13 挿話 四月六日 三限目『学級活動』
自分の名前、特に苗字が好きな人はどの位いるのだろうか。
小山隆史は、この時期になるといつも自分の苗字に感謝していた。
新学年、クラス替え後の微妙な雰囲気の教室。二年の段階から、特別進学コース、理系コース、文系コースに別れている新浜高校では、あまり派手なクラス替えはない。実際、小山の所属する三年二組には、二年のクラスメートが半分以上残っていた。それでも、初日はやはりそれぞれが牽制しあうものである。たまたま机が近い知り合いがコソコソと話をし、その他の者は、特に興味も無いにもかかわらず、真新しい教科書を開いてみたり、寝ている振りをしたり。
この時、『小山』という名前は素晴らしい効果を発揮する。
クラス替えの度に実施される席替え。この国では窓際の一番前から出席番号順に新しい席が自動的に割り当てられる。この風習により、小山は常に窓際の一番後ろという、特等席を手にする事ができていた。
教壇から一番遠く、クラスを見渡す事が出来、そして、暇つぶしに窓の外を眺める事ができる。
校舎三階にある教室の窓からは、グランドの向こう、こんもりと緑色に盛り上がる雑木林が見え、梢の先には、新浜盆地に広がる水田地帯がみらりと見えていた。そして、盆地を取り囲むように小高い山々が青霞み、少し霞みのかかる春の青空につながっていく。
春のポカポカ陽気にあてられて、小山は大きく口を開けてあくびをする。
ガシャン!
近くで床に物が落ちる大きな音が聞こえた。
口を手で押さえたまま音の方を見ると、床の上にピンク色の筆箱や、鉛筆等の筆記用具が散乱していた。
「はわわ〜 ごめんなさい」
小山の真横に座っていた女子が、慌てて床にしゃがみこむ。
確か、自己紹介で鈴木陽子と名乗っていた女子。女子ソフトテニス部副キャプテンの彼女は、焦げ茶色の短髪を乱して、よく日に焼けた褐色の顔、茶色がかったドングリまなこを小山に向けていた。
椅子の下に手を伸ばした小山は、転がっていたちびた消しゴムをつまみ上げ、床にしゃがむ彼女に手渡した。
「ありがとうございます」
サラサラと短髪を揺らした彼女は、消しゴムを受け取り頭を下げる。
「そんなになるまで消しゴム使い続ける人、始めて見たよ」
渡した消しゴムは、小指の先ほどの大きさまで、真ん丸に使いこまれていた。
「『物は大事に、最後まで』がわが家の家訓なのです」
彼女は、真っ白の歯を見せて小山に笑いかけながら、椅子に座る。
彼女は、筆箱から、鉛筆を一本つまむと、小山の方に突き出した。彼女がつまんだ鉛筆は一本ではなかった。それこそ、人差し指の先くらいの長さの鉛筆が二本、テープでくっつけられている。
思わず吹き出す小山。彼女は、うれしそうに鉛筆を筆箱に入れた。
「よーし、じゃあ、ホームルーム始めるぞ」
教壇の方から聞き慣れたず太い声が聞こえる。
思い思い時間をつぶしていた生徒達は、一斉に姿勢を正して、顔を上げた。
教壇に立つのは、熊のごとき巨体に、似合わないスーツを纏う剣道部熊田一、その人である。
「まず、委員会を決めないとな」
高校生活も三年目となると、それぞれの性格と、それに見合った役割が決まってくるもの。言い換えれば、面倒くさい委員会は、去年もしていたから、という理由だけで決まっていく。特に、クラス替えでほとんど入れ替えのなかったこのクラスではそれが顕著に顕れた。
学級委員、風紀委員、体育委員が、その理論にしたがって粛々と決まっていく。
「次は図書委員だな」
黒板に委員の名前を記入していた熊田が教室を振り返る。
教室の一番後ろ、窓際から手が上がっていた。小山だった。
図書委員といっても、仕事は、昼休みと放課後に図書室の受付をするだけ。あとは年末の棚卸しくらい。
去年から図書委員をしていた小山の名前が黒板に記入される。
「女子はいないか」
図書委員は男女二名。去年の女子図書委員は、クラスが変わっていた。
またもや、教室の一番後ろ、窓際近くから手が上がる。
「鈴木か。よし、次は保険委員」
進行していく委員会選び。小山は驚きの表情を隠さずに、鈴木を見る。
日に焼けた腕を下ろした彼女は、恥ずかしそうに笑った。
「なんか楽そうだし、私、こう見えて結構本好きなんだよ」
口に手を当ててささやく彼女はもう一度白い歯を見せて笑う。
「うーし。じゃあ最後に、イベント委員だな」
熊田の言葉に教室がざわつく。
そう。修学旅行、体育大会、文化祭等々のイベントの主導権を握り、卒業アルバムの制作を受け持つ、このイベント委員こそ、高校三年生にとっては最重要委員会であった。
「はい! はい! はーい!」
窓際、中ほどの席から突き出た腕が高く踊り上がっている。
「神崎か」
クラスの皆が拍手をする。
頷いた熊田は、黒板に神崎の名前を書き、教室を見渡す。
「男子は誰かいないか?」
打って変わり静まりかえる教室。
「佐々木君やりなよ」
女子の声が聞こえた。たしかに派手な彼にはイベント委員がよく似合う。
誰彼なく拍手が起こるが、佐々木は、長髪の髪をかきあげながら席を立つ。
「実は、デビューに向けてレッスンが入っててね。年末にはオーディションも重なるだろうし、ちょっと力になれそうにないんだ」
「デ、デビュー!」
「もしかして、ジュニーズ?」
クラス中から黄色い悲鳴が沸き起こる。
「ごめんね。まだ公にはできないんだ」
頭を下げた彼は、再び髪をかきあげながら椅子に座った。
興奮いまださめやらない中、クラスの皆は、教室の中ほどでふらふらと突き上げられた腕に気づく。
まっすぐ手をあげていた人物。剣道部主将山中颯太、その人であった。
「山中、部活と両立できるか?」
熊田の質問に主将山中は黙ったままコクりと頷く。
熊田が黒板に山中の文字を書くと、クラス中から疎らな拍手が起こった。
*
夕日が差し込む格技場。その側面に設けられた通用口の外に、上着をはだけた袴姿の男子達が転がっている。
想像はしていたことだったが、今日の鬼熊の稽古は熾烈を極めていた。
先日他校で行われた練習試合で、格下の溝部山高校に負けたことがその原因であった。
新浜高校剣道部の弱点はここである。試合後、鬼熊は男子部員を集めて言った。
「強豪校と互角の試合をしたと思えば、格下に惨敗する。どうしてか分かるか」
鬼熊は黙って俯く生徒達を見渡す。
「自分達の剣道が確立できてないからじゃ! 特に山中!」
先頭にいた山中が「はい」と震える声を出す。
「相手のバタバタしたペースに合わせてお前までバタバタしてどうするんじゃ。先鋒のお前があんな様じゃ勝てるもんも勝てんわ」
主将山中の相手は二年生だった。彼は、試合で打ち付けられた右手首を赤く腫らして頷く。
「帰ったら足腰立たんくらいしごいたるから覚悟しとけ」
両手を握りしめた山中は、体を震わせて「はい」と言いながら頭を下げた。
四月に入っても、日が沈む頃にはまだ肌寒い風が吹く。
汗と生傷にほてった彼等の体を冷えた空気が吹き抜けていく。一陣の風が吹き抜けるたびに、藍染めの袴がハタハタと揺れた。
「そういえば、主将、イベント委員になったらしいな」
上半身を起こし、ドア枠に背中を預けた西口が言う。
「ああ、あれはびっくりしたな。急にどうした?」
小山ものそりと上半身を起こす。
「特に理由なんてねえよ」
天井を向いたまま、主将山中はぶっきらぼうに答えた。
唇を尖らせる主将山中の顔が腫れ夕日に染まっている。
「いや、絶対おかしい」
床に俯せに転がっていたいた加山がジロリと顔を山中に向ける。
「なんでもねえよ。なんでも」
主将山中は、目を閉じると、皆からの視線を外すように体を回転させて、床に顔面を押し付けた。
「あやしいな。主将、もしかして好きな……」
ドア枠にもたれかかる西口がつぶやいた瞬間、その言葉を遮るように山中は、ジロリと鋭い視線を小山に向けた。
「部活紹介、あれでいくぞ」
「え、でも昨日『却下。なめてんのかこら』って」
小山と西小路紗耶香が二人で書いたノートをを受け取った主将山中は、チラリとページを見てそう言っていた。あまりに酷い感想に少なからず気落ちしていた小山は、紗耶香に打ち明ける事が出来ず、実は少し悩んでいた。
「やるったら、やるんだよ。配役とか考えといてくれよ」
「でも……」
小山の言葉を拒絶するように主将山中はまた床に顔を押し付けた。
「いったい、どういう風の吹きまわしで……」
頭をかいて困惑する小山をよそに、主将山中は、勝手にニヤつく口元を必死に床に押し付け続けていた。
―― 数時間前。
ホームルームが終わると、生徒達は各クラスの委員会ごとに割り当てられた教室に別れていく。
目的は、委員会業務の引き継ぎと委員長の決定。
美術室ではイベント委員会が会合を開いていた。
委員長については、全会一致で立候補した神崎ミヤコに決まった。
その後、次の会合の予定、五月に予定されている大阪、京都、奈良への修学旅行でのしおり作りの原案を各自で考えておくように、等が話し合われ、解散となった。
「山中君」
美術室を出たところで、主将山中は女性の声に呼び止められた。
「はい!」
直立不動で返事をした主将山中は、ギクシャクと振り返る。声の主はやはりイベント委員会委員長神崎ミヤコであった。
「柳沢先生が、部活紹介のテキストが届いてないって言ってたよ」
柳沢先生は、バスケットボール部の監督にして、学年指導であり、近々開催される新入生への部活紹介を取り纏めている。
「また去年みたいな……」
腕を組んだ神崎ミヤコは、大きな瞳でいぶかしげに主将山中を見る。
「いや、それは…… そう、実は……」
顔面を真っ赤にした主将山中は、覚悟を決めたように頷くと、神崎ミヤコに昨日小山に見せて貰ったノートの内容を話した。
「…… な案もあるんだけど、ちょっと無理、だよね」
肩を竦めて苦笑いする主将山中は、恐る恐る、神崎を見る。
張り裂けんばかりの胸の前で両手を合わせた彼女は、キラキラと輝く両目を彼に向けていた。
「いいじゃん! それ、絶対うけるよ」
「え、そ、そうかなあ」
恥ずかしさを隠すように主将山中は鼻っ柱を指でかく。
「なかなかやるじゃん! 楽しみにしてるからね」
神崎ミヤコは、主将山中の肩に手を置くと、パタパタと廊下を走っていった。
一人残された主将山中は、辺りを見回し、誰もいない事を確認したのち、腰に両手拳を添え、
「しゃあー!」
と叫びながら、思いっきりガッツポーズをしていた。
*
校舎を出てすぐの坂道、すでに桜の花びらは散り、その枝々には、盛り上がるような緑の葉が見えていた。
「お前、右の翼を破壊するって言ってただろ」
竹刀袋を背負った男子剣道部員達が、携帯ゲーム機を手に持ちながら歩いていた。
「俺は遠距離専門だからな、翼なら切断武器が行くべきだろ」
「うおー! 天竜玉出やがった!」
加山が空に向かって雄叫びを上げた。
「まじかよ。こっちは翼片ばっかりだわ。どうなってんだよこれ」
西口が力無くうなだれる。
「ちょ、お前等、本体まだピンピンしてるって」
画面を見ながら小山が言う。
「だから遠距離はダメだって、ここは俺が!」
主将山中が叫びながらゲーム機のボタンを連打する。
ポヨヨーン。
全員の画面に情けない音とともに『依頼失敗』の文字が浮かび上がる。
四人は同時にため息をついて携帯ゲーム機をかばんに入れた。
「相手に合わせてバタバタした狩りしやがって。エリアリーダーのお前がバタバタしたら勝てる狩りも勝てんわ!」
低い声、まるであの鬼熊のように主将山中を睨みつける加山が言う。
一瞬の間を置いて、四人は腹を抱えて笑いだした。
湿り気を含んだ暖かい風が葉桜を揺らす。
季節は春から夏へ。
美しくも、どこかはかなく、頼りなさげな花々がその花びらを散らしていく。 そして、いかな強風にも負けない、深緑の葉が力強く、縦横無尽に空へ向かって伸びていく。




