価値を与える
透子の涙は、翌日にはもう“噂”になっていた。
学内SNSのタイムラインは、白鳥透子の名前で埋まっている。
【透子、SSS+様に褒められる】
【整い顔なのに選ばれた?】
【あれって本命?】
“選ばれた”。
その単語が、妙に繰り返される。
俺はスマホを伏せる。
まだ何も選んでいない。
契約もしていない。
特別扱いしたわけでもない。
だが、この世界では違う。
SSS+の男に言葉をかけられた瞬間、それは“価値の付与”になる。
本人の意思とは関係なく、序列が動く。
それが、この世界の構造だった。
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午後の図書館は静かだった。
高い天井。
本棚の間を流れる柔らかな空調音。
ページをめくる小さな音。
その奥の閲覧席で、透子は一人座っていた。
姿勢は真っ直ぐだが、落ち着きがない。
両手を膝の上で揃えているが、指先がかすかに震えている。
俺が椅子を引く音に、肩が小さく跳ねた。
顔を上げる。
目が合う。
その瞬間、彼女の呼吸が止まる。
「来てくれると思ってました」
声は小さいが、はっきりしている。
期待と、不安。
どちらも隠しきれていない。
「来ないと思ったのか?」
わざと、少しだけ間を置いて尋ねる。
透子は視線を落とす。
「少しだけ」
その“少し”の中に、長年の自己評価が詰まっている。
この世界で、彼女は低評価側だ。
整いすぎた顔。
華奢すぎる体。
儚すぎる雰囲気。
“主流じゃない”。
それだけで、価値が低いとされる。
前の世界で、俺がそうだったように。
俺は椅子に深く座らず、少し前傾姿勢になる。
距離を詰める。
逃げ場を作らない距離。
「昨日のこと、気にしてるのか?」
透子の指先がぎゅっと握られる。
「はい」
正直だ。
「どうして」
「だってあんなこと、言われたの初めてで」
喉が震える。
「私、可愛くないから」
その言葉は、長年繰り返してきた自己暗示だ。
誰かに言われたのか。
周囲の空気で悟ったのか。
はっきりしないまま、自分に刷り込んだ言葉。
俺は、視線を逸らさない。
「俺は、そうは思わない」
静かに言う。
断定は強すぎない。
だが、曖昧でもない。
透子の瞳が揺れる。
「どうして」
「俺の基準だから」
この世界の基準ではない。
“俺の基準”。
それが彼女の心を、正面から撃ち抜く。
透子の目に、涙が浮かぶ。
こぼれそうで、こぼれない。
必死にこらえている。
「でもみんなは」
「みんなは関係ない」
遮る。
「俺がどう思うかが、全部だろ」
その瞬間、透子の世界が狭まる。
“みんな”という曖昧な評価軸から、“俺”という一点へ。
依存の入り口。
透子の頬を、静かに涙が伝う。
「嬉しい」
その声は、ほとんど息だった。
図書館の静けさの中で、その一言だけが鮮明に響く。
胸の奥に、甘い感覚が広がる。
救った。
違う。
価値を与えた。
言葉一つで。
彼女の自己評価を、塗り替えた。
俺は、何も失っていない。
ただ、言葉を与えただけ。
それなのに、彼女はこんなにも揺れる。
「また話してくれますか」
透子が言う。
涙を拭きながら、こちらを見る。
不安と希望が、同時に宿っている。
俺は少しだけ考えるふりをする。
沈黙。
透子の呼吸が早くなる。
「君が話したいなら」
曖昧な承諾。
拒絶しない。
だが確約もしない。
透子は強く頷く。
「話に行きます」
その声は、さっきよりも強い。
決意が混じっている。
俺の言葉を、軸にしようとしている。
その変化が、はっきり分かる。
図書館を出ると、廊下の空気が少しざわついている。
何人かがこちらを見る。
透子の目元が赤いのに気づいている。
すでに、噂は広がるだろう。
俺はガラス窓に映る自分を見る。
整った顔。
落ち着いた表情。
胸の奥で、確信が芽生える。
これは、気持ちいい。
前の世界で、俺は否定された。
価値がないと笑われた。
今は違う。
俺が価値を決める。
俺が選ぶ。
俺の言葉で、誰かの立場が変わる。
透子の背中が、小さく見える。
だがその背中は、もう昨日とは違う。
俺の一言で、彼女は少しだけ世界の上に立った。
その事実が、甘く、静かに胸を満たす。
――これが、優越。
そしてその優越は、ゆっくりと陶酔へ変わり始めていた。




