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ファヤー港の戦い(前編)

 その日、私たちロアフォーレン侯領勢のうち上陸部隊に選抜した者らは二十人ずつ二十隻ほどの快速船に分乗し、輸送船の横を並走していた。ヴァイナイティアから提供された漕ぎ手は優秀で、一定の速度で安定して船を走らせてくれる。その熟達した技が、戦場へ向かう兵士たちの不安をいくらか和らげた。


「ファヤー港、見えました!」


 快速船の中で叫ぶ声が聞こえる。ファヤー港が現在どういう状態にあるのか、正確なところは実は不明だった。最新の情報は数十日前のもので、もしかしたらそれから現在までの間に既に陥落してしまったかもしれない。そんな不安に駆られながら、その場にいる全員が続報を待った。


「……十字の旗です! ファヤー港に翻っているのは、防衛十字軍の旗です! ファヤー港はまだ落ちてません!」


 私はほっと胸を撫で下ろす。


「ひとまず、上陸の前提が狂わずに済んだな」


 近くの快速船に乗っているパイシェンが笑いかけてくる。パイシェンは、私の補助役としてロアフォーレン侯領勢上陸部隊の中に入ってもらっていた。


 朗報に喜んでいた一同だが、続いて入ってきた知らせによって、全軍に緊張が走った。


「敵勢力、ファヤー港の要塞を包囲しています! その数およそ……一万!」


 チェルシャラン軍は何の対策も用意してないわけではなかった。本隊を東に移動させつつも一定の兵力を聖地カナーノキアに残し、イクストル地方完全支配の最後の障壁であるファヤー港を攻め落とそうとしていたのだ。相手もなかなかに用心深いようである。


「上陸自体の難易度はもちろん、時間との戦いでもあるわけだ。これは大変な仕事になりそうだ」


 パイシェンがぼやく。私はぎゅっと槍を握りしめた。


 だんだん湖岸が近づいてくると、私の目からもファヤー港の様子がうっすら見えてくるようになった。既にいくらかの敵兵がこちらの存在に気づき、注視してきている。我々の上陸を防ぐためにいくらか兵力が割かれることが予想された。


「ランクテ勢先行し上陸せよ」


 輸送船から私に向けて指示が飛んでくる。私は旗を振って合図をし、快速船全二十隻が輸送船を追い抜いて急速に南下し始めた。


 私たちが上陸する予定の場所は、ファヤー港から南に徒歩で半日ほどの場所にある名も無い浜辺だった。人の住んでいる地域から離れた場所なので地図に記載などあるはずがなく、私たちはその場所を勘で探すことになっていた。そもそもその浜辺の存在は、防衛十字軍時代にファヤー港を訪れたことのあるソマスが「こういう場所があった気がする」と言い出し、それにモーガンも「確かに、俺も覚えがある」と証言したことで明らかになったのだ。だから、存在はするのだろうが、詳細はほとんど不明だった。


(とりあえず、上陸できそうなところがあったら上陸してしまえ)


 私はそのくらいに思っていた。


 ファヤー港を過ぎてしばらく船を飛ばしても、湖岸の地形が切り立った崖続きのため、私はとてつもない不安に襲われたが、あるところで突然崖が終わり、砂浜が現れた。湖底は遠浅だったが、快速船ならそのまま上陸できそうだ。私は全船に針路を変えて浜に向かうよう命じた。


 すると、その時。


 ひょうっと、一本の矢が飛んできて、近くの船の舳先に刺さった。咄嗟に陸の方を見ると、砂浜の奥にある崖の上に人影が見えた。


「敵襲! 総員、防御態勢を取れ!」


 兵士たちは皆、盾を自分の頭の上に掲げて身を隠す。やがて、湖岸から雨のように矢が降り注ぎ始めた。バシャバシャと湖水が跳ね返る音、グワングワンと盾に矢が当たる振動がする。どこかから兵士の断末魔が聞こえる。運悪く自分の盾と味方の盾の隙間から矢が刺さってしまったのだろう。私も生きた心地がしなかった。このまま無事浜まで辿り着ければいいが……と願ったが、そうはうまくいかなかった。


 ウッと声がしたかと思うと、私の船の漕ぎ手が動かなくなった。漕ぎ手は三人いたはずだが、私の船に攻撃が集中した際全員矢を受けてしまったのだろう。船はゆっくりと速度を落としていった。


「まずい、漕ぎ手がやられた! 誰か代わりに漕げ!」


 私はそう命じたが、誰も自分の身を守るのに精一杯で櫂を取ろうとしない。仕方なく私は漕ぎ手がいる位置まで這いずっていき、手を伸ばしてなんとか櫂を手に取った。幸い、私が手に取った櫂は、死体の手を離れても湖中に没することなく留まってくれていた。私は漕ぎ手の死体を押しのけて湖に落とす。


「おい、誰か私の分まで盾を持って私を守ってくれ! そのくらいはできるでしょ!」


 私が叫ぶと、ようやく近くの兵士が震えながらも盾を受け取った。私は櫂を懸命に操り始めるが、元々熟練したヴァイナイティアの水兵が三人で漕いでいたものだ。私一人で同じ速度を出すのは難しかった。他の船も同じような状況、あるいは私たちよりも酷い状況で、明らかに後れをとっている船も出始めてきた。


(このままだと、これ以上先に進めない……どうすれば……)


 上陸作戦もここまでか、と思った時、私の顔がふと温かみを感じた。天を仰ぐと、一面の炎が私たちの上空を覆っている。陸地から降り注ぐ矢は、その炎に遮られて灰や炭となって力なく湖に落ちていった。


「この術は……!」


 振り返ると、中型船に乗ったイレーネがこちらに向かって手を振っていた。私たちを支援するべく輸送船に先行して駆けつけて来てくれたのだ。イレーネは聖遺物「鈍白の霹靂」を身に着けてぼんやりと白い光を放っている。その聖遺物によって強化された彼女の神秘術"ラファエルの戒飭"が、私たちを支援するのに十分な炎を生み出すのだった。


「全船、前進せよ!」


 兵士たちも大いに勇気づけられ、全力で船を漕ぎ始める。漕ぎ手がやられた船はロアフォーレン侯領の兵士が代わって一生懸命に漕ぐ。私は鎧の内側に仕込んだ棘を体に刺し、霊漿液を聖雲氷に流すと、神秘術を使って櫂の回転速度を速めた。これによって私の船が先頭に出る。もはや全船が足並みをそろえる必要はない。イレーネの援護が続いているうちに、上陸できる人間から一刻も早く上陸しなければ。私は船底が湖底を擦るのも構わず、快速船を浜辺に突っ込ませた。


「各自、岩陰を見つけて隠れろ!」


 私自身、浜辺の北側にある岩陰まで走って身を伏せる。イレーネの神秘術の炎は、浜辺までは届かず波打ち際付近で途切れている。射程距離の限界のようだ。ここからは、私たちの力だけで対処しなくてはならなかった。ロアフォーレン侯領の兵士たちが私に続いて続々と上陸してくる。二十人ずつ二十隻に乗っているので、計四百人。これだけいれば、出来ることは多そうだ。


(とりあえず、崖の上にいる弓兵たちをなんとかしよう。そしてソマスさまたちが安全に上陸できるようにして……)


 近くの岩陰にいた兵士に目配せをして動き出そうとした時、謎の空間の揺らぎとともにその兵士が突然消えてなくなった。驚いて崖の上に視線をやると、ほのかに紫色の光がぼんやりと見える。


(あれはもしや、聖遺物の光……?)


 状況を見極めようと辺りを注視していると、もう一度視界の中で何かが揺らいだかと思うと、別の数人の兵士の体が岩ごと砕かれていた。崖の上にいる何者かからの強力な攻撃を受けていることは明らかだった。しかもその攻撃は岩をも貫通するので隠れていても意味がない。誰かが「崖に向かって走れー!」と叫ぶ声がし、私たちは一斉に走り出した。走っている間にも、何人もの兵士の命が刈り取られていく。攻撃が自分に当たらないよう祈りながら、私はなんとか崖の直下に辿り着いた。ここならひとまず崖の上からの攻撃を回避することができる。


(でも、後続を待つとかいう状況じゃなくなっちゃったな……)


 湖上の方を見てみると、沖には輸送船が錨を下ろし、軍勢が小舟に乗り換えて遠浅の湖をこちらに向かってくる。その小舟のうちの一隻も、私が見ている間に頭上から飛んでくる謎の攻撃とともにたちまち湖底に沈んでいった。


「まずいな。このままじゃ誰も上陸できなくなる。その前に崖の上へ攻めのぼらないと……」


 パイシェンが私の横までやってきて耳打ちする。


「ど、どうしましょう」


 崖の上へ通じる道は一本で、そんなところを悠長に上っていったら確実に待ち伏せされて殲滅される。どうにかして敵の裏をかくのが必要だった。ただ、崖の上にいる敵の数は大したことは無いはずだ。飛んできた矢の数から察するに、千も二千もいるわけではなさそうだ。そもそも、ここはファヤー港から徒歩で半日ほどの市だから、私たちの船を見てから敵が動き出したとすれば、馬で移動できる兵だけがここに駆けつけたのだろう。だとすれば……。私は奇襲を行う覚悟を決めた。


「よし、私は十名ほどで崖を登ります。残りの兵たちは、パイシェンどのにお預けします」


「あ、おい……」


 私は近くにいた兵士十人を指名し、先に少し崖をよじ登って手を差し出す。先頭の兵士が私の手を握ると、私は神秘術を使ってその兵士の動きを速め、崖を登らせる。そしたらまた次の兵士を……という風に、次々と兵士をある程度登らせると、今度は私自らが崖を登って、戦闘の兵士に追いつきまた手を差しのべる。このやり方で、神秘術なしでは考えられない速度で崖を登る奇襲隊が完成した。


 他の兵士たちは、パイシェンに率いられて崖の上へ続く普通の一本道を進んでいく。私たち十人の奇襲隊と呼吸をあわせて攻撃を開始するためだ。私たちは崖の上からの攻撃が続く音を聞きながら、無心で崖を登る。一刻も早く味方を救うべく、上にいる敵と戦わなければならない。焦る気持ちを抑えて、慎重かつなるべく急いで手と足を動かす。重くなり過ぎないように、槍は下に置いてきている。それでも、鎧を着こんで背中に盾を背負った状態での崖登りは骨が折れた。


 ようやく崖の頂上付近に着いた時、私たちは一旦動きを止めて、呼吸を整える。私は兵士たちの前で数を数え、


「今だ!」


 合図をすると、奇襲隊の十人は一斉に頂上に這い上がる。私は神秘術の作用で真っ先に登り切り、何が起こっているのか把握すらできていない敵兵の一人を剣で斬り捨てた。


「ワ、敵襲だ!」


 続いて、慌てて馬に乗ろうとする敵兵をみとめてこれも瞬時に斬る。


「誰も馬に乗らせるな!」


 こちらは全員歩兵になっているので、騎兵と戦うのは分が悪かった。幸い、敵は弓を射るために全員馬を降りていた。


 敵方はなお混乱に陥っているものの、武器を手に取ってこちらの奇襲部隊と戦うとする兵がちらほら増えてくる。こちらは十人とももたついている敵兵を斬って善戦していたが、次第に状況が苦しくなってきた。


「突撃ーっ!」


 その時、敵軍を挟んで私たちとは反対側で、赤い十字の旗と「マリア、マグダラ」と書かれた旗が翻った。臨時にパイシェンに率いられているロアフォーレン侯領勢の上陸組が攻撃を開始したのだ。敵兵は、思わぬ方向からの攻撃の連続に明らかに困惑していた。


「敵中を突破して味方と合流するぞ」


 奇襲隊の十人に声をかけ、敵兵の群れの中に斬りこんでいく。こうすることで敵陣をかなりかき乱せるはずだ。神秘術を駆使して、突きかかってくる敵を軽々かわしながら、私は斬り進んでいく。予想以上にうまくいったな。心の中でほくそ笑んでいると、不意に紫色の光が視界いっぱいに広がった。


(な……?)


 ふと一歩後ずさって見ると、紫色の光を発する武者が目の前に立ちはだかっていた。


(あいつだ、よく分かんない攻撃を出す、聖遺物の奴!)


 まずい、と本能的に感じた。紫の武者は剣をこちらに向け、小さく弧を描きながら振り下ろす。私は咄嗟に防御の神秘術を使う。神秘術は、その性質を逆に使えば、相手の神秘術・魔術を打ち消す防御の神秘術として用いることができる。しかし、聖遺物によって増強された敵の攻撃を防ぎきるには至らず、私の体は物理的衝撃を受けて後方へ吹っ飛んだ。

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