第173話 願わくば花の下にて
そこまで書いて、エルシーはペンを見つめた。
これは、ティエライネンで木野が土産に買ってきた『いくら書いても手が疲れないペン』で書いた文章だ。
あの楽しい買い物の時間を思い出すと、今も胸が抉れそうに懐かしい。
また、あんな日が来るのだろうか。胸に残る不安が拭えない。
主である木野とはたった二ヶ月一緒にいただけなのに、半生を共にしていたような気さえする。
「エルシーさん、まだ若君起きないっすかね?」
「そうねえ……もう春だし、起きて下さってもいいと思うのだけど。ソウヤ様は二度寝は最高っていつも仰っておられたし、まだ眠いのかもしれないわね」
マギネの言葉に、エルシーは昔を懐かしむように語る。
何かあると家に引きこもろうとするし、魔法もあまり上手じゃないし、立ち居振る舞いが全然世界樹らしくない。そんな主だったが、戻ってくれば世界樹として大成するだろうと、木野の従者はエルシー含め皆そのように思っている。
贔屓目はあるかもしれないとエルシーも自覚しているが、それでもそう思ってしまうのだ。
あれから、マギネは植物学を更に深く学び、新しい肥料やポーションをを作る日々だ。その上、今はアカシアと一緒に汚部屋を卒業する快挙を成し遂げている。
そして、時々エルシーやアカシアと一緒に集落の周りを思い出したように走っている。以前は一周するのもやっとだったのが、最近は三周できるようになったようだ。
アカシアはあの死の台地での冒険を報告書にまとめ、その質疑応答のためにティエライネンや、聖樹族の完全記憶魔法の術者協会の間を忙しく動き回っている。
あまりのことに、事実ではなく虚報ではないかと何度も言われたがそのたびにエーリュシオンが登場して事実である、と厳かに宣言するというハプニングも数回あった。
男爵は地脈に異変がないかシオンとともに日々見回りを続けている。木野が帰ってきたその日のために。さいわい、地脈はまだ機能しており、黒ミミズの発生もない。
ペリュシデアとチカは、大陸の中央部こそ物流の拠点にふさわしい、と言って集落にソレニア商会の支店を立ち上げた。
実際のところ、本当に中央部は死の台地なのだが、そんな理由をつけてペリュとチカのたまり場を作りたかった、というのが本音のようだった。
ドラゴン二頭でどこにでも高速配達のできる、世界一便利な店として富裕層に重宝がられて順調に業績をあげている。最近はチカと國光を慕って見習いの店員ドラゴンも数名増え、忙しさに嬉しい悲鳴をあげている。
「死の台地が普通に通過できるようになったから、楽になったよね」
「ほんまやで、あそこ本当にヤバかったもんな」
語り合うペリュシデアとチカの間に、ひょっこりと顔を出す少女がいた。世界樹メアリーである。近々命名式をするということでエルシーやペリュシデア、チカを誘いに来たのだ。
「そうよねー。お陰でうちの領地の北側で体調崩す人が減って、耕作出来る場所が増えたの。いいぶどう酒が出来るはずだから、よかったら買ってね」
商魂たくましくメアリーは営業スマイルを浮かべる。
「お、メアリーはん。まあ味見してからやな! ジンメン君が味見してあかん言うたら買わんで!」
手の甲をメアリーに向けると、にゅっと人面疽のジンメン君が出てきた。
「お、味見なら任せな、舌には自信があるんだよ」
「今度持ってくるから、楽しみにしときなさいよね!」
「楽しみにしとるで!」
「エルシー、これミルラからよ」
メアリーから受け取ったミルラの手紙には、木野が目覚めたら連絡を欲しいという旨と、ゴムシーとエルシーを気遣う言葉、そしてメアリーの命名式の日付が記されていた。来月の下旬だ。ずっと延期されていたが、ついに日付が決まったのか。
これはメアリーに正式な名前がつくという事の他にも、ミルラが世界樹として完全復活したという事を示すイベントになる。かつて仕えた主の成長に、エルシーは久々に喜びを噛み締めた。
「本当は、キノにも来てほしかったんだけど」
「…………左様でございますね、きっとソウヤ様は我が事のようにお喜びになると思いますよ。でも、それまでに芽生えればきっと」
「そうね、そしたら、皆で遊びに来てね! 私の街、美味しいものもきれいな場所もいっぱいあるのよ、きっとキノも喜ぶと思うわ!」
メアリーは手を振って去っていった。
春の日差しに、どこからか花の薫りが漂ってくる。
明るい日差しの反射光は日陰に置かれたガラスの鉢を美しく飾り付け、七色の虹を生んでいた。
ガラス鉢の中には何の変化もない。
それでもエルシーは、飽きずに鉢を見つめている。
土の中で目を覚ましたら、あの主は絶対になにも見えないとわめき出すはずだからだ。その時は、自分が一番に声をかけて安心させてあげたい。
窓から風が吹き込んできて、桜の木の花びらを大量に運んできた。
木野が戻ってきた時に咲いていたら喜ぶだろうと扶桑が送ってくれた木だ。たしかに美しい花を満開にしている。
出来ることならこの咲き誇る花を見せてあげたい、と胸がほんのりと痛む。
エルシーは目を閉じて主のことを思い返していた。
すると、声が聞こえてきた気がする。懐かしい、聞こえないはずの声。
幻聴だろうか。今までも何度かあった。声が聞こえた気がするのに、実際には何も起きていないのだ。
今回もそれだろうと、目を開けた。
「やっと、目が覚めた」
幻聴ではない。くぐもった声がする。どこから?
エルシーがガラス鉢を見直すと、そこには小さな芽が生えていた。
「エルシーさん、今戻りました」
小さな芽が元気よく挨拶をした。
これは現実だろうか。夢か幻ではないのか。エルシーは何度もまぶたを開閉する。
ああ、事実だ。
それ以上のことはエルシーにはもうわからなかった。
「おかえりなさいませ、ずっと、ずっと……!」
エルシーは溢れ出る涙を拭きもせず、ガラス鉢ごと小さな芽を抱きしめ、数百年ぶりに子供のように大声で泣いた。土の中にポロポロと、あっという間に涙が染み込んで消えていく。
風はまるでそれを祝福するかのように、美しい花びらをガラス鉢の土の上に舞い広げる。
「時間がかかっちゃいました、すみません。でも、また会えて良かった」
エルシーの主人は、彼らしい詫びをして、おそらく多分困ったように笑った。
「エルシーさん、なんで泣いてるんすか……あっ!」
マギネがエルシーを見て、息が切れるのも構わずに外へと走り出した。
「みんなー! 早く、早く来るっす!! 若君が!」
マギネが外に向かって、大声で叫ぶ。
「エルシーさん、笑ってもらえませんか。エルシーさんには、それが似合うと思うんで……」
自信なさげな言葉。でも嬉しい言葉。エルシーは、何度も溢れる嬉し涙を拭う。
「かしこまりました、ソウヤ様」
男がずっと見たかった、まるで舞い散る花のような笑顔がそこにあった。
どんぐりから始まった男の第二の人生は、木になり、人になり、またどんぐりに戻って死んだ。
そして灰からどんぐりに。
願わくば、三回目の人生はずっと平和でありますように。
エルフと男はなにも言わなかったけれど、同じ願いを抱いて、あの日のように再会する。
黒く染まった気の良い精霊だけが、それを優しく見守っていた。
これにて完結となります。
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