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神秘術

「ちょ、ちょっと待って? どの時だって?」


 フォーレンフェルといえば、私がズィーメリーの騎士たちとともに母フェリーカや兄トメンと戦った場所である。その戦いは、私が転生十字軍に入るよりも前の出来事であった。


「僕はシュヴァルラント伯領勢の兵士として、ハルズさまに従ってフォーレンフェルの戦いに出ました。そこで初めてランクテをお見かけしたんです」


「あの場にいたのか、あんた……」


 なんということだ。ほぼ一年前から私のことを知っていたのか。私は何だか恥ずかしくなってきた。


 それではなぜ、ノーナムが防衛十字軍残党の一員となってファヤー港を守っていたのか。彼自身の言葉によれば、その経緯は以下の通りだった。私に一目惚れしたノーナムは、私に見合うよう立派な騎士になることを志す。しかし当時一介の兵士である彼は、騎士として成長することはおろか、そもそも騎士に叙されること自体難しかった。そこで彼が考えたのが、十字軍で戦うことであった。転生十字軍に加わることも考えたが、どうせなら一日も早く戦場に出たいと思い、ファヤー港へ物資を届ける船に潜り込んだ。実際にファヤー港に着いてみると、戦況が切羽詰まり過ぎていて一人一人の身上など調査している暇はない。これ幸いとノーナムは騎士を騙り、戦列に加わったのだった。


(こいつ、根性だけはあるな。根性以外何もないという感じだが……)


 私は半ば呆れ、半ば感心した。


「諦めずに頑張ったお陰で、ここまで来れました! だから、僕の想い、受け取ってください。あなたが、好きです!」


「い、いや、無理無理無理無理」


 誰があんたみたいなどんくさい奴と、と言いかけたが、あまりに可哀想なので飲みこんで、


「私たちは港湾騎士団の騎士だからね? そういうのはいけないよ」


 という理由にしておいた。


「す、すみません! でも、ランクテさまの隊においてください。これだけは本当にお願いします!」


「……」


 私が言葉に迷っていると


「おい、こいつ早くつまみ出そうぜ」


 リュークがいつの間にか私の横に来ていた。


「うーん、そうねえ」私はノーナムに命じる。「ちょっとそこに跪きなさい」


「は、はい」


 ノーナムが言われた通り跪くと、私は剣を抜いた。


「ちょ、殺すのはやり過ぎじゃ……」


 リュークは焦って止めようとしたが、私はノーナムの肩に剣で軽く叩いた。


「ノーナム・ファ・アース、神の名のもとに戦う騎士と認め、その称号を叙する。港湾騎士団騎士ランクテ・シャン・ユイ」


「え、これは……」


 ノーナムは聖母でも拝むかのような顔でこちらを見ている。


「勘違いしないで。これはあんたが立派な騎士になることを見込んで、前もって授けておくんだから」


「それじゃ、立派にならなかったら取り消されてしまうんですか?」


「そんな生ぬるいことしないわ。砂漠に放り出して、自力でシュヴァルラント伯領に帰ってもらうよ」


 脅しのつもりで言ったが、ノーナムは何がそんなに嬉しいのか、「はい!」と満面の笑みで答えた。


「いいのか? こんな奴味方に引き入れたら、足を引っ張られないか?」


 リュークが心配そうに耳打ちしてくるが、私は首を横に振った。


「動機が何であれ、やる気があるのは確かみたい。ソマスさまなら、そういう奴を見捨てないと思うから」


 私はなぜか、自分が転生十字軍に加わった時のことが頭をよぎった。


「あ、あの、立派な騎士になったら、僕の想いを……」


「それはまた別の話だから」


 *


 私が神秘術の研究を行うのは、だいたいいつも夕食後から寝るまでの間のどこかと決まっていた。昼間の雑多な業務や激しい訓練を終えたホッとした気持ちで、一番好きなことに取り組むのが良い。


 私室に入り、気持ちを落ち着かせると、まず真っ先に手に水をすくう。そしてその水を狙った方向に飛ばす。この感覚が、神秘術を操る時の感覚に最もよく似ていた。神秘術の原理ははっきりと分かっていないけれど、自分の体の周りに流体的な力がまとわりついており、その動きを操るんだという、そういうイメージでいるとうまくいきやすかった。


 神秘術は人間の霊漿液を聖雲氷と反応させることで生まれる超人的な術のことである。霊漿液が原料で、聖雲氷が触媒である。信仰心のある者がこの術を使うと神秘術と呼ばれるため、異教徒や異端が使う術は魔術と呼ばれた。なぜ心悪しき者も術を使うことができたのか、神はなぜそのように世界を作られたのかは、教会もやや苦しい説明をせざるを得ない命題となっていた。


 霊漿液が人間の表皮を傷つけると出てくる透明な液体で、誰の体の中でも作られている。ただし、一日に作られる量には限りがあるため、神秘術を無限に使うことはできない。無限と言えば、聖雲氷も無限ではない。聖雲氷という鉱物は、神秘術使用の際に発生する熱によってどうしても傷んでしまう。そのため、聖雲氷も消耗品であり、枯渇することのないよう都度補給が必要であった。


 私も研究を行う際、できるだけ聖雲氷を消耗しないよう、実際に神秘術を発動する回数は最小限に抑える。私は新たな効率化の方法を考えながら、まずはひたすら水を使って練習をする。


 まったく、この作業には研究という言葉がよく似合う。誰かと一緒になってやる訓練じゃなくて、一人であれこれ試し、没頭する作業。昔から、私を騎士にさせたがらない親に隠れてやるにはもってこいの趣味だった。


 神秘術を使いこなすには相応の時間をかけて訓練を重ねる必要があり、神秘術師・神秘術騎士となる者は皆幼少期の頃から訓練を始めている。必然的に神秘術を使えるのは良い身分の家系に限られ、下流階級で神秘術を使える人間はほとんどいなかった。一部で、兵士に神秘術を教えて神秘術師部隊を作ろうという構想も持ち上がっているが、強力な部隊が編成できたという話は聞いたことがなく、神秘術はそれぞれの家系の職人芸のようにして伝わっていっている。


 私も最初は、兄から基礎を教わった。母は当然教えてくれなかったため、そうするより他に神秘術を学ぶ手段がなかったのだ。兄は自分の部屋に私を呼んで偉そうにコツを色々教えてきたが、そのうちすぐに私の実力の方が上回っていった。考えてみれば当たり前の話で、私は朝も昼も夜も神秘術のことしか頭にないような生活を送っていたのだ。そうなると兄はもう何も教えてこなくなり、代わりに談笑する時間が増えた。そして、私が兄の部屋に行く習慣は消えずに残った。そこから、兄との妙な関係が始まっていった。


(そんなことも、あったな……)


 私の研究にとっての最大の敵が、昔の苦い思い出が時折蘇ってくることだった。集中できていない証拠だ、と私は自分を戒める。


 神秘術を極めていくうちに母は私が馬術や槍術を習得することも黙認してくれるようになった。そして、今の私がある。神秘術が私を自由にしてくれた。だとしたらこの先も私は神秘術を磨き続けなければならない。自由であり続けるために。だから、過去を振り返っている暇はない。


 研究しなければならないことは色々ある。まず、瞬発的な最大の効用を高めること。ユイ家の神秘術"ガブリエルの御手足"でいえば、瞬発的にどれくらい速く動けるのか、ということである。次に、それをどのくらい効率化できるのか。つまり、同じ効用なら霊漿液の消費をできるだけ抑えた方が良いということだ。それから、その神秘術を使って何ができるか。私の場合、動きを加速できるということでどのような戦闘が可能になるのか。主にこれらを研究していくことになる。


 理論的なことは一通り考え終わったので、実際に聖雲氷を使って実践してみようと、私は剣と、拳くらいの大きさの聖雲氷を持って外に出た。篝火が照っていて丁度良い明るさの場所を見つけ、私が練習を始めようとすると、そこにソマスが通りかかった。


「あ、ソマスさま!」


「おお、ランクテ。こんな時間に剣を取って、熱心だな」


 ソマスは足を止める。どうやら急いではないようだ。


「ランクテ、先の戦いでは一番の功労者だったな。まだちゃんと報いることはできていないが、近いうちに論功行賞を行う。とにかく、よく頑張った」


「ありがとうございますっ」


 ソマスの言葉だけで、私には十分な褒美だった。転生十字軍の論功行賞といっても、騎士修道会の騎士には財産の私有が認められていなかったため、騎士修道会内での地位が上がるとかそんなものであり、私は興味がなかった。


「あ、あの、お時間あるなら、私の神秘術を見て頂けませんか……?」


「いいけど、違う家のものを見ても、何も助言できないかもしれんぞ」


 基本的に、使う神秘術が違えば感覚も全く異なってくる。だから、もし私がソマスの用いるターリエ家の"アダムの傲岸"を時間をかけて習えば、ある程度出来るようにはなるかもしれないものの、その分ユイ家の"ガブリエルの御手足"の感覚を忘れてしまう。そのため、神秘術を使う者は自分の家の神秘術に集中するのが当たり前だった。


「でも、折角だから見てくださいよ」


 私がねだると、ソマスは「ああ、分かった」と言って腕を組んだ。


「ところで、具体的に何に悩んでるんだ?」


「効率化です。これから先の遠征では、聖雲氷の消耗を抑えながら戦わなきゃいけないかなと思って」


「それはもっともだ」


 ソマスが頷く。私は剣を抜き何もない空間に向かって、そこに敵がいると想定して構えをとる。


 一撃。目にも止まらぬ速度でまず一人目の敵を斬る。つづいて二撃目、三撃目。方向を転換して、四撃目、五撃目。一瞬のうちに五人を斬り伏せる演技をして、私は剣を収めた。


 すぐに腕の内側に括り付けていた聖雲氷を触って温度を確かめてみる。大して熱くなってはいない。そのことをソマスに伝えた。


「なかなかよくできてるな。どういうことに気を付けたんだ?」


「水が零れないように慎重に、だけど速く移動するイメージです。霊漿液が生み出す力が一気に発散してしまわないように。つ、伝わるでしょうか?」


「ああ、分かる。水を使った練習は私もよくやるからな」


 ソマスは腕をほどき、自らの剣に手をかける。


「お前の言っている、神秘術の効率化自体はうまくいっているように見える。だが、問題はまだある。ランクテ、神秘術を使わずに斬りかかってきてみろ」


 私は戸惑ったが、ソマスが「いいから」と言うので、遠慮なく斬りかかってみることにした。


 私の打突を、ソマスが剣で受け止める。そのまま剣が離れ、私がもう一度打突を行おうとした時、ソマスの剣がぴたりと私の首筋に当たっていた。


「お前の動きには無駄がある。一つ一つの動作に問題はないが、それらを滑らかに繋げることができていない。だから今私に打ち負けたんだ」


 ソマスはふうとため息をつき、剣を収める。


「まあ、それでもほとんどの兵士に勝ててしまうだろうがな。ただ、これ以上の効率化を求めるなら、問題は神秘術そのものではなく、剣や槍のさばき方にあるのではないか」


 私は納得して思わず唸った。これだから実践的な神秘術は奥深い。そして、この面白さをソマスと共有できていることが嬉しかった。


「あの、やっぱりソマスさまに相談して正解でした。またお願いしますね」


「いつでも応じられるわけではないがな」


 やはり、ソマスは私を更なる高みへと連れて行ってくれる。神秘術に対する情熱とソマスへの憧れが相まって、私は今まで味わったことのない昂揚を感じていた。


 *


「明日、タリハリへ向け出発する」


 それからあまり日を置かずに、ソマスから全軍に対し伝達があった。


「ここからタリハリまでは砂漠を行くことになる。そのことを念頭に置いて、出発の準備をせよ」


 いよいよ、失地回復の戦いが始まる。緊張を覚えない者はいなかった。


 そしてタリハリの地で転生十字軍は、イレーネと因縁のある異教騎士と遭遇することになる。これが、イレーネと私たちの運命を大きく狂わせることになる。

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