慧眼を持つ町 6
あれから時間は過ぎ、既に夜の帳も降りた。流石の街路からも活気が薄れ、煌々と灯る窓からの明かりが照らすほんの一部の場所以外は殆ど暗闇に包まれている。
剣を背負った彼女が歩いていたのはまさにそんな暗がりの郊外の脇道だった。
「―で?こうこそこそする必要があるの?」
「…仕方ないでしょ。”聖者様”との密会なんだから」
背中越しに剣が訊ねてくる。いつもと変わらず明るい調子なのが妙に癪に障る。だからなのか、少女からは力み気味の溜息が漏れていた。だが、やはり剣がそれを気に留めるわけもなく、
「へぇ?素直に従うんだ?」
…いちいち煽り立てるような物言いをする。こっちが不本意なことなど知っているくせに。
「勘違いしないで。ただこっちにも益になることだと思ったからよ」
「本当にそれだけ?あの聖女さんに情が移っちゃったとかは?」
不機嫌そうに鼻を鳴らす彼女だったが、その反応は帰って剣を調子づかせるものにしかならない。剣は嘲笑うかのように声色を高くして、わざとらしく問いかけてくる。もし肘でもついていれば必ずそれでつついていることだろう。
「…あのね、そんな今更なことがあるとでも言うつもり?」
「おや、違うんだ」
まったく…。剣はいつもいつも…。
そう腹立たしく思いつつも少女はそれ以上言い返すことはしなかった。今はなんと返しても剣の掌の上だろう。それに、これ以上騒ぎ立てて誰かに気付かれてしまったら本末転倒だ。まだ…いや、むしろ剣は押し黙った彼女を質問攻めにしているが、少女はまるで何も聞こえていないかのように澄ました顔で昼の間に指定された場所へと向かう。
そのうち目の前に現れたのは大きな屋敷。小高い丘にぽつんと立ち、夜闇の中でも一際の豪華さを放っているそれは正に話に聞いていた通りだ。だったら、と正面から外れて脇の草陰へと身を隠し裏手に回る。…やはり一つだけ窓が開いている。ならばあそこ、か…。
慎重に近づいていくとその窓の脇に見覚えのある人影が覗き見えた。昼の聖女だ。だが、今その顔を覆う布はなく、その整った儚げな表情がはっきりと判る。…案の定、その目は焦点が合っていない。
すると彼女はぼうっと外に虚ろな目を向けていたかと思えば、ふとこちら側に顔を向けて、
「――あっ、来てくださったのですね」
そう言いほっと胸を撫で下ろす聖女。もう隠れる意味も無くなった少女は徐に姿を現した。
「…で?こんなことまでして何の用?」
わざわざこうして自らが詰問される危険性を冒してまできたのだ。それ相応の理由がないと流石に我慢がならない。そんな態度が少女からあからさまに伝わってくる。
「申し訳ありません…。ですが、あのような場所では到底お話しできる内容ではございませんでしたので…」
聖女はばつの悪そうに萎縮するが、しかしすぐに唇をぐっと結んだかと思うと顔つきを真剣なものに変えて少女へと向き直る。その眼差しは本当に少女を捉えているかのようだった。
暫しの沈黙。見つめ合う二人。そして、意を決した聖女が硬く張り詰めた緊張の糸を切った。
「――貴方が何かに阻まれているように、貴方を視ることができない。そう私は言いましたね」
「…そうね」
「より厳密に、より正確に表現します。”阻んでいるもの”はありません。私の眼に”届かない”のです」
「それは……どういう意味かしら?」
「そう、ですね…。本当に何かに阻まれているのであれば、そもそも私は貴方の存在を認識することさえできないでしょう。ですがこうして貴方を認知できます。何故なら貴方の放つ気配…いえ、貴方の周辺が、深い闇とでも言いましょうか、そうしたぽっかりと開いた穴のようになっているのです。”何がいる”かは把握できなくとも、”何かがいる”ことは理解できる…。これで伝わるでしょうか」
聖女は一度口を閉じる。少女を窺うように目の前に意識を集中させている。だが少女は何も反応を返さない。驚きも、動揺も、憤りも、その様子からは何も感じとることができない。しかしだからこそなのか相対する者を萎縮させ、身動ぎの一つも許さない力を放っていた。
聖女もは例外ではなかった。口が乾き、喉がつっかえるような感覚を覚える。だが、それでも聖女は言葉を続けようとする。
「……判るのです、私が紛い物だからこそ。貴方のそれは只人と一線を画すものがある…」
「……」
「…貴方は何者なのですか?とても……とても、只の旅人だとは思えません」
再び静寂が場を支配する。いや、最早全てが静止したようにも思えた。緊張の糸も張り直され、更には言い知れぬ畏怖が聖女を襲う。
――どれくらいの時間が過ぎただろうか。徐に少女が姿勢を変え、億劫そうに溜息をつきながら、
「はぁ…。貴方もその立場なら解るでしょ?他人の詮索はするものではない、って」
「…申し訳ございません。出過ぎた真似をしました」
「いいわ、気にしなくて。大元は私が訊ねたことだから」
少女は足早にその場を去ろうとする。聖女は咄嗟に呼び止めようとするが、彼女が抱えるぐちゃぐちゃとした迷いがそれを遮った。
「…なに?まだ何かあるの?」
けれど誤魔化しは効かなかったようだ。立ち止まり呆れた様子で問いかけてくる少女が振り返る。
「…いえ、なんでもありません。ただ、旅の無事を、と」
聖女は幾ばくか悩んでいたようだったが、最終的にはそう締め括り頭を下げた。そうして、やっと少女は正面へと向き直りこの場を立ち去った。
「…あの娘、なかなか見る目があるね」
あの邸宅の少し離れた場所で、少女の背中からどこか愉快そうな声が聞こえる。しかし少女の方は不愉快そうに、
「…目は見えていないけれど?」
「うわ、凄い皮肉。流石に可哀想だよ」
「なんとも思ってないくせに」
けたけたと不釣り合いに明るい振る舞いを見せる剣だったがふと話題を変えて、
「――それで?収穫はあった?」
ある意味で相応しいくらいに不機嫌な少女は、暫し黙りこくる。そして漸く歪んでいた唇を開いて、
「…まぁ、そうね。やっぱり失望したわ」




