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10.お礼を言わないと




カサンドラがヒース・コートに戻る事が出来たのは目を覚ました日から五日が経った頃だった。


本当はもっと早く屋敷に帰るつもりだったが、ひどい睡眠不足と栄養不足で弱りきった体は中々快復してくれなかった。

それでも体に鞭打って帰ろうとしても、陽気な夫人はぐずる子供を執り成すように宥めるか、聞く耳を持たないかのどちらかだった。

だからカサンドラはシダル家の人達の好意に甘える他無かった。



ロバートの妹だという12歳の愛らしいエミリーとは好きな物語について熱心に話し、ロバートが仕事から帰宅するとカードゲームやチェスをした。

久しぶりに楽しい時間を過ごせたけれど、仲の良い兄妹を見ているとシャーロットが恋しくて堪らなくなった。


シャーロットとは読み終わった物語について議論する事も、両親に内緒でお菓子をチェスの勝敗に賭けたりする事も、もう永遠に出来無いのだから





◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




「もう此処には戻って来ないと思って清々していたんだけどな」


屋敷の玄関を抜けて応接間へ向かうと、危険な程にハンサムだけど体が不可解に半透明な男が暖炉の前に立っていた。


カサンドラは彼の物言いに一瞬だけ眉を潜めたものの、真っ直ぐと彼の深いブルーの瞳を見つめ返す。


「貴方ってゴーストなの? それともまさか………狼男だなんて言わないわよね?」


「………やっぱり俺が見えるのか。そうだろうと思っていたさ。何故今まで俺が見えないフリをしていた?」



一瞬だけ彼の瞳がキラリと色濃く輝き、表情がもの悲しげに歪んだ気がしたけれど、その意味を理解する隙を与えずに何時もの尊大な態度に戻ってしまった。私の皮肉も完全に無視された。



「貴方はゴーストに話し掛けられたら素直に答えるの?」


「もし君のような我儘なゴーストだったら答えないだろうな」


「そうよね、私もそう思うわ。それが理由よ。

私も尊大で礼儀知らずなゴーストは無視する事にしているの」


嘘。今まで一度もゴーストなんて見た事も会った事も無い。

でも私の事を侮辱する男に『ゴーストが怖かった』なんて絶対に言いたくなかった。



ふと、彼とこんな言い合いをしたかった訳ではない事を思い出す。

彼に聞きたい事と言いたい事があったのだ。



私の予感が正しければ、彼が___




「あの……ロイス」


「なんだ」


「貴方って天気も操れるの?」



私の質問に訝しげに目を眇めていた彼は、突然その質問に含まれた意図に気付いて、普段は鋭い眼差しを驚きにハッと見開いてカサンドラの瞳を見つめ返した。

わざわざ言葉にせずともロイスの表情から答えは明確だった。



「出来るのね」


「何の話をしているんだ?」


「とぼけても無駄よ。貴方が屋敷に雷を落としたのね。ロバートが様子を見に来れば、倒れた私を連れ出して救ってくれると分かっていたんでしょう?」


「どうして俺がお前を助けなければならない?」


「私を助ける理由は……そうね…。ここで私が死んだら、我が儘な小娘ゴーストと四六時中言い合いする事になるから?」



ロイスは額に垂れた真っ赤な前髪を後ろに掻き上げながら重いため息を一つ吐き、私への必死な気遣いを知られた事で気まずそうに話し始めた。


「この屋敷の中と上空だけ操る事が出来る」


「魔法みたいね」


「そんな良いもんじゃない。代わりに俺はこの屋敷に縛られて離れられないんだからな」


「屋敷の外には出られないの?」


「庭に出る事は出来る。ただしヒース・コートの敷地からは出られないな」


「私以外にも貴方に気付いた人はいるの? シダル夫妻は?」


「いや、君以外に俺の姿に気付いたやつは居ない。カサンドラ、君と初めて目が合った時は驚いた」


「……ずっと貴方を無視してしまってごめんなさい。私……、少し動揺してしまっていただけなのよ」


まさか彼がそんな苦悩を抱えているとは知らなかった。

知っていれば私だってもう少し礼儀正しくしたわ。多分……



謝罪は必要ないとロイスは僅かに首を横に振ると、私の側にふわりと浮かぶように漂って来て辺りを見渡した。



「シダルの家から薪や食料は分けて貰わなかったのか?」


「どちらも少しだけ分けて貰ったわ。ほらね」


持っていた紙袋を手で指し示し、その袋の中身を良く磨かれた重厚なテーブルの上に並べた。



シダル家の人達は私に沢山の食料と薪を分けてくれようとしたが、その殆どの品をカサンドラは遠慮した。

宿泊代を払いたいと言ったのに聞き入れて貰えず、カサンドラはこれ以上借りを作るのが嫌だった。

夫人も私もお互い食い下がった結果、三日分の薪とパンと林檎だけ貰った。



私にはこれで充分に見えるのだが、テーブルの上に並べられた物を見るとロイスは眉間の皺を深めた。


「まさか君はこれだけしか貰って来なかったんじゃないだろうな?」


「これで全部よ、充分でしょう」


「充分な訳ないだろ!これだけで暮らそうとするなんて、また君は死にかけたいのか!! 」


「…………。」


「どうして人の親切を頑なに拒絶しようとするんだ?」


「…………。」


「カサンドラ、君は生まれた時から救い難い意地っ張りだったんだろうな。

じゃなければ何故そんなへそ曲がりになったんだよ」



何時からかしら? そんなの、私には考えなくても分かる……



以前のカサンドラなら簡単に人の好意を有り難く受け入れる事が出来た。

明るくて人好きのする美しいカサンドラを喜ばせる為に何かをしてやろうと思う人は大勢いたし、その人達が乞うままに心から喜んでみせた。



多分、親切を受ける事が嫌な訳ではない。

受け入れた事で親しくなり、どんどん私の生活に踏み込まれるの怖いのだ。

こうしてロイスと言い合うのも、シダル家の人達と過ごすのも楽しいと感じる。けれど今はそんな気になれない。

哀れなシャーロットはもう永遠に楽しい気持ちになれないのに、私が幸せになって良い筈がない。





薪を必要な分だけ掴み、暖炉へ近付いて放り込む。最初は苦戦した火起こしも今では大分手慣れてきた。

火掻き棒を使って薪を突きながら、彼がこれ以上説教を始めないように付け足した。


「週末にロビーと町へ買い物に行くわ。だから三日分もあれば充分なのよ」


「ほう……少しは人の頼り方がわかったようだな」


カサンドラは彼の皮肉に答える代わりに肩を竦めた。

様子から察するに、取り敢えずは彼の苛立ちを抑えられたらしい。





暖炉で赤く燃える炎をぼんやりと見つめていると、ある事に気付いて眉を潜めた。


そういえば……倒れてから今日までとてもぐっすりと眠れていた。

ここ二ヶ月間毎日欠かさずに見ていた恐ろしい悪夢に魘されて、悲鳴と共に目覚める事は一度も無かった。


夢も見ない程に体が弱っていたから? それとも何か、他に理由でもあるの?

どうして悪夢を見なかったのか検討もつかなかった。



けれど毎晩悪夢の中で繰り返しシャーロットに憎しみの目を向けられなくなって、カサンドラは無意識の内に安堵していた





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