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エリーゼ覚醒

 時は少し遡り、聖地カナーノキア陥落直後。


 チェルシャラン朝の軍師チャーマッシュ・シェンの前に、エリーゼ・シャン・クローが引き出されていた。エリーゼは、モーガンたちが撤退する時間を稼ぐためカナーノキア南門から突撃して奮戦の後、セイシャルに馬から落とされて気絶したのだった。生きたまま捕らえられた彼女は、他の防衛十字軍の騎士と同じように捕虜の扱いを受けた。


 捕虜に与えられる選択肢は二つ。一つは、「救世主の教え」への信仰を捨て、チェルシャラン朝の信仰する「太陽神の理」なる自然崇拝へと改宗すること。もう一つは、改宗を拒んでこれまでの信仰を貫くこと。前者を選べば比較的穏当な扱いを受け、運が良ければチェルシャラン朝の民としての市民権を獲得できることもあった。他方、後者を選べば騎士ならまず処刑、ただの兵士でも奴隷として売り飛ばされる運命を辿る。


 カナーノキア撤退戦で捕らえられた騎士たちは、ほぼ全員が改宗を拒んで処刑された、たった一人を除いて。唯一改宗を選んだ騎士、それがエリーゼだった。


 チャーマッシュには、「七人の騎士」にも数えられたエリーゼが改宗を申し出てきたことがいまだに信じられなかった。目の前にいる彼女の表情をじっと観察するように窺う。それでも、エリーゼの感情は読み取れなかった。


「しかしまあ、防衛十字軍の幹部騎士ともあろう者が命惜しさに改宗とは、奴らの騎士道とやらも底が知れるな」


 チャーマッシュは敢えて共通語ラティナで発言し、挑発してみることにした。周りにいる者たちも笑い声を上げる。流石にエリーゼもむっとしたらしく、やや顔をしかめて


「……私には、殺さなくちゃいけない奴がいる」


 と声を絞り出した。


「ほう、それは誰だね?」


 チャーマッシュは問う。


「私はいつか必ず、イレーネ・ルン・フィーラを殺す! そのためならどんな屈辱をも甘んじて受け入れ、どんな手段を使ってでも生き延びてやる!」


 そう吼えるエリーゼの瞳に本物の殺意の炎を見た時、チャーマッシュは彼女が決して嘘偽りを述べているわけではないと確信した。


「そうか。なら、しばらく私の下で働け」


 自然崇拝者の軍師はそう告げた。


 *


 占領したカナーノキアの統治と更なる勢力範囲拡大に注力するかと思われたチェルシャラン軍だったが、ここで彼らにとって厄介な事態が発生した。チェルシャラン朝の首都バーカーヤトにおいて大規模な反乱が発生したのだ。


 チェルシャラン朝は、少数民族たる北部人が多数民族の南部人を従える形で治まっている。その被支配者たる南部人が不満を爆発させて反乱軍を結成し、バーカーヤトを占拠した。皇帝シャランと皇太子含む一族の安否は全く不明だった。チャーマッシュの頭を悩ませたのは、その反乱の首謀者の中に自らの息子コイトーシュ・シェンが加わっていることだった。チャーマッシュとコイトーシュは北部人だが、何らかの反体制的思想に染まり、過激派南部人の仲間になったのだろう。


「大丈夫、あいつなんか最初からいなかったと思えばいいさ」


 チャーマッシュの第一子ダイダーラ・シェンは、落ち込む父に対しそう語った。ダイダーラが兄で、コイトーシュが弟にあたった。


「父上には、この俺がいるのだからな」


 この長男は、遠征軍に参加しながらもチャーマッシュの陣で見習いのようなことをしていた。それでも戦場を経験したからか、最近は一段と武者として成長してきている気がする。頭を使うのが得意な父とは正反対の育ちぶりに、チャーマッシュは楽しみであるとともに危うく感じることもあった。


「ダイダーラよ、血縁というものは、そう簡単に割り切れるものではない」


 チャーマッシュは寂しそうに笑った。


 そんな暗い雰囲気のチェルシャラン軍に、更なる悲報が襲った。和平の交渉をしにバーカーヤトへ向かったクァチャマンが、そのまま反乱軍側に寝返ったとの知らせが入ったのだ。


「おのれクァチャマン! 折角これまでの失態を取り戻す機会を与えてやったのに!」


 セイシャルは憤慨のあまり暴れ出しそうな勢いだった。チェルシャラン軍六猛将の一人であるクァチャマンが敵方に回った事実が兵士たちに与える心理的影響は大きかった。


 しかも、クァチャマンは聖遺物「紺碧の竜鱗」を所持したままバーカーヤトに赴いている。つまりチェルシャラン軍が保有していた四つの聖遺物のうち一つを反乱軍が手にすることになったのだった。


「随分、深刻な事態になってるね」


 エリーゼはチャーマッシュに話しかけた。


「ああ、ちょっと面倒事がな。だが大丈夫だ。これしきすぐに鎮圧できないほどチェルシャラン朝は脆弱ではない。すぐに都へと取って返して反乱軍どもの首級をあげる」


「果たして、そんなにうまくいくだろうか」


 エリーゼはニヤリと笑って続ける。


「敵の士気は高く、こちらは低い。かつての仲間だったクァチャマンどのや、あなたのご子息と戦わなければならないやりづらさがある上、本当は南部人を征服し支配してきたことに対する後ろめたさもあるんでしょ? このような状況で一体誰が全力を尽くして戦えるというのか」


「うるさい、そんなことは分かっている」


 チャーマッシュは煩わしそうにエリーゼを追い払おうとする。


「いや、あなたは分かっていない」エリーゼはなおも食い下がる。


「何が分かっていないと言うんだ」


「目の前に私がいる、ということをさ」


 チャーマッシュははっとした表情で彼女を見る。自分はチェルシャラン朝内のしがらみに囚われず、ただ目的遂行のためだけに戦える、とエリーゼは語っていた。


「……分かった。お前のための戦場を用意しよう」


 チャーマッシュはバーカーヤトへ向けて出発する決意を固めた。


 *


 反乱軍の首謀者はチャイチャリャという南部人で、カリスマ的な統率力を発揮していた。尖兵の長を務めるシェックァウィは勇猛な武将で、幾人もの名のある武者が彼に討たれたという報が入っている。そして聖遺物「紺碧の竜鱗」を持つクァチャマン、チャーマッシュの血を引いて頭の切れるコイトーシュ・シェン。反乱軍の中で特に警戒すべきはこの四人だった。


 反乱軍はチェルシャラン朝勢力下のあちこちの南部人豪族に手紙を送り、自らの味方になるよう説いているが、皆事態を静観して動こうとしない。結果、バーカーヤトの市内にいる反乱軍の数は約七千にとどまった。


 他方で、チャーマッシュは賢将ピクシールと「紫稀の祝福」を持つジェイバラハラをカナーノキアの守りに残し、第二皇子シェランを総大将としてセイシャル、ダイダーラ、エリーゼらとともに討伐軍を組織した。最初カナーノキアを出発した時は三千人ほどしかいなかった討伐軍も、途中で体制に協力する郡司や豪族たちを吸収して膨らんでいった結果、バーカーヤト郊外に着く頃には約一万になっていた。特に、ジョルディン国の少数民族キャギャ族のキャピャベオが二千人を引き連れて馳せ参じたのは、討伐軍を大いに勇気づけた。


「『黒曜の亀甲』はキャピャベオが使うこととする」


 チャーマッシュが告げると、キャピャベオは「ギャー」と吼え、他のキャギャ族の面々も口々に騒ぎ出した。その様子をダイダーラは苦々しく見つめながら、


「まだ敵の持つ『紺碧の竜鱗』がある。それを奪ったら、聖遺物を身に着けるのは俺だからな」


 と、なぜかエリーゼに向かって言ってきた。


(あの聖遺物は、元々私のなんだけどな……)


 エリーゼの目には、聖遺物など持ちたがって生き急ぐ者たちの姿が滑稽に映った。ともかく、討伐軍側では聖遺物を「翡翠の月輪」はセイシャルが、「黒曜の亀甲」はキャピャベオが持つことになった。

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