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68.お姫様じゃなくて戦士になりたい





気が付くとカサンドラは水の中をたゆたっていた。


ここは……何処かしら?


必死で藻掻いて水面に顔を出した途端に強い日差しに照らされて目が眩み、自分の浮かんでいる場所がリュクス・ガーデンの庭にある大きな噴水である事が分かった。

幼い頃、両親や家庭教師に内緒でよくシャーロットと水浴びをしていた噴水。


お姉様は先に屋敷に戻ってしまったの?

私を独りぼっちにして?


無性に寂しくなったカサンドラは慌てて噴水の縁へ行こうとするけれど、どうしてだか足に蛇が絡み付いているみたいに前へと進めなかった。


もうすぐ日が暮れてしまうわ。

そうしたら闇の帝王が私を捕らえて、怒りに触れた私はズタズタにされちゃう……。


大声で助けを呼びたいけれど、有り得ない程早い勢いで濃くなる夜の闇に声が吸い込まれて消えてしまった。

恐ろしくて震えが止まらない。

頬を伝う涙が水面に落ちて波紋が広がる。



闇が噴水まで忍び寄って来て私を捕らえようとした時、何処からか声が聞こえてきた。



『カサンドラ』


………誰?


『しっかりするのよ、カサンドラ。

貴女はそんな弱い子では無いでしょう?』


でも……何もかも終わりだわ。

私は神の怒りに触れてしまったのだから……。

どんなに頑張っても、もうどうにもならないのよ。


『いいえ、貴女は神に愛されている。ものすごく強運の持ち主なのよ』


なら、どうしてこんなにも闇が深いの?


『カサンドラ、目を覚ますのよ。貴女の未来は貴女が守るの』


私にはもう、未来なんて……。



闇が水に溶けていくように伸びてきて、もう少しで私に触れる―――



その時、突然誰かに水の中から引っ張り上げられた。



『目覚めるのよ、サンディー!私の太陽。


貴女の命を守って!』




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




カサンドラはハッと目を覚まし、掛け布団を跳ね除けて勢いよく体を起こした。

一つだけ灯っている蝋燭の灯りは既に小さくなっており、ヒース・コートの寝室を薄ぼんやりと頼りなく照らしている。


シャーロットお姉様、愛するロッティ……。


カサンドラは己を守るようにぎゅっと自分を抱き締めた後、ベッドから出てクローゼットの方へと向かった。



ついに来たようね




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇





ロイスが血相を変えて寝室に現れた時、カサンドラは既にシャツとブリーチズ、しっかりした厚めのブーツを身に付けていた。

そう、グランドリーチで調達した男性用の衣服だ。


「おい、カサンドラ!!

起き……、起きていたのか?」


「えぇ、たった今」


「ならすぐに屋敷から逃げるんだ!

裏手から男が三人侵入している。今すぐ図書室の窓から逃げ出せばまだ間に合う」


「三人? 黒い巻き毛の男は居た?」


「黒髪の男は居るが、お前や侯爵が言ってる男じゃないだろうな。

今屋敷に居る連中はどいつもこいつも、見るからに金で雇われた男だ。そういう奴らは人相で分かる」


それを聞いたカサンドラはクスクスと笑みを溢す。

こんな時は笑わないとやっていられない。


「アーサーはきっと、正面から私と対決するのが怖いんだわ」


「笑ってる場合か? 良いから俺の指示に従え」


ロイスは叱りつけるような鋭い声でカサンドラに指示を飛ばすが、カサンドラは首を横に振る。


「いいえ、私は逃げない。少なくとも今すぐには」


「何を馬鹿な事を言ってる! とうとう気でも狂ったか?」


彼の意見はもっともよ。我ながらなんて正気じゃないのかしらと思うもの!!

でも他にどうしろと言うの?


ロイスに背を向けてベッドに近付き、脱ぎ捨てたナイトドレスを幾つかの服と纏めて丸め、ベッドの上掛けの下に入れながら口を開いた。


「今逃げたって、きっとアーサーは私への復讐を諦めたりしない。

フレデリック卿はアーサーに長いこと命を狙われている。それが証拠でしょう?


これからの人生を、アーサーに怯えながら生きて行くなんて絶対にイヤ!解決する方法はただ一つ。

決定的な証拠を掴んで、アーサーを治安判事に突き出す事よ」


「本当にどうかしているぞ!!」


怒り狂うロイスの怒鳴り声がカサンドラを萎縮させたものの、努めて彼の方を振り向かないようにしながら、ベッドを人が横たわって寝ているような形に整えた。


そして枕の下に手を突っ込んで短剣を取り出すと、ズボンのベルトに差し込む。


ロイスの叱責はなおも続く。


「自分には何でも出来るとでも思っているのか?

とんだ思い上がりだな。 こんな事の為に剣を貸した訳じゃない!」


「ウィルアールに逃げ帰った所で何も変わらない。貴方だってそれくらい分かっているでしょう?

悪魔のような人間は、何処へ逃げたって追い掛けてくるのよ」


カサンドラの言葉にロイスは口を閉ざす。

そう、彼は知っている。

何処に行ったって死神はついて回るのだ。

手に入れた細やかな幸せを踏み躙る機会を、悪魔のような目を爛々と光らせながら狙っている。


「いつだったか、貴方は私に『お姫様になったつもりか』と聞いたわね」


カサンドラはロイスの方を振り返り、彼と同様に怒りにメラメラ燃えるブルーの瞳で真っ直ぐロイスを見つめた。


「私はただぼんやり守られているだけの、深窓のプリンセスじゃないの。

自分の未来は自分の手で切り開くわ。誰にも邪魔をさせない」


そう言い放った後にクローゼットの横に立て掛けてあったステッキを手に取っていると、暫くの間沈黙していたロイスの方から深い溜め息が聞こえた。


「無謀にも程がある。

簡単に殺されるのがオチだ。死にたいのか?」


「いいえ」


カサンドラはロイスの方を向き、大輪の花が蕾から花開くようににっこりと微笑み掛けた。



「お姉様にもう一度未来を得るチャンスを与えられたのだから、絶対に最後まで足掻いてみせるわ」





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