赤い影
どんなにネガティブな感情を追いやっても、現実が変わる訳ではない。アインラスクを訪問して今日で5日目になる。今から訪れることになっているファゼルの奥さん、コリーナさんの話次第では重要な決断を下さないといけないかもしれない。その場合、後のことはゲオルクに託すということになるだろう。その時はその時だ。
同じ埋め立て地に建てられた家なのに、ファゼルの家は運河からも海からも離れている。内陸と錯覚してしまうが、ここも埋め立て地だ。俺達が拠点としているような民家の1階部分が、亡くなったファゼルの住居である。
ナターリアさんと違い、コリーナさんは一般人だ。さすがにユリーシャが話を聞きに行く訳にはいかないだろう。という訳で、今回は俺とアマユキで面会することになった。ちなみにユリーシャとその他3名は、斜向かいのカフェで待機中である。
約束の時間に訪れると、年配の女性が出迎えてくれた。ファゼルが40歳くらいだったから、コリーナさんもそんなに歳は違わないはずだ。それなのにずっと老けて見える…心中お察しします。
「アマユキ・アルトリュートです。こちらは部下のショウ・ナルカミ。この度はご愁傷さまです…心よりお悔やみ申し上げます」
アマユキの丁寧なあいさつで面会が始まった。俺がいつお前の部下になった?と言いたいところだが、些細なことは気にしてはならない。
「ファ、ファゼルの妻で…コリーナと言います。お心遣い痛み入ります」
コリーナさんはさすがに緊張しているのだろう…スムーズに言葉が出てこないようだ。
立ち話で済まされるようなことではないので、コリーナさんがリビングへ案内してくれた。家具と観葉植物を上手に配置したリビングは、素朴で暖かみがある。コリーナさんが淹れてくれた紅茶を一口飲み、アマユキが口を開いた。
「亡くなったファゼルさんですが…私達の調べでは殺害されるようなトラブルはありませんでした。コリーナさんから見て、何か変わったことはありませんでしたか?」
こういうことには慣れているアマユキは、淀みなくコリーナさんに尋ねた。
ここまでの調べでは、ファゼルが殺害された原因はお守りの可能性が高い。アマユキはそれを敢えて伏せることで、俺達が知らない何かがあれば、それを聞き出すつもりだ。
「ありました…」
コリーナさんはこちらの思惑にうまく乗ってくれたな。
「あれは…ソルタスさんが亡くなった次の日だったと思います。赤い髪が印象的な女性がウチを訪ねてきたのです…」
まさか…あの女なのか?だが、アマユキは確認しようとしない。どういうつもりだ?
「その方の名前は?」
名前なんてどうでもよくね?苛立ちが募るものの、ここはアマユキに任せるべきだろう。
「彼女はキアラマリアと名乗りました。夫は彼女と二人で話しがしたいと言ったのですが、私は自分にも聞く権利があると言って居座りました。キアラマリアさんも二人に聞いてほしいと言ってくれたので、最後は夫が折れました」
コリーナさん、意外と気が強いね。
おそらくファゼルは300年前にキアラマリアがザカリヤ・エステルマギに仕えていたことを知っていたのだろう。だから、二人で話しがしたいと言ったのだ。一方でコリーナさんはキアラマリアのことなど知らなかったようだ。だから、ファゼルとキアラマリアの仲を疑ったんだろうな…。
「キアラマリアさんはソルタスさんが暗殺されたと告げました。その理由は教えてくれませんでしたが、夫に対してはなぜソルタスさんが殺されたのか…それは分かっているはずだと言いました。夫は肯定も否定もしませんでした。でも、その表情は厳しかったですね」
ファゼルは間違いなく知っていたな…お守りの持つ意味を。
「それから、キアラマリアさんは夫に寝る時は常に蚊帳を使うようにと言いました。季節を問わず常に使うようにと。あとは…外出する際はなるべく人の多い通りを通ること、どこへ行くにせよルートはその度に変えるように言いました」
想定できる暗殺対策はしっかりやるように…とのことだろう。結局、白昼堂々と毒グモを使われ、殺されてしまったのだが。
「夫はあの日からお守りをじっと見つめることが多くなりました。私は…そのお守りは何なの?と何度も尋ねたのですが、お前は知らない方がいいの一点張りでした。こんなことになるのなら…処分してしまえばよかったのに…」
コリーナさんの声は震えている。その気持ちは…痛いほどによく分かる。それでも俺達は知らなければならない。
「ファゼルさんが持っていたお守りは…どうなりましたか?」
アマユキが核心を突いた。
「それが…ないんです。夫は常に肌身離さず持ち歩いていたのですが…」
ファゼルの遺体の検分の際には持ち物も改められたが、お守りは出てこなかった。その前に盗まれていたのだろう…まさかあの老人が?あの後、見つからなかった赤いクモの謎と合わせて考えると、辻褄は合う。もちろん、普通にすられたという可能性もあるが…。
「ところで…キアラマリアさんというのはこの方ですか?」
アマユキが今になって気が付いたと言わんばかりに、赤い髪の女の写実画を取り出した。
「そうです…この人です!」
アマユキめ…強かなヤツだな。コリーナさんに粗方話させてから確認を取ることで、隠し事をされるのを防いだのだ。それが常道なのかもしれないが、何だか不愉快だね。
「あの…キアラマリアさんは何か悪いことをしたのでしょうか?」
コリーナさんが恐る恐る尋ねてきた。
「いえ…そういう訳ではありません」
アマユキは苦笑しながら答えた。確かにあの女が何か悪事を働いたかと言われると…何もしてない。
「他に何か変わったことはありませんでしたか?」
これ以上はないだろうと思うが、そこはきっちりと確認しておく必要がある。
「いえ…特にはありません」
コリーナさんは…複雑な表情だ。
「あの…。どう言ったらいいのか分からないのですが…ファゼルさんを殺した犯人は、俺達が絶対に捕まえます!」
退路を断つような強い決意で俺は宣言した。アマユキもコリーナさんも…キョトンとした表情で俺を見つめている。何だ?何かおかしなことを言ったか?
「はい、よろしくお願いします」
どこか安心したような面持ちでコリーナさんは答えてくれた。




