの端に座る。
スマホを手に取る。
透子の名前を開く。
指が、止まる。
ここで“ごめん”と言えば、少しは楽になる。
だが、それは俺のためだ。
彼女のためか。
分からない。
由愛の声が、鮮明に蘇る。
「あなた、誰も好きじゃないよね」
違う。
好きだ。
……好き、なのか?
透子が傷ついたと聞いて、胸が痛んだ。
それは罪悪感か。
それとも、所有物に傷がついた不快感か。
その区別がつかない。
それが、一番怖い。
俺はメッセージを打つ。
《明日、会おう》
送信。
既読はすぐにつかない。
部屋は静まり返る。
待つ側に回る。
わずかな時間が、やけに長い。
胸の奥の空洞が、少しだけ広がる。
王は、何事にも揺らがないはずだった。
なのに今、わずかに気持ちが揺れている。
それが、初めての違和感だった。




