第35話・施菓子会
老松・夏柑糖:1個 ¥1,890。 とらや・水羊羹 32個¥10,800。
ゴディバ・ムースショコラ エ カカオフルーツジュレ 10個¥4,320。
ブルガリ・ルイ エ レイ 2粒¥3,500。
(2023年調べ)
たかが菓子に何て値段だ!
されど自白剤と見れば、安いのかな?
興味を持たれた方は本文へ
戦国奇聞! 第35話・施菓子会
ここは紗綾捜索隊が拠点としている駿河 江尻宿である。
駿河には秋山十郎兵衛の隠家が興津宿にあるのだが、禰津政直(神平)の提案で江尻宿に腰を落ち着けていた。
駿河の国はヤマトタケルが天叢雲剣で、草を薙ぎ払い難を逃れた伝説の地であり、伝説の勇者が振るった、伝説の剣を祀っていた “草薙神社” が存在する。 (神社は伝説では無い!)
その宝剣は天武天皇の勅命により尾張の熱田神宮に移されたが、神社はその後も この江尻宿付近に鎮座しているのである。
今回 草薙紗綾の行方を追うには草薙神社の霊験に縋るのがよろしい と言うのが、神平の意見であった。
何事も神仏のご加護を願うのが、この世界の真っ当な選択なのだ。
とは言え、神頼みだけでは解決しないのもこの世の辛い所であり、禰津神平は中畑美月発案の “すいぃつ作戦” 実施の為、現代人では想像も出来ない奮闘をしているのである。
えー中の人です。
コンビニスイーツを気ままに選んでいる皆さまは、菓子如きになにを手間取ってるんだ、早く話を進めろ …とお思いでしょうが、スイーツは大変なんです。
なので、少々 言い訳させていただきます。
前話でも触れましたが、この当時の甘い物は、大変 貴重で高価でした。
なにしろ甘味料の代表、砂糖が無いのです。
現代の砂糖の2大原料はサトウキビ(砂糖黍)とサトウダイコン(甜菜)ですが、2つともこの当時の日本にはありません。
サトウキビは熱帯から亜熱帯の作物で、十分な日照と温度、そして豊富な水が必要です。
日本では沖縄から南九州、四国地方、愛媛県辺りで栽培出来ますが、栽培が始まったのは1610年奄美大島からで、物語時空の天文年間(1540年代)では入手困難。
奈良時代は少量が薬として、鎌倉時代後期からは甘味料として そこそこの量が輸入されて来ましたが、まだまだ高価です。
もう一つのサトウダイコンは寒冷地作物で、日本の主な生産地は北海道ですね。
長野 山梨の山岳気候でも栽培可能な気はしますが、栽培すれば良いってもんじゃない。
甜菜から砂糖を分離することに成功するのは1745年ドイツの化学者アンドレアス・マルクグラーフが初であり、日本にサトウダイコンが来るのは1879年です。
これまた天文年間ではちょっと辛い。
そうそう、この天文年間にはポルトガル人が鉄砲と共に西洋菓子(カステラ、コンペイトウ、ボウロ…etc)を持って来るのですが、一般化するのはもうちょっと先ですし、砂糖の希少性とは別の話ですね。
ではこの当時の日本で生産される甘味料は何かと言うと、甘葛(蔦の樹液を煮詰めたもの)や蜂蜜、でんぷんから作られる水飴などで、それも少量生産がやっとの貴重品で ほとんど薬扱いでした。
なので消費者は上流貴族や大名に限られ、一般武士や平民の口に入る様な物では無く、農民・パンピーは果実や干柿で甘さを採っていたのです。(あと、ツツジの花吸ったり…)
と、言う訳で口を割らせる程の甘い物は、入手可能な場所は限られ、日持ちもしないので、京の都から原材料と職人を持って来るしか無いのです。
現状を簡潔に表現すると、甘い物を用意するのは全く甘く無い と言う状況です。
禰津神平の苦労、お判りいただけましたでしょうか。
以上、戦国雑記帳でした。
―――――――――
程なくして京の川端の菓子職人が輸入品の原材料と共に到着し、粽やら饅頭やらを作り出したのだが、水が違うだの薪が合わないだの、中々うるさい事になっている。
つまり、納得できる菓子が出来ないので売ってくれず、手土産が揃わない。
流石は一流のプライド、都の御用達である。 (※1)
神平がそんな状態に頭を抱えている中、甲斐からの使者がやってきた。
「おう神平殿、ご苦労の様じゃで陣中見舞いじゃ。お、坂井殿も息災のようじゃの」
「!幸綱殿…なぜ こちらに?」
使者は真田幸綱であった。
突然の来訪に驚きつつも喜ぶ禰津神平と坂井忠である。
「当座の銭を取り敢えず十貫ほど持って来たぞ。それと …“鳩” …喰うのか? あと望月十郎兵衛殿からの書付も持ってまいった」 (※2)
「…望月十郎兵衛? 望月家にその様な者、居ったかの?」
「うむ、居るのじゃ。最近知り合ったのじゃが…まぁそれは後で話すとして、手こずって居る様じゃが富士市には居らぬか?」
「おう、それよ。儂も最初は富士市で紗綾殿の人相書きを持って聞き込んだのじゃが、最近様子が変わったそうでの。
女子供の売買は詮議が厳しくなり、いつどこで誰から買ったか言わされ、怪しい物は裏を洗われる様になったそうじゃ。
それで偽りがバレると商品没収となるとかで、後ろ暗い売り手は女子を余所に連れて行って仕舞て、足取りが追えなんだ。
義元様は善政をなさったが、お陰で苦労するわ…」
「うむ、正確にはそのお指図は義元様のご母堂、寿桂尼様から、じゃがな。」
「ほぉ知って居ったのか?」
「うむ、十郎兵衛殿の書付に、あったわ。
で、最近の女子供の売買記録には、紗綾殿と思われる女性は乗って居らなんだとも、あった…」
「…何者じゃ、その十郎兵衛殿とは?
ところで、幸綱殿。村上はよろしいのか?そちらの警戒で佐久を動けぬものと思うておったが…」
「うむ、軍師殿からは深志が動く前に村上にも動きがあろう と言われて居ったが、一向に動く気配も無くてな…
それよりは禰津殿を推挙した手前、難儀しているのを放っておくのは面目ないでの…」
幸綱の言葉を聞き、面白そうに禰津神平は微笑んだ。
「ふふ、そうでは無かろう?正直に申してみよ」
「あ?まぁ神平殿には見透かされて居ろうな…佐久の地でずっと見張るのは…正直、村上の大男を思い浮かべるのに飽きた。
それに甘い菓子で尼さんを調略しようなど、余りに馬鹿馬鹿しい策に銭を注ぎこむで、結末が見たくなったのじゃ」
幸綱は喋りながら鼻をヒクつかせた。
「この甘い香り…これは大枚叩いた京の菓子じゃろ?
馬鹿な話じゃと思って居たが、この香りを嗅いだら良い案に思えて来たわ。
…して、こんな事を思い付くは巫女殿であろう?」
「左様、左様!面白き御仁じゃ」
「ははは、流石は神憑りじゃ…所で巫女殿は何処じゃ?」
周りを見渡した幸綱と目が合った坂井が答えた。
「お菓子が揃うまではヒマなので、草薙神社に詣でてます。直に帰ってくると思います…」
その言葉を待っていたかの様に階下で美月の騒がしい声が聞こえて来た。
※1:笹の葉で巻く粽の発明店で宮中御用達の餅屋である。応仁の乱の頃から京六町にあり、現在も“御粽司 川端道喜” で営業中(完全予約制:流石の御用達である)
※2:望月十郎兵衛は甲州透波の元締め 秋山十郎兵衛の偽名である。 詳しくは第20話参照の事。
―――――――――
「神平さん神平さん!大変大変!スクープ!」
階段をよじ登る様に何やら叫びながら、美月が神社詣から戻ってきた。
戸を開け、中を覗き見て幸綱を認めた途端
「わ!幸綱様!!大変!!!」
と、一段と大きい声で叫び、幸綱の前に正座でスライディングした。
その勢いに思わず、背後に飛びのく幸綱である。
「わーどうしましょ♡なんで居るんですか! あ、ダメって意味じゃないです!居ていただいて 大変ケッコウなのですよ」
「…じ、陣中見舞にの…」
「え?わざわざ私のお見舞いに♡ それは絶句するほどのシアワセ…」
一瞬で舞い上がる美月である。天から引き戻す役目の勘助が傍に居ないが大丈夫か?
と、やや遅れて上がってきた古澤が、息を整えながら美月の横に座った。
「美月先生 早。 体育教師を置いていかないで下さい…て、目の焦点合ってないですけど大丈夫?
ハイ、大きく息を吸ってぇー」
古澤が体育教師のスキルで美月を現世に呼び戻した。
そして何事も無かったように神平と幸綱に顔を向けると
「みなさん、凄い事が判明しましたよ!藤堂先生は何度も草薙神社に来ていたんです。…あれ、真田さん なんで居るんです?」
互いに挨拶もしていないが、理由はいきなり美月たちが乱入したせいである。 無礼なヤツだ…
礼儀には反するが、大変興味深い事を言っている気がした幸綱は、片手を上げ 挨拶を済ませ、話の先を急かした。
「古澤殿、藤堂とやらは雪斎党の一味で御座ろう? その者が居ったと言うのか?」
「そうなんです。そして神社の縁起とか草薙の剣の形とか、聞いていったそうなんです」
得意げに話す古澤だが、冷静に坂井が指摘した。
「…でも、藤堂は歴史の教師だし、個人の趣味で来ただけじゃ…」
「いやいや、忠。 藤堂先生は悪いセンセイなんだから、個人の趣味で神社を周る筈は無い!それともう一つ、興味深い事がある」
悪い先生は神社巡りはしないとは、まったく根拠の無い断定である。
その上 人差し指を立て、含みを持たせる言葉で間を置き、謎解きの探偵の様に みんなの視線が集まるのを待っている。
そんなあざとい技についつい 乗ってしまう坂井君。
「興味深い?何ですか先生!」
「うむ、衣装だ。 草薙神社の巫女さんの衣装は冠とか色々と、他と違うそうなんだけど、その装束一式を無理やり持って行ったそうなんだ。 どう思う?」
「…さあ…コレクション?」
「…わからん、何でだろう…」 (謎解きはせんのかーい)
黙って話を聞いていた禰津神平が徐に口を開いた。
「紗綾殿は単なる人買い、拐かし、では無さそうで御座るな…
なぜ同じ寺に居た葵殿は残され、紗綾殿だけが売られたのか?実は、気になって居ったのじゃが “草薙” に意味を在ると、腑に落ちる。
黒幕と見える藤堂が草薙神社の巫女装束を揃え、草薙紗綾が消えたとなれば、これは目的が合って連れ去ったと思われる」
「えー?草薙神社の巫女にする為に草薙紗綾をさらうって、ダジャレじゃん。藤堂ってバカなの?」
「否、何か願いがある時は神仏の縁を求めるは、当然の事じゃ」
「ア、それに…」
古澤が思い出した事を口にした。
「藤堂先生はギャンブル…賭け事好きですからね。 ゲン担ぎはするんじゃないでしょうか」
腕を組み一連の話を聞いていた真田幸綱が反芻するように
「一つ、紗綾殿が売られた形跡は富士市には無かった。
一つ、黒幕は験を担ぐ者である。
一つ、草薙紗綾と草薙神社…草薙に拘りがある。
一つ、わざわざ巫女を仕立てる必要がある。
…何じゃ、何を狙って居る?
…これは人買いを追うのではなく、紗綾殿を連れ去った者共の素性を追うしかないのう…」
「やはり、尼寺の尼しか手は無い様じゃ…」
幸綱と神平は顔を見合わせて、情報整理の方向性には納得したようである。
だが、次に進む調査ターゲットが絞れない。
煮詰まった雰囲気を逸らす様に坂井が美月に話しかけた。
みんなの話を聞くフリをして幸綱を凝視していた美月への突然のスルーパスである。
「けど、美月先生、どうやって藤堂の事、聞き出したの?口止めされていそうな話なのに」
「…え?何? …あ、どうして教えてくれたかって?
スイーツよ。粽の試作品を貰うんだけど、食べ切れないじゃない…だから、御裾分けで持って行ったの。
で、神社のニラだかネギだかと仲良くなって、あれこれお話するうちに… “そう言えば変な事があった” って」
「へー、やっぱりスイーツの威力って、あるんだね」
「…美月殿、つかぬ事じゃが 神社におるのは禰宜じゃ」
「うぅむ、菓子の威力は思った以上だの。 これで件の尼寺が明らかになれば、調べは進むのじゃがのう…」
再び煮詰まった雰囲気となった時、再び美月が “ユリーカ” 状態となった。
「そーだ!尼さんが見つからないんなら、みんなに来てもらえばいいのよ!」
「…」
えーと、古澤先生、お願いします。
「はい?来てもらうって?…美月先生、フェスでもやる気ですか?」
「フェス?そうですね、そんな感じ。
元々 “スイーツ作戦” は生徒を保護していただいた事のお礼って体なんだから、主だった尼寺全部に “お礼にお菓子を振舞いまーす” って声を掛けて、来てもらえばいいですよ。
神平さんが用意してくれたお菓子は最高なんだから、来てもらえさえすれば、必ず聞き出せると思うし」
幸綱と神平は再び顔を見合わせた。 二人とも口が開いている。
やっとの思いで禰津神平が言葉を発し、幸綱と作戦を練り出した。
「それが出来れば…確かに…したが、尼寺全部にとはまた、大事で」
「うむ、儂の力では難しいが、御屋形様の力を使えば何とか…よし、儂が手紙で願い出るので、足の速い使いを出そう」
「おぅ、では早速、鳩を使ってみるか!」
真田幸綱が武田晴信宛てに願い出たのは、 “駿河の尼寺お礼の会” 開催協力である。
『武田所縁の城西衆を手厚く保護して下さった尼寺へ お礼をさせていただきたい。京の菓子など用意するので、尼様には是非 ご参集いただければ恐悦至極』
てな事を手紙に書いて、今川の然るべき人に頼んでください と、お願いしたのである。
依頼を受けた晴信は、早速 勿体着けた書面を書いた。
そして駒井政武を使者とし、今川家家老 庵原忠胤を通じ、今川義元の母、寿桂尼への届けたのであった。
雪斎党の暗躍を知らぬ寿桂尼は、駿河の善行に甲斐から礼を言ってきたと、喜び、快く全面協力を約束してくれた。
藤堂と香山は噂を聞き警戒したが、雪斎と言えども 寿桂尼様には手が出せず、見守るばかりである。
斯くして、駿河の国 影の実力者、寿桂尼様より駿府近辺の尼寺に号令が掛かり、大お茶会が催された。
この “駿河の尼寺お礼の会” は施餓鬼会 ならぬ 施菓子会 と呼ばれるのであった。
余談ではあるが、菓子調達費用は当初想定の数十倍となり、勘助、城西衆の蓄えのほとんどが溶けた模様である。
(蓄えはアイスだったのかな?)
第35話・施菓子会 完




