イレーネの疑惑
エリーゼ勢は転生十字軍に散々に打ち破られ、大量の戦死者を出して敗走した。これによりエリーゼ勢はチェルシャラン朝帝都バーカーヤトまで撤退することを余儀なくされ、転生十字軍はタリハリ防衛戦に悩まされることは無くなった。
翌朝、いつの間に移動したのか、エリーゼはタリハリの城門の前に一人で立っていた。
「私は元防衛十字軍騎士、エリーゼ・シャン・クロー! 別れの挨拶代わりに、転生十字軍の皆様に具申したい儀があーる!」
彼女のよく通る声が空に響きわたる。
「何をやっているんだ、あの人は」
城壁の上に建てられた待機所の中で、ソマスは呆れていた。
「いっそのこと射殺すか」
モーガンがそう言ったが、我々が指示を出すまでもなく、勇敢な腕自慢の弓兵の一人が勝手にエリーゼに向けて一本の矢を放った。その矢は正確にエリーゼに向かっていったが、彼女に当たる寸前でピカッと光ったと思うと撃墜されていた。
「あまり攻撃するな。相手に防がれた場合、味方の士気が下がる。ここは論戦で応じよう」
ソマスはそう判断した。エリーゼは先ほどの矢などには少しも動じず、口上を続けた。
「裏切り者の偽騎士イレーネ・ルン・フィーラの罪状について申し述べる!」
エリーゼは一段と声を張り上げる。
「一つ! 騎士修道会の者でありながら、ソドムの民よろしく女同士での姦淫に耽っていること!」
ソマスの顔色が変わる。しかしそこに驚きの表情は無かった。
「一つ! ハーッタンの戦いでわざと味方の不利になるような行動をとり、防衛十字軍の敗北を招いたこと! 一つ! その後の裁判で虚偽の証言をしたこと!」
「おい、やめさせた方が良いんじゃないか?」とモーガンが立ち上がった。しかし我々が何か妨害する前に
「一つ! カナーノキア王コンラトの弑逆と政権転覆を企んだこと! 一つ! それが失敗したとみるや聖遺物を盗んで逃亡したこと! 以上」
と言い切った。
「イレーネはいずれまたお前たちを裏切る! 皆様方におかれましては、くれぐれもお気をつけ下さいますよう」
エリーゼはスカートの裾を持ち上げるようにして鎧を少し持ち、うやうやしく礼をとった。私は挑発に耐えかねて
「何か言い返してやりましょう! イレーネさま」
と迫った。
「私? ソマスが相手してよ」
意外なことにイレーネは応じようとしない。
「何言ってるんですか! あいつはイレーネさまに対してあることないこと言ってるんです! イレーネさまの口からはっきり否定して下さい!」
私が言うと、
「ランクテの言う通りだ。今この状況を見ている兵たちはどう思うか考えてくれ。士気の問題からも、お前が言い返した方が良い」
と同調した。
「でも……私はこういうのあまり得意ではないし、何よりあいつとやり取りなんか二度としたくないよ。顔も見たくない」
イレーネはなぜだかどうしても嫌なようだった。私はいてもたってもいられず、待機所を飛び出した。
「ちょっとランクテちゃん、何するの」
イレーネの声を無視して、私は城壁の上から身を乗り出して、エリーゼを見下ろした。
「イレーネさまはそんな方じゃありません! 嘘を言わないで下さーい!」
エリーゼは馬の手綱を引いて帰りかけていたが、私の声を聞いて再び城壁の方を向いた。
「誰かと思えば、あんたは前に戦場で言葉を交わした奴だな! 防衛十字軍にいなかったあんたに、なぜそんなことが分かる!」
「転生十字軍にいるから分かるんです! イレーネさまは何度も転生十字軍の勝利に貢献してますし、私のことだって救ってくれました! 悪い人のはずありませーん!」
相手が何かを言い返してくるのを遮って、私は更に続けた。
「あなたこそ、防衛十字軍から自然崇拝者に鞍替えして、何やってるんですかー! あなたこそ、裏切り者じゃないんですか? 神に立てた誓いはどうなったんですかー?」
私は精一杯挑発してみたつもりだが、相手は依然涼しい顔をしていた。
「そうだな。私はそもそも防衛十字軍にいたのが間違いだった……というより、神など信じてもいないのに洗礼を受けた時点で間違いだったのかもしれない」
エリーゼは少し声の調子を落とした後、また声を張り上げる。
「私とて、カナーノキアが陥落するまでは懸命に戦ったんだ! イレーネと違ってな! だが、そんなことに何の意味もないと気づいたんだ! あんたたちも早く目を覚ませ!」
「意味ならあります! 私たちは必ず聖地カナーノキアを奪い返します! 一旦奪われただけで心が折れたあなたとは違うんです!」
私は人さし指をエリーゼに向かって突き出した。
「そして、エリーゼ。あなたを倒すのにイレーネさまを出す必要はありません。あなたは私が殺します」
エリーゼはそれを聞くと
「ふん。あんたなんか、鎧袖一触だ」
と鼻で笑ってみせた後、馬を叱咤してタリハリから遠ざかり始めた。それを見たソマスは兵士たちにエリーゼの追跡を命じかけたが、
「……いや、今はやめておこう」
兵士たちの心の中に疑問符が浮かんでいる様子を見て、やめた。こんな状態で戦っても、相手の用意した伏兵に打ち負かされるだけだ。舌戦は、何とも言えない結果で終わった。
*
それからというもの、兵士たちの間ではエリーゼの言い残したことについての話題で持ちきりだった。イレーネは気にしない風を装っていたが、本人は良くても聖遺物を使う重要な幹部騎士の疑惑が囁かれるなど、転生十字軍全体の風紀に関わる問題だった。
私とて実は、エリーゼの言ったことの全てが嘘でないことは分かっている。
(女同士の姦淫……っていうのは多分、イレーネさまとテレジアさんのことだよね……)
私でもそのことは何となく分かっていた?
(でも、残りの罪状は? 真実ではなくとも、何か疑わしい事情があるってこと?)
そもそも、敵将の言っていることなのだから、こちらに味方不信を起こさせて自らを有利に導こうとの意図あってのことに決まっている。気にすること自体がバカバカしいことだ。頭では分かっていたが、つい考えてしまう自分がいた。
同じような者が多いからだろう。転生十字軍幹部の方でも無視を決めこむことはせず、防衛十字軍にいた者たちで声明を出すことにし、その文言を検討していた。
そんな中、厄介な出来事が起こった。
「エリーゼの言っていることは恐らく本当です。私は防衛十字軍にいましたので」
と証言し出す者が、ハルズ・ファ・ヤートという騎士の率いる兵の中に現れた。
ハルズは、防衛十字軍に参加しソマスやイレーネらと共に「七人の騎士」と称されたポゼン・ファ・ヤートの弟だ。ポゼンはチェルシャラン軍との戦いで戦死したが、その率いる兵の一部は生き残り、今またハルズの配下として転生十字軍に参加している者もいるのだった。
「どの程度が、本当だというのか? 申してみろ」
ソマスはその兵を呼び出して公開で尋問した。
「基本的に全て本当だと思います。私はポゼンさまの死後もしばらくはマグラーさまに預かられていましたので、コンラト国王陛下が襲撃されたことや、イレーネさまがカナーノキアから姿を消したことも知っております」
マグラーというのは、マグラー・ファ・デュッセンという騎士のことで、アルカト・ファ・デュッセンの父だった。
「ソマスさま、こいつを処刑しましょう。イレーネさまに対して酷すぎます」
私が発言すると
「まあ待て。故意に嘘をついたのならまだしも、ただ自分の記憶通りの証言をした者を罰することはあるまい」
「でも、こんな無茶苦茶なこと、故意に言ってるに決まってます!」
「待てと言っている」
ソマスは私をたしなめると、兵の方に向き直った。
「お前は確かにコンラト王が襲撃された際、あるいはイレーネが姿を消した際、カナーノキアにいたかもしれない。だが実際に王が襲撃されたり、イレーネが去っていくところを見たわけではないのだな?」
兵は俯き、「はい……」と小さい声で答えた。
「ならば、ただ間違った噂を聞いただけであるという可能性もあるわけだ。そのような不確かなことを、真実であると認定するわけにはいかないな」
ソマスは立ち上がってその場にいる兵たちを見まわし
「以後、不確かな流言に惑わされることのないよう」
と諭すように言った。
証言を行った兵士に罰が下されるようなことは無かった。ただ、公開の場で恥をかいたということで、一種の見せしめにはなった。そのお陰で、幾分かイレーネに関する噂話を耳にする機会は減っていった。
*
だが、問題はそれで終わらなかった。兵士たちだけでなく、幹部騎士の間でもイレーネに対する不信感を強めている者がいるのだった。
「兵士たちはうやむやにごまかせても、本質的な解決にはならないんじゃないか?」
私がソマスさまの執務室として使われている部屋に入ろうとすると、中からモーガンが大声を張り上げているのが聞こえてきた。中は、ソマスとモーガンの二人きりのようだ。
「では、どうしろと言うんだ? 改めてイレーネを罰しろというのか?」
珍しくソマスもやや興奮気味に言い返していた。その発言は、エリーゼの読み上げた罪状を認めているかのようにも聞こえた。ソマスは続ける。
「それに、その件に関してはお前も納得した筈じゃないか。あの時、ポッドスで。イレーネは転生十字軍に必要な存在だ。だから過去のことには目をつぶる。そういうことになった筈だ」
「そりゃ、あの時はそうだったさ。頼りになる奴がお前と俺とイレーネくらいしかいなかったからな。だけど、目をつぶると言ったってずっと一生信用するとは言ってない。特に、聖遺物を任せっきりにしているのは危ない。いつあれを持って消えられるか分からんぞ」
モーガンが言った後、しばらく沈黙が訪れる。ソマスもすぐには言い返せないようだった。私は部屋の外で緊張しながら聞き耳を立てる。すると、モーガンの口から私の名前が飛び出してきた。
「……それに、ランクテが可哀想だと思わないか? あの子、イレーネのことすっかり信じ切ってるぞ。お前、ランクテがイレーネに懐いてるのを利用してるだろ。あの子が自分のために働いてくれれば何でもいいと思ってないか?」
「そんな風には思ってない。イレーネのお陰でランクテは転生十字軍に馴染めた。それは良いことじゃないのか?」
「だったら」モーガンが部屋の扉に近づいてくる音がする。「ランクテに本当のことを教えてやるんだな」
私は慌ててどこかに身を隠そうとしたが、すぐには見つからず、結局部屋から出てくるモーガンとばったり遭遇してしまった。
「お前……聞いていたのか?」モーガンが目を丸くする。
「あ、いえ、あの……」
私がまごまごしているのを尻目に、モーガンは私の横を通り過ぎて去っていく。まったくあの人は優しいのか冷たいのかよく分からない。
「あ、ソマスさま……」
私は気まずそうに部屋に足を踏み入れる。ソマスは、やれやれといった風に天を仰いだ。
「ソマスさま……イレーネさまは昔、何をしたんですか? エリーゼとかいう奴の間には、何があったんですか?」
私はソマスの座っている場所に駆け寄る。
「いいえ、知りたいことはそれだけじゃないんです! 防衛十字軍であったこと、全部教えて下さい! イレーネさまのこと以上に、私はソマスさまが知りたいんです! そうじゃないと私……時々ソマスさまのこと何も分かってないんじゃないかって……自分の幻想の中だけに生きてるんじゃないかって、不安になるんです。たまらなく怖いんです……」
ソマスの足元に、ぽとりと涙の雫が零れる。まるで、二人の間を分かつように。それでもソマスは、手を差し伸べると、固く握りしめている私の手を優しく包んだ。
「分かった、全て話そう。その前に一つ誤解しないでくれ。防衛十字軍でのことは、私たちも思い出したくないくらい苦い出来事なんだ。私もモーガンもイレーネも……エリーゼさんですらも、みんな傷ついた。みんな加害者で、被害者なんだ」
ソマスが本当にそう思っているのか分からない。まずは全てを聞いてみなければ。私がまっすぐソマスを見つめると、彼も頷き、そしてぽつぽつとその昔話を語り始めた。




