《第十七章》瘴気と僕(2)
「Absolute reproduction」
〈完全複製〉───成功すれば全快できるが、失敗すれば肉体が完全に蝕まれて消えてしまう。
滅多に使わない〝禁じ手〟のようなものだ。
いつもなら体が回復してから複製を始めるため、Reproductionだけで全快できるのだが、今は回復を持つだけの時間がない。
唱えた瞬間、瘴気が僕の体内で再び暴れ始めた。
複製に抵抗するように、蝕む勢いがどんどん加速していく。
少しでも気を抜けば、すぐに消えてしまうほどに。
壊死していた指先に黒い靄が現れる。
すると次の瞬間、黒い靄が金色の光に変わり、ゆっくりと新しい指を形成していった。
身体が焼けるように痛い。
頭の奥で鐘のような音が鳴り続け、視界が白く霞んでいく。
───失敗すれば、消えてしまう。
別に消えたって死ぬわけではない。
けれど、それはもう〝僕〟ではなく、ただの〝瘴気〟だ。
それに、そうなればここにいるみんなの命が危ない。
〝絶対に成功させる〟
その思いだけを支えに、僕は崩れ落ちそうな意識を必死で繋ぎ止めた。
瘴気がより一層荒れ狂い、再生と侵食がせめぎ合う。
複製が追いついたと思えば、次の瞬間には壊死してしまう。
黒色に染まった皮膚が、音もなく気体と化する。
「……っ!」
肺も心臓も、もうほとんど動いていない。
視界は滲み、血の味すら感じられない。
〝もう、無理だ〟
そんな弱音が脳裏をよぎるたび、みんなの笑顔が浮かび上がる。
フィンの優しい眼差し。
サンの不器用な笑顔。
リヴの明るい声。
───そうだ。
僕は瘴気に喰われるために生きてきたんじゃない。
みんなの笑顔を、幸せを守るためにここにいる。
あの日の罪を償うまでは、僕は消えるわけにはいかないんだ。
血走った視界の中、なくなった右手が再び形を取り戻す。
金色の光が全身を包み、消えた部分を次々と再生していく。
次の瞬間、全身を覆っていた瘴気が一斉に収束した。
荒れ狂う奔流が、ようやく僕の意志に従ってくれた。
〝Absolute reproduction〈完全複製〉〟
成功だ。
胸いっぱいに空気を吸い込むと、汗が頬を伝って落ちていった。
痛みも熱も、もうなくなっていた。
「……ふう、危なかった」
そう小さく呟くと、僕の様子を心配そうに見つめていたみんなが、一斉に声を上げた。
部屋の隅から、駆け足で僕の元へと戻ってくる。
「まあ、成功したんですね!」
「さすがっす殿下! やりましたね!」
「…良かった…本当に良かった…」
「まったく…。ヒヤヒヤしましたよ…」
…なんとか、暴走を止めることができたみたいだ。
もう今後しばらくは、瘴気を使いすぎないように気をつけないと。
「それじゃあ、リヴの状態を確認しようか」
「え、もう大丈夫なのですか? まだ休んでいた方が…」
フィンの言葉に、僕は首を横に振った。
「成功したから、問題ないよ。それよりリヴのことだけど…」
僕は先ほど思い出した〝マンドレイク〟のことを説明することにした。
睡眠薬とは程遠い、あの毒薬を。
「───もし、リヴに使われた催眠薬がマンドレイクだとしたら、最悪の場合、このまま死んでしまうかもしれない」
僕の説明に、その場にいた全員が動きを止めた。
「そんな…っ!」
「な、なんとかできないんすか⁈」
フィンとルイが同時に声を上げる。
今にも泣きそうな顔に、僕は胸が締め付けられる思いになった。
淡々と言い過ぎてしまったかもしれない。
僕は少し考えてから、眠り続けるリヴに近づいた。
カーテンを開け、リヴの隣に腰掛ける。
リヴは見た目こそいつも通りだが、ほんの少しだけ呼吸が浅くなっていた。
宝石のような赤色の瞳は瞼の裏に隠され、金色の睫毛が儚く煌めいている。
「リヴ…」
そっと頭を撫でるも、反応はない。
当たり前か、と自分を納得させ、僕は手のひらから金色の粒子を放出した。
あたりは柔らかな光に包まれ、心地の良い風が吹き抜ける。
「…きっと、女神〝エレノア〟様の魔法は、とても綺麗だったのだろうね」
───女神エレノアとは、太古の時代に存在したとされる〝光の神〟。
彼女だけが持つ〝魔法〟という特別な力で、かつて世界の平和を守っていた神様だ。
現在、王宮の教会に彼女の像が祀られており、その像に武器を捧げて祈ると、どんな願いも叶うと信じられている。
空中で輝く金色の粒子は、そんな彼女にまつわる伝承に記された〝女神の加護〟を、瘴気で再現したものだ。
もちろん、本物の加護ではなく、あくまで模しただけにすぎないが、僕はこの金色の光をとても気に入っていた。
この世界に害をもたらす瘴気が、少しだけ〝希望の光〟に見えるから。
そして、いつか罪を償える日が来るかもしれないと、そう…思わせてくれるから。
「Heal」
僕はそう唱えると、金色の光を放った。
まばゆい光が、リヴの体を優しく包み込んでいく。
この魔法(性質)を使っている時は、不思議と心が軽くなる。
失敗したらどうしようとか、そんなことは全く考えていなかった。
「殿下、どうですか…?」
後ろから声がして振り向くと、サンたちは皆、僕の周りに集まってきていた。
「うん、大丈夫だよ」
先ほどより顔色も良くなっているし、呼吸もそこまで浅くない。
この様子なら、そろそろ目を覚ましてくれるだろう。
祈るように見つめていると、金色の光が拒絶するように弾かれ、リヴの眉がぴくりと動いた。
「「「「リヴ殿下!」」」」
皆が一斉に呼びかける。
すると、一向に開かなかった瞼がゆっくりと持ち上がり、赤色の目がわずかに見えた。
「…にい、さん…?」
かすれた声が、あたりに響く。
それと同時に、みんなは歓喜の声を上げた。
その様子を見て、リヴは目を泳がせる。
「え…な…?」
困惑するリヴに、サンが安堵の表情を浮かべながら言った。
「馬車の中で眠ったまま、夜まで起きなかったんですよ。ここはリヴ殿下の私室です」
「目を覚ましてくれて良かった…。心配したんですよ」
フィンは目にいっぱいの涙を溜めていた。
その隣では、ルイたちが号泣している。
「リヴ殿下あああ! 良かったすよおおお‼︎」
「本当に…一時はどうなることかと…っ」
瘴気の力は、時に恐ろしく、時に奇跡を起こす。
どんなに害をもたらすものでも、使い方次第では利ともなり得る。
けれど、一度失ってしまったものは、二度と戻らない。
犯してしまった罪は、一生をかけても償うことはできない。
瘴気とは、愚かな人間の欲望と醜さの象徴だ。
そして、そんな瘴気に選ばれてしまった僕は、同じようにどこまでも愚かな存在だ。
たとえどれだけ善行を働こうと、この穢れを完全に払うことはできない。
だからこそ、みんなにはこの世界で幸せに生きていてほしい。
みんなが生きるこの世界を守りたい。
それくらいしか、僕が生きている意味を見出せないから。
───でもね、リヴ。
その世界には、お前が必要だ。
リヴのいない世界は、僕にとってなんの意味も価値もない。
リヴがいないと、僕は生きていけないんだ。
だからどうか…。どうか、僕を置いていかないで……
「殿下…いや、ゼロ」
「……なに?」
「リヴが目を覚ましてくれて、本当に良かったな」
「…うん、そうだね」
サンはふっと口元を緩ませると、立ち上がって静かに告げた。
「好きなだけ泣けよ、第一王子様」
三日月の浮かぶ夜、蒼き瞳の王子は一人、静かに涙をこぼした。
最近本編を書くのに行き詰まっているので、たまにサイドストーリーなども書いて投稿しようと思っています。本編とは別の「♦︎伝説の槍は、僕を殺せない♦︎ –Side Story–」の方で、早速一話投稿していますので、もし良ければそちらも読んでみてください。




