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生贄の烙印  作者: 樹(いつき)
第三章
12/16

塔の中

 トガルと離れてどれくらい経ったのか、ルガにはもうわからなくなっていた。

 今が夜なのか朝なのかわからないほど雲は分厚く、雪は絶えず降り続いている。身を切るような寒さの中、ルガは必死に鞍の手すりに掴まっていた。

 すでに山は越えて、切り立った崖の下から先は北海が広がっている。あとはこの崖沿いに進んでいけば、光る結界が見えてくるはずだ。

 休みなく進んでいるにも関わらず、ルベルの足取りは軽かった。オオカミというものについて詳しく知らないが、長距離の移動もこなせる動物だったようだ。

 ルガといえど、ただ純粋にトガルの無事を祈ることはできなかった。死んでいるかもしれないと思うと、胸が絞めつけられるように痛み、息が苦しくなる。だから、今は考えないようにしていた。

 冬でなければ、ユカナは内部を水の流れが通っている美しい塔だ。冬場は水路が凍ってしまうため水が止まるようになっている。ルガも去年の夏に一度下見に連れてこられており、その光景には息を飲んだものだ。最後を迎える場所は、せめて美しくあるべきだという思想の基に作られているらしい。

 もうじきユカナが見えるはず、とルガは顔をあげて先を睨んだ。結界は、こんな吹雪の中でも見えるものであると教わっている。だから、必ず見えるはずだと思った。


「……結界が消えてる!?」


 塔の形が、わずかに夜闇へ浮かび上がる。ユカナの前にある石橋の袂でルベルを降り、山の中に隠れておくように言う。そして、ひとりで、ユカナへ向かって歩き出した。

 もうじき解けると聞いていたが、これほど急であるとは思わなかった。これでは、中に人が入っていてもわからないではないか。

 しかし、ここで躊躇えば躊躇っただけ、追手との距離が縮まってしまう。とにかくすぐに結界を張り直してしまうしかない。そうすれば、どこに誰がいてもルガの勝ちだ。

 ルガは懐にある、手の平ほどの大きさの鍵を取り出して握った。水晶のように白く透明な石で作られているこの鍵を鍵穴へさすことで、結界は再び発生する。


(あっ、足跡……)


 橋を進みながら足元を見て、ルガは気がついてしまった。雪のせいで足跡が残っている。消えていないということは、つい先程ここを通ったのだろう。

 不意に、恐怖が込み上げた。トガルが罠にかかったことを思い出し、足元に注意しながら、ルガは進んでいく。

 中へ入ったら、すぐに結界を張る場所まで走る。結界が解けて時間が経っていないなら、ユカナの内部に雪は入っていないはずだ。滑る心配だけはしなくていい。

 塔の入り口からそっと中の様子を覗く。中央には水の溜まった泉があり、その周囲にはユカナの中でしか育たない薄い赤色の花が咲いている。この花はテイクルシアと繋がっているために、こちらの世界の環境に左右されず咲くことができる。

 その後ろに、大きな台座がある。そこが、結界を発生させるための場所だ。その周囲に人がいる様子はない。

 ユカナは上に二階、地下に二階と上下に広い構造になっている。どうやら、うまくそちら側の探索にいってくれたのだろう。地下には歴代のルガたちが眠っている部屋がある。ああいった特殊な部屋に興味を引かれない者はいないはずだ。

 風がうるさいせいで音は聞こえないが、見た限りでは誰の姿もないことを入念に確認し、ルガは走り出した。

 外套が重く、思ったより走れないが、脱いでいる時間も惜しい。そんな焦る気持ちとは裏腹に、ルガは何事もなくあっという間に泉を通り過ぎ、鍵穴のある台座へとたどり着いた。

 手の中の鍵を見ると、緊張で震える。しかし、迷っている暇はない。ルガは台座の鍵穴の前に座り込み、鍵をさそうとした、その時だった。


「はい、そこまで」


 肘を掴まれ、鍵を持った手を止められる。ルガの後ろには、大柄な男と痩身の男、それに、山狗の隠れ家で会ったマナがいた。


「そんな、どこにいたの!?」


 入り口から覗いた時には、確かにどこにもいなかったはずだ。隠れられそうなところは全て注意して見ていたから、間違いない。


「向かってくる灯りが見えたからね。橋から縄を垂らして掴まってたのさ」


 足跡はルガを信じ込ませるためにわざとつけた、と彼女はつけ加えた。


「それが結界を発生させる仕組み? 鍵になってるなんて、ここを作った人は美術家だったのかしら?」

「結界を張らせてください」

「ダメ」


 マナは鍵をとりあげると、ランタンの灯りに透かして物珍しそうに眺めている。


「その娘を縛って」


 マナが指示を出すと、ふたりの男はすぐに行動に移した。


「待って、待ってください! あの、マナさん、お願いします。結界を張らないと、みんな死んでしまいます! ガンドルトは人に扱えるようなものではありません。マナさんも、分かっていますよね!? 人の手に渡るということは、ガンドルトとこの世界を繋げてしまうということ――うぐっ!」


 そこまで喋ったところで、ルガは布を噛まされ、口を塞がれた。マナは表情を変えずに鍵をしまうと、背を向けて下の階へ向かって行く。


(ここまで来て、何もできないなんて……)


 悔しさに、涙が溢れそうになる。鍵を奪われてしまっては、ここから先、脱出できたとしても、ルガにできることは何もない。

 大柄な男は、ルガを肩に担ぐと、階段を降りた。地下は昔のルガたちが眠る部屋の他に、個室がいくつかある。何の目的で作られたのか知らないが、二階や三階も同じようになっていると聞いたことがあった。

 ルガは一番奥の部屋に放り込まれ、扉を閉められた。室内には灯りがあったため、初めからここに閉じ込めるつもりだったのだろうとわかる。扉には窓もなく、外の様子はわからない。

 室内にあるのはシーツのない剥き出しの木のベッドだけであり、暴れて扉を開けることも、縄を切ることもできそうなものはなかった。


(逃げて、どうするの?)


 必死に何かを探す自分に問う。これから続々と彼らの仲間が訪れるだろう。出口は一階にしかなく、そこまで行けたとしても、橋を渡って外へ出て、そこからも逃げ続けなければならない。

 捕まれば、殺される。そう考えた時、違和感に気がついた。


(そう言えば、なんで私を捕まえたんだろう)


 捕まえておいても、何も得られるものはないはずだ。縛って橋から落としてしまえば、それだけで間違いなくルガは死ぬ。

 マナの考えていることがよくわからない。鍵を持っていったことを思うに、ルガの味方というわけではなさそうだったが、すぐに殺さなかった理由でもあるのだろうか。

 もしかしたら、トガルが生きていて、その人質のために自分を生かしているのかも、と一瞬だけ頭をよぎったが、すぐにその考えを振り払う。

 期待することで、絶望は大きくなる。そんなことはわかっている。しかし、トガルはすでに死んでいて、自分もここで死ぬと簡単に諦められたら、どれほど楽だろう。


(……がんばって縄を切ろう。何もできないかもしれないけど、諦めるもんか)


 そう決めて、ベッドのとなりまで這って移動し、縄を脚の角に押し当てた。






 マナはたくさんの棺が納められた部屋を調べていた。さっきは途中でルガが来てしまったため、灯りをつけるだけしかできていなかったが、やっと腰を据えて調べられる。

 円状の大広間で、棺は輪を描くようにして寝かされていた。半分ほどは埋まっているが、もう半分は空の棺で、いずれは後のルガたちがここに眠ることになるのだろう。

 普通なら漂っているはずの死者の臭いが、不思議なほどなかった。棺自体に仕掛けがあるのだろうか。墓地であるとは思えないほどに、爽やかな空気で満たされていた。

 中から結界を張ったあと、この暗い棺に自ら入らなければならない。マナはその場面を想像し、眉をしかめた。人ひとりの命が五十年の平和と引き替えとは狂っている制度だと思うが、根本的な解決法が見つかるまでの必死な時間稼ぎなのかもしれない。

 空いている棺をひとつずつ丁寧に見ていくが、内側に柔らかな装飾が施されていること以外、おかしなところはなかった。切り裂いて中を見てみようか悩んだが、マナもそこまではしなかった。

 すでにこの塔の上二階は見終わっている。二階にはたくさんの個室があり、三階は周囲を見渡せる展望台があるだけだった。ガンドルトやこの塔について分かりそうな小道具や装飾などは、何もない。

 この塔には、結界を維持することと、ルガたちの墓標であること以外の機能はないのだろう。いくら調べても歴史的な文献など見つかりそうにない。

 棺の部屋を出て、また一階の泉のある広間へと戻った。赤みがかった花が咲いているが、誰の手も入っていないこの塔とこの寒さで花畑を維持できるなど、不気味である。


(だいたい、なんで花畑なんかあるの? 他は殺風景なのに、ここだけ……)


 マナが花をひとつだけ手折って拾い上げると、不意に、甘い香りが鼻をくすぐった。さっきまでこんな匂いはしていなかった。

 すると、周囲が深い青に包まれた。ユカナの内装とは全く違い、まるでそれは海の色であり、暖かさすらも感じる。


(幻覚!?)


 マナは素早く外套の裾で顔を覆った。床に倒れ込まないよう姿勢を低くしようとしたが、本当に海の中にいるように、ふわふわとして、床に触れている実感がない。

 花粉でも吸ってしまったのだろう。よほど強い幻覚作用を持つ花だったに違いない。


(死の恐怖をやわらげるためのものだとすれば、ありえない話じゃない)


 静かな海中で、マナは不思議と鮮明なままの思考を続けた。幻覚を見ているときはもっと混沌とするものだと思っていたが、思考力の衰えは感じられなかった。

 海の中に生き物の姿はない。魚だけでなく、塵のひとつすら浮いていない。どこまでも透き通って、上の方は明るい光が見える。

 上下の感覚はそのままなのか、と足元を見下ろすと、深い闇の底に、一本の白い触手が見えた。その先端には黒い爪のようなものがついており、海藻のようにゆらゆらと揺れている。

 まだ遠くに揺れているそれは、やがて二本、三本と数を増やしていく。


(何か、近づいてきてる?)


 マナが目を凝らしてそちらを見ると、白い触手は十本になり、その根元には口のような丸い穴が空いており、中は海の底とは違う暗い闇が広がっている。

 その穴を見ていると、心の底から感情をかき乱されるような不安が沸き起こって来る。それはマナが今までに感じたことのある不安とは違い、理由のはっきりしたものではなく、もっと漠然としたものだ。

 マナに気がついていないのか、怪物はただ深海で漂っているだけである。

 こちらに来るなと念じながら、その様子をじっと見ていると、マナの視界が揺らいで、ユカナの広間へと戻ってきた。景色が変わる瞬間に鋭い頭痛を感じ、額を抑える。鼻の奥に残る甘い香りが、今はただ不快だった。


「大丈夫ですか?」


 となりでセルが心配そうに立っていた。


「……ねえ、ガンドルトって、爪のある邪神って言ったっけ?」

「ええ、触手と爪があると聞いています」

「ありがと。ところでこの花、触らないようにね。毒気があるみたい」


 マナは花畑から離れると、壁に寄りかかるようにして座り込み、泉を眺めた。

 あれが、ガンドルトなのだろうか。こことは違うもうひとつの世界にいる邪神。そうだとすれば、あの海が、もうひとつの世界の景色だということだ。

 テイクルシアを見たと言っても、誰も信じないだろう。この花にどんな副作用があるかわからない以上、取り扱いには気をつけねばならない。しかし、手折ったことで匂いを発したのならば、触らない限り何の害もなさそうである。


「……ファルはあとどれくらいで到着すると思う?」

「明日には到着すると思いますが、ユリクスと同じくらいでしょうか」

「そう。まあ、幸いこの塔には泊まれるところがたくさんあるし、気長に待つとしましょう」


 マナはそう言って、手に持ったままの花を見た。


(ラルバが生きていようが死んでいようが、ファルは二度と結界が張れないように塔を壊そうとするはず……。たしか、集落の倉庫には大量の爆薬があった)


 戦争を起こす気なのか、と思えるほどに蓄えられたあの爆薬は、ユカナを破壊するためにファルが買い集めたものなのだ。


「ちょっと、ルガの様子を見てくるわ」


 セルにそう言って、マナは階段を降りていく。

 ガンドルトがここに閉じ込められた時代に、爆薬はなかった。

 この塔が五十年ごとにひとりを犠牲にして時間稼ぎをするためのものならば。ガンドルトを倒せるだけの力を得られるまで文明が発展することを期待するためのものならば。


(余計なことかもしれないけど、あんただって、北の大地が荒れ果てるところなんて見たくないでしょ?)


 心の中で今は亡きルカルに聞く。

 マナは決して、正義感や立派な志を持っているわけではない。自分の家族以外がどうなろうと知ったことではないとすら思っている。しかし、たとえ人間に制御できるものであったとしても、野放しにしていいものではない。

 ルガを閉じ込めた一室の前まで来て、扉を開くと、中にルガがいなかった。切れた縄がベッドの付近に落ちている。ユカナの出入口にはセルがいるため外へ行ったはずはない。


「まったく、あの娘は!」


 おとなしくしていれば助けてやるつもりだったが、まさか自力で脱走するとは思っていなかった。

 マナたちが上にいて、一番下の階はダライが今見て回っていると思えば、下に行ったとも考えづらい。

 マナはひとまずこの階の個室をひとつずつ見て回ることにした。ここにはいくつかの個室と、ルガたちの眠る広間がある。個室に隠れるところはなく、いるとすれば、あの薄暗い大広間だろう。

 階下から上にいるセルに階段の前で見張っているように言い、マナは一室ずつ調べ始めた。来た時にも一度調べたが、ベッドのある部屋はルガを閉じ込めていた一室だけで、あとの部屋は家具すらもないのである。中を詳しく調べるまでもなく、ひと目でいるかどうか確認できる。

 予想通り、全ての個室にルガのいた痕跡はない。大広間へ足を踏み入れると、マナは何かに気がついた。


(繊維……?)


 縄の切れ端だろうか、細い毛のような繊維が床に落ちている。この中には風もなく、どこからか飛んできたとは考えづらい。


「いるなら出てきて。ファルたちに見つかったらただじゃすまないわよ」


 声をかけても、返事はない。マナはため息をついて、棺の付近を探し始めた。

 ここも一度調べている場所だ。隠れられるほど大きなものはなく、棺の影に屈むくらいしかできないだろう。

 マナは見落として背後に回られないように気をつけながら、広間の中を見て回った。そういえば、旅用の分厚い外套を着ていたのだから、隠れようにも隠れられないのではないだろうか。

 隅々見て歩いたが、ルガの姿はない。念のため、棺の中に隠れていないか調べたが、どれもがっちりとフタが固まっており、ずらすこともできない。

 広間にある窓から下に降りたのだろうか、と外周を囲う窓を覗く。

 暗くてよく見えないが、ユカナは孤島の絶壁の上に建っているのだ。下が海なら飛び降りた可能性も考えられるが、少しだけ浜があり、海辺までは距離がある。とてもではないが、何の道具もなく降りられるような高さではない。


(ここにはいないか……。だけど、上はありえない。下に行くか)


 マナは面倒ごとに頭を掻きながら、広間を出た。






 マナが去ると、棺のひとつが小さな音を立てた。


(行った……?)


 ルガは棺のひとつに隠れて、様子を伺っていた。この棺は中から鍵をかけられるようになっており、外からは絶対に開けられない。マナがフタの閉じている棺の数を覚えていたら危ないところだった。

 この棺は死んでから入るものではなく、死ぬ時に入るものだ。だから、中は密閉されておらず、息も苦しくない。


(もうしばらく、ここにいた方がいいよね)


 敵は少なくとも三人いる。ルガには逃げられたと思わせておいた方がいい。彼らがユカナから去ったら、逃げ出そう。外に行けば、ルベルもいる。

 ルガはトガルからもらった笛を手に握りしめ、棺の中でしばらくこのまま待つことにした。


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