エピローグ①春が来て、雪が解けて
グレスティンの春は突然やって来た。
五月の暖かい太陽の光に照らされ、冬の間中ずっと庭を白く染めていた雪が溶け出した。
冷たい風に吹かれてもの悲しげに荒涼としていたヒース・コートの庭園には花が咲き乱れ、夜まで明るい日差しに照らされて輝いている。
中でもヒース・コートを美しい紫色で染め上げているのは、かぐわしく香るヒースの花だった。
グリーンのエンパイアスタイルのドレスに着替えてロビーの居る玄関ホールに降りると、夫はしげしげとカサンドラを眺めた後に微笑んだ。
「カサンドラ、やっぱり君にはその色が良く似合うよ。僕の瞳と同じ色」
「まるで海の色みたい?」
「いいや、僕の妻の色だよ。マイ・ラブ」
唇に触れるだけのキスを受け、私は嬉しさに微笑まずには居られなかった。
グレスティンに春が訪れたその日、カサンドラは愛する夫と共にヒース・コートの門を潜って乗り合い馬車乗り場まで歩く。
カサンドラの故郷、ウィリアムズ領に向けて出発する為に。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ウィリアムズ領はグレスティンよりも大分前に春が訪れていたらしく、ウィリアムズ伯爵の居住区であるウィルアールの街は祭りでもないのに人で溢れていた。
もしかすると此処はこれが普通で、静かなグレスティンの穏やかな町に慣れすぎてしまったのかもしれないが。何せグレスティンでは町行く人達皆が知り合いなのだから。
ロビーには大通りで時間を潰してもらう事にし、カサンドラはウィルアールで一番大きく美しい教会『聖ウィンスレット教会』の墓地へと足を運んだ。
「来るのがとても遅くなってしまってごめんなさい、シャーロットお姉様」
小高い丘の上にある墓地の、もっとも陽当たりが良くて緑豊かな景観も素晴らしい場所に、姉のシャーロットは眠りについている。
墓石は隅々まで手入れが行き届いており、側にはまだ新しく生き生きとした花束が供えられていた。
色とりどりの春の花はどれもシャーロットの好きな花だ。
墓石の傍らに座ったカサンドラは自分が持ってきていた花束を崩し、それを組み合わせて花冠を作り始める。
そしてぽつりぽつりと静かに言葉を紡いだ。
「ずっと貴女に合わせる顔が無かったのよ。
私はお姉様を死なせてしまったし、今まで貴女の幸せを打ち砕き続けてしまっていたから。
だからお姉様が私を嫌って、心の底から憎んでいると信じて疑わなかったの。
お姉様もきっと私の顔など見たくないだろうと思っていたのよ。
でも今は、あの舞踏会の夜のお姉様の言葉を信じない」
カサンドラはそう言い、出来上がったばかりの花冠をシャーロットの墓石へと乗せた。
「何故なら、18年間私を愛してくれたお姉様を信じているから。
貴方の優しさは揺るぎないものだった。
私がお姉様を心から愛しているのと同じくらい、お姉様が私を愛してくれていたのは明確だったのに。
どうして私は、その事を忘れてしまっていたのかしらね……」
カサンドラは胸の前で手を組み合わせ、目を閉じて祈りを込めて呟いた。
「ヒース・コートでの夜、私を闇の帝王から救ってくれて本当にありがとう。
どうかお姉様の眠りが安らかでありますように。
次に生まれ変わったら、彼女に幸福が沢山訪れますように」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
リュクス・ガーデンはカサンドラの生まれ育った屋敷だ。
緑溢れる庭園に右から左へ威厳を持ってそびえ立つバロック建築の壮麗な屋敷は、当然ながらカサンドラが飛び出してきた数ヵ月前のままそこにあった。
到着した私達は父に仕えている執事に出迎えられ、美しい調度が自慢の応接間へと通される。
メイドが紅茶を用意してくれたが、私もロビーも優雅にお茶をしたい気分では無い。
私が居る長椅子の隣に座っているロビーをちらりと盗み見てみると、彼は緊張で息も絶え絶えな様子だった。
気持ちは分かるわ……。
娘の私だってお父様とお母様に会うのが怖いもの……。
どうかロビーが呼吸困難で倒れたりしませんようにと願わずには居られなかった。
ついでに私の呼吸も。
ロビーと駆け落ち結婚を決めた時、カサンドラは両親に勘当される事を覚悟していた。
例えもう二度と両親と会えず、生まれ故郷に帰れなくなったとしても、ロビーとの結婚を諦めたくなかった。
彼と結ばれないと想像するだけで身を裂かれるような想いだったから。
ロビーとの結婚を報告する手紙を出した後、三ヶ月以上両親から返事がくる事は無かった。
分かっていた事だが、カサンドラはとてもショックだった。
けれど数週間前、ヒース・コートに両親からの手紙が届いたのだ。
ロビーと顔を見合わせた後に怯えながら封を切って読んでみると、便箋には確かに父の筆跡で綴られていた。
そこには、カサンドラの突然の結婚は青天の霹靂だった事。
父母共にひどく動揺しており、特に母は気が動転してしまって宥めるのに大分時間が掛かってしまった事。
そして、
カサンドラとロバート・シダルの結婚は、定期的に両親へ顔を見せに行く事を条件に認めるとの事が書いてあった。
結婚祝いとしてヒース・コートを私に譲り、当初の予定通り持参金も用意してくれる事も。
そして驚いたコトに、『雪が溶けて暖かくなったらぜひ、夫となった人と一緒に顔を見せにウィルアールに来て欲しい』とも。
そんな訳で今日、ロビーと一緒にリュクス・ガーデンへ来たのだった。
私もとても緊張しているが、隣で蒼白になっている彼ほどではない。
カサンドラはロビーを励ます為、そして自分を励ます為にロビーの手に自分の手を重ねた。
「ロビー、大丈夫よ。貴方はとっても素晴らしい男性だもの。お父様もお母様も、きっとすぐにロビーの事を大好きになるわ」
「……あぁ、カサンドラ。
大切な君を奪い去ってしまった僕を、伯爵は許してくれるかな……」
「もちろんよ」
大好きなグリーンの瞳を揺らめかせて不安がるロビーににっこり微笑んで請け負ったものの、正直カサンドラも両親がどう出るのか分からず不安だった。
けれど応接間の扉が開いて両親が姿を見せると、半年以上ぶりに見る二人の姿に感極まって不安が吹っ飛び、思わず長椅子を立ち上がって父へ抱き付いた。
「お父様、会えて嬉しいわ……!!
リュクス・ガーデンへ招待してくれて、本当にどうもありがとう!」
ハグを返してくれた父の頬へつま先立ちしてキスをした後、体を横にずらして今度は母の頬へとキスをした。
「お母様、今日は会ってくれてありがとう。
私……お母様の元気なお姿を見る事が出来て嬉しいわ」
「まぁ、元気ですって?
カサンドラ、貴女のせいで数ヶ月間生きた心地がしなかったわ。
よくも私の夢を打ち砕いてくれたわね。叱られる覚悟は出来ているのかしら?」
怒り心頭な様子で美しい顔を顰める母に、カサンドラはクスクスと笑みを溢しながら反論した。
「いいえ、叱られるのはイヤだわ。
それに私は今日叱られる為に来たんじゃないの。
とっても魅力的で、私の自慢の夫をお父様とお母様に紹介する為なのよ」
私がそう言った途端、父の濃いブルーの瞳が不可解に煌めき、長椅子から立ち上がって神妙な面持ちでウィリアムズ一家を見守っていたロビーへと鋭い一瞥をくれた。
父の様子に気付いた私は慌てて父の腕の中から抜け出すと、ロビーの傍に行って彼の腕に手を掛けた。
そして胸を張って誇らしげにロビーを両親へ紹介する。
「彼が私のチャーミングでユーモラスな世界一素晴らしい夫、ロバート・シダルよ。
ロビーは見事私のハートを射抜いたの! 」
そこで一度言葉を切り、彼の肩に頭を凭せ掛けてにっこりと微笑む。
「私、ロビーと結婚して本当に幸せだわ」
無鉄砲過ぎる娘に苦言を呈するつもりだった父も、愛娘の幸せそうなキュートな笑顔を見ては叱るに叱れない。
父は深い溜め息を一つ吐き出すだけに留めると、私とロビーのいる方へ歩いて来てロビーへと右手を差し出した。
「君が魔法を掛けてくれたおかげで、私の愛する娘はまた笑顔を取り戻してくれた。
ミスター・ロバート、君に心から感謝する。どうか娘を幸せにしてやって欲しい」
「もちろんです、伯爵。
伯爵家の宝である彼女を奪い去ってしまうからには、月の光で咲いた幻の花のように慈しみ、手折られぬよう僕が永遠に守り抜きます」
私はただ守られているだけの深窓の花ではないのだけれど、父とロビーが握手を交わした事が嬉しくて、ロビーの守る幻の花になっても良いかもしれないと思った。
「ロビー、カサンドラ、今日は良く来てくれたね。
改めて歓迎するよ。座って寛いでくれたまえ。
さぁ、ヘレネ。君も此方へおいで」
「あなたったら、本当に娘に甘いんですから。
もっと叱ってあげないといけないわ」
鋭い眼差しをふっと和らげて一同に席を勧めた屋敷の主に、その妻であるヘレネは不服そうに目を細める。
何しろこの夫ウィリアムズ伯爵は非常に有能な男だが、昔からカサンドラの言いなりなのだ。
カサンドラがお願いさえすれば、叶わなかった事など無い程に。
妻であり母である伯爵夫人はそう思いながら、渋々と応接間に美しく計算された角度で並べられた革張りの椅子に座る。
自分達に内緒で勝手に結婚した娘に当初は苛立たしげにしていた伯爵夫人だったが、一時間後にはロビーのユーモアたっぷりの会話に楽しそうに耳を傾けていた。
分かっていた事だが、ロビーはとても人好きのする男性なのだ。 優しくて人柄も良く、ユーモアのセンスもある。
グレスティンでも老若男女問わず人気の彼は、どうやら母の心も魅了したらしい。
カサンドラは複雑な気分になった。
お母様の機嫌が直ったようで良かった。
でも……どうして心臓を掴まれているような気になるのかしら?
ロビーの関心をお母様に取られたから? それとも反対?
嫉妬に慣れていないカサンドラだったが、ふとカサンドラの向かいに座っていた父を見ると、彼もまた複雑な表情をしていた。
それを見たカサンドラは微笑み、内緒話をするように身を乗り出した。
「ね、お父様。
私の言った通り、ロビーは素敵な男性でしょう?」
「………そのようだね。
でもカサンドラ、条件だけは守って貰うよ」
「もちろんよ、大好きなお父様。またお父様とお母様に会いに来るわ」
カサンドラはそこで一度言葉を区切り、紅茶を一口飲んで緊張でカラカラになった口を湿らせると、父のブルーの瞳を真っ直ぐに見つめながら言った。
「シャーロットお姉様の喪が明けたら、グレスティンの教会で式を挙げようと思っているの。
………もしまだ雪が降っていなくて、お父様とお母様の気持ちが落ち着いていたらだけど………ぜひ来て欲しいわ、お父様」
父は、不安に揺れるカサンドラの瞳を暫し真剣な表情でじっと見つめた後、再び表情を穏やかにさせて力強く頷いた。
「娘の花嫁姿を見たくない父親などいない。
それにきっとヘレネは、カサンドラの晴れ舞台に自分も一躍買おうと張り切るだろうね」
「まぁ、それじゃあ……?」
「君の式には私達も参列する。父親として当然だ。
どうか君の美しいドレス姿を見せて欲しい」
「お父様、ありがとう………愛しているわ、心の底から」
父の言葉を聞いたカサンドラは突然立ち上がるなり、椅子へ座っている父親に飛び付いて抱き締めた。
父の胸に顔を埋めて居たおかげでその場で気付いた者は居なかったが、何故かカサンドラは無性に泣き出したくなって、一粒だけ涙が頬を伝い落ちた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
応接間での両親との一時を終えたら用事を済ませてからウィルアールで宿を探す心積もりだったが、父が客間を用意してくれたので、この日はリュクス・ガーデンに泊まる事になった。
忙しい執務の合間に時間を作ってくれた父にまた夕食で会おうと誘われる。
私とロビーは部屋を出る両親の背中を見送った後、万事上手くいった事にお互いの目を見合わせて笑い合う。
「ほらね。お父様もお母様もロビーの事が大好きになったわ」
「素敵なご両親だね。君をとっても愛してる」
「そうなの。自慢の両親なのよ」
そう。私は素晴らしい家族に囲まれている




