偵察行
遺跡の穴からあふれ出した魔獣は明日の朝には帝都を襲撃するでしょう。食欲の権化となった魔獣たちは美味しい人間の肉をもとめて帝都に向けて進んできています。
救いがあるとすれば、進むスピードが意外とゆっくりしていることでしょうか。魔獣にだって体力には限りがありますが、文字通りの暴走状態にはなってません。
少しは対策する時間に余裕が出ます。
太陽が沈む前になんとか帝都に滑り込んだ私たちは、すぐにマーケレス公爵に報告しました。
「詳細はリフーノさんから聞いてくださいまし。わたくし、日の出前には一度偵察に出ようかと思いますので、申し訳ありませんが、すぐに夕食を。それからベッドをお借りします」
ほとんど言い捨てる形になりましたが、ちゃんと食事と部屋は用意してくれました。
まだ暗い内に起きて、偵察に出発です。どうやらマーケレス公爵は徹夜で関係各方面に指示を出しているようで、執務室のほうには人の気配がしました。リフーノさんも一緒に仕事をしているのでしょうか?
貴重な時間をとらせるわけにもいかないので、そのまま黙って出かけようとしたら、ベンとアンが見送ってくれました。
「ご武運を」
「ご無事で」
2人揃って頭を下げました。
「危なくなったら、ちゃんと逃げてください。もしよかったらですが、わたくしのところにきていただいてもよろしいですから。もちろん、無理にとは申しません。そういう選択肢もあると、頭の片隅にでも」
今後、どうなるかはあまりにも不透明すぎますが、魔獣の群れを押し返すか、殲滅させなければ帝都は壊滅でしょうね。もちろん、住人も含めて。
その最悪の事態が発生したとしても、ちゃんと2人には逃げる場所はあるのです。
マーケレス公爵が情報収集に使っているらしい人材ですから、とっくに私の家名も知っているでしょう。優秀な諜報員であればストレリツィ侯爵家で雇っても損がないはず。いつでも転職可能だよ、と誘っておきました。
「これは?」
「冒険者の強制徴集がはじまったようです」
まだ日が昇るまで数時間はあろうという、真夜中をやっと過ぎた時間だというのに激しく打ち鳴らされる鐘の音にびっくりして尋ねると、ベンが冒険者ギルドが街の冒険者を集めているのだと教えてくれました。
そういえば登録のとき、そんな制度があると説明がありましたね。ギルドの要請に応じて強制徴集され、応じないとペナルティーがあるとかなんとか。
私もEランク冒険者ですから応じる義務があるのですが、そんなことより偵察のほうが大事。ペナルティーがどうなるか知りませんが、お金で解決することか、権力でなんとかなるなら侯爵令嬢パワーの見せ所ですよ。
そのまま私は偵察に出発しました。
たくさんいるなーとか、うちの裏山でもこんなに大量の魔獣を見ることは少ないな、などとスタンピードを眺めていたのですが、よく考えてみれば元を閉めないといけません。
いままでたまっていた魔獣は逃げ出したとしても、結局のところ立坑はダンジョンなのですから時間とともに新しい魔獣が湧くでしょう。そのときに蓋がなければ、外に出てきてしまいます。
そうなると、いつまでたっても終わりません。
慌ててアグリファットまで戻りました。
その途中で昼食会をやった街も通りましたが、同時に大火事と台風と津波に襲われたような惨状。家の土台は残っていますが、建物そのものは消滅しています。台所から出火したのか、炎を吐く魔獣に焼かれたのか、焦げた建材がいくらか残っていても、使えそうなものはなにもありません。
犠牲者は……どのくらいか見当もつきませんね。いちおう避難を呼びかけてあったはずですが、全員が素直に従ったわけではないでしょう。目の前に危機が迫らないと動かない人も多いですから
でも、スタンピードの場合、目の前に魔獣がやってきてから慌てて駆け出しても逃げ切れるものではありません。美味しそうな餌を見つけたときの魔獣の素早さといったら、人間の全力ダッシュの何倍ものスピードですし。
それに街から逃げ出して全財産を失ってしまったら、どうせ生きてはいけないと死ぬのを承知で留まった人もいたと思います。
前世の日本だと災害で家を失っても避難所が用意されて、食べ物や水が支給もありますし、しばらくしたら仮設住宅が建ったり、行政が支援してくれたり、ボランティアや義援金が集まってきたりと、損害が完全に補償されて元の生活に戻れるわけではないとしても、いろいろ手助けしてもらえますけど――この世界では災害で家を失ったら、その日からホームレスですよ。特に街全体が被害に遭う大規模災害だと個人に対しての支援なんてまったく期待できません。
ここがこんな状態だと、アグリファットは……と覚悟していたのですが。
まあ、なんというか……想像していたより、きれいな状態ですね。死体がゴロゴロしているような惨状ではありません。
人間であろうと魔獣であろうと、地面に倒れたものは全部が餌になってしまったようです。
食べられない武具や甲冑の残骸みたいなものがあちこちに散らばっていますし、地面に血が染みこんだ痕跡はあるものの、肉とか骨の部分は見当たりませんでした。
いまダンジョンから出てきたのか、意地汚く残り物をあさっていたのか、キラーアントが何頭かいましたが、さっさと雷撃で処理していきます。
外骨格が硬いので風や水の属性魔法で切るのは効果が薄く、火でもなかなか焼けないのですが、電気には弱いみたい。割と簡単に死にます――まあ、たいていの虫は電撃で死にますし、それが大きくなったところで性質はそこまで変わりませんよ。
そんな陰惨な現場の片隅に踏み潰された花が1輪。幸い、潰れているのは茎のところだけで、花は無事でしたから手折ってマジックバックに放り込んでおきました――たった1つの生き残りを救出というわけでもないけれども。
巨大マンホールが壊れていたらどうやって封じるか心配でしたが、まったくの無傷。私でもよくわからないレベルの魔法が付与された魔道具の一種ですから、そう簡単には壊れないのでしょう。きっと伝説級とか、神話級などと評価される魔道具だと思われますので、本当なら回収してしまいたいところなんですけどね。
マジックバックに入るかどうかは微妙。容量的に厳しいかもしれないですけど、試したらできそうな気も。
さすがに、こんなサイズを収納する機会はいままでなかったから、はっきりとはわかりません。
ただ……こんなに大きいと売れそうにないですよね。人間が使えるサイズで魔獣が避けていく盾とかなら結構な値段がつきそうなのですが。
あるいは小さくて、飾れるものなら骨董品が好きな貴族に売りにいってもいいですし。
こんなものに喜んで大金をはたきそうなのは、うちの家の連中しか思い当たりません。
自宅に持って帰ったら、さっそく裏山のダンジョンに立坑を掘りはじめるでしょうね。
戦闘民族が自分とやりあえる強い魔獣を求めるのなら、まあ、いいですよ。いつものことですし。
ただ、私も突き落とされるでしょうね、たぶん。侯爵家の連中ときたら強い敵と戦うチャンスをもらえるのをご褒美だと勘違いしているところがありますので。
きっと私が喜ぶだろうと立坑に突き落として底の底にいる強い魔獣と戦わせてあげようと、完全なる善意で私のために異世界蠱毒でヤバいのを用意します。
うん、やっぱり回収はやめておきましょう。
蓋がなくなってダンジョンがむき出しの状態で放置されれば、今回のスタンピードほどではなくても、つねに帝都の近くに魔獣がうろつくような状態になってしまいます。そうなったら最悪は帝都の放棄。もっと安全なところに遷都するしかなくなりますから。
遷都した場合、皇帝や貴族はいいとしても平民の中には引っ越しする資金もなく、放棄された街に取り残されるケースも多いでしょうね。
私の家も不動産としての価値がほとんどなくなってしまいますし。
さっさと蓋を閉めたほうがいいようです。




