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12 エイプリルフール

 

 芳しいコーヒーの香り。決して主張をしない、ホルストのメロディー。

 カウンターの上では、サイフォンが心地好い音を立てている。


 町外れの喫茶『シャングリ・ラ』は、そこに座るだけで、まるで大人の世界に足を踏み入れたように感じる。


 いつものテーブルに一人座る俺は、広げたノートに向かってため息をついていた。

 まがいなりにも剣道部副部長をつとめる者として、恒例の難問が目の前に立ちはだかっていた。

 新入生への部活動紹介。

 いつからか、剣道部ではその紹介文の作成を副部長が行う習わしとなっている。

 俺は甘ったるいアメリカンを一口含み、一年前のあの日を思い出す。



      *



 体育館にずらりと並んだ新入生達。彼等は、これからの高校生活に対する憧れに、眩しいほどキラキラと瞳を輝かせている。


 体育館の舞台上では、バスケットボール部員によるパフォーマンスが佳境を迎えていた。

 男子部員と女子部員の六人が、広げた両足の下で八の字ドリブルをしている。あまりもの高速ドリブルに、ボールの残像しか見ることができない。


「おお、すげえ」


 体育館の壁際で出番を待つ剣道部員達の先頭で北條先輩がつぶやく。

 

 体育館を震わすような拍手と歓声が響く。


『我々バスケットボール部は、男女合わせて三十五人です』


 舞台上のドリブル音に負けない、よく通る女性の声が放送される。

 舞台袖では、タンクトップに短パンのユニホームを着た女子がマイクを握っていた。タンクトップを押し上げるあの胸の存在感。…… 神崎ミヤコだ。


『男女仲良くインターハイ目指して頑張っています』


「おお、すげえ」


 鼻の下を伸ばす北條先輩の後ろでは、薮中先輩が「卑怯だ」とつぶやきながら首を振る。


『バスケットボールをしたこと無い人でも、私達が手取り足取り優しく指導するからね』


 称賛の嵐の中、バスケットボール部員達は舞台の袖にはけていった。


『続きまして、剣道部の紹介です』


 某漫画から一向に人気がやまないバスケットボール部の紹介に、今だ熱気がさめやらない体育館。

 司会者の声に押され、その舞台上へ、男女剣道部員達か上がっていく。


『えー、コホン』


 部員達が並び終えた事を確認した北條先輩は、マイクを握った。

 が、耳をつんざくようなハウリング音が鳴り響き渡る。その不快な音が収まるころ、新入生達は両耳を押さえて静まりかえっていた。


『僕たち男子剣道部は三年と二年合わせて九人です』


 北條先輩の棒読み台詞が静まりかえった体育館内に響く。


『二年生は四人しかいないので、入れば夏からはレギュラーです。県大会優勝を目指して頑張ってるので、……』


 マイクを持ったまま固まる北條先輩。えもいわれぬ緊張感が、舞台上の男子剣道部員に広がっていく。

 

(格技場に見に来て下さい)


 しびれを切らした薮中先輩が、マイクに拾われないように小声でささやく。

 しかし、ガチガチに緊張した北條先輩には、まさに馬の耳になんとか。


『………… てくだしゃい!』


 北條先輩の声が虚しく反響していく。


 パチ、パチ、パチ


 仕方なく送られる疎らな拍手。一様に肩を落とす男子部員の前を、颯爽と緑川先輩が歩いていく。


『新入生諸君!』


 北條先輩からマイクを奪い取った緑川先輩は、舞台のヘリまで進んでいく。


『同じ三年間、どうせ過ごすなら、一緒に日本一を目指さないか!』


 女子生徒達から歓声が上がった。常に県内一の成績を誇る女子剣道部。この高校に入学した女子の中には、剣道部に憧れてきた者も多いという。


 その日の午後、男子部員のみがやたら広い格技場でいつも通りの練習をこなしていた。

 女子部員は殺到した入部希望者への説明会を別室で行っていたらしい。



      *



 悲し過ぎる。


 あの状況をごまかしきって乗り切った北條先輩は尊敬に値する。

 でも、やっぱり悲し過ぎる。


 ハァ〜


「ちょっと、陰気くさいため息吐かないでよ」


 突然の声に、俺ははっと顔を上げた。


 西小路紗耶香。


 白のパーカーを着た彼女は、蔑む視線で俺を見下ろしていた。


「あ、ごめん。全然気付かなかった」


 俺は慌ててテーブルの上のノートを閉じて頭を下げる。


「ふーん。まあいいんだけどね。そんなことより」


 長く艶光る髪の毛を耳にかけ、椅子に座る彼女。

 

「エイプリルフールって、ありゃなんだ?」


 彼女は、油断していた俺に向かって研ぎ澄まされた刃のような視線を向けた。

「え? ああ、今日エイプリルフールだったね」


 そういえば今日は四月一日。世間ではエイプリルフールの日だったか。

 学校は春休み、部活も職員会議で休みということもあり、完全に忘れていた。


「世間的には、嘘をついてもいい日、みたいな」


 あれはいつのことだったか、イギリスのビッグ・ベンがデジタル化されるにしたがって、あの時計の針を売ります、なんてのもあったな。


「うち、これは大企業による陰謀やと思ってるんや」


「と、いいますと」


 彼女とこうして会うようになってから、俺も陰謀論に興味を持ちはじめていた。なぜなら、彼女が陰謀論を持ち出す時は、


「ついに腕時計型携帯電話が販売されよるて聞いて、調べまくってしもたわ」


普段、そのツンツンぶりで世間を拒絶している彼女が、その壁の隙間から胸の内を見せてくれる時だから。


「俺もあれは本当だと思ってた。エイプリルフールだったんだね」


 実際、今日の朝のニュースで、リンゴマークの某大企業の社長が発表しているのを見ていた。

 まあ、腕時計型携帯電話よりも、あの社長みたいにかっこよく部活紹介できたらな、って見ていたけど。


「うち、めったに携帯見やへんから、よく置き忘れるねん。だからこれや! て思ったのに」


 足を組んで椅子に座る彼女は、親指の爪を噛みながら俺を睨みつける。


「やつらは、エイプリルフールを利用して市場調査しとるに違いないんや!」


 ふむ。あながち間違えとは言えないが、俺には陰謀よりも気になった言葉があった。「めったに携帯見やへん」……。俺がメールやラインを送ってもめったに返事をくれない彼女。


 思い切ってそのあたりを聞いてみよう。


「紗耶香ってさ」


 コーヒーカップを持ち上げた俺は、恐る恐る彼女を見ながらつぶやく。

 悲しいかな、俺のつぶやきは、注文を聞きに来たマスターによって断ち切られてしまった。


「ご注文なのですが」


 マスターはテーブルに水が入ったコップとおしぼりを並べながら、彼女に笑いかける。


「今日はおすすめのコーヒーがあるのですが」


「マスターがコーヒーをすすめてくれるなんて珍しいわね。どんなコーヒーですか」


 姿勢を正して椅子に座り直す彼女の質問に、マスターが笑顔で答える。


「実は"宇宙コーヒー"を入荷しまして」


「宇宙コーヒー?」


 興味を引かれたのか彼女が身を乗り出す。


「ええ、まだ世間には知られていませんが、秘密裏に建造された月面基地で栽培されたコーヒー豆を入荷しましたので」


 絶対嘘だ。俺は呆れた顔でマスターを見あげる。


「ふーん、まあ、あのN○SAならやりかねないわね。いいわ。それでお願いします」


「かしこまりました」


 頭を下げたマスターは、お盆を脇に抱えてカウンターに戻っていった。


 宇宙コーヒー、いったい……


 俺はポカンとカウンターを見る。


「ああ、そういえば、何でため息ついてたの?」


 彼女は腕を組み、ちらちらとテーブルの上のノートを横目で見ていた。


「ああ、ほら、今度の部活紹介の台詞考えててさ」


 俺は何も書かれていないノートを開いた。


「なんだ、何にも書いてないじゃない」


「うーん、いろいろ考えてるんだけど、どれもパッとしなくてさ」


「ふーん」


 情けなさに頭をかく俺をチラリと見た彼女は、ノートを引き寄せると、テーブルに転がっていた鉛筆を握った。


「どうせ、エイプリルフールなんやし、一回めちゃくちゃ書いてみたら面白いんとちゃう?」


 言うや、彼女は、なんの躊躇もなく、真っ白のノートに鉛筆を走らせていく。

 俺は彼女の腕の隙間から、ノートを覗き見る。


『設定1:電車の中』


 席の奪い合い。満員電車の中、一つだけ空いた席を巡り、剣道の道具を身につけた二人の男が対峙する。 

 すかさず、紅白の旗を持った客が審判として現れ、席を賭けた試合が始まる。


「え、な、何なのそれ」


 ノートを見ていた俺は思わず、声を出していた。


『設定2:告白』


 校舎の裏、男子に呼び出された女子。男が告白しようとすると、「ちょっと待ったー!」と飛び込んでくるもう一人の男子。剣道の道具を身につけていた男子二人は、竹刀を取り出して対峙。すかさず女子が紅白の旗を持って……。


『設定3:セクハラ教師』


 女子にセクハラ言葉(?)を繰り返す教師。思いを寄せる男子が「その子から離れろ。このセクハラ野郎」と言いながらおもむろに立ち上がり竹刀を抜き出す。女子が紅白の旗を持って……。


「それって、部活紹介?」


 鉛筆を止めた彼女は、俺の顔を見てコクンと頷く。


「なんか創作意欲に火がついたわ」


 彼女は、桜のつぼみのような唇に薄ら笑いを浮かべていた。


「部活紹介で劇をやるって事?」


「うん」


「なんで?」 


 俺の問い掛けに彼女は、当たり前のように答える。


「去年、新入部員、ほとんどいなかったやろ」


 くっ、それはその通りなんだけれど。

 ど直球であの惨状を突き付けられた俺は、逆に一種、清々しい気持ちで頷いていた。


「だったら去年と違うことしなあかんわ」


 確かに彼女の言う通りかもしれない。

 だいたい、相手は新入生。恥をかいたとしても、一年間がまんすれば……。自分の中では黒歴史になるかもしれないけれど。


「だったらさあ、いきなりそんなの始めたらみんなびっくりするだろうからさ、たとえば『もし剣道をやってるとこんな時に役立ちます』みたいな説明があった方がいいかも」


 演劇部でシナリオを作っていた彼女の手前、でしゃばりすぎかもしれないが、俺は素直な感想を伝えた。

 最初こそ、いぶかしげに俺の話を聞いていた彼女だったが、次第にその瞳をクリスタルのように輝かせていた。


「ええやん。観客としての意見は重要やで」


 彼女は頷くと、書き綴る設定に、司会者の言葉を書き足していく。


「設定はどうやろ。いろいろ思いつくけど」


 鉛筆を止めた彼女は、意見を求めるように俺の顔を見る。

 頷いた俺は、コーヒーを口に含み、しばらく考える。


「現実問題として、女子の協力は貰えないから、電車のがいいかも。みんなも経験してるだろうし」


「試合自体は、割と本気でやるとしてやな、結果でやっぱりオチが欲しいところやな」


「この前見たんだけど、空いた席に我先と飛び乗ったおばさん二人が先を争ってる間に、横から来たおばあちゃんが普通に席に座ってた。みんなクスクス笑ってたよ」


「いいやんそれ。じゃあ、試合してる間に席を取られる設定にしてみるわ」


 ノートに設定が書き加えられ、消しゴムで消され、また書き足されていく。


 結局、真っ白だったノートは、書いては消しの繰り返しにより、真っ黒になっていた。


「思ったんやけど」


 鉛筆のせいで黒くなった手の平をおしぼりど拭く彼女は、俺の顔を見る。


「もう、剣道の道具付けて電車乗ってるだけでもオチてるわな」


 満足そうにノートを見た彼女は、もう一度俺を見て苦笑いをする。

 春を迎えた花が、恥ずかしそうに花びらを開いていくような、控えめな笑顔。


 そんな彼女の手元にコーヒーカップがコトリと置かれた。


「"宇宙コーヒー"です」


 いつのまに立っていたのか、マスターは、髭を撫でながら笑っていた。

 テーブルの上のコーヒーカップの中身はどう見ても普通のエスプレッソに見える。

 彼女もそう思ったのか、しばらくコーヒーカップを見ていたが、少しして頷くと、エスプレッソコーヒーを口に含んだ。


「うん。さすがNA○A。地球産と寸分違わぬ美味しさだわ」


「低重力下において、授粉作業にとても苦労したと聞いております」


 マスターは頭を下げるとカウンターに戻って行った。

 

 なんだか嘘かホントか分からなくなってきた。


「ちょっともらってもいい?」


 俺の言葉に彼女は、少し顔を赤らめて「うん」と頷き、コーヒーカップを差し出した。

 コーヒーカップを持ち上げて、まじまじと眺めてみる。やはり、何の変哲もない普通のエスプレッソである。

 カップに口を付けて、一口含んでみる。

 凝縮された苦み。

 一体どこが"宇宙コーヒー"なのだろう。


「国際宇宙ステーション、知ってる?」


 彼女の言葉に頷きながら、コーヒーカップを彼女の手元に戻した。


「イタリア出身の宇宙飛行士が、実験器具なんかと一緒に宇宙に持っていったのが、エスプレッソマシーンだったの」


 イタリア人らしい発想だと思う。日本人ならば、お茶の道具を持っていくという事だろうか。


「宇宙空間で飲むエスプレッソはどんな味がしたのかしらね」


 彼女は、しばらくコーヒーカップを眺めていたが、ゆっくりと、そのシットリとした唇をカップに付けた。


 なんだか騙された気がする。少し意地悪したくなった。


「どこかで聞いたんだけど、エイプリルフールって、嘘をついていいのは午前中だけって」


 彼女はカップから口を離して笑う。


「国際宇宙ステーションでは、世界標準時間を採用しているから、まだ午前中よ」


 にやりと笑った彼女は、誰もいない店内をさっと見回すと、テーブルの上に身を乗り出して、小声で言った。


「間接キスだね」


 彼女の言葉に、俺の心臓がアクセル全開で暴走を始めてしまう。



      *



 雲の間から夕日が差し込む。


「部活紹介どうするの?」


 俺の手を握る彼女が前を見ながら言う。


「一応、主将山中には見てもらうけど、あいつ、意外と真面目だからなあ」


 俺は夕焼けの空に主将山中の顔を思い浮かべてみる。すぐに片手をかざして振り払う。


「一緒に考えるの楽しかったね」


 身を寄せて笑顔を作る彼女。「間接キス」の言葉を思い出した俺は、また鼓動を速める。


「で、思いついたんだけど、あのノートをネタ帳にして、漫才のネタを一緒に考えようと思うんだけど」


 ふっくらとした、愛おしい唇から放たれる言葉に逆らう事などできない。

 

「お、おう」


 俺は頷いて、視線を前に向けた。

 出来るならば……

 文化祭で漫才もエイプリルフールって事に。


「ん? 何?」


 チラリと見た彼女は、夕日を映しこむ黒真珠のような瞳で俺を見ていた。


「なんでもない。忙しくなりそう」


 彼女は「うん」と小さく頷く。

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