70.歴史は繰り返される
アーサーに捕らわれたカサンドラは後ろで手首をロープできつく縛られ、書斎の革張りの長椅子に放り投げられる。
私の腰のベルトに差し込んでいた短剣は今やアーサーの手にあり、大切な短剣は彼によって執務机の上に乱雑に投げ捨てられてしまった。
カランと大きな音を立てながら執務机に投げられた剣を目にしたカサンドラがショックを受けていると、アーサーは長椅子に横たわる彼女に馬乗りになり、白い首へナイフの刃をピッタリと突き付ける。
私の寝室から消えた、エヴァンズ侯爵家の紋章の彫られたナイフだ。
「俺を怒らせると後悔するとも知らないで、愚かな女だ」
「私を傷付けて後悔するのは貴方の方よ。
貴方はずる賢くて卑怯者の、弱虫なんだから!」
「うるさい! 俺に逆らうな!!」
「‥‥っ‥」
絶対にアーサーに屈したく無くて虚勢を張るも、逆上したアーサーに左頬を平手打ちをされて勇気を打ち砕かれる。
口の中に血の味が広がり、自然と潤んでしまう目から涙が溢れないようにきつく唇を噛み締めた。
「せいぜい望みを捨てずに喚けばいい。
俺は、俺に希望を踏みにじられて絶望する女の顔が好きなんだよ」
「私は貴方の思い通りになんかならない」
上からこちらを見据えるアーサーの瞳は肉食獣が獲物をいたぶる時のようにギラギラと輝いていて、余りにも恐ろしくて震えてしまいそうだった。
それでも心を壊されてしまわないように必死で強がってアーサーを睨み付ける。
背中側できつく縛られている手首のロープさえ切る事が出来れば、あるいは。
私の僅かな怯えを敏感に感じ取ったアーサーはククと喉を鳴らして低く笑い、首筋に当てていたナイフを滑らせてシャツのボタンを上から三つまで切り裂いた。
「お前は男を誘惑するのが好きなようだから、せいぜい楽しめばいい」
アーサーは口角を吊り上げながら愉快げにそう言うとナイフの刃先をカサンドラの心臓辺りに当て、もう片方の手をコルセットに包まれた右胸の方へと置く。
「フレデリックとはもうやったんだろ?
なら今俺がお前をやればどっちの子か分からない。
俺の計画通りお前はフレデリックと結婚出来なくなる。
誰の種を仕込まれるのか、その綺麗な目でしっかりと見ておく事だ」
アーサーの意図を悟ったカサンドラはゾッとし、このピンチの打開策が無いかと必死で考えた。
短剣は執務机の上。前の時のように彼を蹴ろうにも、彼が伸し掛かっているので身動き出来無い。
腕はロープで縛られているので、アーサーの横っ面を引っ叩く事も不可能だ。
僅かばかり動かせる頭で周囲を見渡すと、暖炉の炎がパチパチと爆ぜているのを目にした。
どうせこのままではアーサーに酷い目に合わされる。
無謀すぎるけれど、賭けてみる価値はあるかもしれない……。
アーサーの残忍なブルーグレーの瞳が真っ直ぐ自分に向かっているのを確認すると、いかにも怯えているように体を震わせ、乾いてしまった口を癒やすように柔らかい唇を赤い舌で舐めて湿らせる。
その様子を目にしたアーサーは嫌でも彼女の唇に釘付けになり、悪魔のキスをしようと頭を下げてカサンドラに顔を近付けーーー
その時を待っていた。
カサンドラは男が顔を近付けて来た途端、思い切りアーサーの額目掛けて頭突きを食らわせた。
「ぐぅ……!!」
頭突きされたアーサーは激痛に襲われて呻き、額を押さえて反射的に体を起こす。
長椅子に私を押さえ付けるように覆い被さっていた彼から解放され、多少身動きが取れるようになったカサンドラは、今度は彼の足の間を思い切り蹴り上げた。
声にならない悲鳴を上げながらカサンドラの上からアーサーが完全に退くと、彼女は長椅子から転げ落ちるように床に逃げ出す。
けれど未だに両手を縛られている上に先程の頭突きの反動で目眩がし、立ち上がるのに思ったよりも時間が掛かってしまった。
もたもたしている間に痛みが落ち着いて激怒したアーサーにシャツの襟を掴まれる。
「このアマ!! 今度こそ殺してやる!!」
シャツの襟ごと体を引き摺り上げられると、力いっぱい暖炉の方へ投げ飛ばされた。
「う…っ…!」
背中をマントルピースに強く打ち付けて床へ座り込んでしまった。
なんて乱暴な男なの……!でも上手くいったわ。
私は燃える暖炉の炎を背にしてアーサーを睨み付けた。一部の隙も無く手首を縛るロープを、暖炉の炎にかざしながら。
何度も火傷しそうになりながらも、あと少しでロープが焼け焦げるという時、腹立たしげなアーサーが足音荒く傍までやって来て私の胸ぐらを掴む。
彼の右手には怪しく光るナイフが逆手で握られていた。
どうやら本格的に彼の逆鱗に触れてしまったらしい。
「最初からこうしておけば良かったようだな。慈悲を与えた俺が間違いだった」
あともう少し。
あと少しでロープが切れるのに……!!
カサンドラがギュッときつく目を閉じたものの、書斎の扉が荒々しく開かれた事により、ナイフが私の胸に突き刺されるのは何とか免れた。一時だけかもしれないが、時間稼ぎ出来るのは有り難い。
「アーサー、大変だ。君の従弟が来てる!」
「セオドア!! お前は言い付けも守れないのか?
きちんと見張ってろとーー」
部屋に入って来た濃いブロンドの髪の青年を怒鳴り付けるが早いか、応接間に血相を変えたフレデリックが飛び込んで来た。
その手にはカサンドラが渡した伯爵家の拳銃が握られている。
フレデリックは書斎の中を素早く見回したが、暖炉の前の光景を目にするなり驚愕に目を見開いて視線が釘付けになった。
アーサーは咄嗟に私の胸ぐらを掴んで引き摺り上げながら共に立つと、再び私の首筋へとナイフの刃を押し当てる。
抵抗したいが、抱き竦めるようにアーサーに拘束されているせいで抜け出せない。
「とうとうお前の負けのようだな、フレデリック」
「彼女を離せ」
「嫌だね」
「お前の狙いは僕だ。カサンドラは関係ない」
「なら拳銃を床に捨てるんだ」
フレデリックは躊躇する事なく持っていた拳銃を床へ投げ捨ててしまう。
私は彼がアーサーの注意を引き付けている間に両腕に力を込め、焼け焦げて殆ど切れかかっているロープを千切ろうと試みた。
アーサーだけがこの状況を楽しむようにニヤリと口角を上げて残忍な笑みを浮かべている。
フレデリックは拳銃を捨てたというのに、カサンドラの首に押し当てているナイフを下げようとはしない。
「武器はこれだけだ。早くナイフを下ろしてくれ」
「侯爵位は誰のものだ? 言ってみろ」
「君のものだ、アーサー。君にやる」
焦燥に駆られたように揺らぐ銀色の瞳で私だけを真っ直ぐに見つめながら、掠れた声でフレデリックは言う。
私の命と引き換えに、次期侯爵の地位を憎い従兄に明け渡そうとしているのだ。
彼の優しさを踏み躙る訳にはいかない。
カサンドラは再び腕に力を込めて、ロープの焦げて脆くなっている部分を千切ろうとする。
その時突然、手首の締め付けるロープが緩くなった。
___切れた…!!




