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異世界の愚か『もの』 ~世界よ変われ~  作者: ahahaha
デルト王国 ~望んだ望まぬ名声~
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64話 『対等』に

「全くもうっ! 何なのよみんなして!」


 きらびやか、とまではいかないものの、堅実さの中に品のよさを感じさせるつくりの廊下の中を彼女は歩いていた。

 父譲りの炎のような朱髪に、やや釣り目がちであるが端麗という言葉がぴたりと当てはまる、美女と美少女の中間の女性。

 とはいえ、余人が見れば間違いなく振り返るその容姿も、足音高く機嫌悪そうに進むその姿のせいで些かの翳りをみせていたが。


 彼女、フレイナがこうも不機嫌なのは、例の男の取り調べに同席を許されなかったため。


 国の今後に関わりかねない重大なことに、蚊帳の外にされたことはいたく彼女の琴線に触れたらしい。


「まあまあ。落ち着いてください。それだけ姫様が大事に思われているということですよ」


 隣を歩く、御目付役のアリエルが苦笑を浮かべ宥めてくる。


 その表情は困った妹を見るような色をしている。



「……わかってるわよ。そんなことは」


 そんな表情をされれば、じゃじゃ馬とも評されるフレイナといえど、その意気を弱めるしかなく、拗ねたような顔をする。 


 彼女も理屈はわかっているのだ。


 あの男に危害を加える気があった場合、あの場に彼女を同席させて、害されるようなことがあれば、損失があまりにも大きすぎる。

 あの男はそんな短絡的な行動を取るような人間には思えず、まして、仮にその気になったとしても『四剣』がそれに対応しきれないとは考えにくい。

 

 それでも、あの男ならその万が一があるのでは、と思わされてしまうものがある。


 そのため、フレイナは今、アリエルと城内の廊下を歩いている。

 理解はできても、整理がつかない不機嫌な様子を隠そうともせず。


「分かっているなら自重なさってください。癇癪ばかり起こしていれば、成長なさってから後悔なさいますよ」


 アリエルに笑って窘められては、フレイナも口を尖らせる程度で留めるしかない。

 そのままじっとアリエルを見つめる。


「……なんでしょうか?」


「貴女も普段からそうして柔らかくしてれば、男からの引く手あまたなんだろうなあ、て」


「お、おと……!? な、ななななっ!?」


 フレイナの言葉がどれだけ意外だったのか、アリエルは顔を赤くして口を何度も開閉する。

 そしてしばらく。ようやく口と考えの足並みがそろったのか、まともに聞き取れる言葉を発する。


「にゃにをばかなことをっ!?」


 思いっきり、噛んでいたが。


「…………うわあ」


 あまりの乙女な反応に、フレイナは一周回って少し退いた。


「ひどくないですかその反応!? いくら私でも傷つきますよ!」


 失礼極まりない反応にアリエルは食ってかかる。

 それを受けるフレイナは、深く溜息を吐く。


「貴女ってほんとなんていうか、もったいないわよね。あたし以外の人の前だと緊張して固くなって、みんなに冷たい人間だって誤解されてるし」


「あう……」


 半眼で自身を見る目に、アリエルは顔を俯ける。


 氷の暗殺者。感情のない機械。王家の番犬。


 彼女は常のその冷淡さから、さまざまな非人間的な異名を持つ。

 顔色一つ変えることなく、与えられた任がどれほど残酷なものだろうと完遂し、それに対する賞賛を与えられても軽く謝意を告げるだけ。

 その冷たさを見ていれば、そんな評価が立つのも無理がない。


 だから、そんな彼女がただ緊張を隠すためにその氷の面を張り付けているという事実には誰も気づかない。


 アリエルは平民の出だ。

 その魔法と杖術の才を買われ、国への士官の道を志した。

 <デルト王国>は名目上は実力主義のため、他の国よりはましだが、それでも貴族の中には平民の台頭をよく思わない人間は多い。

 魔法というものが軽視されがちの戦士の国<デルト>。そして女という性別。それらも相まって、彼女の苦労は並大抵のことではなかった。


 そのため、彼女は処世術としてその表情を隠すことを覚えた。

 表情を隠し相手に弱みを見せず、冷酷さを装い相手を威圧する。

 そうすることで、反対派の人間を抑え込み、彼女は<四剣>にまでのし上がった。


 しかしその弊害として、彼女本来の豊かな表情はその能面の中へ押し込まれることとなった。


 与えられた任を果たす過程では確実な利点として働くそれ。

 だが、彼女本来の豊かな表情は、それに殺されてしまっている。


 長い時間かぶり続け、もはや常態となったそれが取り払われるのが、周りに人がいないときと、このような王女フレイナとの触れ合いのとき。


 じゃじゃ馬と評されるほどのヤンチャさを発揮するフレイナ。

 王女という身分として決して評価されることではないその気性だが、それがアリエルには好ましかった。


 その行動の結果何かが壊れることが多いのだが、その後始末をするのは同じ女性であるアリエルがすることが多い。

 その結果、彼女たちの接点は自然と多くなり、いつの間にか王女はアリエルとさまざまな会話をするようになっていた。

 ……大抵はガル爺は口うるさいとか、父様が私の言うことを汲んでくれないとか、その手の愚痴だったが。

 そんな彼女たちの関係はいつの間にか主従というよりも、姉妹に近いものとなっていた。


「本当は自室の物置で月明かりでも育つ花を育ててたりとか、隠れてそこらの犬や猫に食べ物をあげてたりとかしてるのにね」


「あうあうあう……」


 そんな彼女との会話によるあたたかな時間においてのみ、アリエルは自分の仮面を外すことができた。


 少女のような、穢れのない初心な表情を晒すことができた。


 そのあまりにも可愛らしい、ふとすれば自分よりも年下へ見られかねないほど乙女な顔が面白くて、フレイナの口もとが意地悪げにゆがむ。


 そして直ぐに溜息をつく。


「そんな顔を普段からしてれば、父様もほだされてもおかしくないのにねえ」


 やれやれと頭を振るい、再度溜息をつく。


 今回あの男が暴露した件。アリエルのガイアスへの恋心。

 それが他の面々が知ったのはこの前だったのだが、フレイナだけは以前から気づいていた。

 というか、二人きりの時に適当に話をしていて、ガイアスの話題になると途端にしどろもどろになるあの様子で隠すことができるならばフレイナの目は節穴だろう。


 実の父のことだが、フレイナからしてはそれを止める気はなく、むしろ率先して後押ししていた。

 母が亡くなり独り身である父にいい人ができれば、政務の重圧からの負担も軽くなるだろうし、そもそも姉のような彼女に幸せになってほしいという思いもあった。


 そこまで考えたところでふと、相手の女性の反応が全くないことに気づく。

 それを疑問に思い顔を上げると。


「ちょっ!? あ、アリエル!?」


 大丈夫なのか心配になってしまうほど顔を真紅に染めた女性が気絶しているのが目に入った。

 慌てて身体をゆすり、それでも反応がないので頬を軽く数回はたく。


 そうすると彼女は意識を取り戻す。


「ふ、不意打ちはやめてください……。死んでしまうかと思いました」


「……ごめんなさい。あれが不意打ちになるんだったら私には不意打ちしかできないわ」


 男に好かれる話から始めて自然と話をつなげたつもりだったのに、あれで不意打ちと言われるのだったらどうしろというのか。

 フレイナの顔は、引き攣っていた。


 言いたいことはまだまだあったのだが、それ以上のことを言わないのは、彼女なりの優しさだったのだろう。


 じゃじゃ馬王女に気を遣われる冷淡女。

 他のものがみたら、おおいに目を疑う光景がそこにあった。


「ほんと、どうしたらいいのかしらね……」


 アリエルがガイアスと会話をこなせるのは事務的なもののみ。

 それ以外では、口が糊をつけたかのように開かなくなり、無理やり話しかけようとすると頭が焼き切れてしまい、先ほどのように気絶する。

 ガイアスに賞賛を初めて受けて、自室で二人きりになってから感極まり気絶したとき、咄嗟のことだったのに慌てずに対処することができた自分は賞賛に値するとフレイナは自負している。


 これではいくらなんでも、進展を望むなどできないだろう。


 しかし、そこであることに気付く。

 その考えを自然と口に出していた。


「あ、でもあの男が暴露しちゃったし、好意を伝えるって第一目標は達成してるのかしら」


 その言葉は、軽い気持ちで発されたものだった。

 だが、それを受け取る人間にも軽く捉えられるとは限らない。


 それを聞いたアリエルの様子をみて、フレイナは自身の失敗を悟った。


「……ふ、ふふふふふ。ああそうでした。私の想い、もう知られちゃったんですね……」


 まるで彼女の『固有魔法』の<幽姫>の名前そのものを示すかのような、ものすごい落ち込み方をするアリエル。

 その一角だけ、十分日が当たっているはずなのに陰になっているように見える。


「……私が、私が、自分で伝えたかったのに……」


「えと、うん。それは残念だけどまあ過ぎたことは仕方がないし、前向きに少しでも進展したと思えばいいじゃない」


 それに、そもそも貴女じゃ絶対に伝えられなかったと思うから。


 そんなことも思ったが、今そんなことを言ったらますます落ち込んでどんな化学反応を起こすか分からないので自重した。


 そのまま、しばらくアリエルは蹲っていた。

 フレイナはそれを複雑そうに見るしかない。

 それがどれだけ続いたか。


「……姫様。私の想いは端から見て分かるほど、あからさまでしたか」


「え?」


 突然、アリエルが話を振る。

 フレイナは虚を突かれたものの、直ぐに答える。


「……いえ、見事なほど隠せてたわね。あれで気づけたあいつがおかしいのよ」


「ですよね……」


 フレイナの返しを聞くと、アリエルは立ち上がる。

 その顔は、先ほどまでの光景が嘘だったのかと思えるほど張り詰めていた。

 姉としての彼女ではなく、国の最高戦力『四剣』の一つとしての姿がそこにあった。


「あの男は、人の心が読めるのでしょうか」


 人の心が読めるようだ。鋭い人間に冗談で使う常套句。

 だが、その声には冗談の響きが一切ない。


 アリエルの仮面はひどく強固なもので、端からみてその行動にガイアスへの恋心を悟らせるものは全くなかった。

 公的な場では公私の区別を徹底し、私情を滅多にはさまないその様子に、フレイナはひそかに賞賛したものだ。

 

 にも関わらず、あの男はそれを探り当ててしまった。


 それがなぜかを考えた場合、真っ先に浮かんできたのが『人の心が読めるのではないか』という疑惑。

 もしこの想像があっていた場合、恐ろしいことになる。

 こちらの弱み、切り札、それらがすべて、相手に筒抜けになってしまう。


 国に、ガイアスに忠誠を誓う彼女としては、それは憂慮すべきものだったのだろう。


 フレイナは、しばし考えこむ。


「……いえ、ありえないわね。もしそうだったら、あの男が見せた何度かの驚きや感情的な様子の説明がつかない」


「あ……そうでしたね」


 返すのは否定の言葉。

 確かにあの男は恐ろしく鋭い。

 こちらの弱みを、まるで読んでいるかのように徹底してついてくる。


 だが、もし相手の心が読めるのならばそもそも感情があそこまで揺れることはない。


 謁見の場のとき。聖堂を壊したとき。司教を弾劾したとき。

 あの男は、常に感情を露わにしていた。


 確かに無表情だったときもある。

 だが、それは果たして、無感情だったのだろうか。

 アリエルには、あの無表情に隠し切れない熱を感じていた。

 だから、それの正体は分からないものの、あの男は無感情だとは思えなかった。


 視野狭窄におちいっていたアリエルは、少し考えればわかることが分かっていなかったのを恥じ、すこし畏まる。

 彼女もアリエルと同じ意見だったらしい。

 その様子に苦笑する。


「でも―――」


 そして、どこか遠くを見るような目をする。


「それに準ずる『なにか』はある。そう思ってるわ」


 そうでないと、いろいろと説明がつかない。


 そう口にすると、アリエルは驚いたように口に手を当てる。


 確かに、心が読めるということはないだろう。

 だが、ただ鋭いだけだとなると、これも無理がある。

 それだけで、あそこまで正確に人の心理を読むことができるはずがないのだ。


「といっても、それが何か分からないんだけど」


 フレイナは頭を振り、話が終わったとばかりに足を進めようとする。

 今あの男から話を聞いているガイアスたちが出てくるまで時間をつぶそうと、書斎にでも行こうかと考えていた。


「……姫様、貴女はそれを確かめるためにあの男に挑むつもりですか」


 その中、背中にアリエルの声が飛んでくる。


 フレイナが振り返ると、アリエルは非常に厳しい表情を浮かべていた。


 その視線の意味は分かる。


 それをはっきりと理解した上で、フレイナは答える。


「ええ。そのつもり」


 その声には、何の気負いもなかった。

 あの男の一番恐ろしいのは、『分からない』ことだ。

 性格や、嗜好ぐらいは、あの苛烈な行動で少しは想像できる。

 だが、その内に抱える手札はすべてが謎に包まれている。

 一応、ある程度の魔法は実際に見ることができているし、何の目的かは分からなかったが、符を使った技術も確認している。

 だが、それがすべてのはずがない。

 もしそうなら、あのような衆人環視の場面で見せるはずがないのだから。


 そして、その『分からない』という事実は、交渉や駆け引きの場面では、どうしようもない弱みになる。

 相手の底が見えなくては、その相手がどこまでのことが可能で、どこからが不可能かが分からない。

 それでは、せっかく取引をして相手の行動を制限したとしても、その制限をすり抜ける形で予想外の手を打たれてしまうことも考えられる。


 なので、今彼らに必要なのは、少しでもあの男についての情報を得ること。

 それに戦闘というのは、非常に有効だ。


 相手を倒す、という気概から興奮状態となり、ある程度自身への戒めが緩くなる。

 そうなれば、使わなくてもいい手札を晒す可能性もある。

 自身が傷を負ってでも、試してみる価値は十分にある。


「承諾致しかねます」


 そんな、覚悟が籠った答えを、アリエルはすぐさま潰してきた。

 その言葉には、若干の憤りが込められている。

 そこまで過剰な反応をされるとは思っていなかったフレイナは、目を開き驚きを露わにする。

 アリエルは口を止めない。


「姫様の考えた『穴』。あれは確かに信憑性があり、筋も通っています。もしかしたらあっさりと倒せるかもしれません」


 ですが、と。

 そう彼女は続ける。


「それも、『かもしれない』という可能性でしかないのです。そんな不確かなものに、貴女を危険にさらすわけにはいかない」


 表情を沈めるアリエルに、フレイナは顔を逸らす。


 それはわずかな可能性ではあるが、それで十分。

 そんな危険があるところに、王女を送れるわけもない。

 

 フレイナもそれが分かっていた。


 だが、それでも渋面をつくり、自身が戦うという意志を退ける気がないことを示す。


 そんなフレイナをアリエルは見つめる。


「姫様、私は前から疑問に思っていることがあるんです」


 そのまま、独り言のように口を開く。

 いきなりの話題の変換にフレイナは顔を上げ、アリエルを見る。


「あの男は……人間なのでしょうか」


 あまりの言葉に、咄嗟に言葉が出てこなかった。

 数瞬ののち、やっと反応を返す。


「それは―――」


 だが、否定の言葉を返すことは叶わなかった。

 否定する材料が見つからない。

 姿形は、人間としか言いようがない。

 だが、その行動は常軌を逸している。

 魔法で大破壊を巻き起こし、大衆の扇動をこともなげにやってのけ、大国を完全に手玉に取っている。

 それも十分、異常だろう。

 だが、それよりもなによりも恐ろしいのは、手段の選ばなさ。

 それが効率的だという理由だけで、自分の身体すら文字通り削りとり活用し、悪人とはいえ他者を虐げる。

 そんな人間は、果たして人間と呼べるのだろうか。


「私はあの男に常識を当てはめて考えるのは危険だと考えています。そして、貴女は実戦に乏しい。それはあの男を相手にしたとき、致命に働きかねません。どうか、ご自愛ください」


 アリエルの言葉は、威厳と慈愛に満ちていた。

 聞き分けのないこどもに向ける、威厳。

 大切な存在へと向ける、慈愛。

 それを受け、フレイナは完全に沈黙してしまう。

 

 それでも、その口から肯定の言葉が出てくることはない。


 それを見て、アリエルは本当に困ったような顔を浮かべる。


 そして次の言葉を掛けようとした。


「こんにちは。少々お聞きしたいことがあるのですが」


 そのとき、二人に声がかけられる。

 唐突な第三者の介入に驚き、同時に目を向ける。


「ああ、もしかしてなにか込み入ったお話をしておいででしたか」


 その人物は冷や汗を浮かべ、少々申し訳なさそうに二人の横に立っていた。

 綺麗な青色の長髪が揺れ、その整った外見を強調する。


「貴女は……れ――グランドと一緒にいた人ね」


 レイ、と口にしようとしたところで、彼女の後ろにここまで彼女を案内してきたのであろう衛兵がいたことで言いなおす。

 まだどう扱うのか決定していない以上、むやみに本当の名前を呼んであの男を刺激する必要もない。


 その言葉を受けた彼女は綺麗な笑みを浮かべる。


「はい。セフィリアと申します。以後お見知りおきを」


 教養の高さを感じさせる動作で一礼する彼女。

 フレイナとアリエルは突然の来訪者に驚いたものの、とりあえず用件を聞くことにする。


「それで、何の用なのですか。話しかけてきたということは何か御用があるのでしょう」


 仮面を被りおえ、いつも通りの固い対応をするアリエル。

 相変わらずの変わり身の早さに感嘆しそうになるが、今はそのことよりも用件が気になりアリエルと同じくセフィリアを見る。

 彼女は口を開く。


「はい。あの大馬鹿がどこに連行されたかご存じないでしょうか」


 一瞬、言葉を失った。

 相も変わらず、見惚れるような笑みを浮かべながら出てきた言葉は、隠しようもない巨大な棘を帯びていた。まあその棘はフレイナらに向けられているわけではなかったが。


「えと、あの馬鹿って言うのは―――」


「馬鹿ではありません。大馬鹿です」


「―――ああ、ごめんなさい。で、その大馬鹿というのはグランドのことでいいのよね。だったら第一隔離尋問室で取り調べの真っ最中のはずよ。貴方、案内してあげて」


 顔が引き攣るのを自覚しながら、アリエルはなんとか後ろの衛兵へ指示を送る。

 その衛兵は、王女に言葉を賜ったことが嬉しかったのか顔を喜色で染め、一つ礼をし承諾する。


「ふふふ……待ってなさい。私を弄んだことを後悔させて差し上げます」


 一方、女性は何やら凄まじい気迫を発しながら何事かつぶやいている。

 その様子に、フレイナは勿論アリエルでさえ一歩退いた。


 そして、セフィリアは衛兵に連れられて去って行く。

 それを、二人はどこか安堵しながら見送る。

 得体のしれない威圧感を与える今の彼女とはあまり関わりたくなかった。


「ああそうだ」


 だから、何かを思い出したように立ち止まった彼女に声をかけられると、思わずビクリと身体が震えた。

 

 

「えと、何?」


 先ほどのように意表を突かれてしまうと、なんとなく負けた気がしてしまいそうだったので、アリエルは少し警戒を高めてから問いかける。

 すると、フレイナは顔だけこちらを振り向く。


「彼は『人』ですよ。どうしようもなく、ね。誰よりもそうであるせいで、逆に分かりにくくなってしまってますけど」


 変わらずの笑顔。

 だが、そこには隠しようのない苦味が滲んでいた。


 そう言い捨てると、彼女は衛兵を急かして歩いていく。


 それを、二人は茫然と見送るしかなかった。


「……聞かれてたのね。あの人も案外腹黒いわ」


「そうですね。こちらの話を聞いてたことをおくびにも出さず話しかけてきてましたし、狙ってやったのでしょう。最後の言葉を印象付けるために」


 盗み聞きしていたことを隠せていたのに、それを最後にわざと晒した。

 聞かれていたということに対する驚きを利用し、最後の言葉を強調することに利用した。


 なので、フレイナが抱いた彼女の評価は『腹黒い』だった。

 ……そのことを認めたくない本人が聞いたら、膝を抱えてしまいそうだが。


「……変われば変わるものですね」


 と、アリエルが独り言のようにつぶやいた。

 それを耳ざとく聞いてしまい、フレイナは首を傾げる。


「変わった? 貴方、彼女に会ったことがあるの?」


「ええ。以前<ルッソ>へ陛下のお忍びの視察についていった時に。そこの<ネストキーパー>は傑物だと評判でしたので、陛下が興味を持たれたんです。その時に少しだけ会話を」


 ネストのでガイアスとディックが話をしている間、受付で対応していたセフィリアとアリエルは軽く会話をしていた。身分を隠し、軽く変装をしていたアリエルにセフィリアは気づかず、いつも通りの対応をしていた。


「その時の印象としては、よくも悪くも型に嵌りすぎているというものでしたね。模範的な解答はできても、優秀であっても、独自の視点を持てずそれ以上ができない」


「それって……」


「ええ。今の彼女とは似ても似つきません。軽いものではありますが、私と貴女、<四剣>と王族を前にして緊張どころか気負いもせず、挑発とも取れることをやってのけた彼女とは」


 <四剣>の名は、<デルト>という国の象徴と言っても過言ではない。

 大国と称えられる国。そこの象徴。その意味は、とてつもなく大きい。

 格下の国相手ならもちろん、同格の国が相手だろうと、決して無視が許されない存在。


 それに面と向かって意見してきた彼女の、全く食い違う以前の評価と、現在の評価。


 思わず、彼女が去って行った先に目を向けてしまう。

 廊下を曲がり、もうその背中は見えない。


「……変わった。その原因は、あの男なのかしら」


 その先を見据えたまま呟くフレイナの心に、何かが灯る。

 それがにじみ出た声に、しかしアリエルは気づかない。


「原因の一端であるのは間違いないでしょう。……ともにいたから変わったのか。変わったからともにいるのか。その辺りはわかりませんが」


 その言葉がきっかけ。

 

「そう。アリエル。やっぱり私、あの男と戦う」


 アリエルが驚きをもって、フレイナを見る。

 その視線を受けるフレイナの瞳には、今までにない決意が宿っていた。


「貴女が私を大切に思うのも分かる。父様が私の心配をしてくれてるのも分かる。ガル爺が懸念しているのも分かる。だけど、これだけは譲りたくない」


「ど、どうしてですか。いったいなぜ……?」


 ついさっきまでは、戦うことに対する悩みがあった。

 だが、それがいつの間にかフレイナから消えている。


「ねえ、アリエル」


 慌てるアリエルに、フレイナは尋ねる。

 訝しげに見つめるアリエルを、真っ直ぐに見つめる。


「私は、『なに』?」


 アリエルが息を詰まらせるのが、フレイナには手に取るように分かった。


「姫様、何を……」


 困惑に塗れた声。

 それを受けるフレイナは、自嘲気味に笑う。


「『姫様』。貴女でも私をそう呼ぶのね……」


 愁いに満ちたその表情。

 それにアリエルは何も言えなくなってしまう。


 別に責めているわけではい。

 ただ、自分がそうさせているのが悲しく、悔しかった。


「でも。だから。お願い。今回だけ、私のわがままを何も言わず通させて」


 困惑に満ちた目が向けられるのを自覚する。

 それでもフレイナは、それから目を逸らさない。


 徐々に、アリエルの瞳が揺らいでいく。

 フレイナの意志を、尊重すべきか否か。

 本来であれば、悩む時点で間違いなその問題。

 仕える主君の娘が、死地かもしれない場へ赴こうとするならば、止めるのが彼女の役割。

 だが、今のフレイナの想いを否定するのは、彼女には大きな勇気がある行為だった。


 その思考の渦を、割り込んできた声が止める。


「お。いたいた。探したぜ~、お二人さん」


 唐突に割り込んできた者に、アリエルは驚きと安堵を、フレイナは若干の苛立ちを籠めて顔を向ける。


「何よザルツ」


 もう少しだったのに、と小声でつぶやくその声が、茶髪茶瞳の壮年の男性へ届いたかは定かではない。

 もし届いていたとしたらそれでも軽薄な笑みを崩さないこの男は相当な豪胆か馬鹿のどちらかだろう。

 彼は笑みを浮かべたまま、二人へと告げる。


「ガイアスが姫さんとアリエルにもあいつとの対話に参加させろだとさ。そんで俺が探しにでてたってわけだ」


 一瞬、驚きを露わにし、フレイナは疑惑の目をザルツへ向ける。


「……どういうこと? 私は尋問にはでられないはずじゃ?」


「『尋問』ではなく『対話』。それで察しろ」


 アリエルの当然の疑問。

 それをザルツは目を鋭くし、簡単に制す。


 どうやら、なにか事情が変わったらしい。


「つまり、陛下はこちら優位の立場を崩し、対等の立場で物事を話し合うことにした。そういうことでしょうか」


「正解。とことん手のひらの上だぜ? 俺らはよ」


 アリエルの答えは、奇しくもフレイナと同じものだった。

 それに対し、ザルツは肩を竦め自嘲気味に哂う。


 『尋問』は、一方的な聴取であり、優位な立場な者にしかできない行動だ。

 それに対し、『対話』はお互いの立場が対等な、話し合い。


 通常、立場が上でなければならない王国側が、個人に対してそこまで譲歩しなければならない事態。


「そ。まあいいわ。じゃあ行きましょう」


 だが、彼らの顔にはそれを厭う色はない。


 これは、自身の招いたことだ。

 ならば、嘆くのではなくこれからの働きで挽回するしかない。


「「御意」」


 そう覚悟を固める王女の姿に、<四剣>の二人は最上位の礼を以て応える。


 そして尋問室へ赴くため、歩を進める。


 そして、目的地の扉の前にて、待っていたガイアスとガルディオルと合流する。


「今回の調査報告は受け取った。油断するなよ」


 フレイナは父のその事務的な言葉に、頭を下げ答える。


 アリエルとザルツは再度の敬礼を持って主君に応えガルディオルは不遜に鼻を鳴らす。


 ガイアスは扉に手をかけ、開けた。





 



 その部屋の中にいた三人が、入ってきた者たちへ目を向ける。

 そこは容疑者を尋問するための尋問部屋。

 冷たい、武骨な石壁。

 中心には数人が座れるほどの大きさの聴取台と椅子が置かれている。

 そして近くには手際よく聞き出すための道具の数々。

 それらが途方もない重圧をかけてくる。


 中にいる彼らはだれか。


 一人は王が最も信を置く重鎮。

 若いながら、その人柄と能力でその地位にあることの疑問を誰にも言わせない傑物。


 もう一人は女性。

 宝石のような青い髪が腰まで真っ直ぐに伸び、その美麗な容貌も相まってどこか高貴さすら感じさせる人物。

 能力に関しては分からない。

 だが、『彼』が一緒に行動を許している点から考えて、油断すべきではないのだろうと結論する。


 ―――最後の『彼』。


 黒髪に黒い瞳というあまり見ない色の容姿。

 しかもまるで真意を隠すかのように、片目を眼帯で覆い、さらにもう片方の目も長い前髪で半ば覆われている。


 彼が最も警戒を、そして畏れを抱いている人物―――令。


「お早いお帰りで」


 その彼が微笑みながら声をかける。


 現在は一本しかないその左手には、ナイフが握られていた。

 それに入室した五人は警戒する。

 身構えはしない。

 だが、心構えはする。

 いきなり襲い掛かれたとしても、彼らであれば、それだけの事前準備で対応できる。

 

 露骨ではなかったが、その警戒の様子をみて令は苦笑を浮かべた。


「話をするうちに『君はどんなものを持ってるんだい?』と期待に満ちた目を向けられたので、ちょっと見せてただけですよ」


 ガイアスは微かに柳眉を動かして反応した。


「ほう。それで、お前はどんなものを持ってるんだ。ちょっと見せてみろ」

 

「そうですね。君の持ってるものは特殊なものが多いですから、気になるんですよ」


 ガイアスにオルハウストから援護。

 周囲から納得と緊張の気配が漏れだす。


 持ち物を知ることができれば、そこから相手のことを知ることができる。何より、令への対策への手がかりとなるかもしれない。

 変に刺激することを恐れて触れずにいたことだが、自分から晒してくれるのならば願ったり叶ったりだ。妙なもので場を乱される恐れがあったが、それを差し引いても聞いてみる価値はあった。


 まず、令が自身の手の内をさらすような真似をするとは思えないが、それならそれで『断った』ということで僅かでも譲歩が引き出せる。


「ふむ。まあいいでしょう」


 だから、了承の声が飛んだとき、不覚にもガイアスは驚きの声を上げそうになった。

 すんでのところでそれを飲み込み、相手に弱みを見せないよう、感情の揺らぎを抑える。


 令は服の中や袖、裾、あらゆる場所に手を入れると、乱雑に目の前の台へ次々と持ち物を広げる。

 興味が惹かれ、その品へと思わず注意が向かう。 


 ―――鉛筆。メモ帳。地図。茶具一式。水筒。財布代わりの袋。


「今のところ、特におかしなものはないわね」


「……姫様。私には茶具が服のどこに入るのか分からないのですけど」


「そこはまあ……こいつだし」


「……納得できてしまうのが悔しいですね」


 ―――バラバラの部品と柄がない刃が一一本。形が不揃いなナイフ一四本。


「……一気に物騒に。ていうか多いですね。そちらの<グリモワール>というのはわかりますが、こちらはいったい何にこんなに使うんですか。君は」


「まだそこの壁に立てかけられてるデカブツもあるぞ。グラディック家の俺としてはそっちが気になるな」


 ―――文様が描かれた手のひら大の長方形の紙が入った箱。その数一〇。


「……あのとき扉に貼り付けていたものとはまた違うのか」


「数にして一〇〇〇ほどだな。あの時俺たちを囲んでいたものもある」


 ―――ニンジン。ネギ。ジャガイモ。コンニャク。


「「「「「ちょっと待て」」」」」


 男性陣が一斉に突っ込みを贈る。


「何ですか」


 不思議そうな顔をする令。

 いや、よく見ると口を歪めているのが分かる。


「言いたいことが分からないか?」


「ああ、この後肉じゃがでも作ろうかと思ってたんです。知らないと思いますが、おいしいんですよ」


「違う」


「ふむ。やはり肉じゃがにネギは一般的ではないか。結構美味いんだが」


「違うっ!」


 おそらくこちらを掻きまわすための行動と分かっていても、大きな声を出してしまう。

 言ってからガイアスは、軽く咳払いをして自身を落ち着かせる。


 ちなみに女性陣はセフィリアも含め、呆れ果て反応を返すことをやめていた。


「はっはっは。冗談ですよ。こんなときの空気をぶっ壊すのに便利ですよねー。これ」


 令は出したジャガイモをお手玉しながら笑う。

 その顔にほとんどの者が拳を全力で叩き込みたい衝動に駆られる。

 次の令の行動がなければ、あるいは本当にそうなっていたかもしれない。


「―――いざというとき、こういうことにも使えますし」


 唐突に。そのジャガイモを投げつけた。


 それは頑丈な石壁に当たると、在ろうことか半ば以上めり込む。

 そのシュールが過ぎる光景に顔を引き攣らせるもの多数。


「さて、すこし変な茶々を入れてしまったが俺が持ってるのはこれで最後だ」


 令は懐から銃を取り出す。

 そしてそれを周囲の者に見せた後、それだけは台に置かず直ぐにしまう。


 これまでは無造作に曝け出していたのに、それだけ人の目から隠すような行動。


 令は先ほど台の上にだした札の束から一枚を取り出す。


「少し離れてください」


 その言葉に従い、訝しく思いながらも令から全員離れる。


 それを令が確認すると、手の札から火があふれる。

 決して大きくはない。

 だが、それはあやまたず食糧へ着弾し、灰へと変える。


 火の勢いが警戒するほどでもなかったために、その行為を誰も止めようとはしなかった。


「さて、ガイアス殿。話を始める前に一つ聞いておきましょうか」


 言葉を受けたガイアスは、これまでの酷すぎる前科から、警戒心しかない視線を返す。

 自身の評価が分かるそれに、視線を受け止める男は苦笑を浮かべる。


「別に今回()貴方方に迷惑を掛けようという気はないですから。むしろこれは聞いておかないとまずいですよ」


「どの口が言うんだそれは」


「事実ですよー。まあどう捉えようとそちらの勝手ですが」


 軽い態度にガイアスは渋面をつくるも、それ以上は何も言わない。

 無駄話をするほど暇なわけではないので、さっさと済ませることにしたのだろう。

 令は席に着くと伸びをしながら問う。


「貴方は、自分の状態を把握してますか」


 その言葉の意味は、誰にも理解できなかった。

 訝しげな顔をする周囲に、さらに続ける。


「貴方は、自分がどれだけ狂わされてるか、理解できていますか」


 さきほどよりは理解しやすくなった言葉だった。

 だが、その言葉の意味はいまだ理解できない。


「『そこはまあ、こいつだし』」


 その言葉に反応したのは、先ほど同じ言葉を述べたフレイナ。


「『納得できてしまうのが悔しいですね』」


 次に反応したのは、アリエル。


 その二人に視線を移す。


「さて、果たして私がしたことはそんな言葉で済ましていいことでしたかね」


 どこか、嬲るように。


「初めナイフを持っていて、どうして口頭の説明だけで納得してしまったのかな。普通ならいくら納得できても武器を置けぐらいは言うはずなのに。食材で石壁を破壊したのをどうして特に反応せずに流すことができたのかな。一歩間違えばそちらは手傷を負わせられていたかもしれないのに。火を出したのにどうして誰も止めることをしなかったのかな。危険なものがあれば止めるべきなのに」


 一斉に、誰もが顔を青ざめさせる。


 その言葉は、彼らに危機感を抱かせるのには十分すぎた。


 おかしい。

 何もかもがおかしい。

 疑わなければならない場面で、それを見落としていた。

 止めなければならない場面で、それを見逃していた。

 確かな危険がある場面で、それを認識できないでいた。

 警戒しなければならない場面で、それに気付きすらしなかった。


 その事実に打ちひしがれていると、追い打ちがかかる。


「この王都の複数個所に、時限式の大規模破壊魔法を仕掛けた」


 空気が凍り付く。

 構わず男は続ける。


「この話し合いが無駄に長引いた場合爆発する。俺に危害を加えた場合でも爆発する。俺が指示をした場合でも爆発する。これを起動してほしくなくば要求を呑め」


 誰も何も言うことができない。

 警戒と、敵意の籠った視線が令へと向かう。

 冷や汗が流れ、手が震えている。


 そんな全員の切羽詰まった様子を眺めた後、令は表情を緩める。


「さて、私のこの言葉が、嘘だと見抜くことができたものはどれだけいますか」


 誰もいないだろう。

 言葉にしなくても、令の言いたいことが相手へと伝わる。


 クスクスと、可笑しそうに令は笑う。


「時限爆破、条件爆破、任意爆破、遠隔操作、複数同時操作、陣隠蔽、魔力供給、十分な威力を発揮するための増強機能。ここまで複雑で気がふれたとしか言いようのない馬鹿げた魔法を、貴方たちは嘘だと見抜くことができなかった。おかしいですね……可笑しいですね」


 だが、それを見る者には可笑しさなど欠片も感じられない。

 

 もう、この時点で自身に起きている信じがたい事実に彼らは気が付いていた。


「つまりですね」


 その事実を、令は補強する。


「貴方方の感覚は、もはやどうしようもなく狂ってしまってるんですよ」


 令のとった、あまりに突飛な行動の数々。

 それは別に、本人の気性だけが理由ではない。

 この現状こそが、今までの行動の集大成。


 常識から大きく外れた行為は、見るものへ多大な衝撃を与える。

 その衝撃が大きければ大きいほど、この謀は成功しやすくなる。

 衝撃を何度も与えられれば、その人物はいずれそれに慣れてしまう。

 それが常態となり、それ以外が異常となる。


 その人物が培ってきた人生による『常識』が、崩壊するのだ。それに比べれば、刹那と言えるほどの時間の『悪意』によって。


「別にそれほど珍しいことではないのですよねー。戦争に参加した人間が戦場の空気に当てられて帰郷すると豹変していたり精神病を患ってたりするのは珍しくありませんし。そして不治のものというわけでもない。だから戻すことは可能ですよ、以前と同じ常識に」


 だが、一度狂わされてしまったその認識は、容易には覆らない。

 戻るとしても、長い時間を平穏に生きる必要があるだろう。


 つまり。


「まあ、この話合いにおいては不可能ですけど」


 嘘を嘘と見破れない。

 真実を真実と信じられない。

 それは、虚実入り乱れる人との会話において、致命的な急所となる。


 彼らの目の前で微笑む男。

 その顔は、もはや悪魔のようにしか見えなくなっていた。

 複雑で強力な感情が入り乱れた瞳で、睨むことしかできない。

 だが、誰も言葉を発せない。

 今この場に入るものが居れば、卒倒してしまいそうなほど空気が張り詰める。


「……いい加減になさい」


 そんな中に、場違いな声が響く。


 呆れたような、まるで教え子を叱る教師のような、そんな場違いな声。


「どうしてそう人に誤解させるようなことをするんですか、貴方は」


「何も嘘は言ってませんよ、私は」


「わざと誤解させて警戒させるような言い回しをする必要などないでしょうが。……いえ、貴方としては意味があるのでしょうが、それは間違いなく不要なものですよ。私からすれば」


 溜息を吐くと、セフィリアは気負う様子もなく続ける。


「もう争う気はないのでしょう?」


 その一言で、常に余裕を崩さずにいた令が、渋面を作り出す。


「……やはり私は貴女が嫌いですよ」


 小さな罵声。

 だが、それは親に文句を垂れる子供のようにしか見えなかった。


 その光景を、だれもが茫然としながら見つめていた。

 先ほどまでは悪魔にすら思えた人物が、今はどこにでもいそうな子供に見える。

 その落差に、思考が追いつかない。


「正直言いますと、私にとってこの状況は歓迎すべきものではない」


 令は軽く溜息を吐くと、セフィリア以外はだれも信じられないことを告げる。

 ここまでやっておいて、狙い通りに進めておいて、それを歓迎しないといったのだ。信じられるはずがない。


「この状況は、私が貴方方を気に入らなかった場合に『全部』終わらせるために用意しておいたものです。ですけど想像以上に気に入ってしまった。だから貴方方と『対等』に話し合うことが目的の今にとっては、害悪でしかない」


 肩を竦め、また溜息を吐く令。

 まるで、想定外の事態に疲れ切る中間管理職のような様子。

 本当に今の状態を憂いているように見える。


 すると、令は頭を数度振り、その顔を上げる。


「だから、提案です。どこまでやれば俺を信じられますか」


 真っ直ぐに、嘲りも侮りもなく、前を見据える目。


「不意うちが恐ろしいならば脚の腱を断とう。傷つけられるのが恐ろしいならばこの左腕も差し出そう。向かいあうのが恐ろしいならばこの左目を抉ろう。言葉が恐ろしいならば喉を潰そう。俺の存在そのものが恐ろしいならばこの皮すべてを剥いででもありのままをさらそう」


 はじめ、その言葉が意味することは誰も分からなかった。

 だが、直ぐに理解する。

 この男は、自分を落とし込むことで、自身と相手の力関係の天秤を平行にしようとしているのだ。

 こちらが言う言葉を信じられないならば、信じられるようにすればいい。

 嘘だと見破れないならば、それでも問題ないようにすればいい。


 令が力を誇示して脅しをかけても脅威に感じないほどまでに、力をそぎ落とす。

 令が力を発揮できないように、力を縛り付ける。


 それもただ、この場での『対等』な話し合いを実現するためだけに。


 本気。

 この男は、こちらがそれを求めれば、本当にそれを実行するだろう。

 そうたやすく信じられるほどの、『思い』に満ちた言葉。


 だが、その考えをガイアスたちはたやすく信じることができない。

 それも当然だ、わざわざ優位の立場を捨てて、さらには自身が死んでもおかしくないまでに傷つくことすら容認する。そんな馬鹿な話があるだろうか。


「もう一度言う。デルト国王<剣王>、ガイアス=デルト=エルデルフィア。第一王女、フレイナ=デルト=エルデルフィア。<四剣第一位>、ガルディオル=アル=サイデンハルト。<四剣第二位>、オルハウスト=イル=カズルエル。<四剣第三位>、ザルツ=ウル=グラディック。<四剣第四位>、アリエル。私は、この場所に貴方方と話をするために来た」


 だが、令の言葉には無視できない引力があった。

 と。令は台の置かれたナイフを口に咥えると、それで左手を切りつけた。

 当然、その傷からは血が流れる。


 その血を、前髪に塗り付け、掻き揚げる。

 その右目にかかった眼帯を、外す。


 目に僅かにかかっていた前髪。

 まるで相手と視線を合わせるのを避けるように存在していたそれが逆立ち、その相貌が露わになる。


 何よりも強い、意志に燃え上がる瞳。

 威圧感すら覚える力強さがそこにある。


「これより先、私は一切の虚言を弄さないと誓う。この口からでるのはすべて真実のみだ」


 それを目の前の、相手へと向け、懇願するように告げる。


「だから教えてほしい。貴方方は、どこまでやれば俺の言葉を信じられる。『対等』な話し合いに応じてくれる」



 誰もが呆気にとられ、聞き入るしかできない。



 ただひとり。


 男を見るその目に哀しさを宿らせる女性を除いて。


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