醜男の目覚め
白い天井が、ぼんやりと滲んでいる。
消毒液の匂い。規則的な電子音。遠くで鳴るアナウンス。
ゆっくりと意識が浮上してくる。
ここは、病院だ。
身体を起こすと、筋肉の感覚が微妙に違うことに気づいた。軽い。
余計な重さが削ぎ落とされたような感覚。
視界の端に置かれた鏡に、何気なく目を向ける。
そして――止まった。
「は?」
映っているのは、自分のはずの顔。
だが違う。
輪郭が引き締まり、鼻筋が通り、目の形が整っている。
肌は滑らかで、以前の自分にあった凹凸や歪みが、綺麗に均されている。
別人だ。
だが、完全に別人というわけでもない。
「自分が理想化されたらこうなるかもしれない」という、悪夢みたいな現実。
そのとき、看護師が声をかけてきた。
「目が覚めましたね。体調は――」
彼女は途中で言葉を止めた。
目が、明らかに見開かれている。
呼吸が浅くなる。喉が鳴る。
その視線が、自分の顔に固定されているのが分かる。
前の世界で向けられていた視線とは、質が違う。
拒絶ではない。
欲望だ。
「どうかしました?」
そう尋ねると、彼女は慌てて視線を逸らした。
「い、いえその、さすがですね」
「さすが?」
彼女は困ったように微笑む。
「ご自覚、ないんですね」
何のことだ。
違和感が積み重なっていく。
病室のテレビが、ちょうどニュースを流し始めた。
『本日、都内で発見された男性の希少美形判定について続報です』
男性。
希少。
画面にはテロップが躍る。
【男女比1:500社会における歴代最高ランク】
思考が一瞬止まる。
男女比1:500?
聞き間違いか?
「男女比1:500社会…歴代最高ランク?」
無意識に呟くと、看護師が驚いた顔をした。
「え?ご存知ないんですか?」
その反応のほうが、理解不能だった。
「現在、日本の男女比はおよそ1:500です。男性は国家保護対象です」
言葉が、現実味を持たない。
冗談だろう。
だが、彼女の表情は真剣だ。
俺はベッド脇に置かれていた自分のスマホを手に取る。
電源を入れる。
ロック画面の表示が、見慣れない。
日付は合っている。
だが通知欄には、見覚えのないアプリが並んでいた。
【男性保護庁公式アプリ】
【希少男性ランク速報】
【男神特区大学入学案内】
嫌な汗が滲む。
ブラウザを開く。
検索欄に打ち込む。
『男女比 日本』
エンターを押す。
表示されたトップ記事。
【総務省統計:国内男女比は1:487〜1:512で推移】
スクロール。
【男性人口の希少化に伴う法整備の歴史】
【男性保護基本法制定から10年】
指が止まらない。
さらに検索。
『美醜 逆転 社会』
オートサジェストが即座に候補を出す。
【なぜ整った顔は低評価なのか】
【現代美基準と進化心理学】
【面長・骨太顔の優位性】
まとめサイトを開く。
そこには画像付きで解説が並んでいた。
「現代社会では、過度に左右対称で小顔の顔立ちは“威圧的”とされ、好感度が低い傾向がある」
「団子鼻・広い輪郭・骨太体型が親しみやすさと安定性の象徴」
笑ってしまいそうになる。
いや、笑えない。
さらにSNSを開く。
トレンド入りしているワード。
【SSS+男性】
【歴代最高顔面】
【国宝級男子】
その中に、自分の写真があった。
ぼかしはかかっているが、明らかに俺だ。
コメントが流れていく。
《見ただけで震えた》
《この人に選ばれたい》
《整いすぎてるのに、なんでこんなに魅力的なの》
整いすぎてる。
前の世界なら、それは最高の褒め言葉だった。
だがこの世界では、それが低評価の理由になるらしい。
なのに、俺は例外。
“整いすぎているのに高評価”。
特異点。
喉が渇く。
水を飲みながら、もう一度鏡を見る。
これが――価値のある顔。
前の世界で笑われた顔の、延長線上にあるとは思えない。
胸の奥に、ゆっくりと何かが広がる。
あの教室の笑い声。
あのコメント。
あの言葉。
気持ち悪い男は存在が迷惑。
だったら今は?
存在するだけで、価値。
指先が、わずかに震える。
怖いのか?
違う。
昂揚だ。
俺はスマホを握りしめたまま、天井を見上げる。
世界は変わった。
いや。
価値基準が、反転しただけだ。
顔で決まる世界。
それは前と同じ。
立場が入れ替わっただけ。
だったら。
今度は、俺が選ぶ。
救うふりをして、支配する。
価値を与えるふりをして、奪う。
スマホの画面に、自分のぼかされた顔が映る。
その奥で、俺は静かに笑った。
これは奇跡じゃない。
これは――機会だ。
俺が、選ぶ側になるための。
スマホを持つ手が、じわりと汗ばむ。
画面の光が、妙に白く感じられる。
情報は次々と流れ込んでくるのに、頭の中が追いつかない。
それでも指は止まらなかった。止めたら、全部が夢に戻ってしまいそうだったからだ。
検索履歴がどんどん増えていく。
『男性 保護法 内容』
『男性 接触 罰則』
『男神特区大学 とは』
法律解説サイトを開く。
【男性保護基本法 第三条:希少男性への無許可接触は重過失として処罰対象】
【第四条:希少男性の進学・就労は国家管理下で優遇措置を受ける】
スクロールするたび、世界の輪郭がはっきりしていく。
男性は“守られる側”。
女性は圧倒的多数。
婚姻制度は一夫多妻制が合法。
希少男性は社会的資産。
まるで、何かのディストピア小説みたいな社会構造が、現実として整然と並んでいる。
息が浅くなる。
頭の奥で、過去の記憶が弾ける。
教室で笑われた日。
下駄箱に入っていた匿名のメモ。
「身の程を知れ」という文字。
あの時の俺は何だった?
不要物。
空気を濁す存在。
視界に入るだけで不快だと言われる側。
今は?
法律で守られる存在。
優遇される側。
必要とされる側。
唇が、無意識に歪む。
だがそれは純粋な喜びではない。
胸の奥で、別の感情が混ざり始めている。
――利用できる。
その言葉が、はっきりと形になる。
俺はSNSを開く。
タイムラインには、俺に関する憶測が溢れている。
《まだ顔公開されないの?》
《早く拝みたい》
《この人に選ばれたら人生勝ち組》
選ばれたら、勝ち組。
そのフレーズが妙に耳に残る。
前の世界では、俺は選ばれない側だった。
恋愛は常に“オーディション”で、俺は一次審査すら通らない。
だが今は。
俺が、審査する側。
たったそれだけの違い。
それなのに、世界の色が変わる。
ベッドに腰掛けたまま、深く息を吐く。
鏡を見る。
整った輪郭。
余計な肉のない顎。
バランスの取れた目鼻立ち。
これが、この世界の“特異点”。
だが同時に、ネットの記事にはこうも書いてある。
「過度に整った顔立ちは威圧的と捉えられやすい」
「安定感や包容力を感じさせる骨太顔が主流」
つまり、この顔は本来、主流ではない。
なのに俺はSSS+。
例外。
選ばれた存在。
いや、選ばれるように仕組まれた存在。
指が止まる。
ふと、あることに気づく。
前の世界でも、この世界でも。
“顔がすべて”というルール自体は変わっていない。
ただ、評価基準が逆転しただけだ。
ならば。
これは復讐ではない。
同じルールで、立場が入れ替わっただけ。
その事実が、妙に冷静な感情を呼び起こす。
俺は笑われた。
今度は、笑う側に回る。
だが――
本当にそれでいいのか?
一瞬だけ、疑問が浮かぶ。
すぐに消す。
迷う理由がない。
あの夜、俺は願った。
選ぶ側になりたい、と。
願いは叶った。
ならば。
徹底的に、利用する。
救うふりをする。
優しくする。
価値を与える。
その代わり。
俺の前で、揺れてもらう。
スマホの画面を閉じると、病室は急に静まり返った。
外では車の音が遠くに響いている。
世界は変わった。
いや。
俺の立ち位置が、変わった。
ゆっくりとベッドから立ち上がる。
床に足をつけた瞬間、身体が軽いことを改めて実感する。
重さがない。
まるで、生まれ変わったみたいだ。
鏡の前に立つ。
真正面から、自分を見る。
「悪くない」
声に出してみる。
その言葉が、こんなに自然に出てくる日が来るとは思わなかった。
悪くない。
どころか。
圧倒的だ。
胸の奥で、何かが確信に変わる。
これは奇跡でも罰でもない。
チャンスだ。
与えられたカードが強いなら、
徹底的に勝ちにいく。
もう二度と、教室の真ん中で笑われる側には戻らない。
俺は、選ばれるために存在するんじゃない。
選ぶために、存在する。
ゆっくりと目を閉じる。
胸の奥で、あの黒い願いが、はっきりと形を持つ。
――今度は、俺が世界を値踏みする番だ。




