9日目
幸せになりたい。
今日、朝から自転車を漕いできました。
自転車を漕いでいる時間ってなんか妄想が捗るのですよ。どんな人にもきっと、何気ないときに頭が整うってことがあるハズ。自分の場合は入浴中だったり、散歩するときだったりに起こるか。
そういうシチュでマイナスなことを考え込んでしまうことがほとんど。これが結構嫌なんです。どうしてこんなことが生じるのだろう。
それが終わった後のスッキリした感覚が答えですが、気持ちの整理のために行っているものかと。心身のうちの何かが作用して防衛行動をしているのかもしれません。
それは、妄想の対象を脅威とみて自分自身の立ち回りを決める生存本能という名の会議。またまたそれは、自分と相反する対象を非難して自分自身の潔白性を証明する裁判。
答えは知らん。誰か教えてくれ。
そんなこんなで、気持ちは整理されるけど後味が悪くなるこの妄想を終わらせにいきます。
幸せになる、楽しいことを考えよう。私はそうしたいと思います。
自分が嫌だと思うことを妄想していたら、後々気持ち悪くなりますから。
個人的には妄想の対象が私とは異なる思想の持ち主。もっと口を悪くかつ人間らしい言い回しで述べるなら、自分にとって都合の悪い存在であることが多いです。
そいつが間違っているやつだと証明できれば、自分の潔白は証明できるでしょう?
精神的ゆとりを手に入れるための愚かな人間の典型的パターン。人の不幸は蜜の味って言われるくらいだからね。
たしかに蜜の味はする。けれど蜜が美味しいもの、百人中百人全員が大好物な愛された味とは誰も口にしていないよね。
それはそう。人なんて多種多様ですから。
だからこそ、色々な人に問いかけてみたい。
人の不幸という蜜って、本当に美味しいの??
どこが美味しいのか説明できる??
私の想定だと、「美味しくない」と答える者、「美味しいのはたしかだけど、理由までは説明できない」という者がほとんど。
またまた口が悪い発言になりますが、具体的かつ心理の深層を炙り出すなら。
「美味しくない」と否定する偽善者と「理由までは説明できない」と言い訳をして自身の醜悪を否定する第三者が、この世界のほぼ全てを占めているということ。
ちなみに私がこの質問を受けた身だとしたら、第三者になりそうです。心の中では「私は違うぜ!!」とかほざきたいと計画しているのですが、まぁ無理でしょう。
人間という存在自体が悪だから、別にそんなもの。
本当に、そんなものだからさ。
悪の存在の悪を示そうとしても別に意味がないのでは??
それで人間という悪である自らの潔白を証明できる訳でもないから。
(ちなみに対象が人でなくても、結局は自らの潔白を証明したいパターンがほとんどだったり)
そう考えると、こんな妄想ってするだけ無駄。
妄想という思想はほぼ絶対に実現しない願望らしく、絶対にあり得ない理想郷だったり、絶対に叶えられない夢を覗くことが一番。
それが将来の指標になる者もいるかもしれないし、そうでなくとも幸せになれるならば役割としては十二分すぎる。
今日も楽しく妄想しながら日記を描いている次第でございます。




