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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
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人生、だいたい想定外。~創作・育児・日常エッセイ集~

介護職員の独り言〜主任が倒れました〜

作者: 白鐘
掲載日:2026/07/10


うちの主任が倒れた。

朝起きたら三十九度近い熱があり、病院を受診したところ、診断は脱水。現在、点滴治療中だそうだ。


今日、一緒に働いていたベテラン看護師さんがぽつりと言った。


「あの人、エナドリ飲み過ぎて脱水なんだよ」


昨日の休日出勤でも、確かにエナジードリンクを飲んでいた。


夏場で夜間熱中症ということもあるだろう。しかし、水分補給をエナジードリンクで済ませる生活が続けば、カフェインの利尿作用や糖分の影響もあり、脱水を招く危険性は十分にある。


介護の現場では、「頑張る人ほど倒れる」が珍しくない。

人手不足だから休めない。責任感が強いから無理をする。そして誰かが倒れれば、残った職員がさらに無理をする。


私も現在、腕に腱鞘炎一歩手前の痛みが出始めている。パート職員だとて無理をしていないわけではない。


食事介助をして、排泄介助をして、記録を書いて、家族対応をして、事故報告を書いて、頭痛がし始めて脱水に気付き、ようやく自分の水分補給をすることもある。


「利用者さんを優先する」のは当たり前だが、その当たり前の積み重ねで職員が倒れてしまう。



日本は世界でも有数の高齢化社会だ。高齢化率はすでに三割近くに達し、寝たきり高齢者も増え続けている。


では、なぜここまで介護の負担が重くなるのか。


日本では長く、「親は最後まで家族が看るべきだ」という価値観が根付いてきた。そして、その価値観は「最後まで命を支えること」を当然とする介護のあり方にも少なからず影響を与えてきた。


介護保険制度によって介護は社会全体で支える仕組みへ変わった。しかし、「最後まで支える」という考え方そのものは今も根強く残っている。


その結果、日本では寝たきりの重度要介護者を長期間支える介護が少なくなく、現場の負担も大きくなっている。


文化と制度。その両方が重なり合った結果が、現在の日本の介護が抱える課題なのである。


そして、その構造の中で最も置き去りになりやすいのが、本人の意思である。


もちろん、高齢の家族を大切に思う気持ち自体は尊い。問題は、その善意が、ときに「本人の意思」より優先されてしまうことだ。


日本では、終末期に本人が意思を示せなくなった後も、家族や周囲の判断によって治療や介護の方針が決められる場面は少なくない。


問題は、どの治療を選ぶかではない。本人の意思を制度的に確認し、尊重する仕組みが十分に整っていないことだ。


つまり、「本人不在の意思決定」が構造化されているのである。


介護の現場にいると、考えさせられる場面がある。


本人はもう意思表示ができない。それでも家族の意向で生活の介助が続き、十年近く寝たきりで生き続けている方もいる。

認知症によって食べられないことを理解できず、経管栄養で生命を維持しながら、「何か食べる物はないか」と施設内を歩き回る利用者さんもいる。


もちろん、家族にも様々な事情がある。大切な人だから一日でも長く生きてほしいと願う人もいるだろう。


しかし、その選択は本当に本人の意思なのだろうか。

自分で食べ物を口へ運ぶことができなくなっても、誰かが口へ運び続ければ身体は生きていける。

けれど、それは本人が「食べたい」と望んでいることと同じなのだろうか。


乱暴な言い方になるが、「食べられなくなること」もまた、人が人生を終える自然な過程の一つではないだろうか。


その問いに、私は介護職として何度も向き合ってきた。


主体性を失い、意思を伝えることもできず、ただ一日が過ぎていく。その姿を見ながら、「生きる」とは何なのかを考えずにはいられない。




一方で、介護職の人手不足や介護離職は、日本だけの問題ではない。


デンマークやアメリカをはじめ、多くの先進国でも介護人材の不足は深刻化している。高齢化のスピードに人材育成が追いつかず、重い業務と慢性的な人手不足が離職を招く。


介護人材の不足そのものは世界共通の課題である。


日本が特徴的なのは、その上に「本人はどう生きたいのか」という意思決定が家族や社会の価値観に委ねられやすい構造が重なっている点だ。


単なる人手不足だけでは語れないのである。


その影響は、もちろん私たちの現場にも及んでいる。

私の職場でも、この十年ほどで職員数は約二分の一まで減った。それでも現場は毎日回さなければならない。


一方で、厚生労働省は2040年度に向けて、約22万人の介護職員を追加で確保する必要があると見込んでいる。


現場の実感から言えば、「どうやって集めるのだろう」と思わずにはいられない。



日本の介護は、いま制度だけではなく、価値観そのものの転換期に来ているのだと思う。


私は「延命するな」と言いたいわけではない。 本人が望むなら、その選択は当然尊重されるべきだ。


ただ、その選択が本当に本人の意思なのかを考える仕組みは、もっと必要ではないだろうか。


本人の意思が尊重される介護は、利用者だけでなく、家族や介護職を守ることにもつながるはずだ。


主任が一日も早く元気になることを願いながら、私は今日も利用者さんのもとへ向かう。



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― 新着の感想 ―
職場の主任さんがダウンしてしまったことで、色々と考えるキッカケにもなったのですね……今までも考えていたことかもしれませんが。 僕自身は今のところ親や親戚を介護する状況にはまだなっていないですが、介護士…
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