破滅を賭けた岐路(きろ)
また、登場人物のどうでもいいまとめの項を投稿するかもしれません。
四ツ角の首が、乾いた音を立てて転がった。
酸鼻な光景に呆然としていた七瀬は、四ツ角の首から噴き出る生暖かい血を浴びて、我に帰った。
「う、げえっ……!」
猛烈な吐き気に襲われて、その場におう吐した。口元をぬぐおうとハンカチを引き抜いた拍子に、甲高い音を立てて弾丸が転がる。ハンカチで口元を押さえながら、慌てて拾い上げた。
「嫌だけど、検死の真似事をしないと」
弾丸をポケットに戻し、遺体に向き直る。恐る恐る首筋を見た。鋭利な断面で、およそ人間業ではない。類する魔法は見ていなかった。
いよいよ、嫌な空想が現実と化しそうだった。
「フェレスが? いや、早合点は禁物だ。先ずは出よう、優雅とトランクが心配だ」
力なく立ち上がる。半ば呆然としながらも、瓦礫にまみれた倉庫を出た。
タンカーの一件以来、フェレスに対する疑惑が頭を去らない。
メフィストフェレス。ゲーテ作「ファウスト」に登場する、世界で最も有名な悪魔。
ファウストに「地上のあらゆる喜怒哀楽を体験させる」ことを条件に死後の魂を頂く契約を交わす。ワルプルギスの夜とは、メフィストがファウストを連れて行った魔女達の宴のことだ。
「メフィスト、フェレスか。確か、喧嘩屋はメフィストが使役する悪霊の名だったか。そりゃあ別格なわけだよ。魔法なんかと次元が違う、大悪魔本人なんだから。でも……」
横倒しになったタンカーを前に七瀬は首をひねる。以前の記憶が正しいなら、神との賭けに負けた(ことにされた)メフィストフェレスは首を刎ねられたはずである。
「なんで生きてるのか知らないけど、悪魔だから四ツ角ぐらい殺しても不思議は無い……? まさかな。“魔法売ります!”の派遣主は神様だ。手綱ぐらい握ってるはず」
言っていて不自然を感じた。すぐ正体に行き着く。
「いやいや! 何をボケてるんだ、僕は。5月1日の間は、神様死んでるんじゃないか。悪魔のフェレスがどんな経緯で使い魔になったか知らないけど、今は野放しなんだ」
血の気が引く。少なくとも、四ツ角を殺してトランクを奪った何者かが居る。優雅の去就もつかめていない。無意識に駆け足になっていた。
そこへ、エンジン音が近づいてくる。車輪軍団の生き残りかと身構える七瀬の前に、人間を搭載したバイクが滑り込んできた。
「御祝君、無事だったか!」
林道であることは、ヘルメットをかぶっていないのですぐに知れた。
「林道先輩、唐突ですけど女の子見ませんでした? 同じ学校の生徒なんだけど」
「福主君だろ? 俺も知り合いさ。彼女がヤバいんだ!」
七瀬の言葉を遮って喋る。話は早かった。
「銀髪の、白っぽい服を着た奴が福主君を殺そうとしたんだよ! 一命はとりとめたけど、大怪我してるんだ。君に会いたがってる!」
一気にまくしたてた。
「ええっ?」
「病院に行こうにも医者もいないしさ。さあ、案内するから行こう、御祝君!」
伸ばしてきた手を掴みかけたところで、別種の声がした。
『生還おめでとうございます、ナナセ』
見れば白尽くめの使い魔が、トランクと黒犬のヌイグルミを抱きかかえている。腕に巻かれたリボンは無い。
以前学校に行った時、彼女は「他人には黒犬のぬいぐるみに見えている」と言った。古典のメフィストフェレスは最初、ドクトルファウストゥスに黒犬の姿で近づいたのだ。
「そいつだ! そいつが福主君を刺したんだ! 化物だ!」
林道が使い魔を指して叫んだ。七瀬の表情が硬くなる。
「手が、自由になったんだね」
ぬいぐるみを抱いている、白磁のような手を見て言う。少女はぬいぐるみを投げ捨てて、スカートの裾を持ち、淑女のポーズをとった。
『はい、ようやく戒めが解けましたわ。ナナセにお世話してもらう生活も名残惜しいのですが』
こんなこともできます、と思いっきり七瀬に抱きついてきた。無邪気な行動に、はねのけるわけにもいかない少年。
「バカ、刺されるぞ! 早くトランクを取り返せ! 福主君も待ってる。バイクに乗れ!」
林道は後部座席をバンと叩いた。対立する意見。どちらを信じるにしても――どちらも信じないにしても――情報が足りない。
「……優雅は?」
林道が刺したと主張する、白尽くめに質問する。
『倉庫が壊れた直後、飛び出して行きました。囮役を買って出たつもりなのでしょう』
これまた、優雅の性格上あり得そうだった。悪魔の言うことを信じていいものだろうか、と迷う。頭の良い優雅のことだから、フェレスの正体に気づいて逃げたのかもしれない。
「“悪魔を理解するには年をとっていなければならない”ってゲーテ先生は言ったけどね」
他ならぬ「ファウスト」の作者の言葉を引用する。
『使い魔は、契約した方には決して嘘は申しませんわ。逡巡なさっているようですが、即座に疑念を晴らす都合の良い材料は手元にありません。ナナセが決めてくださいな』
迷いを見透かしたように答える。
またもや十字路に誘われる。昨日から幾度、選択を迫られてきただろうか。
決して強制をしない、だが命のベットされた、悪魔の選択に。
「そうだな、うん」
しかし、今回の選択は易しかった。
考えてみれば、フェレスは七瀬の質問には必ず誠実に答えていたし、どうしても正体がバレたくないのなら、フェレスなどと露骨に名乗らなければ良い。
樋口も絡めた一連の出来事を、フェレスの掌の上にあったと解釈するのは偏狭に過ぎた。そもそも黒い手紙の誘惑に負けたのは七割の自制心しか持たぬ自分なのだ。
『ところで、浮かない顔ですが、誰か世界的に有名な悪魔の名でも思い出しまして?』
やはり、少女は気づいていた。意を決して話す。
「いや、我ながら鈍いと思ってさ。これだけヒントをもらってたのに、やっと君の本名に思い至ったってんだから。どうやら僕は血の巡りも七割みたいだよ、メフィスト、フェレス」
呼びかけられて、少女は花のような笑みを浮かべる。
21日中に次話投稿します。




