63話 すべては手の内に
人だかりが彼らの前に広がっている。
人々の反応はさまざまだ。
暴挙に怒りを露わにする者。
拝み、神への謝罪を口にする者。
一体何が起きたのかと、心配そうに見守るもの。
十人十色であるが、共通しているのは不安。
こうして皆で集まり、話をしなくては不安で仕方ないのだ。
それも無理はないだろう。
信仰というのはいつの世も、人々の拠り所だ。
その象徴である聖堂が一夜、いや、一瞬で姿を消したのだ。今は瓦礫ではなく整然とした石材の山と化しているが、それでも消えたという事実だけでその衝撃は図り知れない。
「なんとまあ……すごいな」
その様子を周囲の兵へ伝達を送りながら見ている男。
齢五十近いというのに若々しい精悍な外見と、燃えるような赤い髪が風で揺れる。
彼は瓦礫の山となった聖堂を見て、不謹慎にも感嘆の溜息をつく。
「ガイアス様」
彼、ガイアスに後ろで灰色の長髪の女性、アリエルが咎めるような視線を向ける。
ガイアスは苦笑しながら肩をすくめ、わかっているとばかりにうなづく。
「実際、あいつはどうするんだろうな。
もしこの空気の中で、あいつが犯人だと知られれば」
「まず間違いなく、暴動が起きるでしょうね。
そうなれば我々はどうします?」
「どうしようもない、周囲への被害を抑えるためにある程度の鎮圧は必要だろうが、あいつまで庇う謂れはない。
というか、自分で撒いた種だ、あいつ自身がどうにかするだろう」
できなければそれまでの男だったということだ。
そう最後を結ぶ彼の話題の中心は、この光景を作り上げたただ一人の人物へと集約する。
そんな彼の元へ走り寄る人物が二人。
その中の先頭を駆けていた者がガイアスへ声を掛ける。
「陛下、周囲の封鎖は完了いたしました。集まった人々はよくて遠巻きに見るのがせいぜいでしょう。
少なくともこれで、どのような事態になろうと収拾をつけることは可能です」
貴公子然とした端整な顔を引き締めたオルハウストが、しっかりと礼を尽くした態度で主君に相対する。
「そうか、ご苦労だったな。
しかしそこまで堅苦しくならんでもいいだろうに」
「いいえ、私的な場ではともかく、このような場で立場をおろそかにするわけにはいきません」
お互いの立場から固い態度をとるオルハウストに態度を崩すように言うガイアスだが、オルハウストはそれを固辞する。
「……そうか」
このようなとき、オルハウストは自身の意見を絶対に曲げないことは知っていた。
だからガイアスはすぐに引きさがる。
どこか、不自然に悲しそうな様子で。
そんな彼の肩に、手が置かれる。
そちらを見るとザルツが笑いかけてくる。
「まあ気にすんな。
普段ならちゃんともう少し柔らかい態度でくるだろ。
別に問題ねえって」
「……そうだな」
いつの時も変わらないなれなれしい態度。
それをガイアスはいつも好ましく思う。
特に、このような自責の念を抱いているときは。
「さて、と。それでは次の指示と行きたいのだが………あれはどうしたんだ?」
頭を切り替え、そして先ほどから視界の隅に入っていたものについて聞く。
そこでは彼の娘と、彼の親のような人物が何やら激しく言い争っていた。
いや、一方が激した様子で何かをまくし立て、それをもう一方が毅然とした様子で撥ね退けているようだ。
ここからではそれなりに距離があるため、その内容を聞き取ることはできない。
「……行けば分かります」
「ま、いつも通りのアレだ」
聞かれた二人も濁すだけで明言はしない。
オルハウストは困り果てた様子で顔をそむけ、ザルツは呆れを隠そうともしない。
「……では行ってみるか」
そう結論し、二人の元へと歩いていく。
そのあとをついていくアリエル、オルハウスト、ザルツの三人。
近づくと、だんだんとその言い合いの内容が耳に入ってくる。
そして呆れた。
「―――だから気づいた私がやるのが一番いいでしょう!?
私一人ででもどうにかして見せるわ!」
「お前の発想が合っている保障がどこにあるんだ、と何度言わせれば気が済むのだ貴様は。
お前は自身の価値と立場を自覚しろ。もしお前に何かあったときそれがどれほどの損失になると思っている」
「子供かお前ら」
フレイナとガルディオルの二人の言い合いにガイアスが口をはさむと、二人がこちらを向き、少し驚いた風になる。
どうやら話に夢中でこちらの接近に気付かなかったらしい。
「とうさま、この老いぼれに言ってやってよ! 私が出ても大丈夫でしょ?」
「ガイアス、このじゃじゃ馬に教えてやれ、自分の立場と、それに伴う責任、そして義務について。みっちりと」
フレイナは眉尻を吊り上げガイアスと同じ焔色の髪を怒らせてまくし立て、ガルディオルは淡々とその怒りを受け流す。
そんな二人にガイアスは溜息をつく。
「とりあえずお前らの言いたいことは、もしあいつと敵対することになったとき誰が対処するのかということか?」
「そうよ」「そうだ」
「お前らは本当に……こういう時だけ妙に波長が合うよな」
普段馬が合わないくせに、と愚痴に近いことをぼやきながらガイアスは再度溜息をつく。
二人が話していたのは単純。
令がこちらと戦うことになったとき、それをだれが止めるのかということ。
仮のここで戦闘となれば、『四剣』全員で相手をするという手はとれない。
周囲の群集の避難や軍への説明、混乱に乗じ諸外国が妙な真似をしないかの調査・対策など、方々に手を向けなければならず、相手にできるのはよくて二人が限界だろう。
そしてこの話の本題は、そのときに王女であるフレイナをどうするか、ということ。
普段であれば、交渉の余地などなく戦うなと言って終わる。
次代を担う者を、間違っても失うわけにはいかないのだから。
だが今回は、令についての疑惑に気付いた本人が彼女だということもあり少々複雑になっている。
フレイナは考えついた当人である自分こそが一番うまく対処できると言い張り、自分の手で片を付けることを望んでいる。
それをガルディオルがフレイナの立場から拒み、かたくなに認めようとしない。
内容自体は尤もだ。
だがそれ以上に、二人ともどこか意地になっている部分が見られる。
これはよくある光景で、この二人は基本的に仲が悪い癖に、お互いを無視せずいつも正面からぶつかるのだ。
その点からいえば、ある意味仲がいいともいえるかもしれない。
「それに関してはもう俺が決めてある。だからもうやめろ、そんな言い争い」
「わかったわよ」「うむ」
「よし、じゃあお前ら、よく聞け」
二人がうなづいたことを確認した後、ガイアスは沙汰を言い渡す。
「あいつが来たらお前らは兵の指揮をとり、いざというときに備えろ。
相手は俺がする」
「……馬鹿か貴様は?」
主君の言葉に、ガルディオルは敬意が全く籠らない侮蔑交じりの罵声を浴びせる。
だがそれを諌める者も、不快に思う者も誰もいない。
ザルツやフレイナはおろか、アリエルと、オルハウストでさえ胡乱なまなざしを送る。
王がそんな危険な真似をして、何かあったらどうするのか。
そんな内心がありありと伝わってくる。
だが、ガイアスは静かに口を開く。
「逆だ」
ポツリ、と。
だが、よく通る声が彼らの耳朶を打つ。
「俺が、この国の『王』だからこそ、俺が一人でどうにかしなければならないんだよ」
どこか、鋭い覚悟を秘めた声音で。
それを見る誰もが、その気迫に息を呑む。
だれもが言葉を紡ぎ、この空気を壊すことを恐れた。
「ん? だれだあいつは」
だが当の本人がいつも通りの調子に戻ったことでいともたやすく崩れてしまう。
なんなのかと、訝しみながら彼らが目を向けると、石材と化した聖堂へ一人の男が歩いていくのが目に入った。
「あの人はあの聖堂の司教様ですね。
当日救助されたとき軽傷を負っていましたので診療所へ行っていたようですよ」
アリエルがその人物について話してくれる。
「あれだけの崩壊に巻き込まれてよくあれだけの傷で済んだものだな」
「その点については運が良かったとしか言いようがないですね。
瓦礫の隙間に身を挟まれるようにして、奇跡的に助かったそうです」
ガイアスは改めて男に目を向ける。
男は手足に包帯を巻いているように見えるが、その足取りからして大した傷ではないようだ。
そして、司教というわりには若い。
一つの施設を預かるということは、それなりに高い位に居るのだろう。
だが、その外見はどう多く見積もっても二〇には届かない。
微笑みを浮かべていれば、女性方の引く手が絶えないであろう優れた容貌をもっていた。
その男は入り口があった場所で立ち止まると、厳粛な面持ちで周囲の群集へと語りかける。
「皆さん、このようなところへおいでいただきありがとうございました。
このたび皆様にお越し願ったのは、今あなた方の目の前にあります、とても心痛めるこの光景が原因です」
司教が語り始めると、周囲の音が速やかに小さくなり群集の意識は彼へと集中する。
彼の話から察するに、この周囲の人々はただの野次馬ではなく、意図的に集められたものらしい。
「そう、主を称え、主を敬うものであるはずの聖堂が、何よりも代えがたきものであるはずの聖堂が、何者かの手により破壊されてしまいました。これはとても悲しい出来事です……」
痛ましそうに表情を暗くすると、多くの人が表情を暗くする。
「このようなことは、決してゆるされることではありません。
皆様の信仰が、主を敬う想いが、土足で踏みにじられたのです。
私は聖職者としてあるまじき感情を抑えることができません。そう、怒りを」
そうだそうだ、という相槌がどこからか聞こえてくる。
「ですが、私はその気持ちを抑えなければなりません。
主は慈悲深い。その者が反省し、後悔し、主を信じるようになり罪を償えば、その深い懐へと招き入れることでしょう。
だから私は、彼、もしくは彼女を恨むことはしません。憎みもしません。
我々にとって、私にとって、主こそが絶対ですから」
おお、というどよめきが漏れる。
それを聞いて、その民衆の反応をみて、ガイアスは軽く関心する。
「かなりの人望があるんだな、あいつは」
「ええ。身よりのない子供を引き受けて国外の里親へと送ったり、病の人へ無料で治療を行ったりしているために、世間では非常な人格者として有名な方です。
……さっきから気になってたんですが、なんで知らないんですか」
ジト目で見てくるアリエルから目を逸らす。
宗教には興味がないので、その司教についても関心を持ったことがない。
そのうえ、王という立場からスルスの連中と会う機会が多かったが、その腐敗ぶりから自分からかかわる気もさらさらないため、なおさら司教のことなど気にしたことがなかった。
だが、こうして実物を見てみると、その判断が少し悔やまれる。
もう少し早くかかわるようにしていれば、何か得るものがあったかもしれないと。
「……クズ、か」
そんな思考に陥りかけたガイアスの頭に、昨日の令の言葉がよみがえった。
幸いか、そのつぶやきは周囲のだれにも聞こえることはなかった。
令は確かに言った。
あの聖堂の司教はクズであると。
ガイアスには、あの男が全くの出鱈目を口にするとは思えなかった。
となれば、あの男には何か裏があるのだろうか。
そんなことを考えていると、いつの間にか司教の話は佳境を迎えていた。
「だから私は望みます。これだけのことをして自責の念に堪えているであろうその人が、自ら名乗り出てくれることを。
さすれば、その罪も許され―――」
だが、その話が終わりを迎えることはなかった。
上から何かが降ってきて、彼を押し潰した。
『それ』は地響きを起こし、砂埃を舞い散らせる。
突然の事態に、呆気にとられてしまうガイアスだが、直ぐに『それ』がなんであるのか理解する。
「すまん。我慢できなくてつい」
『それ』はすっと立ち上がると、司教を踏みにじりながら軽く告げる。
だが、その声はどこまでも冷たく。
「罪が許されるとか、そんな戯言が聞こえたもんでな。
しかも『人』でも『人間』でもない物体から」
その瞳には、ゴミを見るように何の色も籠っていなかった。
右腕の袖が空虚に風にはためくその様も合わさり、どこか亡霊のような気迫を醸し出す。
ガイアスにはどうしてそのような顔をするのか分からない。
「来たか」
だが、余計なことは無視して意識を切り替える。
もう、相手へと遅れをとらぬように。
「フレイナ、オルハウスト、アリエル、ガルディオル、ザルツ。ついてくるな」
この場に降り立ったその者へ、対峙するため、歩きだす。
ついて来ようとした配下に釘を刺しながら。
何を考えてるのか、という驚きと非難の気配に、振り返らず告げる。
「俺が、一人でやれなければ俺に王を名乗る資格などない」
王としての己であるために。
国家を導くものであるために。
一人であの男に対処できなければならない。
ガイアスは歩いていく。
その顔に笑みを、その瞳に炎を浮かべながら。
「さて、要望通り出てきてやったぞ。おい。何か言うことないのか。ええ?」
ビクビクと痙攣する男を、まるで火のついた煙草を消すように踏みにじりながら令は声をかける。
先ほどの衝撃からして、おそらく骨はおろか内臓もいくらか破裂していることだろう。
言葉を紡ぐことなど不可能。
そのことを誰よりも理解しながらのこの言葉。
そんな、非道な行いを、周囲の人々は呆けた様子で見つめる。
状況に理解が追いつかない。
追いついても、どのような反応をすればいいかわからない。
これはほんの少しの刺激で崩れてしまう、奇跡のような静寂。
このような状況の時、初めの一人が何かの行動を起こせば、それが集団心理として働き、人々は雪崩を打って動き出す、はじめの一人と同じ行動をもって。
もし、ここで令に非難の声を上げるものがいれば、すべての者が彼の敵へと回る。
「さて、皆様こんにちは。このような早くより私が原因の件にてお集まりする手間を取らせてしまい謝罪の言葉もございません」
それは好ましいものではないが故、すぐさま次の手を打つ。
先ほどとは、足蹴にしている者を相手にしているときとはとはうってかわり、慇懃な態度で人々へと語りかける。
真摯な態度と、礼儀に満ちた動作。
それと先ほどまでの酷薄な態度との落差についていくことができず、人々はさらに混乱する。
そしてそこに、ある爆弾を作用させる。
「私は今回の首謀者にして実行者。
名を、グランドと申します。以後お見知りおきを」
グランド、という爆弾を。
その名にざわめきが起こる。
誰なのか訝しむ声。
それに対し、説明する声。
それを聞き、驚愕する声。
やがて、それは一つの思いへと終着する。
なぜこんなことを、と。
怒りもある。
悲しみもある。
恐怖もある。
だが、それらを押し潰してしまうほど大きいのは、疑問。
彼らにとって、グランドという存在は自分たちの救済者という認識だった。
貴族の圧制、横暴に毅然と立ち向かい、そして勝利する英雄。
それが昨日一日で植えつけられてしまった、グランドという虚構のイメージ。
それがいま、令へと味方する。
人々は待っている、グランドの次の言葉を。
だから彼は答える。
「今回このようなことをしたのは―――」
「その前にまず、その足をどけてもらおうか」
だが、新たな声に割り込まれ、令の言葉の刃は止められる。
微かに驚いた顔を浮かべ、その人物へ向き合う。
「ガイアス殿、今は私が話をしていたところだったのですが」
暗に、邪魔をするなという意思表示に、こちらへ向かってくるガイアスも負けずに返す。
「何をするにも、まずけが人をどうするかが最優先だ。
実際、相当重症だろうそいつは」
「……心にもないことを。
実際はそんな心配毛ほどもしてないだろうに」
「馬鹿なことを言うな。俺は王だぞ。国民の保護は最優先事項だ」
どこか白々しいやり取りに、空気が張り詰める。
ガイアスと令は互いを睨み付け、その視線を逸らさない。
「まあいいや。
うるさくされると面倒なんで、回復させても口はふさぐ。問題は?」
だがその空気を断ち切るように令が司教を摘み上げてブラブラと揺らす。
「……いや、それでいい」
その切り替えの速さに、ガイアスは何かあるのかと訝しむも、今そのことを考えても仕方ないと割り切る。
その一方、令も雑に司教の身体を魔法で直しながら思案に暮れる。
彼は内心、ガイアスに感嘆していた。
先ほどガイアスが介入してきたタイミングは、それほど巧だったのだ。
令が場を掌握し、実権を握る、その刹那。
群集の意識が、令へともっとも移ろいやすいその瞬間に割り込み、こちらを乱し、見事にその支配権を奪い取って見せた。
今、人々の意識はその半分以上が新たな登場人物へと注がれている。
令がガイアスに勝つには、まずこの現状をどうにかしなければならない。
だから、令は行動した。
司教の口を布で塞ぎ、地べたに転がしたあとでガイアスへと向き直る。
ガイアスはもがき、うめく司教を気にも留めず令と向き合う。
「ところで、王たる貴方がこのようなところに居ていいのですか。
この国には、貴方の代えになるような者はいないでしょう」
この国を総べる者が、このような前線へ出てくることの是非を問う。
本来、国家の主柱となる人物がそのようなことをしていいはずがない。
それに対しガイアスはよどみなく答える。
「問題はない。俺一人でこの国は成っているわけでもないのだから。
むしろ、主導者が数時間ぶらつくのを容認できる余裕すらない国などもう終わってるようなものだろう。俺はそんな国の王なんざごめんだな」
国の精強さを暗に示す。
「それに、お前は気づいてないかもしれないが、今回のこの件は、王が前線に出るだけの大事だ。仮に国が存亡の事態だろうと対処するだけの重要性がある」
そして同時、皮肉を込めつつどれだけのことやったのかを犯人と、人々に伝える。
その言葉で令への敵意が強まる。
それに対し令は、状況にそぐわない笑みを浮かべる。
「そうだね。まあ確かにそれだけのことをやったよ俺は」
そしてあろうことか、ガイアスの言葉を肯定した。
まさか認めるとは思わなかったために、ガイアスは微かに驚きを露わにする。
「だが、逆を言えばそれだけのことをやらなければならなかったと言えるわけだ」
謎めいた言い方をすることで、より強く何か裏があったことを強調する。
人間は好奇心をそそられる言い方に弱い。
見るなと言われれば見たくなり、やるなと言われればやりたくなる。そう感じる人間は少なくない。
そういった大勢の者には、この言い方は効果的だった。
民意という名の天秤が、再び平行になり仕切りなおされる。
そう、状況そのものは最初の状態に戻ったといえる。
だから、令はここからまた巻き返そうと思考する。
「ほう、そうか」
だが、それを目の前の男は許さない。
「お前は、そんな自分勝手な理由で聖堂を破壊したのか」
その瞳に隠しようのない敵意を滲ませ、令を睨む。
その反応は予想外だったのか、令はその顔に驚きを貼り付ける。
ガイアスはそんな令をしばらく睨み、口を開く。
「俺は神など信じん。そんな存在しないものにすがるぐらいならば、剣の素振りでもしたほうが百倍ましだ。ありもしないものにあやかって救いをただ待つ連中のことなど全く理解ができん」
その言葉に耳を疑う人々。
今この男は、すべての宗教家を敵に回しかねない、まさに神すら恐れぬ暴言をはいたのだ。
権力者と信仰は、密接な関係にある。
民意そのものと言える信仰に見放された者に、権力を握り続けることなど不可能だ。
それをもっとも知っているはずの『王』が、そのような発言をした。
これには、遠くの『四剣』すら慌てるほどの衝撃を受けていた。
止めにいこうと、四人が足を動かす。
「だがな、それでも一途に思い続ける気持ちだけは否定しないし、したくもない」
だが、直ぐに止まる。
感情の乗ったその言葉は、確かに人々の心を揺らした。
誰かの思いを否定などしない。
たとえそれがどんなに荒唐無稽なものであろうと、それはその人にとって大事なものなのだから。
だからこそ、令の言葉が許せなかった。
「お前は、そんな自分勝手な理由のために人々の夢を、思いを……踏みにじったのか?」
だからこそ、ガイアスは感情を露わに、令をにらみつける。
そして、民衆からもそこまではいかずとも、それに近い敵意が飛ぶ。
先ほどは自分たちの言葉を否定されたかと思い、ガイアスを敵視しかけた。
だがそれは間違いだった。
人々のことを思っていることが、先ほどの剥き出しの感情から理解できた。
だからこそ、ガイアスへと味方し、令を敵視する。
その敵意を一身に背負う令は、目を閉じて何かを考えている。
手を顎に当て、指で一定のリズムを刻む。
その様子には、この状況に焦る様子は全くない。
「……このあたりが限界か」
呟かれた言葉は誰の耳にも届くことはなかった。
そして目を開き、ガイアスに目を向ける。
そこには、先ほどまであった侮るような色は消え失せていた。
「ガイアス殿、一つ聞きたい」
「……なんだ」
その深い黒の隻眼に、微かな怯みを覚えながらもガイアスは返事をする。
「そもそも、初めから人々の意志が裏切られていた場合、今回俺がやったことは人の意志を歪めたことになるのだろうか」
その言葉がどういう意味をもつのか、大多数の人々は理解できなかった。
だが、今令の前にいるガイアスや離れた位置にいる彼に近しい者たちは、その言葉に籠められた意味を朧気ながら察したのか、視線を鋭くする。
令はその反応に満足したのか、司教を襟首をつかみ無言で歩き出す。
その背中が、着いてこいと言っているように思え、ガイアスは黙考した後、後をついていく。
その足はすぐに止まる。
その場所は、今はもう跡形もなくなってしまった、聖堂の中心部。
令はその場所に膝を着き、床を撫で回す。
「この辺りだったような」
令は左手にナイフを持ち、それを振り下ろす。
破壊の際に生じた土煙や小石に覆われていた床。
それらがその一突きで、箒で掃いたように取り除かれた。
「これは……」
ガイアスは驚き、思わず声を上げる。
今更、令が妙なことをしたことを驚いたわけではない。
床の埃が払われたことで、床に扉が姿を現わしたのだ。
「まあ早い話が隠し部屋だな。本来はこの上を絨毯や置物で隠していたんだろう」
令はその扉に手を当てる。
「……どうした?」
すぐに開けるかに思われたが、なぜか瞑想するように瞳を閉じている。
「……自爆式……遠隔起動式……果てに時差式。よくもまあ、こんな扉にこれだけ詰め込んだものだ」
そして懐から札を数枚取り出す。
それを扉に数枚貼り付ける。
その場所はまちまちで、規則性は見いだせない。
いったいなんの意味があるのかわからず、令以外の全ての人々が怪訝な顔をする。
令は気にせず、静かにつぶやく。
「《魔式改編》」
バチン、という何かが切れたような千切れたような音が響く。
そして令は、扉に手をかけ、先ほどまでの逡巡はどこへやら、あっさりとあける。
その様に、ただ一人、困惑ではなく驚愕を露わにする人物がいた。
「どうした司教さん。そんなに扉が開くのが意外か?」
この教会の司教、その人である。
令の近くの床で転がる彼は、奇妙なほど冷静さを保っていた。
身体の自由を効かなくされ、しゃべることもできなくされたというのに、だ。
だが、令が扉を開けた瞬間、それは崩れた。
本来の用途を果たしただけの扉を、まるで信じられないものを見たかのように目を見開いている。
「ちなみに、ここも、ここ以外も、爆発したりはしないぞ。ついでに時間差をおいてこの先の空間が崩れることもない」
令は非常にイイ顔をして司教に告げたあと、足に縋り付き何事かを叫ぶ男を蹴り払い、扉の中へと、地下へとと入っていく。
当人以外のだれもが、その様子を奇妙なものを見るように眺めていた。
そして、少しの間を置き令が再び扉から出てくる。
その手には、膨らんだ麻袋が握られていた。
「ガイアス殿、はいこれ」
令は足元でわめく男を見事に無視してそれをガイアスへと手渡す。
ガイアスは受け取り、その中身を検める。
「……なるほどな」
出てくるのは、納得の言葉。
この隠し部屋が出てきた時点から、彼にはその中身の予想がある程度ついていたため驚きはない。
ガイアスは軽い溜息を吐きながらその袋をひっくり返し、中身を観衆に晒す。
耳に届くのは金属が落ちる音。
目に飛び込むのは眩いばかりの金色。
大量の、金貨の山。
その衝撃的な代物に、観衆は言葉を失う。
「おそらく、御布施や寄付金の横領、それらで手に入れた数十年、もしかしたら数百年分の汚れた金の山だ」
その中に、平静な言葉が響く。
「まだまだある。まずはそれがどれほどのものか確認するといい」
この一言で、この場はお開きとなった。
ガイアスは令と連れ立って、『四剣』とともに帰城した。
地下室に眠っていた多種多様な財宝の山は、その回収を兵たちに命じ、ガイアスは静かな場所で話をするためにすぐにその場を離れ、城の一室へと移動した。
あの司教は横領の罪で一時身柄を拘束、徹底的に余罪や経歴を調べ、その後に処罰を待つ身となっている。
場にいた人々は、令へと向けかけていたその感情をすべてその司教へと変えた。
あわや暴動か、と思われたその場を収めたのは、令だった。
こんな人間に構うよりなら、自分の仕事を済ませたほうがいい。
どのみちこの男は、ここにいるガイアス殿が慈悲なく処罰してくださる。
だから、貴方たちが気にやむ必要も、怒りを蓄えて生活に支障をきたす必要もない。
この財宝は、あるべき用途に充てられ、生活を豊かなものにするだろう。
そう、人々へ向けて宣言したことで、意外なほどあっさりと引き下がっていった。
とはいえ、令がただでそのようなことをするはずもなく、その言葉にいくつも悪意が仕込まれていた。
まず、自分が罪を犯したはずだというのに、その事実がいつの間にかなかったことのように扱われていた。
人々は最終的に、令への害意を完全に捨て去り、聖堂の破壊の罪までまるで司教が行ったことだと言わんばかりの様子だったのだ。
仮に、令を処断しようとすれば、その時は国民が敵となってガイアスたちの前に立ち塞がることだろう。
次に、ガイアスが司教を断罪することが決定事項とされてしまった。
司教が所属する教会は、信仰心という無形の矛と盾を保持している。
教会が介入してきて、さらにその権威を使われれば、司教を処断することができなくなるかもしれないことが考えられた。
だが、令の手によってその手段は完全に封殺された。
あの時民衆は、慈悲なく処断する、という令の言葉によって引き下がったのだ。
これで日和見や、軽い罰にとどめた場合、国が亡ぶ。
たとえ、スルスから脅しがあっても、その要求を読むわけには断じていかなくなったのだ。
最後、これが最も厄介なのだが、財宝を、公共のために使うことをほぼ強制された。
一見何事もないように感じるのだが、その額が問題なのだ。
ガイアスがざっと見ただけでも、その額は軽く城が買えてしまうだけのものがあった。
それだけの規模の金銭を動かそうと思ったとき、邪魔になる存在がある。
この国に巣食う、貴族どもだ。
まともな者が多い、下級貴族たちはまだいい。だが、上位の貴族連中となると考えたくもない。
あれだけの額があるとなると、あの手この手でその金をかすめ取ろうとするだろう。
そして、その無数の欲望の手を、額が額だけに完全に遮ることは至難の業。
横領されたことを人々に知られてしまえばそれだけで暴走の引き金が弾かれてしまいかねないというのに、割に合わないにもほどがある。
したがって、ガイアスとアリエルを除いた『四剣』の面々は非常に対処に困っていた。
「ん、なかなかいけるな。
こっちの茶を淹れてみるのは初めてだったが、以外と何とかなるものだ」
そしてそのすべての元凶は、呑気に茶を啜っていた。
一体どこから取り出したのか、手荷物などなかったのに一式の茶具に加え、茶菓子まで用意して一服している。
その様子に誰もが反応に困る。
「なんですかその目は。何か悪いことしましたか」
「徹頭徹尾、爪の先から髪の一筋に至るまで、悪いことしかしていないと思うのは俺だけか?」
「む、法には一切触れていないはずだが」
「触れていない、というだけだな。
倫理的社会正義的な観点から言えば真っ黒を通り越してどす黒いとすら言えるぞ」
ここまで清々しく開き直られると、もはや敵意を向けることすら馬鹿馬鹿しいと思えてくる。
何せ、今この状況ですら常態を崩すことがないのだから。
やはりというべきか、令は平然と、笑みすら浮かべてのたまった。
「久しぶりだなこの空気。ひんやりと冷たく、ずっしりと重い。不思議と気分が高揚してくる」
「……お前、何度もこんな目に合ってるのか」
ザルツが呆れながら驚くという器用な真似をする。
彼らが居るのは、薄暗く、鉄格子の牢屋が近くにある、尋問部屋だった。
ちなみに、令は現在、非常に複雑な状態の置かれているために、武器を取り上げたりして罪人として扱うことが不可能だ。
もし罪人としてしまったら、国民がどう反応するかわからない。
だからこそこうして茶を飲んでいても文句を言われないのだが。
「一体どのような生き方をしてきたのやら……」
ガルディオルがボソリと独り言を口にする。
この尋問部屋の近くには、明らかにその手の用途に使うと思われる器具が置かれている。
それで威圧をし、自白をスムーズに行わせる意図のためだ。
決して、実用することを前提としているわけではない。
それでも、恐怖を覚えることなく、むしろいつもよりどこか機嫌がよさそうにすら見える令の今の姿は、どこかうすら寒さすら感じさせた。
と、その空気を壊すように扉がノックされ、兵士が入ってくる。
だがすぐにその足が止まってしまう。
「どうしました?」
オルハウストが、この空気に飲まれて立ち竦んでいた兵に柔らかく問いかける。
その兵は、その気遣いに少しだけ顔色を良くする。
「はい。この取り調べに同室を望んでいる者がいるのですがどういたしますか?」
「同室……? どなたですか、その方は」
この状況に進んで介入しようとする人物に心当たりがなく、問いかける。
そして、兵はその人物の容姿を口にする。
「腰まである青い髪の女性です」
「……分かりました。許可してください」
その言葉で、その人物が誰なのかが分かった。
青い髪を持つ人物など多くはない。
だから、オルハウストは許可を出し、それをガイアスたちも容認する。
そして入ってきた人物は彼らが予想と違うことはなかった。
しかし、その様子は非常に妙なものとなっていた。
「こおのおおばかやろぉぉぉおおおおおお!!」
叫び、怒りを露わに、すまし顔の令へと突っ走っていく。
そして令へと鉄棍を振り下ろした。
「ああ、お疲れ様ですセリア殿。首尾はどうでしたか」
令は相変わらず茶を啜りながらセフィリアへと見やる。
棍は令に届くことなく甲高い音を立てて静止していた。
「ええちゃんと果たしましたよ言われたことは!
だけど貴方は何やってるんですか!? 私が初めて貴方に頼られたことを喜んで言われた通りにしてる内にどれだけ規格外なことをしでかしてくれちゃってるんですかっ!?」
「なにを言いますか。上手く使えばこの国を混沌と破壊の坩堝に叩き落とせるぐらいのことでしょう」
「そんなとんでもないことを『ぐらい』で済ませるなぁぁあああ!!」
何度も棍を振るい令に追撃を加えるも、令はそれをすべて軽く流す。
その予想外の展開を、周囲は唖然と眺めるしかない。
「で、どうだったんですか?」
「ああもう、本当に自分本位な人ですね……。これが言われていたものです」
ひとしきり暴れた後、セフィリアは溜息を吐いて令に紙の束を手渡す。
それに令はざっと目を通す。
「ま、予想通りか」
そして令は懐にその紙の束をしまい込む。
そしてどこに入っていたのか、その手にカップを取り出しセフィリアに差し出す。
「お疲れ様です。貴方も飲みますか? 我ながら、そこそこに上手いと自負していますが」
そう問いかけるも、セフィリアはふいと膨れながら令から視線を逸らす。
その様子に令は思わず笑ってしまう。
「なんですか。まだ朝のことを根にもってるんですか」
その一言が琴線に触れたのか、セフィリアはなにやらどす黒い気配を発しながら令の肩をがっしりと掴む。
「当たり前でしょうが。朝起きたら昨日負ったはずの怪我が跡形もなくて、それに驚きながら、治してくれたことを嬉しく思いながら、お礼言おうと貴方を探した」
令の肩が軋みを上げ始める。
「そしたらその人は片腕を失ってて、驚いて詰め寄ったら出てきた言葉が『すいませんー自分で切り落としちゃいましたーテヘペロっ』て私をおちょくってるんですよね!? そうなんですよね!?」
「はっはっはっ。ただの茶目っ気ですよ」
「茶目っ気で四肢切り落とす馬鹿がどこにいるんですかぁぁあああ!!」
そのままがくがくと揺さぶる。
令は変わらず笑みを絶やさずにそれを受け入れている。
「あ~、痴話喧嘩なら他所でやってくれないか」
ガイアスは思わず静止の言葉を口にする。
感情をむき出しにしている女性に、それを平然と受け入れている男性という構図は仲が良い恋人同士に見えなくもない。
「ガイアス殿。そろそろ調査結果が出るころだと思う。聞きに行ってくるといい」
「すげえ、この状況で話の流れをぶった切りやがった」
ザルツが妙な感心の仕方をする。
「どうせそれを聞いてこなければ、詳しい内容を話すことはできないだろうから、さ」
令はガッタガッタ揺さぶられながら、平時と変わらない声音を出す。
無駄に器用だった。
「その言葉は、戻ってきたらいろいろと白状すると解釈していいのか?」
「ええ、貴方もそのために今日私との話合いに応じたのでしょう」
その言葉にガイアスは口許を歪めて笑う。
「お前も、知りたいことを知るためにその流れに乗っただけだろうに」
その言葉に、令も笑みを浮かべた口許をさらに歪めた。
「ザルツ、ガルディオル、この場は引く。後は任せるぞオルハウスト」
一瞬、顔を訝し気に歪めるも、彼らは主君の言葉に従う。
ガイアス、ザルツ、ガルディオルの三人は部屋を出ていく。
「レイ、戻ってきたら存分に話を聞かせてもらうぞ」
そう扉が閉まる寸前の言葉を最後に、この場には令と、セフィリアと、オルハウストの三人が残される。
いつの間にかセフィリアは肩で息をしていた。
静かになった部屋に、令がお茶を啜る音だけが響く。
「あ、お二人さんもお茶飲みますか?」
「君はもう少し空気を読むことを覚えた方がいいと思うよ」
オルハウストが苦笑いを浮かべる。
「何を言うか。俺は空気を読んでいるさ。ただ読んだ上でそれを無視しているだけだ」
「それは余計性質が悪いよ」
オルハウストの言葉を気にせず、二人分のカップを取り出してそこにお茶を注ぐ。
「まったく、貴方は今回ガイアス様に何を仕掛けたんですか? 口ぶりからして何か陰謀があったみたいですが」
「あ、貴方もなんだかんだ言ってお茶を飲むんですね」
カップを手に取り飲み始めたセフィリアにオルハウストが突っ込む。
尋問部屋の重い空気に気にした様子が、彼女には全くなかった。
「もう慣れましたから。こういう異常事態には」
「それは……なんというか……」
疲れたように笑う彼女に掛ける言葉が見つからなかった。
「それで、本当に何があったんですか?」
「別に。ただ、あの話し合いで彼と私の双方が、それぞれ目的を達しただけです」
それを聞き、オルハウストは怪訝そうな顔をする。
あの時の会話で、目的を達成できたとすればそれは令だけのように思えたからだ。
令がさらに国民への関心と期待を得ることに成功したのに対して、ガイアスは国の汚点を公表されただけで、害があっても利があるようには思えなかった。
「まあそう考えるのも無理はないよ。今回の件での勝者は私で、敗者はあの司教。ガイアス殿はその仲介をした程度のものでしかない。
だが、そもそも彼の今回の目的は勝つことではなかったからな」
その心境を察したのか、令が説明をする。
「彼の目的は、会話を通して自分と私の力関係を把握し、できるだけの情報を得ることだったんだよ」
その説明は端的で、聴者二人には理解が追いつかないものだった。
だから令は言葉をつづける。
「人に勝とうと思ったとき、本当に重要なのは途中経過ではない。
百回連続で負けようが、百一回目で相手の首を切り飛ばしてやればその人の勝ちだ。
そして、その場合重要になるのが自分の立ち位置を探り、首を飛ばすのにどこを責めればいいかを探すこと」
令は自分の首を手刀で切る動作をする。
「そのため、今回彼が重視したのは自分だけの力でどこまでやれるのかを確かめることだった。
会話をし、相手の反応を見て、そしてどれだけの痛打を与えたのかを見る。そうすることで自分と相手の力関係を確かめたんだ」
令は思う。
その結果、彼は確信しているはずだ、と。
自分の力が、令という人間よりも勝っていることを。
そもそも、令という人間にとってこの土地は文字通り別世界であり、その点で不利は免れない。
その上、ガイアスには人の上に立った年月という覆しようもない絶対の利点がある。
それでも令がことを有利に進めていられるのは、情報の有無の一点に尽きる。
通信符。究理式魔法。そして隠し財産。
相手が知らない、それでいてどうしようもない渾身の一撃を与えることで、先ほどの令自身の言葉通り一刀のもと相手の首を叩き落としてきた。
だが、それはつまり、それが尽きたとき窮地に立たされることを意味する。
実際、それが今回の件で表面化していた。
ガイアスとの会話において、令は一度目を閉じ黙考した。
その時、令は対処の手段を失っていたのだ。
だからこそ、隠し財産という切り札を持ち出すことでその窮地を脱した。
これは決して、令の能力が低いということではない。
むしろ、倍の齢を数える王と、そして周囲を異国の民に囲まれた状況において、あれだけ健闘できたことが、彼の非凡さを証明している。
だが、実際の自力でガイアスが優っていることも、覆しようもない事実なのだ。
そしてガイアスはそのことに気付いてしまった。
令に勝つための糸口を見つけてしまったのだ。
これから先、ガイアスと敵対することがあれば、令は苦戦は免れないだろう。
「まあ、私もあの会話で利益を得たから、そう簡単にやられはしないが」
とはいえ、それは先ほどまでの令についての場合。
令もまた、ガイアスという王を知るために行動していた。
挑発的な言動を繰り返すことで、その反応をつぶさに観察していた。
そして一つの結論を得た。
ガイアスは、国民を愚弄する行為を許さないということ。
令が国民たちに不利益をもたらしたと考えたときに見せた、敵意。
あの怒りから、その反応から、令のガイアスという人間の把握は大きく進んだ。
感情をむき出しにすることほど、その性根を理解するに役立つものはない。
この先、令はガイアスと雌雄を決するときにはさらに令はうまくやれる自信があった。
もっとも、その機会があればだが。
「胃が痛くなる話ですね……。どちらも腹黒すぎですよ」
「そういう貴方も、私に毒されて結構黒くなり始めてると思いますが」
皮肉を返すセフィリアだったが、痛烈な反撃を受けて顔を俯けた。
どうやら、自覚があるらしい。
オルハウストもいつの間にか茶を啜りながら令の話を聞いていて、令に疑問を返す。
「ところで、どうしてそんなことを私がいるところでするんだ?」
このような話を、敵……と言えるであろう自分に聞かせて何か利益があるのだろうか、と訝しむ。
「別に問題ありませんよ。聞かれたところで利益も不利益もない。なら時間つぶしにぐらい使わせてもらうさ」
そういい、令は茶を啜る。
「それに、そもそも勘違いしている。お前も、そしてガイアスも」
「ん? 何がだい?」
オルハウストは疑問符を浮かべ、令の顔を見る。
そこには、面白そうな顔をしている令がいた。
その彼が口を開く。
「俺にはもう、ガイアス殿と『勝負』するつもりなど毛頭ない」
その言葉に、オルハウストは動きを止める。
セフィリアは多少の驚きの様子を見せるも、直ぐに建て直しお茶を飲み始める。まるで予想通りだったとでもいうかのように。
「ど、どういう意味だい」
「そのままの意味だ。
俺はもう、ガイアス殿と武力でも言葉でも『戦う』つもりはない。だから、『勝ち』も『負け』も存在することはありえない」
だから、ガイアスの努力は、次の『勝負』に役立てるという意味では全くの無駄骨だ。
そう、オルハウストの震える声に答えるのは、絶対の自信に満ちた男の言葉。
「まあ、焦らずとも今日にはわかるさ。だから、今は楽しくおしゃべりでもしよう」
そういう男の顔には、楽しそうな笑みが張り付いていた。
「―――全部、予定通りだからさ」
それがオルハウストには、どうしようもなく不気味に見えた。




