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思兼学園異聞  作者: 歌麿
第二部 桜と龍と恋する神殺し~神殺し候補は恋に全力です~
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月へ

 誰も動かなかった。

 月門の向こう。

 白銀の都市。

 夢で見た景色。

 神話の彼方。

 失われた故郷。

 そして。

 白いうさぎ。

「だから遅いってば!」

 元気だった。

 ものすごく元気だった。

 緊張感が少しだけ消える。

「そこじゃないだろ……」

 龍真が額を押さえる。

 世界の真実より先に。

 うさぎの存在感が強すぎた。

 シロは動けなかった。

 目の前にある。

 ずっと探していた場所。

 帰りたかった場所。

 知りたかった過去。

 だが。

 辿り着いてしまった。

 だから怖い。

『私は』

 小さな声。

『何者なのでしょう』

 誰にも向けていない問い。

 自分自身への問い。

 龍真が隣に立つ。

「行こう」

 それだけだった。

 答えはない。

 保証もない。

 それでも。

 一人じゃない。

 シロは小さく頷いた。

『はい』

「行きましょう」

 意外な声だった。

 那由禍。

 全員が振り返る。

 本人も少し驚いた顔をしている。

 つい先日まで。

 思い出すことを拒んでいた。

 逃げていた。

 だが。

 今は違う。

「確認しなければなりません」

 静かな声。

「私達が何をしたのか」

「何から逃げたのか」

 拳を握る。

「そして」

 少しだけ視線を落とす。

「何を失ったのか」

 その言葉は。

 自分自身へ向けられていた。

「では行ってこい」

 玄斎が言う。

「来ないのか?」

 龍真が聞く。

「年寄りじゃからの」

「絶対嘘だろ」

「留守番じゃ」

 笑う。

 いつも通り。

 だが。

 その目は優しかった。

 孫を見送る老人のように。

「帰ってくるんじゃぞ」

 珍しく真面目だった。

 最初に歩き出したのは。

 シロだった。

 一歩。

 月門へ。

 龍真。

 美月。

 那由禍。

 続く。

 光。

 浮遊感。

 重力が消える。

 音が消える。

 そして。

 世界が変わった。

 月だった。

 空は黒い。

 だが。

 暗くない。

 銀色の光が街全体を包んでいる。

 白い塔。

 白い橋。

 白い神殿。

 静かな都市。

 美しい。

 ただ。

 あまりにも静かだった。

「誰もいない……」

 美月が呟く。

 その通りだった。

 街に人影がない。

 風もない。

 生活の気配もない。

 まるで。

 昨日まで人がいた街が。

 一瞬で眠ったようだった。

「ようこそ!」

 うさぎ。

 全力疾走。

 飛びつく勢い。

「やっと来た!」

「何万年待ったと思ってるの!」

「知らん!」

 龍真が即答した。

 美月が笑う。

 シロも少し笑った。

 那由禍だけは笑えない。

 街を見ている。

 何かを思い出しそうで。

 思い出せない。

 その時だった。

 うさぎの表情が変わる。

 笑顔が消える。

 静かな顔。

 何万年もの時間を見てきた顔。

「説明するね」

 誰も喋らない。

 うさぎは振り返る。

 都市の奥。

 遥か遠方。

 巨大な黒い影。

 山より大きい。

 都市より巨大。

 それが。

 月の地平線に立っている。

「何が起きたのか」

「どうして月が捨てられたのか」

「どうして神々が逃げたのか」

 那由禍の瞳が揺れる。

「どうして原初神が滅びたのか」

 シロが息を呑む。

「そして」

 うさぎは振り返る。

 真っ直ぐ。

 美月を見る。

「どうして神殺しが必要なのか」

「え?」

 美月。

 間抜けな声だった。

 だが。

 誰も笑わなかった。

 那由禍だけが。

 青ざめていた。

 まるで。

 聞きたくなかった答えを。

 知っているかのように。

 風が吹く。

 月の風。

 存在しないはずの風。

 白い髪が揺れる。

 シロが空を見上げた。

 故郷。

 探し続けた場所。

 辿り着いた場所。

 しかし。

 ここは終着点ではなかった。

 始まりだった。

 失われた神話。

 忘れられた記憶。

 月に残された真実。

 その全てが。

 今。

 静かに動き始める。



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