09
王都について2週間、到着したその日のうちに衣装の色合わせが行われ、ベルガルドは高位貴族のマナー教本の実地訓練と、ダンスの作法のおさらいに明け暮れていた。
アデリーヌは何やらあちこちに手紙を送りまくっている。
この2週間で何とか食らいついて、見れるようになったと評されたベルガルドを伴い、次の2週間はひたすらに茶会と慰問が続く。
すでに戦争の開始と、北壁騎士団の先陣を切る旨が周知されており、王城の大夜会を経て、必要があればさらなる茶会を1週間ほどで終えて、北壁へ帰還する予定となっていた。
ベルガルドにとってアデリーヌとの茶会の練習や、ダンスレッスンは良い気晴らしだ。今まで意識したこともなかったが、アデリーヌはやはり自分よりずっと小柄な女性で、細い腰を支えるたびにドキリと胸が高鳴る。
そうして、やはり思うのは、王城にいるであろうベルガルドの姫、いや、いまや一人の男として恋い慕うレティシア嬢のことであった。
ふわりと光を放つ柔らかそうな髪や、まるくふっくらとした桃色の頬に触れたいと願ってしまった。
長い睫の下からのぞく煙る紫水晶のような瞳で見つめられると、言葉の全てが無意味に感じて、ベルガルドはそう多くはない貴重な時間を沈黙のまま終えてしまうこともあった。
王都に来たからと言って、会えるわけではない。
レティシア嬢は早くから王城に住まいを移しており、王城に報告へ向かう用事などないのだから会えなくて当たり前なのだが。
近くにいる分、余計に遠く感じてもどかしい思いを抱えている。
たかが男爵のそれも居てもいなくても同じような四男の自分には不相応で、王城についていく必要の無い副団長になった時には少しホッとする気持ちさえした。
しかしそれも、王都まで来てしまえば話は別。
王城の大夜会で一目でも姿を見ることが出来ないか期待してしまう浅ましい自分がいる。
レティシア嬢は、いま何をしているのだろうか。
王城を遠くに眺めることの出来る窓がある客室に通されてからずっと、ベルガルドは暇さえあれば窓から城を見つめていた。
レティシア嬢と初めて出会ったのは、本当に偶然だった。
「まぁ、初めて見る制服ですわ。失礼ですが、どちらの騎士の方でございましょうか?」
話しかけてきたのはレティシア嬢付きの侍女で、アデリーヌに伴われてやってきたが騎士団長の部屋の前で待機していたベルガルドは頭を下げたまま固い声で答えた。
「は、北壁騎士団より参りました」
本来ならこの後に身分と、名前を言わなければいけないというのに、初めて尊い方と話しているという事実に全ての作法がすっ飛んでしまっていた。吹けば飛ぶような男爵家の人間など、皆こんなものだろう。
「やあ、レティシア嬢。ご機嫌麗しゅう」
そんな自分を助けてくれたのが、先だって北壁騎士団を尋ねてきたらしい、王都騎士団の副団長シェイマスである。
騎士団長室からアデリーヌを送り出すところだったらしい。アデリーヌと自分をレティシア嬢に紹介してくれ、ベルガルドはようやくその人と顔を合わせた。
その瞬間、世界に色がついたとベルガルドは思った。
今まで色だと思っていた全てが色あせ、レティシア嬢だけが自分の世界で鮮やかに色づいている。
しかし、いずれ尊い身分に立つ女性と比べて、自分の立つ足場はあまりにも脆く、遠い。
これは騎士が姫君に捧げる愛なのだと誤魔化そうとして、その誤魔化しさえ、アデリーヌにあっさりと暴かれて。
偶然とは言えないほど、王城を訪れるたびに出会うレティシア嬢に期待してしまう自分がいる。
触れるわけでもない、距離感を保ちながら、適切な会話だけを重ねて。
しかし何度も、このままこの人をさらってしまいたいと足が動きそうになる自分をベルガルドは知っていた。
これから自分は戦争に向かうというのに。
血まみれの手で、人をあやめた手で、触れて良い人ではないというのに。
ベルガルドの心はレティシアだけを求めてしまう。
手が届かないからこそ、諦められないからこそ、離れているべきだと言い聞かせるために、マナーの練習に没頭することになった。