昔話の後に
時は再び、転生十字軍がタリハリを占領した直後。ランクテ・シャン・ユイの話に戻る。
タリハリ市内のとある建物にある、ソマスの執務室。モーガンが退室した後のその部屋で、私はソマスから防衛十字軍であった出来事と、どうやって転生十字軍として再起したのかを聞かされたのだった。
昔話を語り終えたソマスは、ゆっくりと目を瞑った。もうこれ以上語ることは無い、といった感じだった。
「あの……」
気まずさに耐えきれず、私が口を開こうとすると
「今は何も言わなくていい。起こってしまった出来事を受け止めるのは凄く難しいことだし、時間がかかっていい。逆に、安易に物事の評価を固めてしまおうとする方が危険なんだ」
と遮られた。
「分かりました……失礼します」
私は逃げるように部屋を出て、そこから建物を出て自分の兵舎に戻るまでの道を全力で走った。誰かと会話などしたくなかったし、誰かに自分の顔を見られたくもなかった。ただ、自問自答だけがあった。
(イレーネさまは悪い人だったのかもしれない)
という考えが頭をよぎる度、胸がきゅっと締め付けられる。モーガンは勿論のこと、ソマスでさえも彼女を庇うことはもう無いのかもしれない。そうなったら、私は悲しむのだろうか。あるいは、イレーネを守るために声を上げるだろうか。エリーゼと城壁越しに吠え合った時のように。
自信は無い。だけど私は、自分を優しく転生十字軍の仲間に迎え入れてくれたイレーネを信じたい。イレーネやテレジアと共に菓子などを食べて笑いあったのは、厳しい騎士団生活でも数少ない癒しだった。自分の目で見てこの身で体験したことは、何より確かで、ソマスの話を聞いても揺るがない記憶になっている。
でもそれは、私が防衛十字軍にいなかったから、イレーネがしたことを知らなかったから感じていたことだ。エリーゼだけでなくモーガンまでもがイレーネに対して怒りを覚え、根本的な不信を感じている。それは私は感じているものと同じくらい確かな感情なのかもしれない。
分かっていた筈なのに。私は泣きそうになりながら走る。この世界は私が思ってるよりずっと悪意に満ち溢れていて、身近にいる人だって決して信用に足るとは限らない。そのことを、私は故郷で兄に裏切られ母に見捨てられた経験から学んだ筈なのに。
転生十字軍だって、決して盤石な存在ではなかった。私は足元のぐらつきを感じる。私にとって、転生十字軍とは最初から存在するものだった。けれど本当は、色んな人が大変な思いをして奇跡的に再起したものだった。じゃあ、転生十字軍はこの先どうなっていってしまうのだろうか。いつまでも私の居場所であってくれるわけではないのだろうか。
*
イレーネの処遇は難しかった。戦場において真っ先に突撃する彼女は転生十字軍にとって非常に重要な存在となっており、転生十字軍から追放するといった重い処分は下しにくかった。しかし、イレーネに聖遺物を預けておくことを不安視する者は多く、軽くとも聖遺物没収は避けられない状況である。どうすれば皆が納得するか、ソマスは頭を悩ませていた。
そんな苦悩を察したのか、ある夕方イレーネがソマスのもとを訪れた。
「私、もう『鈍白の霹靂』は返上するよ」
彼女の方からそう切り出した。
「早まるな。戦術上、お前が聖遺物を持つべきなんだ。今、皆に説明する理屈を考えている」
「そんな理屈無いわよ。だって自分で考えてもおかしいもの。『鈍白の霹靂』は私がカナーノキアから盗み出した。しかもその際にあんたを傷つけてる。強盗が盗品をいつまでも持ってるなんて、変な話だ」
イレーネに言われて、ソマスは黙りこむ。理屈が通らないのは百も承知だった。
「だけど、お前はこの転生十字軍に必要だ」
ソマスがそう返すと、イレーネは大きくため息をついた。
「そういうのが一番ダルいんだよ。私の強さにしか興味がないってことでしょ? まあ、聖地奪還に命賭けてるあんたからしたら、その理由だけで十分なのかもしれないけど、みんながみんな意識高い動機でここにいるわけじゃないっていうのはもう分かってるよね」
彼女は机の上に叩きつけるように鍵を置く。それは、タリハリ市内で暫定的に聖遺物保管庫として使われている倉庫の錠のものだった。ソマスは突き返す気力もなく、ただ黙っている。そんな彼を見かねて、イレーネは寂しげに笑った。
「でも安心して。あんたの戦術とやらはちゃんと成立するようにしてあげる。例えば、私が自分で敵から聖遺物を奪って、それを身に着ければみんな文句無いんじゃないかと思うの。どう?」
これを聞いた時ソマスは、転生十字軍が次に聖遺物を獲得する時までイレーネは一時的に聖遺物を手放すことで手を打つ、という意味だと理解した。まさか、文字通りイレーネが自分の力だけで聖遺物を奪取できるなどとは夢にも思っていなかった。
「ああ、そうだな。次の会議で提案してみよう」
ソマスは呑気にそう返事した。
ソマスのもとを下がったイレーネは、自陣に帰るなり自分の兵士たちに出発を命じた。
「これより騎兵のみでカナーノキアに赴き、敵の有する聖遺物『紫稀の祝福』を奪取する。何日かかる戦いか分からない。食糧は十分に携帯せよ」
兵士たちの間に緊張が走る。彼らの中には、防衛十字軍でイレーネが失踪してからソマスに預けられていた者もいる。つまりは、一度は主君に置いてけぼりにされながらもまた戻って来た兵士だった。その理由としては、やはり他に行くべき場所など無いという思いが大きかった。
「今度ばかりは、私についてくれば生還の可能性が高いとは言い切れない。むしろ逆だ。それでも、私が私なりの聖戦を戦い抜くのに同行したいという者だけ志願してほしい」
イレーネがそう述べると、二百人ほどの兵士が応じた。彼女の率いる全兵士は約千五百人なので、まあまあの人望はまだあった。
「どうしてこんな辛い戦いに赴かなければならないのですか……難しい立場に追いやられているのなら、また私と共に逃げて下さればよろしいのに」
テレジアはそう言ったが、
「すまない。私にも最低限通さなきゃいけない筋が出来てしまった。だけど大丈夫、私はこんなところで死ぬつもりは無いよ」
イレーネの意志は固かった。
彼女の率いる騎兵隊は徹夜で準備を勧め、朝方日が昇る前には出発した。別にやましいことをしているわけではないので隠密行動はしなくてもよいのだが、何となく誰にも知られずに綺麗に去りたいという美学がイレーネにはあった。しかしタリハリの城門をくぐって出ていこうとした時、その夜警備にあたっていたモーガンと遭遇した。
「モーガン、これよりカナーノキアへ行って自然崇拝者と一戦交える」
相手が何か言う前にイレーネは「ソマスに話は通してある」と付け足した。
「一戦交えるのは構わんが、また聖遺物を盗んでどこかへ消えるつもりじゃないだろうな」
モーガンが咎めると
「ご心配なく。見ての通り聖遺物は持っていない」
イレーネはマントを広げ、馬を一回転させて見せた。確かに、聖遺物の放つ光は漏れてこない。モーガンは、それならいいかと納得した。というより、あわよくばこのまま彼女が聖遺物を持たない状態で消えてくれたら嬉しいくらいに思っていた。
反対にイレーネは、城門を出る際珍しくモーガンに詫びを入れた。
「すまない、モーガン。ハーッタンの戦いでは危険な目に遭わせてしまった」
「どうしたんだ、急に」
モーガンはびっくりして訊き返す。
「急に、か……。急ではない。謝りたかったんだ、ずっと」
そう言い残すと、イレーネは未明の砂漠の闇に消えていった。




