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広い庭に整えられたガゼボで赤い髪の娘、アデリーヌが柔らかく幸福そうな笑みを浮かべている。
「父上、あの男は、ベルガルドはね」
アデリーヌの父であるペイシェル伯爵は、春が来れば戦争に向かう娘の「1時間だけ自分に時間をください」という願いに応じて二人きりのお茶を楽しんでいるところだった。
もう冬と言って良いだろう冷たい風が二人の間を通り抜ける。
「大きな体に生まれてしまったばっかりに、たまたま戦う才があったばっかりに、騎士団に入るしかなかった哀れな男なのです」
手元に並べられた書類は、ベルガルドとペイシェル家の養子縁組を結ぶための書類。
ベルガルドの実家には話を通したが、本人にはサインだけさせてまだ内容を伝えていないとこの娘は飄々と言ってのける。
「お前ね、一応本人にも心づもりというか、準備が必要なのではないかい?」
「あら、ベルガルドには書類はきちんと確認しなさいと、私は言いましたよ?きっとこれでようやく懲りるでしょう。それにあれは優秀な騎士だったのです、命じられた通りにいたしますよ」
ふふふと笑う娘は、美しく育っていた。
足下の火鉢からたちのぼる熱気と、あたたかいショールにくるまれて、湯気がたつほど熱い珈琲を好む。麗しい淑女の姿をした、獰猛な獣の牙をもつ、美しい娘。
「それに、大夜会で婚約破棄なんて、本当にあの第二王子殿下に出来るのかわからないのですから。下手に希望を持たせても可哀想でしょう?」
「それはまぁ、そうだけれどね。ほとんどそうなるとわかっているのだろう?」
「まぁ、私のお友達たちも、そう言ってはおりますね」
学院でも、茶会や夜会でも。見るに堪えないほど、本来の婚約者を捨て置いて、東の小教会からやってきた聖女を側から離さず寵愛しているという。
「それで、私の赤い宝玉、アデリーヌ。お前の台本ではどのように事が運ぶ?」
「なんて懐かしい呼び方かしら、私もお父様とお呼びするべき?」
軽やかに笑う娘に合わせて、伯爵もよく似た琥珀色の瞳を細めて末娘を見つめる。
「そうね、夜会で第二王子殿下は婚約破棄を叫び、お気に入りの聖女を手元に置くでしょう。そのためにきっとノルン侯爵家にレティシア様の放逐をお命じになるでしょうね。レティシア様は何かしらのえん罪、または不敬を問われる。それから聖女様の奇跡を喧伝する、いいえ、きっとアンディ殿下なら聖女様のお血筋を公になさるわね」
「どの選択肢をとっても穏やかでないね。これから戦争が起こるというのに、聖女様の血筋を明らかにするのかい?」
「ええ。きっと、私たち北壁騎士団が切り開いた戦線で活躍するのは、我が国の貴族家ではなく、聖王国の聖騎士達でございましょう。帝国にさらわれ、何故か逃げおおせて生き延びた聖王国第三王女の証は、恋をすれば浮かぶとされる花の形の痣でしたっけ?」
「まぁ、恋と言うべきか、うん」
「聖王国にいれば、王女が恋をすれば成就するものですからね。情を交わした、成人の証と言っても良いですけれど」
「それ以上はやめなさい」
やはり男が多い騎士団で生活しているためか、アデリーヌはこういった話題を避けることもない。あけすけな言葉にうろたえたことを、伯爵は何度か空咳をして誤魔化した。
「それで?ベルガルドの役回りは?」
「レティシア様が王城を出るのに合わせて追いかけるでしょう。恋しい方がやっと手に入るのですから、そのまま我が家にいらっしゃるかしら?ノルン家にご一緒するかもしれませんわね」
どちらでも良いけれど、と言いながらアデリーヌの瞼がぴくりと痙攣しているのを伯爵はじっと見下ろしている。
「王族に婚約を破棄され瑕疵のついた侯爵令嬢なら、伯爵家とも釣り合いましょう。あちらにも、こちらにも、跡継ぎはいるのですから。ベルガルドの騎士爵では不十分ですけれど、1年ほど婚約している間にノルン侯爵家の事務官になれば良いわ」
「騎士に剣を捨てさせるのかい?」
「言いましたでしょう?本来あれは、剣など持たせてはいけない人。愛する者のためにならいくらでも戦える。けれど、国のために死ねはしない。きっと簡単に心を壊してしまうわ」




