第九話 恋慕
前回までのあらすじ
王子、襲来
サンドイッチをテイクアウトした
赤いベルベットの天蓋、生けられた赤い薔薇、枕もとの可愛らしいくまのぬいぐるみ。ほとんど同じ調度品と間取りの部屋に、割合にしたなら二割程度のレッドベリルの私物が目を惹いた。ほとんど同じなのに目新しくてきょろきょろしてしまう。
植物魔法の使い手だからこそなんだろうか、あちこちに新鮮な植物が生けられていて、下品じゃない程度に薔薇の香りがする。机の上の本やポーチをそれぞれ棚に仕舞って、レッドベリルは私を振り返った。
「さ、どうぞ」
「ありがとうございます!」
ひとまず椅子の一つにバスケットを置いて、机の上にその中身を広げる。まだ温かいアボカドとエビの挟まったサンドイッチ、カップに入ったサラダはトマトが鮮やかだ。それから同じようなカップに入ったフライドポテトと、魔法瓶に入った紅茶。一緒に入っていた割れにくいカップに紅茶を注ぐと、とてもいい匂いがする。
「ふふ、なんだかとても豪勢で贅沢に見えますわね」
「そうですね、お部屋でこんなに素敵なご飯が食べられちゃうなんて最高です」
向かいの椅子に座ったレッドベリルに紅茶を注いだカップを差し出して、ありがとう、と彼女は両手で受け取ってくれた。ちょんと指先だけが触れるだけで嬉しくなって、私も椅子に座る。するとレッドベリルは何か思い出したようにカップを置くと席から立ち上がった。なんだろう。
「どうしました?」
「良い物がありますの。せっかくですしお昼と一緒にいただこうかと……あ。こちらですわ」
そう言ってレッドベリルが持って来たのは小さな陶器の瓶だった。良い物をわざわざ自分で持ってきて出してくれるの最高に可愛いな……。私の興味津々な視線に彼女はくすくすと笑ってその蓋を開ける。紫の塊がたくさん入っていて、甘い匂いがするけれど……なんだろう。
「これはなんですか? 甘いものみたいですけど……」
「スミレの砂糖漬けですわ。紅茶に浮かべて飲んだり、お菓子にのせたりして食べる物ですの。わたくしの自家製ですのよ」
あ、それ名前だけは聞いたことある。でもすごいなぁ、こんな物まで作れるんだ。私の魔法は物づくりにはあまり向かないから、少し羨ましくもある。
「ローズさん凄いですね……! 食べてみたいです」
「折角ですものね、御裾分けですわ」
小さな銀のトングでスミレをひとつ摘まんで、紅茶に入れてくれた。わーい! お礼を言って早速紅茶を飲んでみると、ほのかに甘さと花の香りがして美味しい。思わず笑みがこぼれる味がする。くすくすと笑うレッドベリルはもうかなりいつも通りで顔色も良くなってきた。なによりだ。
「素敵なお昼ご飯ですね、えへへ」
「えぇ、そうですわね。……たまにはこういうのも、悪くありませんわ」
サンドイッチを頬張って、たまにポテトを摘まむ。食事中に口を開いてお喋りするのはマナーが悪いから談笑することはちょっと出来ないんだけれど、穏やかな顔のレッドベリルと二人きりでご飯を食べるのはかなり楽しい。紅茶が美味しいのも、スミレの砂糖漬けをいれたからというだけが理由じゃないだろう。
「あぁ、お腹いっぱい。午後の授業寝ちゃいそうです」
ご飯を食べ終わって、このまま出来ればごろごろしたいけれどそうもいかない。時計を見上げれば午後の授業の始まりまで15分ほど。思ったよりも時間がないけれど、やっぱり移動の時間とあのいざこざの時間のせいかな。クリスタル王子が絡んでこなければもう少し余裕があっただろう、なんて。
「ちょっと、寝たら怒られますわよ。午後は座学ですし、気持ちも分かりますけれど……」
「ローズさん、今度お休みの日にこうやって寮にご飯持ってきて食べましょー。駄目です、寮に来たらもう寝ちゃいたい気持ちがふつふつと……」
レッドベリルは「よろしくてよ」と笑いながら言ってベッドに腰掛けた。私がいそいそとその隣に座りに行っても、特に咎められはしなかった。ふかふかのベッドが二人分の重さでへこむ。それで少し体が傾いて肩が触れ合った。
「……先ほどはごめんなさいね。取り乱してしまいましたわ」
「そんな、ローズさんは悪くないですよ。悪いのはデリカシーが欠如してるクリスタル王子です」
元婚約者の前でよくもああずけずけと。思い出してむかむかしてきたのでシャドウボクシングの真似をするとレッドベリルはあははと笑った。
「自分でも驚くほど、声が出ませんでしたの。昨日のことが蘇って……一日でわたくし達仲良くなりすぎではありませんこと?」
「お、それに気付いちゃいましたか。これぞ私の特技、愛する人に猪突猛進です」
「ふふ……でも、そうね。きっとそれが貴女の魅力だと思いますわ。貴女はとても、眩しい人だもの。太陽のよう」
無駄なポジティブさは昔からだけれど、そんなにもなんだろうか……。王子や貴族がめっちゃ珍しいじゃんこの子と思うくらい珍しいタイプなんだろうか。もしイケイケのギャルとかが異世界転生したら王様くらいになれそうだな。インスタ映えの王国とか出来そう。
「……そう、だから、わたくしは貴女にとられるのが怖かったの。とられたくなくて、姑息な真似をして……結局、因果応報。最初から……わたくしのものでは、なかったのに」
「ローズさん……」
「分かっていたのよ? 分かっていましたの。それでも……えぇ、だって、わたくし、恋をしていたのよ。貴女がわたくしを愛しているように、王子ではなくたって……きっと、わたくしは」
「ローズさん」
レッドベリルの腕を引いて、ベッドに押し倒す。白いシーツに赤い髪が広がって、あぁ、綺麗だ。いい香りのシャンプーの匂いは、ベッドに染みついた匂いなのか、それとも目の前で私を見上げている彼女のものなのか、分からなかった。
レッドベリルに、私の影が差している。
「……目の前に私がいるのに、他の人の話なんて。妬いちゃいます」
きょとんとしたレッドベリルが可愛くて、そのままそっとキスなんてしてみたりして。あぁ、柔らかい。少し湿っていて、少し甘い。ただ一瞬触れるだけ。それでもなんだか満たされる気がした。
少しだけ離れて、今までで一番近い距離で目が合う。頬を真っ赤にしたレッドベリルに微笑みを返して、体を起こす。
「ね、ローズさん。殿下と居たら、きっとこんなときめきもなかったと思ってくれませんか」
「……い、いま」
「どうか、私を見ていてください。今はまだ、殿下に恋をしていて構いませんから」
両手で口を覆って顔を真っ赤にしているレッドベリルの髪を撫でる。さらさらとしていて、ふわふわで気持ちが良い。歯が浮くようなセリフを口にしているのは自覚しているけれど、でも伝えたい気持ちが羞恥心に勝ってしまった。
「いつか、私しか見えなくさせてみせます」
レッドベリルは嫌がっているというよりも照れているようで、それに密かにほっとした。これで突き飛ばされたり怒られたり嫌われていたら本当に目も当てられない。人生にリセットもセーブ&ロードもない。
少し予想はしていたけれど、レッドベリルはロマンチストだと思う。今まではその必要があったから自信のある自分を見せていたようだけれど。そういう可愛い部分が本当に可愛い。
ベッドに座り直したところで、ドアが唐突にノックされた。レッドベリルの方を見ると顔を真っ赤にしたままフリーズしているので、私が代わりに扉を開けに行く。
「はーい」
目の前があまりにも黒いから、一瞬夜かと思ってしまった。それは夜色な髪かつ猫背で光を遮っているラピスラズリ王子だったのだけれど、頭が働くまで少しかかってしまった。
「あ、王子。こんにちは」
「……ここは、ローズワースの、部屋では……?」
少し戸惑っているのか、きょと、と首をかしげている。あ、混乱させてしまった。私は少し体をずらして、ベッドに寝転んだままのレッドベリルを見せる。
「はい、ローズさんの部屋です。一緒に食事をとっていました」
「そうか……いや、しかし……ちょうどいい。お前たちに、風紀委員から」
と言って差し出されたのは白い封筒だった。裏を返すと綺麗な蝋で封がされていて、招待状、と小さく書いてある。それが二通、あて名はそれぞれ、私とレッドベリルだ。お茶会の招待状だろう。しかしまさか風紀委員長のラピスラズリ王子がわざわざ来るとは。
ゲームではお茶会イベントの時、その時一番好感度の高い攻略対象がお茶会に行こうと呼びに来たり、クラス単位で招待されたり、あとは手紙が届いたというプログラムメッセージのような感じなのでなんだか慣れない。今までのお茶会もクラス単位の物が多くて、招待客が限られているお茶会に参加するのは初めてだ。
「王子がわざわざ来るんですね、普通の風紀委員の人が来るのかと」
「あぁ……ルゼが、たまには……いってらっしゃい、と」
ペリドットに言われてちゃんと自分で仕事をするラピスラズリ王子、一言で言って尊いが過ぎる。いいなぁラピスラズリとペリドット。二人の仲を応援隊とかってないんだろうか。さすがに生身の人間で妄想するとか二次創作するのはマナー違反だけれど、こう、おっかけみたいな感じでないのかな。
ここでようやくレッドベリルが来た。乱れた髪を手で整えながら来て、咳払いをしてから綺麗に一礼。
「ご機嫌よう、ハイネス様。すぐ出迎えることが出来ずに申し訳ございません」
「構わない。……ルゼが、君たちの参加を、心待ちにしていた。……では、これで。失礼する」
「ありがとうございます! 絶対行きますね!」
ラピスラズリ王子は小さく頷いて歩いていく。すごい、絨毯が分厚い寮の廊下とはいえ足音が一切しない。扉を閉めようとすると、「あぁ」と思い出したように振り返ったので、慌てて扉をもう一度開ける。
しかし彼はこちらを見たまま戻ってくることはなく、私達に向かって言った。いつも通りの静かで低い声で。
「……不純交友は、だめだぞ。……昼間から」
あっ、もしかしてバレてる? 横のレッドベリルの顔がまた真っ赤になった。私達の返事を待たずにラピスラズリ王子は去っていって、私達は無言で扉を閉める。
なんかこう、さっきまではそうでもなかったのだけれど、他人に指摘されるとすっごい恥ずかしいぞ? どうしよう、レッドベリルの顔が直視できない。私の顔も赤くなっている気がする。少し気まずい沈黙。
私達の空気を察したのか、昼休みの終わりを告げる鐘の音が窓の外からした。私とレッドベリルはまだ赤い顔を見合わせて、へら、と笑う。
「遅刻してしまいますわね、行きましょうか、アリスさん」
「そうですね、遅刻しちゃいますからね」
レッドベリルに彼女宛の招待状を渡して、さっさと昼食のカップなどをバスケットに入れて、それから忘れず自分の荷物も持って二人で部屋を出る。寮には同じように授業に向かう他の生徒たちがある程度廊下を歩いていて、顔の赤みもすぐに去っていった。風が涼しい。
途中、食堂に寄ってバスケットを返してからは二人で他愛もない会話も復活して、教室へ行く。後ろの扉から入ると教室の前の方でクリスタル王子が囲まれて大勢で話していたので、ちょうどよかった。隅の方の席に座って、授業の準備をするレッドベリルの隣で招待状の封を開けてみた。
中に入っていたのは当日に見せるカードと、あとは持ち物や時間、服装などの指定が書いてある紙。それから隅にはペリドットから「待ってるわね~」という可愛らしい直筆のメッセージがあった。隣の似顔絵が可愛い。
「ローズさん、お茶会、手土産もいいんですって。あの砂糖漬け持って行ったらいいと思うんですけど」
「わたくしの? ……あんなもの、そんなに大したものじゃありませんわよ」
「でも、どんな高価なケーキとかよりも価値があると思いませんか? だってローズさんしか作れないんですよ!」
私が力説すると、レッドベリルはぱちぱちと瞬きをして、それからくすりと笑った。そこで先生が入って来て、彼女は教壇の方を向く。手作りのものはあんまりあげると駄目なのかなぁと考えていると、隣から小さな声で
「持って行くなら、薔薇の砂糖漬けにしますわ」
予期していなかった言葉に隣を見るとレッドベリルはまだ前を向いていて、目だけがこちらを向いた。くす、と笑って指で小さく前を向きなさい、とジェスチャーで言われる。薔薇の砂糖漬け、そんなものもあるだなんて知らなかった。号令がされて、授業が始まる。一斉に教科書を開く音。私語を許さないタイプの先生が前回の復習を始めるのを、遠い席から眺める。
昨日からまた丸一日も経っていないのに、レッドベリルの隣は居心地がよくて、ずっとここに座っていたような気がした。