14.マーフィーの美味しいパン屋
カサンドラが驚いて固まっている間に銀色の髪の男は行ってしまった。
私がレディである事を知っているというの?
まさか……!そんな筈は無い。
きっとあの人は勘違いしているだけよ。放って置けば良いんだわ。
カサンドラは気にしないよう自分にきつく言い聞かせた。
彼が挨拶した時に上の空で何も聞いていなかった事が悔やまれる。一体誰だったのかしら?
彼の名前すら知らないので尚更不安が募ってしまう。
ぼんやり考え事をしながら歩いていたせいで、ロバートが立ち止まるまで目的の店へ到着した事に気付かなかった。
視線を上げて可愛らしい細工が施された看板に目を向け、丁寧に彫られた店名を読む。
「この店だよ。良い匂いがするから、ちょうどパンが焼き上がった所だな」
「『マーフィーの美味しいパン』?」
「そう、店の名前の通り本当に美味しいんだ。
僕が働いている日はもっと美味しいけどね」
ロバートは茶目っ気たっぷりにそう言うと、美しいベルが鳴って来訪者を報せる仕掛けの扉を開けてくれた。
お店の外観もだけど、店内もとても素敵だった。 元々クラシカルでおしゃれな内装の店内には、クリスマスの時期に合わせて柊の葉や可愛らしいオーナメントで飾り付けられている。
内装だけでなく、パンの焼ける香ばしくて良い匂いが満ちていた。
なるほど、確かに『美味しいパン屋』だわ。‥‥と言うよりまるで、絵本に描かれた妖精のパン屋のようでとても素敵。
「いらっしゃい! あら、ロビー!
またカーラに何か頼まれ事でもしたの?」
焼き立てのパンを並べていた女性がベルの音に気付いて振り返り、ロビーに気付くなり明るく笑った。
亜麻色の髪は後ろで一つに纏められ、年の頃はシダル夫人と同じくらいに見える。
ロバートは陽気な雰囲気の女性の言葉に笑いながら首を振り、少し横にずれて女性に私が見えるようにした。
「いや、今日は違うんだ。
友達を紹介したくてね。彼女はカサンドラ。『丘の上の天使』の正体だ」
「あらあら、貴女がそうなのね! 毎日皆が噂してたのよ! わたしも楽しみにしてたの。 天使にはぜひうちのパンを食べてもらいたくて」
私に気付いた女性は、えくぼを見せて惜し気もなく温かな笑顔を見せた。
「ブレア・マーフィーよ。会えて嬉しいわ」
「カサンドラですわ、マーフィー夫人。
ご挨拶が遅くなってしまって‥‥。 きっと私のこと、随分な礼儀知らずだとお思いでしょう‥?」
「あら、いいのよ! おとぎ話みたいな噂で楽しませてもらったわ。
ロビーは何か知っているようだったけど、何にも教えてくれなくてね」
「ブレアおばさんに話したら、次の日には町の皆に知れ渡るじゃないか」
「素晴らしい話題を皆と共有するのは当然じゃないの」
わざとらしく肩を竦めるロバートに、マーフィー夫人も負けじと反論する。気さくに話す二人のやり取りを見るだけで、ここはとても雰囲気が良くて素敵なお店なのだと分かる。
気付いた事だけれど、この町にはとても陽気で気さくな人が多い気がする。
過酷な土地に住む人は、厳格で他人に興味の無い偏屈な人が多いと思っていたけれど、どうやら私の思い違いだったらしい。
ふと視線を向けた先にジンジャーブレッドが置いてあった。
その棚には他にもミンスパイやキャロットケーキ等のお菓子が見映えよく並んでいる。
カサンドラの好きなレモンドリズルケーキもカットして売っている。
「それで何にするんだい? わたしのおすすめは今焼き立てのパンだけど、うちの店はどれも絶品だよ!」
「では‥‥その焼き立てのパンを。
それと、この棚にあるジンジャーブレッドとレモンドリズルケーキをください」
「わかったわ。すぐ包むからちょっと待ってて」
マーフィー夫人が包んでいる間、何とはなしに店内に飾られているクリスマスツリーを眺めていた。
「良い店だろ?」
いつの間にか隣に立っていたロバートに問い掛けられ、カサンドラは素直に頷く。
「そうね、とっても素敵なお店だわ。
案内してくれてどうもありがとう」
「いいんだ、僕が案内したかったんだから。 また一緒に来よう。
今度はキャロットケーキをおすすめするよ」
「買えば良かったと思っていた所よ」
お店の雰囲気に釣られ、いつの間にかカサンドラは口元を緩めていた




