魔法使いと、悪魔の杖
セノベの国にある小さな村、バンゴ村。
真っ青な海、小さな入江の白い砂浜、入江に沿って並ぶ赤茶色の屋根。
コントラストやグラデーションが連なる、海沿いの色鮮やかな農村。
ニグルによって悪魔の脅威から解放された過去を持つ農村。
ニグルが、引退後に余生を過ごそうと心に決めた美しい農村。
バンゴ村の美しい光景の中に、ニグルが訪れた頃には無かったものがある。
棚田である。
段々畑が、棚田に変わっているのだ。
バンゴ村の景色を彩るのに、棚田ほど相応しいものはないであろう。
ニグルはかつてそう考えていた。
今のバンゴ村には、ニグルが相応しいと思っていたそれがある。
農業指導者としてバンゴ村に棚田を作り、バンゴ村をニグルの理想に近付けたのは、元いた世界で農業の発展に携わっていた、悪魔の杖であった。
丘の稜線を這う街道と棚田の間に、草原がある。
恥知らずな中年が、外見美少女の膝枕で休んだ草原である。
その草原の中央に、小さな建物がある。
小さな村社の、小さな本殿にありそうな建物である。
「この建物の中に、例の悪魔の杖があるのですか?」
キュアクは、マグスに尋ねた。
「そのはずだ!」
マグスはそう言って、観音開きの戸を開いた。
「サノ!久しぶりだ!」
建物の中にズカズカと立ち入り、マグスは大きな地声を発した。
「田んぼとやらを見た!ちゃんと俺が与えた役目ををしっかりこなしているようだな!サノ!」
悪魔の杖が農業指導者としてバンゴ村に棚田を作ったのは、マグスの指示によるものだ。
マグスは、将来婿になるニグルを喜ばせたかったのである。
マグスはニグルを冒険者として認めており、将来の婿として気に入ってもいる。
マグスは、ニグルの機嫌を取りたかった。
マグスに声をかけられ、小さな本殿の中央に立てられた悪魔の杖が、目を動かした。
「私の名は、カモなのだが」
悪魔の杖は、抑揚のない声で述べた。
悪魔の杖の顔には表情がない。
にも関わらず、脳筋キュアクですら、名前を間違われて悪魔の杖が悲しそうにしていると、そう認識した。
「つまらない冗談だな!サノ!」
マグスは、記憶違いに気付いていた。
しかしバツの悪さを誤魔化したくて、強引にサノを押し通そうとしていた。
「すまない。私が悪いのだな。人間だった頃から、存在感が無いとよく言われていた」
悪魔の杖ことカモは、ネガティブだ。
「すまん!お前は数ある杖の中では最大の存在感を誇っている!だからそう後ろ向きになるな!」
カモのネガティブにあてられ、マグスは慌てた。
「今は、前を向いているからお前と目が合っている。目が合っているのに後ろ向きになっていると思われるのも、存在感が無いからこそなのだろう」
「そうじゃない!気持ち的な話だ!気持ち的に後ろ向きになってないで、前向きになれという話だ!」
「気を使わせてしまって申し訳ないな、マグス」
「もういい!」
マグスは苛立った。
「カモ!ソエルの使者から聞いているか!」
ソエル経由で、マグスはカモに打診していた。
ポルジンで農業指導者の任に就くことを。
「聞いている。行こうと思う。バンゴのことはサノさんに、ナバタ村のサノさんに、本物のサノさんに頼んである」
カモは、名前を間違われたことを根に持っている。
ナバタ村のサノとは、スブル王国の片隅にある、異世界人達が開拓した農村である。
「う、うむ!良い心がけだ!」
マグスは、ネガティブな精神を持つ者が苦手である。
戸惑いながら、適当に答えた。
「ただし、条件がある」
「なんだカモ!」
「ポルジンには直行しない。私もニグル達と一緒にヒトカタノサトに行きたい」
元々は悪魔である。
カモは決して情にほだされない。
ニグル達と一緒に、とは言うものの、気心知れた仲間と楽しく冒険をしたいわけでも、達成感を共有したいわけでもない。
ヒトカタノサトに、元いた世界との接点があるかも知れないと、期待しているからである。
「いいだろう!」
マグスは即答した。
カモに対して、名前を間違えた後ろめたさがあるからである。
「何を勝手なことを!それでは父王の意向に沿えないではないですか!」
キュアクは、焦って止めようとした。
「冒険とは常に変則的なものだ!目標を達成するのにかかる時間など誰にも読めない!」
行き当たりばったり。それがマグスの冒険の心得だ。
「貴様だけ先にポルジンに戻ればいい」
カモは抑揚のない声で言う。
カモとは初見のキュアクには、随分冷たい物言いに聞こえた。
「貴様を連れずに復命など出来るものか!」
キュアクは目を剥いて言い返した。
「私は瞬間移動が使える。今すぐ貴様の父に会って条件を伝えよう」
「そんなことが出来るのか。そうしてくれればまだしもだな・・・」
「いや、駄目だ。私はポルジンに行ったことがない。行ったことがない場所へは瞬間移動できない」
「なら言うな!」
キュアクは思った。
こいつ嫌いだ、と。
「とにかく!ニグル達と合流するぞ!ポルジンに行くのはそれからでも遅くはない!」
マグスは、命令するように言った。
「そうだな。それがいい」
カモがマグスに同調した。
「・・・・・」
キュアクは不信感に満ちた目で交互に、マグスとカモを見ている。
「急ぐぞ!急げば急ぐほどポルジン行きも早くなるからな!」
マグスはキュアクに気を回した。
気は回したが、ポルジン行きは後に回す気でいる。
とにかく、マグスはヒトカタノサトに行ってみたい。
異世界人は辿り着くことが出来るらしいが、この世界の住人であるせいか、自身は辿り着けていない。
マグスは悔しい。そして寂しい。
幼い頃に、自分を拾って一人前の冒険者に育て上げてくれた勇者は、恐らくヒトカタノサトにいる。
マグスは会いたい。今でも仲間としての親愛を示してくれることを信じて疑わない。
異世界人であれば確実に、ヒトカタノサトに辿り着けるのかどうか。
マグスにはそれもわからない。実在するのかすらわからない。
自身はヒトカタノサトの遠影すら、見ていないのだから。
本当にヒトカタノサトがあるとして、その存在を実体あるものとして認識できる者が備えている条件もわからない。
ただ、ヒトカタノサトがあるらしい地域で、異世界人とはぐれた。
その異世界人と再開していない。
だからヒトカタノサトはあるのだろうと想像している。
異世界人は辿り着いたのだろうと想像している。
他にも、この世界に生まれた者の中に同じことを言う者がいる。
裏付けはそれだけだ。
ヒトカタノサトに辿り着く条件がわからない以上、可能性がありそうなことは何でも試すべきである。
幸い、マグスはいずれ、異世界人を娘の婿に迎えようとしている。
異世界人の義父になるというのは、なかなかに珍しい。
それがこの世界の住人の冒険者ともなれば、そしてヒトカタノサトを探す者ともなれば、類似する条件を揃えた者はいないのではないか。
前例がない。つまり可能性が無いわけではない。
熟練の冒険者であるマグスにとってそれは、十分に可能性のある話に転化される。
そして将来の娘婿は、決して乗り気ではないが、ヒトカタノサトを目指すことに同意した。
少なくとも、遠回りはさせているが、ヒトカタノサトがあるとされている東の端に向かっている。
将来の娘婿の気が変わらないうちに旅を再開させなければならない。
「だから急いでいるのか」
悪魔の杖ことカモは、マグスの煽りに納得した。
「しかし不思議だな。ヒトカタノサトという名称がある。その名称を知り、その名称を広めた者がいる。その者はヒトカタノサトに行って戻って来たはずだ」
ヒトカタノサトの噂については、カモは納得していない。
「そうでなければ、ありもしないものをあるという、ただのペテン師だ。そしてマグス達は、ペテン師に踊らされる愚物ということになる」
「その辺りまで行って、実際に俺はお世界人である仲間達とはぐれている!名称はともかく、そういうものがあるのは確かだ!」
「裏付けもないのに確かとまで言い切るのは横暴だ」
「うるさい!屁理屈を言うな!岩に叩きつけるぞ!」
そう言いながら、マグスは手に持った悪魔の杖を岩に叩きつけた。
「私は痛みを感じないから問題ない」
カモは、そうなのである。
「ならば燃やす!」
マグスは掌に魔力を集中させ始めた。
「異世界人の悪魔であった杖を手に持って行けば、ヒトカタノサトに辿り着く条件に引っ掛かる可能性があるかも知れないのだぞ」
カモは、マグスにとっての、自分の存在価値を理解している。
異世界人との変則的な結び付き。マグスはそこに可能性を見出している。
「小癪な杖め!」
マグスは少しだけ、カモを燃やした。
カモの鼻の頭が、少しだけ焦げた。
「熱さを感じはしないが、燃え尽きると炭になる。炭になったら、それは私ではない」
「ならば俺に口答えするな!」
マグスとカモのやり取りをそばで見て、この二人は仲がいいのだなと、キュアクは思った。
しかしキュアクは、特に微笑ましいとも愉快だとも思わない。
ポルジンに戻ることが後回しになった。
その事への不満だけが、キュアクの心を占有している。
「カモ!お前の力を見せてみろ!」
マグスがカモさんに命じた。
「貴様は今、この世界でも破格の凶悪さを誇る杖を持っている。使いこなしてみろ」
カモさんは、視覚的にはわからないが、自分で言っておきながら、自分の発言に照れている。
実際のところ、カモさんは生粋の杖ではなく元悪魔である。
自分の意思を持っていて、自分の意思で魔法を使う。
使いこなされるのが存在意義ではない。
しかし今、カモさんはこの世界で最も高名な大魔法使いの手に持たれている。
いい歳したおじさんが現状に呑まれてその気になったって、いいじゃないか。
「ふむ・・・この世を絶望に誘う凶悪な杖よ!雷を大地に放ち我にその威を誇示せよ!」
マグスは、カモさんを天に向かって突き出し、痛いことを言った。
異世界人冒険者とパーティーを組んだ経験が豊富な熟練の冒険者でもあるマグスは、この手の異世界人を気持ち良くする術を心得ているのだ。
「私は地属性の魔法しか使えない」
カモさんは、そうである。
そうであるが故に、マグスのサービスを不意にした。
「使えない杖だな!」
マグスは悪態をついた。
悪態をつきつつ、再びカモさんを天に向かって突き出した。
「大地を支配する禍々しき杖よ!我に仇なす者を地獄に誘え!」
マグスがその手の異世界人を気持ち良くする能力は、安定している。
「大地と言っているのに空に向かって私を突き出すのは、どうなのだろう」
カモさんは、またしてもマグスのサービスを不意にした。
「・・・・・・・・・ちっ。カモ、とっととなんかやれ」
マグスが大声を出さない時は、本当に不快に思っている時だ。
「・・・うむ」
マグスとカモさんは、随分と楽しそうにやり合っているが、彼らは今、魔獣に囲まれている。
会話に夢中になっている一人と一本を尻目に、キュアクが一人で魔獣の群れを蹴散らしている。
「いつまで私一人で群れの相手をしなくてはいけないのですか!早く魔法を使って下さい!」
キュアクは優秀な兵士だが、魔獣の群れを一人で蹴散らすことに慣れている訳ではない。
必死である。
「すまない。ムジナロック」
カモさんは一言だけ呟き、魔法を発動させ、周囲に転がるあらゆる石や岩を魔獣の群れに投げ付けた。
ニグルと対戦した時、カモさんは詠唱して魔法を発動させていた。
詠唱したかったからしていただけで、魔法の発動条件として詠唱が必要なわけではない。
しかし習慣として、黙ったまま魔法を発動させたくなくて、魔法名だけ口にした。
無数の石や岩を投げつけられたのでは、魔獣の群れとてひとたまりもない。
キュアクの苦労を嘲笑うかのように、カモさんは、一瞬にして魔獣の群れから戦闘力を奪った。
カモさんの本領を目の当たりにし、キュアクはもちろん、マグスも驚き目を見張った。
「お前!本当にニグルに負けたのか!ニグルはどんな不正を犯したのだ!」
マグスはニグルの能力を認めている。
しかし今見たカモさんの能力は、マグスが把握しているニグルの能力で凌駕出来るものではないように思われる。
「命の奪い合いに不正も何もないだろう。ニグルは私より強く、私はニグルより弱かった・・・それだけだ」
カモさんは、視覚的にはわからないが、自分で言っておきながら、自分の発言に照れた。
カモさんは、つい照れてしまうような発言をするのが、結構好きである。




