ルルの旅立ち
ニグルとルルの本拠地である、セノベ国の西の中心都市キゼト。
その片隅で男達の野性を鎮める街、リトルヨシワラ。
数十年前に異世界人によって拓かれたその街で、一際人気を集める店「その名もフジヤマ」。
ニグルとエルがスブル王国の王都であるスブルに到着した丁度その頃、「その名もフジヤマ」の控え室では、人気嬢であるルルが姿勢を正し、オーナーに声を掛けようとしていた。
「オーナー・・・私、冒険者に戻りたいです」
背筋がピンと伸びたその立ち姿は、堂々たる冒険者そのものである。
何度も見捨てられ、何度も逃走し、他の冒険者達から蔑まれようと構わず半裸で走り続けた惨めな過去。
春をひさいで食い繋いできた、自分を偽り続けた昨日までの日々。
過去の自分と命をかけて決別すると誓った力強さが、ルルの立ち姿から滲み出ていた。
相談ではなく、決意表明である事を察したオーナーは、今にも泣き出しそうな顔になった。
「君が赤の他人だった頃ならなんとも思わなかったのだろうけど、娘の様に思ってしまっている今となっては…止めたいよ。だって冒険は危険だろう?また見捨てられるかも知れないだろう?」
止めたいとは思っている。
しかし、止めてはいけない気がする。
そもそも、止めても無駄だと思われる。
そんなオーナーの心情を察したのか、ルルは翳りのない笑顔を作った。
「きっと、絶対に私を見捨てないであろう冒険者を見つけたんです」
笑顔で言い切れば、少しは安心してくれるかもしれない。
これは浅はかな考えだ。ルルにもそれはわかっている。
「ニグルさんかい?あの、絶倫ニグルかい?」
ニグルには、関係する各所でそれぞれ渾名がある。
リトルヨシワラでの渾名はこれである。
陰口に近い。
その陰口を広めたのはもちろん、相手を務めたことがあるルルである。
「そうです。あの人となら私、昔の私に、なりたい自分を目指して頑張れる私に、戻れると思うんです」
根拠は無い。
そんなものは無くていい。
後付けの根拠など無益な茶番でしかない。
「でも、ニグルさんは魔道具屋のエルさんの恋人なのだろう?」
オーナーの懸念はそこにもある。
「私は冒険仲間になりたいんです。恋人になりたい訳ではないです」
少し嘘をついたのかも知れない。
そう思いながら、迷いを誤魔化すように、ルルは口を動かし続けた。
「オーナーと出会えて幸せでした。オーナーに優しくしてもらった時間は本当に幸せな時間でした。この店で働いた事は決して汚点ではないです。でも、私、忘れかけてた本当の自分に戻りたいんです。あの人について行けば、きっと私は戻れるんです」
ルルとオーナーは、お互いの、涙が浮かんだ目を見つめ合った。
言葉が出ない。理屈を抜きにした本心で向き合う限り、二人の頭にはこの先の言葉が浮かばない。
「旅立つ前にルルを指名したいのだが!」
ルルとオーナーの間に挟まる音の無い空間を切り裂くように、大声を出しながらその名もフジヤマに入ってきた男がいる。
大魔法使いマグスである。
「マグスさん!ルルさんを迎えに来たのではないのですか?今から旅立とうって時に何を言っているのですか!」
店内の至る所に染み付くかのように馴染みのある、モリの声が後を追った。
「店を辞めたらもう指名出来ないのだぞ!ニグルと合流したらルルはきっと俺に股を開かない!なら今の内に金で股を開かせるしかないではないか!」
「マグスさんとニグルさんは穴兄弟だったのですか!ソエルさんからはもう役に立たないと聞いていましたが・・・」
「ソエルには内緒だが、回春魔法を使えば問題無いのだ!ソエルが相手だとこっちのやりたいようにやれないから、回春魔法の事は秘密にしていたのだ!」
「今度チクっておきますね!」
相変わらず、マグスとモリが揃うと騒がしい。
「残念。今辞めたとこですよ」
うっすら笑いつつ、見下す視線をマグスに突き刺しながら、ルルが店の奥から出て来た。
「おお!相変わらずそそる目をしているな!」
マグスはポジティヴな性癖を持っている。
「早くスブルに行かないと。ニグルさん、何しでかすかわからないですよ」
ルルは呆れ顔をマグスに真っ直ぐ向けた。
「あいつは短気だからな!」
「スブルの異世界人差別を目の当たりにして義憤に駆られて暴れるかも知れないですね!」
モリがしたり顔で口を挟んだ。
「違う!スブルには変な奴がいるのだ!ニグルはきっとあいつのこと嫌いだ!俺も嫌いだ!」
「はい?」「はい?」
モリとルルは、素っ頓狂な声を出した。
マグスが何を言っているのかわからない。
「エルが生まれた頃、俺とソエルの旅に勝手について来る奴がいたのだ!ソエルの親戚だ!そいつが今スブルで要職に就いているのだ!あいつはクズだ!相当強いが相当クズだ!そしてバカだ!ニグルとあいつが顔を合わせたらきっと揉めるだろう!揉めたらニグルでは勝てないかも知れん!あいつはとんでもなくバカだがとんでもなく強いからな!」
「よくわからないですけど、そう思うのなら早く行きましょうよ。私を指名してないで」
「道すがら俺に股を開くと約束しろ!」
「お断りします」
ブーツの紐を結びながら、ルルはキッパリと断った。
「そうか!行くぞ!」
ルルがブーツの紐を結び終わったのを確認したマグスは、くるりと身を翻して「その名もフジヤマ」を出た。
「ルル、守ってくれる人がいるのなら、素直に守ってもらえばいいんだよ。それは甘えじゃない。守ってくれる人がいるという事は、誇るべき事なんだ」
ルルを見送るために奥から出てきたオーナーの目から、涙が一筋だけ溢れた。
今のオーナーには、一筋で抑えるのが精一杯であった。
「オーナー、最後に甘えさせて下さい。私は笑顔でここを離れます。寂しさよりも期待の方が大きいから。だからオーナーの涙には応えません。本当は私も泣いた方がいいのかなって思うけど、期待を寂しさで押さえつけたりなんかしませんから」
そう言いつつも、ルルの唇は、ルルの言葉とは裏腹に震え始めた。
唇の震えを懸命に抑えながら、ルルは慌ててオーナーに背を向け、店の外に向かって一歩踏み出した。
「行ってきます。お元気で。冒険から戻ったら、会いに来ますからね」
別れの挨拶を背中越しに済ませ、ルルは唇の震えを抑えることをやめた。
唇の震えを解放した途端に、目からは涙が溢れ出し、喉からは咽び声が漏れ出た。
「今まで守ってくれて、本当にありがとうございました」
ルルは喉を震わせながら、言葉を絞り出した。
我ながら情けない声だと思いながらも、これだけは最後に言わなければならないと思った。
思いを言葉に乗せた後、ルルは声を出して泣きながら、力強い歩みで外へ出た。




