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「ペイシェル伯爵・・・!!」
騎士団からペイシェル家の令息二人と共に、王都の邸宅に足を踏み入れて、三人そろって息をのんだ。
痩せ細った体に、落ちくぼんだ眼下。
ふわりと立ち上がると今にも折れてしまいそうな様子にこちらが叫びだしそうになる。領地と王都を往復して、精力的に活動していた伯爵の姿は変わり果てていた。
「やあ、息子たち。元気にやってるかい?」
「父上、どうか、座ってください!」
「これでは父上まで死んでしまう!誰か、医師の見立てはどうなっている!?」
さっと伯爵に駆け寄り、その体を抱きしめる令息たちを、伯爵もまた細った腕で抱きしめ返す。
「私には、お前達が残ってくれた。それだけで良い、それだけで良いんだ」
枯れ木のようになった体のどこに、こんなにも水分が残っていたのかと想うほど。透明な涙を静かに流す伯爵に圧倒され、ベルガルドは息もつけないまま扉の前で立ち尽くしていた。
「ベルガルド、おいで。お前ももう、私の大事な息子なのだから」
細い手で招かれるのにふらふらと引き寄せられる。
ソファーの前で膝をついたベルガルドの頭を撫でるように手が動いた。
「少し、末の息子と話をさせておくれ。お前たちの顔をみたらなんだか元気が出たよ。今夜は泊っていくだろう?」
目を真っ赤にした二人の息子を部屋から下がらせると、ペイシェル伯爵はゆっくりと背もたれから体を起こし、震えるベルガルドの頭を抱きかかえた。
「あの子は、幸せだった。私に、新しい息子まで与えてくれた。父上と、呼んでくれるかい?」
「ち、父上、アデリーヌは何故!?春の園遊会まではまだ時間があるのに」
「うん、帝国と戦端を開くのは雪解けの頃と決まっていたからね、アデリーヌは君に話さなかったかい?」
あの日、北壁騎士団を訪れた正使の声がにわかに蘇る。
『雪解けを待って、帝国との戦端が開かれる。北部国境のアイン砦に合流せよ。北壁騎士団には先陣を開く名誉を与える。勲しを立て、勝利を捧げよ』
「そんな!?北部の雪解けはもうとっくに」
「王都の気候に慣れてしまったかな?そう、もう、北部に雪は残っていないだろう」
「ですが、王都騎士団長はフィリップ第一王子殿下が担われています!」
「うん、それはね、あの子も知っていたよ」
ずる、と力が抜けたベルガルドの頭を、ペイシェル伯爵が赤子をあやすように撫で支える。
「・・・アンディ第二王子殿下のご下命は、撤回されたとばかり思っていました」
「撤回される理由が、何もないだろう?王太子選定の期限はまだ来ていない」
「俺は、何故ここに」
「北壁騎士団に先陣を切り開く名誉とともに、春の園遊会に一人騎士を出すよう命があった」
「それ、は」
「うん、僕やフィリップ殿下はアデリーヌを残すつもりだった。でも、あの子は君を残した」
「何故・・・」
「それは君が一番よく知っているだろう?」
耐えられない、そう思った時には立ち上がっていた。
「自分を恨まず、この愚かな父を恨んでくれ。大事な娘を死なせたのは、私だ。お前はもう、私の息子。エヴァが遺した子ども達を愛するように、アデリーヌが遺したお前を私は愛する。だから、お前は、あの子の願った通り、ただ、ただ幸せに生きておくれ」
細い、骨が浮かぶほど痩せた両手で顔を覆う父を、置いていけない。ベルガルドはすっかり小さくなった父をそっと抱き返した。
『ベルガルド、寝酒に付き合え』
ふいに、夜会の数日前、アデリーヌの寝室に呼ばれた時の声が聞こえた気がした。
戦場で、女と分かれば扱われ方は決まっている。
女性騎士にはよくあることだった。
だから、何も疑問に思わなかった。
たまたま近くにいたから、自分が呼ばれたのだと思っていた。
そこに意味があるなど、アデリーヌは思わせなかった。
言葉にしかけて、ベルガルドは涙と共にその言葉を飲み込む。
自分たちを知るほとんど全ての人を連れて彼女は逝ってしまった。
後悔に苛まれて泣いているこの父にも、ベルガルドにも、彼女の心を知る術はない。
アデリーヌに告げられた言葉以上の真実など無いと信じる他ない。それ以外の何も、自分の視点だけで知ったつもりになってはならない。
だから、いまはただ大事な人を亡くした家族として、最愛の手をとり生かされたベルガルドとして、父と息子は共に泣いた。




