逃げろや逃げろ
穴の中の魔獣を従えるなんて、ただの夢物語だったようです。現実はどんどん穴から魔獣があふれ出し、とてもではないですが手がつけられません。
魔獣の群れは視察団も、その護衛のみなさんも、近衛騎士団さえ壊滅させて地上にどんどん出てきます。
これは魔獣の集団暴走――いわゆるスタンピードのはじまり。
救いがあるとすれば、普通なら興奮して見境なくなるはずなのが、意外と落ち着いた様子で、走るのではなく、歩く程度のスピードで進んでいるところ。時間が稼げれば、それだけ対策できます。
ただし、スピードが遅い分、脱落する魔獣がいないようで、おおよそ10000の群れがかたまったまま進行中。
しかも方向は帝都。
気をそらして別方向に誘導できないか、遠くから魔法を撃ってみたり、大声で叫んだりしてみましたが、まるっきり無視されてしまいました。
しかたないです。全力で帝都に先まわりしましょう。
ひさしぶりに全開で飛ばすと、先行させたはずの公爵家の馬車が見えてきました。
トンと屋根に飛び乗る。
「曲者!」
同時に鋭い刃先が私の足下に生えました。
アンが隠し持っていた短剣かなにかで不審な物音の発生源を殺処分しようとしたのでしょう。
すぐに謝ります。
「わたくし、ルイーズですわ。行儀の悪いことをした自覚はありますけど、緊急事態ですので許していただけると助かります」
しばらく馬の蹄鉄が地面を刻むパカパカという足音と、馬車の車輪がたてるガラガラという騒音だけが周囲に響きます。
バンと扉が開き、アンが身を乗り出して屋根の上に顔を出しました。高速で疾走する馬車でアクロバットのまねをすると危ないですよ?
「失礼しました!」
「こちらこそ。戻れるとは思ってなかったので」
「途中の街で避難するように呼びかけていましたら、意外と時間がかかりまして」
「ああ、それで」
「魔獣はどうなったのでしょうか?」
「とりあえず車内で」
アクロバットは危ないと言っておきながら、今度は私が走っている馬車の屋根から車内に滑り込むことになりました。まあ、この程度たいしたことないですけど。
「どういう状況か説明を求めます」
リフーノさんが再起動に成功したようで、キリッとした顔になっていました。
それで私は見てきたまま、視察団の残りの人たちと、その護衛、あそこにいた近衛騎士団などが魔獣の群れに飲み込まれたと言いました。総数はさっと10000。下はゴブリンから上はベヒモスまで。
「通常のスタンピードみたいに暴走はしていませんが、帝都の方角に進んできております」
「このままいくと……」
「はい、帝都は魔獣の群れに襲われます」
「そらすことができないのか?」
「試してみましたが、上手くはいかなかったです」
「どうして魔獣は帝都を襲おうとしているのか理由がわかるか?」
「推測ですが、帝都を襲おうとしているのではなく、人の多いところを目指しているかと。たいていの魔獣は人間の気配に敏感ですし、嗅覚が発達している魔獣は臭跡を追えますから」
まれに知能が高い個体もいますけど、基本的に魔獣は本能だけで生きています。その本能の一番は食欲。魔獣にとって人間は動きが遅くて、簡単に狩れる餌ですよ。栄養のあるものを食べていれば脂肪がつきますしね、肉脂あふれる美味に感じられるらしいです。
あんな穴に長らく閉じ込められていた魔獣ですから、きっと優先度の一番上にあるのは美味しいものを食べることに違いありません。
そして、このあたりでもっとも人間が多いのが帝都です。さらにアグリファットに観光にいくのも帝都からいく人が多いのですから、いま私たちが使っている道にはたっぷり美味しそうな人間の匂いが染みついているはず。
他の方面に気をそらすのは難しい情勢。
しばらく頭を抱えていたリフーノさんでしたが、いきなり私にすがりつくようにして懇願しました。
「討伐できないだろうか?」
「10000頭もいるのに、ですか? 帝国でも指折りの貴族や近衛騎士団でさえ数に押しつぶされましたのに」
「少し減らすのなら、できるのではないか?」
「10000が9000になったところで、帝都が壊滅するのは確実かと思われます」
「なんとか足止めできないだろうか?」
「10頭とか100頭ならやれますが、10000頭では道端の小石ほどの効果がせいぜいですわ」
「終わり……か……」
「ストランブール王国との戦争の準備に帝都の近くも軍を召集しているという噂ですが? もし魔獣と同程度の兵力が集められるなら、あるいは防衛戦での勝利も可能かと」
「一般兵ではゴブリンくらいでやっとだ」
「数に押し潰されてしまうのが一番の問題です。1対1なら勝てる魔獣でも、それを倒す前に2頭目3頭目に襲われたら、最初の1頭すら倒せずにあっさり殺されてしまうでしょう。強い魔獣と戦える実力者でも、その戦いの最中に横や後ろからゴブリンに襲われたら、簡単に殺されてしまいます」
「特別な精兵でなくても、魔獣と同程度いれば少しは勝負になるのか?」
「そういう認識でよろしいかと。全員が高レベルの魔獣と戦う必要はありません。ただし、高レベルの魔獣と戦える人が、それに専念できるよう、低レベルの魔獣をしばらく抑えてくれる人がたくさん必要です」
この馬車は夕方までには帝都に到着するでしょう。
スタンピードは進行速度が急に上がらない限り、早くて明日の朝。
つまり私たちには1晩くらいは時間があります。それまでに軍を動かすことができれば帝都は助かりますが、はたして皇帝はどうするんでしょうね?
ブックマーク、評価ありがとうございました!
とても嬉しいです。今日も書くパワーをいただきました。